346.パルセトマ
対魔法使い戦において、現代では毒は有効ではないとされている。
魔法使いの強化された体には大抵、普通の針や刃物は通らない。
口から毒を入れようにも、魔法使いは口元を狙う攻撃には特に注意を払っているので大抵は致死量の毒を投与するなど不可能。
大気に散布して呼吸でという方法も、密閉空間でないと効果の出る量を摂取させるには運が必要な上……ほぼ全ての属性魔法が大気に向けて魔法を放てば漂う粉末を焼いたり地面に落としたり出来てしまう。
他にも血統魔法に愛されている魔法使いには通用しないなど……確実性に欠けるというのが今の評価である。
平民を巻き込むような戦争時ならともかく、一対一での魔法使いに対する毒殺の不安定さは今日に至るまでに証明され続け……毒を逆に利用されるリスクもあるため、近年ではほとんどの者が使用しない。
そんな中で……マナリルの一つの家系だけはずっと毒と薬についてを研究し続けている。
確かに毒は魔法使いに対して有効ではない。だが、魔法使いが完全に無効化できるわけでもない。
もしもの拍子に、もしも油断したら、もしも使われたら。
万が一で魔法使いを失ってはいけないと、研究を重ねた。
そんなもしもの歴史を重ねた結果……その一つの家系パルセトマは昇りつめる。
利用されても問題ない毒、自分達には脅威になり得ない毒を扱いながら魔法を駆使する魔法使い。
それこそが、ダブラマと隣接する領土をパルセトマが任される理由。
万が一を研究し続けた結果――その万が一をあの一族は使ってくるかもしれない、と周辺国の魔法使い達に思わせ続け、あの一族がいる限り毒は有効ではないと思わせ続ける抑止力。
それこそがマナリル四大貴族が一つパルセトマ。
魔法の腕はカエシウスやオルリックには及ばないものの……魔法と毒という二つの手札を駆使して国を守る、五百年の歴史を持つ家系である。
「こ、この……!」
「普通ならぶっ倒れてもおかしくないってのに……中々耐えるじゃない?」
ロベリアがラドレイシアに盛ったのは、アルムのガザス行きを阻むために使う予定だった毒の一つ。カルセシスに手持ちの毒を厳しく制限される中選んだ麻痺毒だ。
ライラックが所持していた分は使ってしまったものの、アルムに策を破られたためにロベリアの分はそのままだった。
まさか、ターゲットだったアルムの願いのためにこの毒を使う事になるとはロベリア自身も思っていなかっただろう。
(単調な攻撃をしてきたのは……狙いを見抜かせないため……!)
ラドレイシアが摂取した毒の量は尋常ではない。
常時放出型の獣化が無ければラドレイシアの体は痺れと意識の混濁で戦闘どころではない。
立っていられるのは紛れも無くラドレイシアの血統魔法のおかげなのだが……それでも、先程との差は歴然だった。
「あんたのやる事をうちはきもいと思ってる」
「なん、だ……? 有利になった途端……」
揺れる視界の中、ラドレイシアの耳にロベリアの声が届く。
他の感覚が狂わされているからか……ロベリアの声はさっきよりも鮮明に聞こえてきた。
「喋り方も粘っこくて嫌いだし、さっきの膝蹴りにはふざけんなって蹴り返したいし、子供じゃ大したことないって台詞も滅茶苦茶むかついた。余計なお世話だっての!」
「それが――」
「でも……うちは見下しはしない」
果たしてそれは少女の言葉だったのだろうか?
力強い言葉にラドレイシアの声は遮られる。
「あんたの魔法、あんたの力……あんたがその自信を手に入れるまでの時間はきっとうちには想像もつかない。だから、うちはあんたに油断しない。たとえ私が四大貴族だったとしても、あんたが今うちの罠にかかってたとしても……あんたの動きがあの人より遅くたって、あんたの攻撃があの人より恐くなくたって……あんたっていう一人の敵の実力を甘くみてやらない。誰かを見下すことがどれだけ自分を愚かにするかを知ってるから」
その言葉はラドレイシアの耳に痛い。
手加減をしたつもりはない。けれど、今この状況が自分の油断を物語っている。
自分は油断した。この少女は戦いを知らない雑魚だと、パルセトマという相応しくない肩書きがあるだけのただの餓鬼だと趣味を優先した。
今思えば、何故肩を噛まれている時に反撃の魔法ではなく手を突っ込まれたのか……警戒しながら戦っていたのなら何か狙いがあると気付けたかもしれないのに。
「うちはきっと、あの人にとってはその他大勢の一人だし、あの人との付き合いは多くないし、長くない」
「あ、の……人……?」
「きっと、あんな事をしたから……ひどい事をしたから……き、嫌われてるかもしれないけど……!」
自分で言っていて泣きそうになるのをロベリアは我慢する。
それでもいいと思ってここまで来た。
そうであっても自分のやるべき事は変わらない。
「あの人の道を邪魔するやつを……うちは万が一にも逃がさない。うちがどれだけの傷を負ったとしても、確実にあんたを倒すために動く。これがうちからあの人への贖罪なのよ」
「っ……!」
ロベリアと会話しながら……ラドレイシアは自身の状態を確認していた。
視界は揺らぐし、平衡感覚は通常の比ではないほど悪くなっているが……それでもまだ普通の強化ほどの動きは出来る。
ロベリアも無傷ではない。肩の肉は抉れているし、先程の膝蹴りは間違いなくあばらにダメージを与えている。血を吸っているため見た目以上に血も失っている。
二人の間にあった実力差は埋まってしまったかもしれないが、それでも手負いのロベリア相手ならまだ戦えると、ラドレイシアは一歩も動けないふりをしたまま機会を狙っていた。
会話に付き合っていたのも時間稼ぎに過ぎない。
血だ。血を啜ればまだ巻き返せる。
ロベリアを倒して血を啜ればそこそこの動きは取り戻せるはずだ。ビクターと合流できれば解毒の可能性も――
「ひどい格好ですね、ロベリア」
そんなラドレイシアにとどめを刺す声がする。
「は? 喋って時間稼ぎしてたけど……にしても早すぎない?」
「――!!」
それは先程ロベリアと別れて見張りと戦っていたはずのライラックだった。
戦闘を終えたとは思えない表情でにっこりとラドレイシアに笑い掛けている。
「な……んで……?」
「あなたが見張りの一人に食いついてくれたおかげですよ。私が二人ほど倒してあの死体を見せた後に、少し突風を起こす魔法を使って、あなたがたが着けている香水の香りを飛ばしました、なんて言ってみたらみんな逃げていきました。傭兵国家とはよく言ったものですね……忠誠というのにかける。随分お粗末な集団でした」
「あ……あの……役立た、ずども……!」
「私の魔法に対応できないようなレベルの連中しかいなかったようですし。平民相手には十分だったのかもしれませんが……私達の相手をするには少々力不足でしたね」
「本当……相手を甘く見るって損することばかりよね。同情するわ」
逆転は無いとラドレイシアは悟る。
手負いが一人ならともかくほぼ無傷の魔法使いの卵がもう一人。
さらに……喋る双子の表情には毒でふらつくラドレイシアに対して油断の一欠けらすら浮かんでおらず、
「「【軍神鳥の剣翼】」」
双子の口は躊躇無く、魔法使いの切り札を唱えていた。
魔法の合唱と共に空に舞う無数の羽根。空を覆いつくす羽根一枚一枚が鋭利な刃であり、敵を切り裂く魔法だった。
「我らはパルセトマ。マナリルの敵を殲滅する王の剣なり!」
「王のために振るうこの刃……今だけはただ一人のために振るう!」
逃げ場はない。
二人の"放出"した無数の羽根は剣の切っ先を向けるようにラドレイシアへと向けられる。
「ちっ……はー……やっぱ、私達に部隊とか柄じゃないわよねぇ……舞い上がってたってわけか……」
空を覆いつくさんばかりに舞う羽根の刃が降り注ぐ。
諦めの言葉を口にして、ラドレイシアはその無数の刃をその身に受けた。
硬化したラドレイシアの体は最初の十数枚は弾くものの……やがて、避ける事も出来ないその魔法の雨に敗北した。
「マナリルからの救援は本当に予想外だったようですね。ここを本気で防衛する気の無いレベルの連中でした。ガザスの動きを拘束するのが目的だったようです」
「……ふーん」
ロベリアは自分の手を見つめている。
手はさっきラドレイシアを引き離すのに使った魔法で傷付いていた。
「カンパトーレの戦力が薄くなっているのかそれとも戦力を出し惜しんでいるのかはわかりませんが、この程度で助かりましたね」
「……うん」
ロベリアはちらっと自分の肩を見る。
制服は破られていて、肩からの出血で制服は血に濡れている。
「増援の可能性も考えて私達はしばらくここに滞在したほうがいいでしょう」
「……そうね」
「ロベリア? いくら私の話がつまらなくても確認事項ですよ? しっかり聞いてください」
ため息交じりの返事に流石のライラックが注意するが、ロベリアの反応は鈍い。
ロベリアはラドレイシアの死体を見るともう一度大きくため息をついた。
「兄貴……」
「はい?」
「うち、こいつ倒すためにあの毒使ったのよ。アルム先輩と戦った時に兄貴が使ってたやつ」
「ええ、強力な魔法使いがいたら一人はそれで片付ける予定でしたからね。相手の戦法を見るや否やロベリアが単独で戦う判断をしたのは見事だったと思いますよ。相手がビクターという毒使いでも無かったのも運が良かったですね」
「でしょ? そこまではよかったんだけどさ」
「ええ」
ロベリアは何を言いたいのかとライラックは腕を組む。
「ここまで怪我しちゃった状態で使ったらそりゃこいつだけに毒を盛るってわけにはいかないわよね。血ごと啜らせるってことは私の血に混ぜるみたいなもんだし」
「……ん?」
するとロベリアの体はふらつき始め……。
「つまりね兄貴……これの解毒よろしく……」
「お、おい!? ロベリア!?」
自分の使った毒の影響でその場に倒れる。
ライラックは咄嗟に手を伸ばし、倒れるロベリアの体を受け止めた。
「少量だったけど……か、体が……」
「はぁ……ロベリアはどうも詰めが甘いところがありますね……」
「う、うっさい……!」
自分の醜態の恥ずかしさから赤面するロベリア。
ライラックに見えないよう、鈍い動きながら顔を逸らすと。
「うち……役に立てたのかしら」
自信無さげな声をもらす。
果たして自分はあの人の――アルム先輩の力になれたのだろうか?
あの人の歩く道を少しでも歩きやすくする事ができただろうか?
「ええ、きっと……ありがとうと言ってくれますよ」
「ほんと?」
「でも、これが最後ではないでしょう?」
「うん…………あり、がとう、お兄ちゃん……」
ロベリアの意識が混濁し始めた中言われたその声に、ライラックは飛び跳ねるほどの喜びを我慢する。
そして動けないロベリアに代わって……人質となっていた住民の解放や住民達への説明、今回作戦を共にした仲間の捜索や気絶させた魔法使いへの尋問などなど……お兄ちゃんに任せなさい、とこれからやるべき仕事に向けて気合いを入れ直した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
コルトス奪還です。
『ちょっとした小ネタ』
カンパトーレの魔法使い不甲斐なくね? と感じたかもしれませんが、マナリルの四大貴族は雑兵が真っ当な魔法戦でどうこう出来る相手ではないので逃げるのが正解だったりします。
大嶽丸と呪法で繋がってるのは直接雇われていたビクターとラドレイシアだけなので逃げても呪法が発動したりはしません。