344.坊ちゃんの夢見る日
――ミレルを復興し始めてすぐに、家を瓦礫に変えられた女の子の誕生日があった。
「おめでとう!」
「えへへ! ありがとうママ! ラーディス様もありがとう!」
「うむ。貴族である俺に祝って貰えるなんてすごい事だぞ。たまたま通りがかっただけだからプレゼントも無いがな」
「うん! それでもいいの。この町でお祝いできたから!」
支給された布と木の骨組みで張られたテントの中、その女の子は笑っていた。
ミレルで祝えた事を本気で嬉しがっているようだった。
――復興から一月経った頃、噴水前のワイン屋の店主が隣町の娘と婚約した。
「なにい!? 備品の仕入れのついでに口説いてただと!?」
「へへへ……! 実は前々から……そんで、昨日久しぶりに会って来たんすけど、ミレルもこんな事になっちまって苦労をかけるからって話したら、その……向こうから待ってるとか言われちゃいまして」
「はー……お前……いい女を捕まえたなあ……」
「本当っすよ! いやぁ、坊ちゃんにもそんな女の子が現れるといいっすね?」
「余計なお世話だ! にやにやしていないでさっさと働け!」
「すいやせん!」
そいつは瓦礫を運んでる間も、レンガを積んでいる時も鼻を伸ばしてにやにやしていた。
ちらつく度に少しむかついたが、その顔は幸せそうだった。
自分の店はもう跡形も無くなっているのに。
――秋になって、湖近くに住んでいた爺さんが亡くなった。
「歳だねぇ……よく生きたよ」
「ほら、坊ちゃん……見てあげてください、おじいちゃんの穏やかな顏……」
「ああ……まぁ、当然だな。この町で生涯を終える幸せはそうあるまい」
「ええ、坊ちゃん本当にその通りです。よかったねぇ……この町に埋まりたいってずっと言ってたもんねぇ……ずっと住んでた故郷だもの。故郷の土に埋めてやるからね。ほら、今日もミレルの湖は綺麗だよ……」
復興の手を少し止めて葬儀を行った。
葬儀の時に爺さんの家族は泣いていたが……死んだ爺さんの顔はあまりにも穏やかで、最後に別れる時は家族も笑顔で見送っていた。
――冬になって、ワインを作っているとある夫婦に赤ん坊が生まれた。
「ラーディス様、ラーディス様。どうかこの子を抱いてやってください」
「おお! それはいい! ラーディス様! ささ!」
「お、おう……! ど、どう抱けばいい!?」
「こうやってですな……」
「こ、こうか?」
「そう、優しく……」
「おお……おお……」
抱いた赤ん坊は思ったよりも軽くて、思ったよりも温かった。
不器用に赤ん坊を抱く俺に母親がこんなお願いをしてきた。
「ラーディス様、どうかこの子の名付け親になってください」
「俺がか!? 父上とかではなく!?」
「はい、この子が成長した時はきっとラーディス様がこの地を治めているでしょう。この子は次代のミレルに生きる子でございます。どうか、トラペル家次期当主のラーディス様からお名前を頂きたいんです」
「あ、ああ……そこまで言うなら……」
次代のミレルで生きる赤ん坊。
その次代はきっと、訪れないはずだった。あの怪物に、大百足に蹂躙されるはずだった。
あの日、女の子が誕生日を祝う席に同席できたのも、ワイン屋の店主のにやついた顔にむかつけたのも、爺さんが穏やかな顏で亡くなる事が出来たのも、この赤ん坊がこの町で生まれる事が出来たのも――あの日、この町が救われたから起きた日常という奇跡だった。
「この赤ん坊は男か? 女か?」
「男の子です」
「そうか。なら……」
だから、俺の頭には一つの名前しか思い浮かばなかった。
「アルム。この赤ん坊の名はアルム」
「素敵です。何か意味があるんですの?」
「ああ、勿論。この町を救った――英雄の名前だ」
終わるはずだった。消えるはずだったミレルという町の日常。
それを取り戻したあの男の偉業は、時間が経てば経つほどに大きくなるのだと知った。
俺は気付かない内に、俺の一生をかけても返せないほどの大恩を……あの男から貰っていたのだと。
握る手綱に力が籠る。
指差す一点だけを見据える。
踏み入れるは毒の世界。
ラーディスとて魔法使いの卵。世界改変魔法の放出領域に自分から飛び込む愚かさはわかっている。ましてや未知である属性である毒の魔法。シラツユの皮膚をこの短時間で毒々しく変色させているような場所だ。無事で済むはずが無い。
だが、それが……この身が生涯受け続けるであろう恩を返さない理由になるのか?
「いくぜええええええええええええ!!」
自らの乗る水馬の嘶きに呼応して叫ぶ。
その声に恐怖は欠片も無い。
馬の上半身が空中を駆ける。魚の下半身が空中を泳ぐ。
狙うは一点! 小細工無用!
トラペル家の血統魔法が出来る事、それは全身全霊、全魔力を籠めたただ一撃の突進だけなのだから――!
「そこを……どけえええええええ!!」
コルトスの町に輝く青い軌跡。
シラツユが指差したただ一点に向けてラーディスの血統魔法は突進する。
流れる景色は一瞬で紫へと変わり、ラーディスは皮膚の変色すら実感できないまま魔法ごとビクターの作り上げる毒の世界へと突っ込んだ。
額の角を向け、トラペル家の敵を絶命せんと水馬は最高速で毒の壁へと辿り着き――
「毒の沼? 毒の壁? 毒の世界!? そんなものでこのラーディス・トラペルが臆するかああああ!!」
「っ――!?」
宣言通り、躊躇いなどどこにも無く。
紫の水を全身に浴びながらラーディスは毒の壁を突き破る。
ビクターの眼前に突如現れる青い光。その青い光の中に、皮膚を焼かれながらビクターを睨む目があった。
「何故……?」
刹那、ビクターは問い掛けた。
自分が今まで戦ってきた相手は躊躇した。
広がる毒の世界。勇敢に入ってきた者もひとたび足を焼かれれば外へと戻る。
そして戦っていることを誰かに証明するかのように、遠距離から魔法を撃つだけの人形へとなり果てるのだ。
それが、何故……こんな少年が入ってこれる?
痛みを。恐怖を。人は恐れるだろう。
そんな当たり前の人間の反応があるからこそ、この魔法はビクター・コーファーという男に悦と勝利を齎してきたというのに。
「何故?」
ビクターの声は幸か不幸かラーディスの耳に届く。
ラーディスが操る水馬の角がビクターの肩に突き刺さるその瞬間、
「決まっている。俺はあいつに、未来を貰った」
それはビクターの問いの意図とは別の答え。
しかし、その答えこそラーディスという少年が今、ここにいる理由だった。
「あんたなんて屁でもないんだよ」
その声を最後に、ビクターの体は力強く後ろに流れる。
肩をに突き刺さる水馬の角。突進の勢いはビクターを貫いてもなお落ちず、毒の世界を振り切って町の家屋へと突っ込んでいく。
「うあああああああああああ!!」
「ぐ……ぎ……あああああああっ!!」
青い軌跡は一直線に家屋を破壊しながらビクターの体を引き摺りまわし、そして――
「あがっ……!」
「ぬ……うあ……!」
ラーディスの魔力の限界と同時に消えていく。
突進の勢いで弾け飛ぶ二人の体。
そのスピードのまま家屋に激突するラーディス。地面に体を叩きつけられて転がるビクター。
共に地面に伏して動かず、ラーディスは着ていたアミクスの予備服がぼろぼろになり、服も所々が溶けている。ビクターはかけていたモノクルは粉々となり、水馬の角によって貫かれた肩からはとめどなく血が流れ、肩の骨が粉砕されていた。突進によって何度も家屋と衝突したのもあって、腕は勿論体も上手く動かない。
「ふ……ぐ……! この、私が……」
それでも、意識だけはあった。
果たしてそれが幸運だったのか不幸だったのかはわからない。
「油断し過ぎだったんですよ……あなた」
「!!」
動かぬ体のまま、白い髪の女性――シラツユと会う事になってしまったのだから。
「坊ちゃんよりあなたのほうが強いのは間違いない。魔法の技量は勿論、希少な属性、私の声に反応しながら戦える柔軟さ……ですが、あなたは驕っていた。私達を敵としてでなく巣に飛び込んできた獲物のように見ていた。私には警戒を割いていましたが、坊ちゃんは眼中にありませんでした」
シラツユの言う通りだった。
ビクターは倒されてもなお、ラーディスの名前を覚えていない。名前を覚えられるようになったのは恐らく……今さっき衝突した瞬間からだろう。
「そして何より……血統魔法を使った瞬間、勝ったとすら思っていた。私達が飛び込んでいけるわけがないと決めつけて……勝ち誇っていた」
「っ……!」
「舐めないで頂こうカンパトーレの魔法使い。私達が……何を相手にしてきたと思っている?」
動かぬ体でビクターは見た。
シラツユの目の冷たさを。声色の怒りを。
「怪物の陰に隠れて……さぞいい気分だったのでしょうね。そんなあなたが、怪物に立ち向かった坊ちゃんを……ラーディスさんを見下す権利などあるはずが無い」
その声とともにビクターの顔に手が伸びる。
「ま、待――」
「待ちません。あなたの末路は決まっている」
白魚のように美しい指はビクターの顔を掴み、
「"私は壊す"」
シラツユは強化とその声で上乗せした獣が如き力で、ビクターの首を回してはいけない角度まで回しきった。
ごぎり、と響く鈍い音。
シラツユは常世ノ国の元貴族。
マナリルよりも苛烈な環境で生きてきた彼女に……敵の魔法使いを生かすなどという甘い思考は備わっていない。
ビクターの首を折ったシラツユは普段の顏に戻ると、倒れているラーディスの下に駆け寄った。
ビクターの魔法によって変色していた皮膚が元に戻っている事を確認すると、
「お疲れさまでした……坊ちゃん」
普段の澄んだ声で、シラツユはそう囁く。
その声すら届かぬ意識の底にラーディスはいた。
「ん……」
何で来てくれたんだ? って……もしかしたら、お前は首を傾げてそんな事を言うかもしれない。
だけど、当たり前だろう。
俺の町を助けてくれたやつが、他でもないお前が……助けてほしいって言ってるんだぞ?
当たり前だろう。そりゃ来るだろうよ。
生きてまた来てくれよ、俺の町に。俺の故郷に。また来てくれよ……ミレルに。
今はまだお前が来た時のような美しさは無い。住人の住まいの再建やら産業の再生やらで復興はまだまだ途中だが、絶対に戻して……いや、お前が来た時以上の美しい町にしてみせるから。
――だから。
だからアルム。お前、またミレルに来てくれよ。
その時はミレルで作ってるワインを飲もう。ミレル湖の畔で湖の輝きを眺めながら。
ほら見てみろよ。お前はマナリルで一番美しい町を守ったんだぞ、って。
笑っちゃうだろ。
いつかお前が魔法使いになった時――そんな時間を過ごせる日を、密かに俺は夢見ているんだ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
2020年の更新はここで最後となります。
今年は本当に読者の皆様にお世話になった年でした。本作も書籍化し、とても充実した一年を過ごす事ができました。本当にありがとうございます。
来年も私らむなべと白の平民魔法使いをよろしくお願い致します!よいお年を!!