347.ネロエラ・タンズークの疾走6
「右から火が来てる!」
"ワオオオオオ!"
ガザスの平野にエリュテマの――ネロエラの声が轟く。
ただ指示することしか出来ない自分にフロリアは無力感を感じながらも次の攻撃を目で捉えた。
「左から信……いや光だ! 早い!」
カンパトーレの追手の魔法が荷車をかする。
エリュテマの本来のスピードならとっくに引き離せているだろうが、連日の無理のせいでエリュテマ達の体にも限界が来ていた。
住民達に盛られた毒の解毒に間に合わせるため、ここに来るまでに相当な負担を強いている。
いくら魔獣が魔力を体力や身体能力に変換できる体質を持っているとしても、体への負担を軽減できるわけではない。
そして何より……ネロエラは人だ。
血統魔法によってエリュテマの姿に変化こそしているものの、魔獣より体は遥かに脆い。
今こうして四匹のエリュテマに混じって荷車を引けているのが不思議なくらいだった。
(こいつらさえ撒ければ後は辿り着くだけなのに……!)
ネロエラは疲労した体で必死に頭を回す。
この追手たちをどうすれば振り払える?
もうエリュテマ達にこれ以上の速度を出す余裕は無い。
幸いあちらもついてくるのが精一杯で連携がとれていないのか、激しい攻撃は来ていない。
ほんの少しでも引き離せれば後は体力勝負……体力勝負で私のエリュテマ達が後れを取るなど有り得ないのに――!
(どうすれば……! どうすればいい……!?)
しかし、そのほんの少し引き離す策が思いつかない。
自分はエリュテマ達の友であり、主人であり、この輸送部隊の指揮官。
役目を果たせネロエラ・タンズーク! 何のためにここにいる!?
「ネロエラ! あの林に入って!」
『フロリア!?』
思考するネロエラの耳にフロリアの声が届く。
フロリアが指差していたのは左手に見える林だった。
しかし、そちらは最短ルートではない。王都シャファクまでの道は平野が続いており、道もある程度舗装されている。
『ど、どうする気だ!? 身を隠そうにもこちらの荷車が大きすぎてすぐにばれるぞ!』
「いいから!」
『考えがあるのか!?』
「ええ! このフロリア様に任せなさい!」
『よ、よし! わかった!』
自分には思いつかない策をフロリアには思いついたのだろう。やはり私の友人は頼もしい。
誇らしさを感じながらもネロエラはエリュテマ達に指示を出して進路を変える。
カンパトーレの追手も動きを変えるが、一部の追手は戸惑っているようだった。なにせ王都を目指していると思っていた荷車が急に進路を変えたのだから。
「無理に隠れる必要は無いわ! スピードを維持できるルート取りだけ! 林を抜けたらすぐに方向転換して王都に向かいます!」
『わ、わかった!』
林の中は朝靄と木々の草で朝だというのに薄暗い。
心なしか空気が澄んでいて走りやすくなったような気がする。
「ネロエラ! 体は!?」
『ここまで来てもう無理と言うわけがない!』
「それはそうね! ロータちゃん! カーラちゃん! ヘリヤちゃんにスリマちゃんはまだ体もつ!?」
フロリアの声にそれぞれ名前を呼ばれたエリュテマは鳴き声と三つの咆哮で答える。
咆哮は人間に心配される必要は無いと言っているかのようだった。
フロリアはその遠慮ない咆哮に嬉しそうに笑う。
「うん、そうよね。私が心配しなくてもあなた達は大丈夫よね、強いもの」
『フロリア?』
ネロエラがちらっと見ると、フロリアは懐から仮面を取り出していた。
それはフロリアが魔法を使う時の……?
「じゃあネロエラをよろしくね」
『フロ――』
「『強化』!」
ネロエラが声をかけようと思った時には、フロリアはロータの背中から跳んでいた。
ここまでされたらフロリアが何をする気なのかは誰でもわかる。
「さあさあ! 追っかけるだけじゃつまらないでしょう! 冴えない魔法使い共にとびきり美人のフロリア様の御尊顔を拝めるチャンスをあげようじゃないの! この仮面を狙ってみなさいな! マナリルで二番目の美少女の顔がここにはあるわよ!」
フロリアは仮面をつけ、てきとうな謳い文句を喋りながら着地する。
無茶だ、とネロエラは心の中で叫んだ。
フロリアはお世辞にも対魔法使い戦は強くない。一人で戦って真価を発揮する血統魔法でもない。
追手は見る限り五人。味方がいるのならともかく、単身で相手できるはずがない。
……それでも彼女はそうするしかないと思ったのだ。
誰かが追手を一瞬でも食い止める。それがこの輸送部隊が任務を完遂する最善なだと。
『フロリア駄目だ! それは私の――!』
けどそれは、それは私の……この部隊を守る指揮官である私の役目じゃないのか――!?
「違うでしょネロエラ」
まるで心の中を読まれたような声。
仮面の上からでも、笑うフロリアの表情が目に浮かぶようだった。
「あなたがいなきゃ、エリュテマ達は走れない。みんなは私をまだ信頼していないから。だから、あんたは一緒に走らなきゃいけない。私だけが、ここにいる必要がない」
追手が来る。
魔法が飛ぶ。
フロリアの声が林に響く。
「だからあなたは走って! 走ってみんな! 走ってネロエラ! あなたはようやく……走りかたを知ったんだから!!」
『フロリア……!』
その声の通り、ネロエラは走る。
足を止めるその行為がフロリアに対する裏切りだ。
そう、フロリアの言う通り……自分が今やるべきはきっと、走ることだ。
「『闇夜強襲』!」
林に入ったのは追手のルートを木で限定しやすくする為。
着地と同時にフロリアは攻撃魔法を唱える。できるだけ広範囲に拡散できる中位魔法。
フロリアの周囲に絵の具が落ちた黒い染みのようなものが周囲に現れて、
「止まれ」
フロリアの声とともに黒い染みは武器の形をとって五人の追手に襲い掛かる。
朝には似合わない真っ黒に染まった矢に斧、槍や剣などが林の中を飛び回った。
見える追手がくるだろうルートに放たれたそれは、追手達の動きを一瞬だけ鈍らせる。
「闇属性だ! 大したことない!」
「荷車のほうを――」
「『真っ暗な劇場』!」
構わず追い掛けようとする追手の声を無視して……フロリアは続けざまに、追手達の視界を遮るための魔法を唱えた。
フロリアの背後を閉ざすように黒い魔力光を纏った幕のような魔法が落ちる。
本来は広範囲を防ぐ闇属性の防御魔法だが……フロリアは追手の視線をネロエラ達から切るために使用した。
「いつ開くって? 拍手すれば開くかもね? 演者は戻ってこないけれど」
「まずい……!」
「『闇霧』」
白い朝靄に混じる黒い霧。ちらちらと黒い魔力光が追手の視線を遮りいらつかせる。
荷車を追いたい相手に対する厭らしい邪魔な魔法の連発。
フロリアは闇属性。戦闘に於いては不遇とされ、フロリア自身も戦闘は苦手だが……こういった細かい嫌がらせを思いつくフロリアには最適だ。
林を選択した意図、大袈裟な語り口、目を引く仮面、そして魔法による足止め。
まさに相手を逆撫でする囮。血統魔法の性質の影響もあるのか、フロリアはそういった戦い方に長けている。
この場での勝ちはフロリアが誰かを倒すことではなく、ネロエラ達を五人の追手全てから撒くこと。
ならば――彼女にとってはなんと容易い勝利条件。
「待て、エリュテマを操っていたのはこの女じゃなかったのか!?」
「ちっ! まだ仲間がいたって事か」
追手のうち二人が動揺と怒りで舌打ちする。
その予想も織り込み済み。
エリュテマを操っているのはエリュテマに跨るフロリアであると敵が判断しているだろうというのは予想がついていた。普通は魔獣に変化している魔法使いの存在など想像つかない。
だからこそ、フロリアの足止めは虚を突き、こんなにも上手くはまっていた。
仮面の下でフロリアはにやりと笑う。
本当は、あの中で自分だけが仲間外れだという事実が追手が知る由も無い。
「さあ、か弱い美少女一人の相手をしてもらいましょうか? カンパトーレの魔法使いさん?」
「なめやがって……!」
「とりあえずこいつの首だけでもビクター様に……」
追手の狙いはもうフロリアに切り替わっていた。黒い幕で視線を切らされ、朝靄に混じった黒い霧で方向感覚も狂わされた。今からエリュテマ達を追っても追いつけないのは明白だった。
黒い霧が晴れる。フロリアの背後を閉じていた黒い幕も消えていく。
追手は魔法の効力が完全に切れた瞬間、襲い掛かってくるだろう。
(さーて……どう逃げ切ったものか……)
死んでやるつもりはないが、流石に状況が悪い。
フロリアはつい生唾を飲み込む。
後は自分はがどれだけ逃げられるか。逃げられなくても一人くらいは道連れにしたいと覚悟を決める。
「なっ――!」
「お、おい……!」
「結局どっちなんだ!? 操ってるのはこいつなのか!?」
だが、襲い掛かってくると思っていた追手の何人かが狼狽えながら……何故か後ずさっていた。
「え……?」
追手達の視線はフロリアの後ろに向けられている。
フロリアは追手の視線の先が気になり、無警戒に後ろを振り向くと、
「ろ、ロータちゃん……!? カーラちゃんまで……!?」
そこには人間大の体躯と白く美しい毛並み。赤い瞳は仲間達の敵を見据える。
フロリアの背後には、威嚇の視線を追手達に向ける二匹のエリュテマがいた。
"ワオオオオオオ!!"
ロータとカーラと呼ばれる二匹のエリュテマが咆哮する。
それに合わせて、遠くから三つの咆哮が返ってきた。四匹と一人の咆哮が林にこだまする。
ネロエラではあるまいし、その咆哮の意味がフロリアにわかるはずはない。
けれど、今の咆哮はきっと――フロリアが彼らに認められた声だった。
「あははは! 馬鹿だなぁ、あの子……もう体も辛いだろうに……」
フロリアの横にロータとカーラ……二匹のエリュテマが静かに並ぶ。
その光景がカンパトーレの魔法使い達には信じられなかった。
"グルルルッ……!"
"グガア!!"
二匹のエリュテマが仲間の敵に牙を剥く。
魔力を身体能力に"変換"し、めきめき、と体が少し膨れ上がった。
白い毛並みが逆立って……故郷カンパトーレでも知られる魔獣エリュテマの戦闘態勢が整った。
「ま、まずいぞ……!」
追手の一人がそう叫ぶ。
そう、まずい。今まで追えていたのは向こうが逃げていたからだ。
平野ならいざ知らずここは林。魔獣エリュテマの領域。駆けるも自由ならば潜むも自由。
そんな場所で……魔法使いの少女と魔獣エリュテマ、どちらも相手にしなければいけないのか――!?
「覚悟してよねカンパトーレ。味方がいる私は……ほんのちょっと面倒よ?」
少女は仮面の下で笑ってから威嚇のように指を鳴らして。
「【誇り無き敵】」
血統魔法の名を響き渡らせる。
マーマシー家の血統魔法は"自身の姿を相手が思う敵の虚像に見せる"魔法。
追手達の敵とは一体何になるか? 無論、一番の脅威に映るはこちらを威嚇してくる魔獣エリュテマに違いない。
だとすれば……その光景は一体、追手達にどう映っただろう?
「え、エリュテマに……変身した……!」
「やっぱこいつなんだ……! こいつがエリュテマを操ってるんだ!!」
「マナリルにはもう魔獣を使役できる魔法使いがいるんだ!」
フロリアの血統魔法によってフロリアの姿が魔獣エリュテマに見え始める追手達。
ああ、目の前の少女は魔獣を使役できる凄腕の魔法使いなのだ。
……彼らにはもう、そう思うことしかできなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
なんと昨日レビューをいただきました!ありがたやありがたや……。
今日は昨日いただいた感想とレビューを見てにやにやの贅沢体験をさせていただきます。ありがとうございます!