341.恩を返す時
「こっち来たわね!!」
コルトスの町へ一直線だったエリュテマの走りはコルトスの町に入る前に方向を変える。
町の外周を沿うように走り、エリュテマの咆哮と揺れる荷車の音で出来るだけカンパトーレの魔法使いの目と耳を引いた。
その甲斐あってか、ビクターを含めたカンパトーレの魔法使いは数人、追跡するような動きを始める。
『び、ビクターというやつか?』
「一人身のこなしが違うのがいる!」
"ワオオオ! ウオオオン!"
エリュテマの声。ネロエラはその声を聞きとった。
『は、八人きているそうだ』
「結構釣れた……のかしら?」
自信無さげなフロリアの声。人質解放に動くパルセトマ兄妹の無事を憂いている。
『匂いがなんらかの香料で統一されてて判断がつかないが……一人香料に混じって嫌な臭いをさせてるやつがいるのは私でもわかる』
「その人がビクターって魔法使いの可能性が高いわよね」
『ビクターでなくとも、部隊の主力だろう』
「とりあえず陽動成功って感じだけど……これを届けないと……足は?」
『ギリギリだ。魔力も限界だから最高速はもう出せないが……』
「それでも?」
フロリアはにやりと笑う。
『絶対にこれを届ける! 他でもないアルムの願いだ!』
覚悟するネロエラの声に、フロリアは膝を叩いた。
「よく言った! あなたは走って! 後ろは私達に任せなさい!」
フロリアはちっと荷車のほうを見る。
「アルムくんに恩返ししたいのはね……あなただけじゃないんだから!!」
"ワオオオオオ!!"
ネロエラとフロリアの声に四匹のエリュテマが呼応する。
走る。走る。走る――!
その最高速は馬の速度を遥かに超え、巨大な荷車を引いているとは思えないほどの余裕を持つ。
エリュテマに変化しているネロエラと四匹のエリュテマの呼吸は合わさり、余力を残しながらカンパトーレの魔法使い達が追い付く速度を出し続けていた。
「あの荷車の中には何が……?」
町の屋根を跳び、町の外周を回るネロエラ達を先回りするよう動きながら、ビクターは呟いた。
ビクターの横目に映るのは町の外周を沿うようにしてこの町を抜けようとする五匹のエリュテマ達と一人の少女と後ろの荷車。
このわかりやすい陽動を考えれば、荷車の重心のために適度な荷物を載せただけのブラフという可能性もあるが、この陽動にしか見えない一団が何らかの役目を持っていたとすれば――
「不愉快ですが……追わざるを得ない状況にさせられていますね」
可能性として一番なのは解毒薬。
当然だが、ビクターは自分が王都に撒いた毒がマナリルに通用しない事はわかっている。
今回の作戦で使ったのはアロソスというダブラマの砂漠に生息するトカゲの魔獣の毒……マナリルとダブラマの戦争でも使われた記録があり、マナリルではすでに解毒薬がある。
それにもかかわらずガザスに使用したのは、ガザスでは未知に近い毒であり、かつガザスが救援要請をしたところで解毒薬の輸送が間に合わないと踏んでいたからだ。馬車の御者や護衛など輸送の為の人材を纏める時間、解毒薬の調達を踏まえれば……マナリルで最上級とされる馬を交換しながら走ったとしても間違いなく間に合わない。
それがまさか魔獣を率いる部隊を動員するなどと誰が想像しただろうか。
あの荷車の中が解毒薬だとすれば、毒によって死の恐怖に侵されている王都シャファクの住民達はたちまち希望を取り戻すだろう。
それは大嶽丸の望むところではない。あれは恐怖を望んでいる。
ビクターが大嶽丸の命令を果たす為には、たとえ陽動だけの可能性が高かろうともここで止めなければいけないのだ。
「ふむ……厄介」
だが、ビクター達の部隊がやる事は明確。
ビクターの見立てでは町を出た辺りで追いつく。魔法が届く。
荷車さえ横転させ、中身を確認すればビクターの憂いは消えるのだ。
どれだけネロエラ達の登場に驚かされようとも、ビクターの優位は動かない。
「追い付かれるわね……!」
フロリアはビクターらしき人物の接近に気付く。
流石に手練れの魔法使い。エリュテマ達に疲労があるとはいえ、未だ馬以上の速度を誇るスピードにしっかりと付いてきた。
コルトスの町を通り過ぎるその直前、部下を引き連れたビクターはネロエラ達を射程距離に入れた。
どちらとしても好都合。
どちらも望んでいる邂逅。
ビクターを引き付けて倒したいネロエラ達と荷車を確認したいビクターの思惑はここに重なった。
「おはようございます。素敵なお嬢さん。ここは散歩には不向きですぞ」
ビクターの目はエリュテマに跨るフロリアに。
温和な声色と言葉遣いから漂う殺気にフロリアは気圧されそうになるが。
「あら、ダンディなおじ様……散歩が駄目ならあなたがお相手してくださるの?」
それをてきとうにあしらうフロリア。
この度胸。まさか本当にこの少女がエリュテマ五匹を率いているのかと、ビクターは魔法を唱えた。
「『回遊の水蛇』!」
荷車目掛けて放たれるビクターの魔法。
ビクターからすれば荷車の中身さえ確認できればいい。
数匹の蛇を模した毒々しい水の塊が牙を剥き、荷車というブラックボックスを暴くべく荷車の車輪を狙う――!
「でもごめんなさい。あなたの相手は私じゃないの」
そんなビクターの魔法を前にして、フロリアは反撃の魔法を唱える事無く――荷車の無事を後ろに委ねた。
「"蛇は地を這う"」
荷車から、朝靄に溶けるように澄んだ声が響く。
「何――!?」
その声が持つ意味の通り、言葉の通り。
ビクターの魔法は突如、地面に叩きつけられた。
蛇の牙は車輪に届くことなく地を穿つ。
突如、自分の魔法の操作権を引きはがされたビクターは驚愕するしかない。
瞬間――
「む……!」
荷車を覆っている幌の後方が開き、荷車に乗っていた人物達がビクターの前に姿を現す。
「ようやく出番か!」
「はい、行きますよ」
ビクターの魔法を止めた人物と、さらにもう一人がビクターに立ち塞がるように荷車を飛びだす。
飛び出してきた人物達は鮮やかな身のこなしでビクターの前に着地する。ビクターも流石に止まるしかない。
間違いなく魔法使い。貴族。マナリルからの護衛か。
すでに強化の魔法がかかっているであろう二人……特にビクターが注目したのはその片方だった。
「何者です?」
ビクターは後ろに続いていた部下達に、引き続きエリュテマ達を追うように手で指示すると……自分の目の前に立ち塞がる二人に問いを投げかけた。
二人は通り過ぎていく部下には目もくれない。
目の前の男こそが主戦力だとわかっているかのように、ビクターから目を離さない。
「忘れたい名はあれど……恩まで忘れては人の恥。この身この心に受けた大恩に報いるべく……私は今再び、魔法使いとしての名乗りを上げよう!」
ビクターの目を引いたのは、どちらかといえばこの声の主だった。
白い髪と、髪に撒かれた白い布が風で揺れる。澄んだ声に力強さを乗せて――少女は堂々と名乗りを挙げた。
「私の名はトラペル家使用人シラツユ! そして過去の名は……今は滅びし島国――常世ノ国の元貴族シラツユ・コクナ!」
「そしてこの俺がトラペル家次期当主! ラーディス・トラペル!」
「常世ノ国の貴族とマナリルの貴族……!?」
「我が恩人に仇なす敵よ……あなたもあの希望を追いたくば、このシラツユを屍へと変えていくがいい!!」
ビクターに立ち塞がるはかつての恩を返すべく同行した二人。
忘れていない。忘れるはずがない。
あの日の恩を少しでも返せる時を……彼らはずっとずっと、待っていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
二人に関しては二部参照ですね。昔のことに思います。
明日は更新お休みとなります。