342.厄介な相手
「その輸送部隊の護衛……このシラツユにやらせてくださいませんでしょうか」
十日ほど前の事。
平民であるアルムとガザス国女王ラーニャ、そしてマナリル国王カルセシスの三人の、非公式でしか許されない異色の通信を聞いていた者はガザスにいたミスティ達だけではなく他にもいた。
マナリル王都アンブロシア城の執務室。
去年までガザスで暮らしていたシラツユからガザスの近況を聞くため、カルセシスはシラツユを王都へと呼んでいた。当然、名義上お目付け役となっているラーディスも合わせて。
通信の時に執務室に居合わせたのは偶然だったが……カルセシスはこの二人を執務室から退出させず、わざと通信の内容を聞かせていた。
「む? ああ……」
シラツユから護衛の申し出があったのは当然、カルセシスの狙い通り。
非公式の通信で送る輸送部隊の護衛に正規の魔法使いをつけるわけにもいかない。
いわゆる非正規……カルセシスが個人で動かしても他に影響の出ない誰かが必要だったのは通信の内容からも明らかだった。
だからこそ、シラツユは声を上げた。カルセシスが通信の内容を聞かせた意図は当然シラツユも理解した上で。
「おっと、しまったな。まさか通信を聞かれてしまうとは……うっかりしていた。非公式の通信だからな、二人ともこの事は心の内に留めておいてくれ」
「勿論です! 陛下!」
「私も決して口外は致しません」
思ってもいない事を口にするカルセシス。
シラツユもラーディスも意図を汲み取っているが、一応建前として誓いを立てる。
カルセシスとシラツユの利害が一致している事を示す会話でもあった。
「それで、お前が輸送部隊の護衛をやると?」
「はい。お恥ずかしい事にこのシラツユ……アルムさんから恩を受けてばかりでまだ一つも返せておりません。是非この機会に我が身が受けた大恩をほんの少しでも返せる機会を頂きたく思います」
「カンパトーレの魔法使いが支配する町だ。敵の戦力も力量も不明瞭だ。ガザスも馬鹿ではない。敵のおおまかな人数くらいは情報として入ってくるだろうが……どのような者が待ち受けているかはわからんぞ?」
「どうやら……陛下は私の経歴をお忘れのご様子」
「ほう?」
シラツユは口元に笑みを浮かべる。
「ここにいる女は、ミレルの町を壊滅させた大百足に立ち向かおうとしていた無謀を体現したが如き愚か者。あの怪物に比べればカンパトーレの魔法使い何するものぞ……あれに立ち向かう以上の無謀がどこにありましょうか」
「はははは! なるほど、そなたにとってはこの程度……無謀の内にすら入らぬということか……気に入った。命令として下すことはできんが……許す。そなたの行動で見事あの平民に恩を返してみせよ。輸送部隊アミクスの到着時までの王都滞在を許す」
「感謝いたします!」
「それ以降は便宜上、そなたの単独行動として扱い、マナリルは国として認知はしない。それでよいな?」
「はい。構いません」
国は認知しない。それはつまりシラツユがどれだけの戦果を挙げようと評価はされないという事……だが、それでもシラツユの表情は満足気だった。
そんなシラツユを横目に、ラーディスも覚悟を決める。
「それでは……監視役としてこのラーディスも行かねばなりませんね」
「ふむ、なるほど。確かにそなたはこのシラツユのお目付け役……シラツユを追わねばその役目は果たせないだろうな」
「ええ、このラーディス・トラペル……常世ノ国の元貴族シラツユ・コクナの監視役に任命されたこの役目を果たすべく動く事をお許しください!」
「勿論だ、頼んだぞ若きトラペル家。そなたの動きに期待している」
「お任せを!」
互いの立場を侵すことなく、そして利用するように決まる輸送部隊の護衛役。
アルムのために、二人は評価される事の無い役目を快く引き受けた。
コルトスの町でぶつかるラーディスとビクターの魔法。
魔法が衝突して飛び散る飛沫はまるで波打ち際のようだった。
「ははは! どうしたビクターとやら! 学院を休学中の俺すら瞬殺できんとはどうやら大したことはないようだな!!」
「私のような老爺では若い方の相手などとてもとても……お手柔らかにお願いしますよ」
ラーディスの挑発ににこやかに応えるビクター。
しかしその実、ビクターの視線は常に違う者に向いていた。
「"私は跳べる"」
ラーディスの後方でシラツユが声を発する。
魔法ではない言葉には"現実への影響力"が宿り、シラツユの言葉は現実となった。
「上に――!」
強化の魔力光が無いのにもかかわらず、シラツユの身体能力が変わる。
ビクターは熟練の魔法使い。口の動きや敵の"放出"の速度、強化の魔法後の身体能力の変動などを目視で把握することができ、経験からある程度分析する事ができる。
「『簪ノ棺』」
シラツユが上空に跳び、ビクターが上に目を向けたその瞬間、シラツユは魔法を唱えた。
ビクターの下から銀色の壁が二枚現れ、ビクターを挟もうと距離を縮める。
「信仰属性……!」
ビクターは横に跳び、挟まれるのを回避する。
回避した場所で閉じる二枚の壁。それはまさに立てた棺のごとく地面にあった。
そしてその閉じた二枚にどこからか現れた銀色の針が突き刺さる。挟まれていた時の末路は想像に難くない。
「『海の抱擁』!」
その回避した先に放たれるラーディスの魔法。
ただの水の塊のように見えるが、中位の水属性魔法であり敵の動きを封じる拘束系の魔法だった。
「『蛇の乱舞』」
「なぬ!?」
その魔法の特性を理解しているのか、ビクターは慌てることなく、その水の塊を指差しながら魔法を唱えた。
蛇を象った毒々しい色をした魔法が水の塊に飛び込んでいき、中で泳ぐように暴れ始める。
(男のほうは平均的、魔法も見慣れたものだが――!)
ビクターの視線は着地するシラツユへと戻る。
白い髪が美しく流れる中、その口の動きにだけビクターは注視した。
「"私は見えない"」
「む――!」
瞬間、"現実への影響力"を持ったシラツユの声が再び発せられる。
シラツユの姿は瞬く間に見えなくなり、着地した隙を狙おうとしていたビクターは一瞬ありえるはずのない出来事に硬直した。
「『鎮霊・縛縄』」
そしてその硬直の一瞬――シラツユは魔法を唱えてその姿を再び現す。
銀色の魔力光で輝く縄が意味を持った形でビクターの周囲に展開され、ビクターの体が急激に重くなっていく。
「呪詛――! 『解呪』!」
呪詛魔法に反応し、すぐさま『解呪』をビクターを唱えた。
(こちらの反応速度を利用して隙を作ってくる……女性のほうは手練れですね)
『解呪』によってほんの少し体が軽くなり、ビクターはすぐさま張られた縄の外へと出る。そして一度距離をとるべく、強化によって底上げした身体能力を使って屋根へと跳んだ。
「着地はできない」
「!!」
不意に届くシラツユの澄んだ声。
声に反応し、ビクターは無意識に自分の着地点である屋根へと一瞬目を向けてしまう。
「坊ちゃん!」
「『水流の渦』!」
その一瞬が、ビクターの反応を遅れさせた。
普通なら回避できたであろうラーディスの魔法に、ビクターは魔法で迎撃せざるを得ない。
「『虚構の毒鱗』!」
ビクターの周囲を囲うように現れる毒々しい水の壁。
ラーディスの放った水の渦はその防御魔法に弾かれた。その様子にラーディスは忌々しそうに舌打ちする。
「くっ……! さっきから妙な水属性魔法を使いおって……!」
「焦る必要はありません。こちらが押しています」
毒々しい水の壁の中、自分が屋根の上にしっかり着地で来ている事をビクターは確認しながら、ずれたモノクルを元の位置に直した。
「ふむ、言葉が"現実への影響力"を持っているかどうかは影響が出るまで不明な上に魔法使いとしても手練れ……かつてないやり辛さですな」
ビクターをして厄介だと思わせるのは、魔法名ではない言葉にすら"現実への影響力"を持たせる声。
その声があるという事実がビクターは後手に回させる。
声だけならばともかく、動きとその声によるしつこいまでの視線誘導、お世辞にも強いとは言えない味方の魔法すら機能させる状況の構築、そして一般的とは言えない攻撃的な信仰属性魔法の使い方に至るまで……シラツユという女はビクターにとって久しく出会うやりにくい敵だった。
……それも当然。
このシラツユという女性こそ常世ノ国が貴族コクナ家が作り出した最高傑作。
赤子の頃から肉体を弄られ、コクナ家の血統魔法【言の葉の神子】に適合したコクナ家最後の一人。
その声で現実に干渉し、言葉そのものを魔法に変えることのできる神子。
そして――常世ノ国の組織コノエによって魔法生命の宿主に選ばれた魔法使いである。
「"私は見える"」
「っ――!」
嫌でも反応せざるを得ないシラツユの声。
水によって相手する二人の視界を遮ったが、今ので自分の位置を把握された事をビクターは悟る。
(あの声がある限り時間をかければそれだけで不利……)
状況を支配しているのはシラツユという女性。
ならば、やる事は一つ。
「先にあの女性――シラツユと言いましたか。あの方を殺すべきですな」
時間をかける理由も無ければ出し惜しみなどする理由も無い。
後手に回らされる不愉快な状況を打開するべく――
「【毒蛇の髑髏巣】」
ビクターは躊躇いなく唱えた。皆殺しにすれば情報が漏れる事も無い。
魔法使いの切り札――血統魔法。
呪詛にも似た歓喜の合唱がコルトスの町に響く。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今年ももうすぐで終わりですね。年末は更新をお休みしますので、今年は更新があと二回となります。