345.吸血魔犬
「ラドレイシア様!? 何――ぶぎ!?」
「!?」
「――!」
倉庫の警備をしているカンパトーレの魔法使いの一人にラドレイシアと呼ばれる女は飛び掛かった。
一時はロベリアとライラックがいた方向を向いたが、すぐに標的が変わったらしい。それとも、手近な餌を求めたのかもしれない。
ラドレイシアと呼ばれるその女は果たして人間なのか。
警備していた魔法使いの首元に凄まじい勢いで噛り付き、じゅるるる、と音を立てる。
白いドレスのような服に赤い血が落ちた。
その光景にロベリアとライラックは声を出しそうになるが、咄嗟に自分で自分の口を押さえた。
「馬鹿かあいつ、ビクター様から支給された香水つけてねえのかよ」
少し離れた場所で、他の警備の魔法使いが嘆息混じりの声を零す。
ロベリアとライラックからすれば異様な光景なのだが、まるでこの光景が当然であるかのような物言いだ。
「……こんな不味いはずないわぁ」
ラドレイシアは警備の魔法使いの首元から口を離す。
噛り付かれた警備の魔法使いはぴくぴくと体を震わせるだけで地面に倒れたまま動かない。
「もっと」
そのオンナは口元の血を赤い舌で舐めとる。
妖艶さを感じるその行為は命の色に隠れておぞましさしか感じない。
「もっと」
ゆらゆらと揺れながらケモノは起き上がる。
すらりと長い手足は艶めかしい。
「もっと……!」
すんすんと鼻を鳴らすケモノ。
「アハッ!」
笑うオンナ。
風で流れる赤い髪と口元の血の色が重なって。
「やっぱりこっちかしら……?」
ゆらりと首が動く。
その双眸は今度こそ――ロベリアとライラックの二人を捉えていた。
「ロベリア!」
「わかってるわよ!」
「アハッ!」
笑顔とともに駆け出すラドレイシア。
もはや隠れるのは無意味と、ロベリアとライラックも建物の陰から姿を現す。
「兄貴! 他の奴らを片付けてきて!」
「しかし――!」
「こいつはうちがやる!!」
「……っ! 任せました!」
ロベリアの横顔にライラックはその場を離れる。
妹のあんな表情を見て誰がその役目を奪えよう。
恐らくは初めて、本気で覚悟を決めた妹に水を差すなど!
「ラドレイシア・ノルティア」
「ロベリア・パルセトマ!」
駆けながら名乗るラドレイシアにロベリアも名乗り返す。
耳に届いたその名前にラドレイシアは興奮で目を剥き、口角が上がった。
「アハッ! 四大貴族!!」
「ロベリア様って呼びなさいよね!」
「『大地の精霊』!」
ロベリアに向かうラドレイシアは茶色の魔力光を纏う。
駆ける足はより力強く大地を蹴った。
「地属性――!」
ロベリアは舌打ちしながら構える。
相対するのは獰猛に笑うカンパトーレの魔法使い。
「『天嵐の鎧』!」
互いに強化を唱え、身体能力を以てぶつかり合う。
ラドレイシアは駆け出した勢いのまま、ロベリアは受け止める形で。
「アハハハハ!!」
「うっざ……!」
互いの両手をがっちりとつかみ合い、強化に任せた力比べ。
ぎりぎりと互いの手を握り潰すような力で握り合う。
相手の皮膚に爪を立て、少しでも傷を。
「アハッ!」
「うっ……!」
ラドレイシアが頭を前に出し、噛みつこうとするのもロベリアはかわす。
がぎん! とラドレイシアが空を噛む音が耳元で響いた。
その体の勢いのままロベリアはラドレイシアの腹部に膝を入れるが――
「かった、すぎ……!」
強化と筋肉で固められた腹部にその膝蹴りは悠々と受け止められる。
ラドレイシアの表情もダメージがあるとは思えない。
「戦い慣れしてないのねぇ! ロベリア様!?」
「う……! ぐっ……!」
膝蹴りで動いたロベリアの足が地に戻る前に、ラドレイシアはもう片方、ロベリアの体を支えている軸足を蹴りはらう。
ロベリアの体はバランスを崩し、ラドレイシアはその一瞬でロベリアを地面に叩きつけた。
「いただき――」
「『風竜の息』!」
ラドレイシアの歯がロベリアの首筋に向かう前に、掴み合っていたロベリアの手から烈風が吹き荒れる。
その烈風の勢いに、流石に手を掴み合っていられなかったのかラドレイシアは後方へと吹き飛び、家屋へと突っ込んだ。
「っ……!」
手を掴み合った状態だったからか、ロベリアの手も自分の魔法の影響を受けて切り傷がいくつも出来上がった。
ロベリアはぽたぽたと血の流れる手をハンカチで縛りながら起き上がると、ラドレイシアの位置を確認する。
「じゅる……ああ……おいしい……」
吹き飛ばされた際に壁を突き抜けたであろう木製の家屋から出てくるラドレイシア。
離れる瞬間手についたロベリアの血を、うっとりと舐めていた。
「きっも……! なによその性癖……!」
「便利よお? 誰か殺せばそれだけで気持ちいいもの。思考だってクリアになるわ。
ま、そのせいで普段はビクターに抑えられてるけどねぇ……それも一種のプレイだと思えば興奮するわぁ……うっとり」
わざとらしく言うラドレイシア。
最初の獣じみた印象とは違って、会話には知性がある。
「ビクターって……ここを支配してる指揮官の名前じゃ……?」
少し離れた場所からライラックが警備の魔法使いと戦っている音が聞こえる。
ラドレイシアの耳にも届いているだろうが、ラドレイシアは全く気にしていないようだった。
「ええ、あの人可愛いでしょ? 獣の私を支配しているのがそんなに嬉しいのかしら……たまに箱を撫でているの」
「はこ……?」
「ええ、箱の中からかりかり音を立ててやると嬉しそうにね。私を直接撫でるのが怖いのかしら? 噛みつかれるのが嫌なのかしら? それとも箱の中にいる私しか愛せないのかしら? ほんとに臆病な男。あんなのが指名手配されてるほど警戒されてるなんて笑っちゃうわよね。ま、ああいう弱い男にわざと管理されるのって興奮するんだけどねぇ」
「……へぇ、あんたは強いってわけ?」
「アハッ! 今の聞いてわからなかった? それとも子供には一から説明しないとわかんないかしら? 私はね、獣にも人にもなれるのよ」
ラドレイシアの体勢が二足から手を地につけて四足に。
ロベリアが獣化を想像したその瞬間。
「グルルルッ――!」
唸り声とともにラドレイシアの形相が変わる。
最初に見た知性を感じさせない……人の感情が排斥されたケモノの顔。
ラドレイシアの纏っている茶色の魔力光は輝きを増し、そのままラドレイシアの体に溶けるように消えていく。
腕の、足の血管が脈打つ。ビキビキ、と顔の血管が浮かび上がる。
魔力光が集約されたように瞳は輝き――
「ワン!」
一声と地を蹴る音。
何の策も無い突進に虚すら突かれた気分になる。
「『風穿乱撃』!」
しかし、単純な突進なら狙いやすい。
ロベリアから放たれた複数の風の礫。小さな爆発音とともに圧縮された空気がラドレイシア目掛けて放たれる。
「ムダヨ」
「くっ――!」
風の礫は全てラドレイシアに命中した。
命中はした……が、その全ては生身の体に弾き落とされる。手に、胸に当たっても全て。顔に当たっても反射で目を一瞬閉じさせる程度。
ただの突進、それだけが止められない――!
「は……ぐ……!」
ラドレイシアの突進に反応こそするものの、体を少し逸らすが精一杯。
ロベリアの体にかかっている強化をものともせず、ラドレイシアの牙は肩へと突き立てられる。
痛みに歪むロベリアの表情。片手は何かを掴むようにぎゅっと握りしめている。
じゅるるる、と血を吸い上げる音が体から実感として、耳から音として伝わってきた。
(本当に……! 吸い上げてる……!)
噛まれた場所から這い上がってくる気持ちの悪い感覚。味わったことのない不気味さがロベリアの精神を揺らした。
ロベリアは自分の肩とラドレイシアの口の間に無理矢理手を突っ込み、引き剥がそうとするが、じゅるるる、という音は止まらない。
ノルティア家は元々……ダブラマの更に西にあった小国の祭司をルーツとする家である。
その小国で行われていた儀式の形こそがノルティア家の魔法の元。
大地そのものとされる狼の姿で描かれる神に生贄の血を捧げ、豊穣を祈る……その小国がダブラマに吸収された時に失われた自然を神と崇めて信仰する儀式。現代では霊脈の活性化を促すものだと言われているやり方だった。
幾度となく行われた儀式の最中、儀式を執り行っていたノルティア家は思い至る。
大地に血を捧げることで豊かになるのなら、この大地に生まれ落ちた我々にも同じことが起こるのではないか?
ノルティア家の祖は飲んだ。
ひたすらに血を飲んだ。
鳥の、蜥蜴の、兎の、牛の、駱駝の、馬の、そして人の血を啜る。
感染症や病気の発症を神の罰と周囲に罵られながら……ノルティア家はその体に儀式の在り方を取り込んだ。
常時放出型血統魔法【豊穣は我の身に】。
血の摂取をきっかけに大地の如く硬化する肉体。跳ね上がる魔力。かつて崇められていた狼を模した獣化。
通常時には獣化のデメリットである思考の鈍化が色濃く出るものの、血液という供物の量で獣化を保ったまま思考を取り戻すという、普通とは真逆の獣化の形。
かつての儀式を行っていたのは人。かつて崇められていたのは獣。そのどちらの在り方が混在する……曖昧でありながら、血というきっかけで強固となる魔法の形。
それこそが吸血魔犬と評されるラドレイシア・ノルティアの正体。彼女は獣であり人でもある。
「あっ……ぎっ……!」
「ああ、おいしい……! でも……歯応えがないのねぇ。四大貴族とはいっても子供じゃ大したことないのかしら」
ロベリアの肩の肉を食い千切り、血に濡れるラドレイシアの口元から落胆が零れた。突進の間とは打って変わって顔には知性が戻っている。
「才能無いの?」
「あ……ぎ……っ!」
せっかく飢えていたのに興醒めだと言わんばかりにロベリアを蹴り飛ばす。
獣化と同等かそれ以上の力で放たれる膝蹴り。
肋骨にひびを入れられながらロベリアは近くの家屋へと吹っ飛んだ。先程ラドレイシアがされたのと同じような状況だが、互いのダメージには明確な差が出ている。
「せっかくの高貴な血なのに……何かテンション下がるわねぇ」
何のために飢えを我慢するかと言われれば、手に入れた快感をより高めるためだというのに。
この少女は魔法の技量は高めだが、型にはまっている。戦い方が若い。経験が浅い。教科書通りで魔法の"放出"速度も中途半端だ。
だからこそ、こんなにも簡単に血にありつくことができた。
四大貴族と言っても経験値が無いとこんなもんかとラドレイシアはロベリアを蔑む。
「ん?」
だが……そんな考えはすぐに覆される。
「うぶっ……! うえええ!」
突如ラドレイシアは喉に手を突っ込んだ。
必死に自分が飲み込んだであろうものを吐き出すが――もう遅い。
「――ぁ――?」
ラドレイシアの視界が揺れ始めて平衡感覚が狂い、体の感覚と動きが鈍くなる。さらには一部から感じる痺れまで。
一体これは――!?
「な、なにを……? 何を飲ませ……!?」
ぐらつく体。下がる足取りもおぼつかない。
ラドレイシアは顔を歪めながら、壁の崩れた家屋からよろよろと歩いてくるロベリアのほうを見た。
「はぁ……! はぁ……! 倒れないのは流石魔法使いってとこね?」
食い千切られた肩の痛みに耐えながら……ロベリアはラドレイシアに見えるように、握っていた片手を開いた。
「!!」
開いた手の中には割れた小瓶、そして何かの粉末だった。
「これひどい味だから……血ごと、啜ってくれて、助かったわ」
「い、いつ……そんな……!」
そこまで言って、ラドレイシアは風の礫が顔に当たった時を思い出す。
確かに、確かにあの時、一瞬だけ目を――
「心当たりはあったかしら?」
「――!!」
ロベリアは十分に見せびらかすと、懐から小型の水筒を取り出し、手を水で洗い流す。
「それにしてもうちをパルセトマと知ってそんな大口開くって……あんた、馬鹿なんじゃないの?」
痛みでにじみ出る冷や汗を額に浮かべながら、ロベリアは得意気に笑う。
誰の血を吸ったと思っている血を吸う魔犬。
ここにいるのは未熟ながらもマナリルの四大貴族の一つ……毒使いパルセトマ家の血を引く少女である。
あけましておめでとうございます。
穏やかな年末年始を終えて更新開始でございます。
今年も白の平民魔法使いをよろしくお願いします!