340.別動 パルセトマ家
「魔獣を従えている……しかもエリュテマとは。カンパトーレでは村殺しとまで呼ばれる厄介な魔獣ですが……マナリルでは違うのですかね」
「ビクター様! マナリルの国章を確認しました!」
「家紋はどこのです?」
ビクターが問うと、部下の一人が懐から古めかしい本を取り出してぱらぱらとめくり始める。
中には手書きで書かれたマナリルとガザスの貴族の家紋が並んでいた。
「……わかりません!」
「ふむ、わからないとなると……少なくとも上級貴族ではなさそうですね」
つまり、あの何かを叫んでいる少女の代で頭角を現してきた貴族という事か?
(領土が隣接しているマットラト家が出てくると思ったが……外しましたか)
ビクターはこちらに向かって色々叫んでいるフロリアを見て思う。
声と咆哮が混ざり正確には聞き取れないのだが、挑発してきているのは理解できる。
ビクターはエリュテマ達のスピードを見てコルトスに到着するまで時間が無いと判断すると、物見塔を下り始めた。
「ビクター様! すぐに住民を見張っている者以外を動かして迎撃を――」
「馬鹿ですかあなたは。あんな堂々と向かってきて陽動じゃないほうが不自然でしょう。別動隊がいると考えるべきです。部隊の半分は警戒のまま維持するしかないでしょう」
「は!」
「残り半分は私とあの馬車ならぬ魔獣車の迎撃、追撃に向かいますよ。私のほうには機動力のある者を寄越しなさい。追いかけっこになるかもしれません」
「了解です!」
部下に指示を出すと、ビクターは拠点にしていた宿屋に戻っていく。
ビクターは傭兵として大嶽丸よりこの町の支配を命じられている。正体がわからない上に、魔獣を率いるという未知数の相手。ならば戦力の出し惜しみなどしている意味は無い。
戻った理由は、ビクターが自室に置いている箱。水源に毒を撒く際にも運ばせていたビクターのお気に入りだった。
「さあ、お仕事ですよ」
ローブの下からビクターは赤い色をした薬品のようなものを取りだす。
ビクターが箱を開くと。
「ヤット……?」
か細い声が箱の中から聞こえてくる。
渇いた声。砂漠を歩いて干上がったかのような。
「ええ、倉庫の区画に近付く怪しい者を倒してください」
「タベテ……イイカシラ……?」
「ええ、存分に」
「アハッ」
ビクターは箱の中にいた声の主に赤い色の薬品を垂らす。
瞬間、箱の中にいたケモノは窓を割って飛び出し、ビクターの指示に従うべく倉庫の区画へと向かった。
フロリアの声とエリュテマの咆哮はすでにコルトスの町へと届いている。
エリュテマの咆哮は特に響いており、コルトスにいるカンパトーレの魔法使いや倉庫の中に集められている住人の耳にも届いていた。
そして、今回の作戦に協力を志願したこの二人の耳にも。
「フロリア先輩がめちゃくちゃ叫んでる……」
「わかりやすい陽動ですね」
前夜のうちにコルトス近くに到着していたロベリア・パルセトマとライラック・パルセトマがエリュテマの咆哮を合図にコルトスの町へと侵入する。
物見塔からの監視の目は全て陽動をしているネロエラとフロリタのほうに向いていた。
エリュテマが荷車を引いているという物珍しさもあって、広がる平地と同じ色をしたローブを纏う彼らを気にする者はいないだろう。
「それにしても……フロリア"先輩"ですか」
「……な、なによ」
先輩、の部分を強調するライラック。
何か文句があるのかと言いたげなロベリアの照れ顔を見てライラックが笑みを浮かべた。
「家名主義だったあなたが下級貴族のマーマシー家の令嬢にそんな事を言うようになるとは……いやいや、変わったものですね」
「うっさいわね……馬鹿兄貴だってそうでしょうが」
「私も家名主義ではありましたが、あなたよりはひどくありませんでしたよ」
「嘘つけ」
「まぁ……あの日の敗北に何の影響も無いと言われると嘘になりますが」
常識を打ち砕かれ、妹が変わったあの日をライラックは思い出す。
パルセトマの家名を背負って生きてきた人生は決して間違いなわけではないが、人はそれだけではないのだと知った日。
どちらにせよ、感謝すべきなだろうとライラックは心の底から思う。今ではロベリアも尊大な態度を改め、下級貴族の友人が出来たくらいだ。
ライラックはロベリアほど考え方を変えたわけではなかったが、少なくとも下級貴族を見下すような事はもう無い。
人には、家柄とは別の強さ――人生がある。信念がある。
それを知ったのはロベリアだけではないのだから。
「あのお二方……下級貴族の割には肝が据わっていましたね」
警戒しながら、人質がいるであろう倉庫が並ぶ区画へと二人は走る。
コルトスはガザスの最南端の田舎にも関わらず、人口は千人近くとガザスにしては少なくない。
それだけの人数を収容できる場所は限られているため、すぐに予想がついた。
「パパとママも気に入ったって……まぁ、ママが家名主義じゃないからだろうけどさ……」
「母は平民の商会などにも投資していますしねぇ……それで、ロベリアはあの二人をどう見ます?」
「わかんないけど……アルム先輩のためにって気持ちが強いのかなって」
「ロベリアと一緒ですね」
「ばっ……!」
ロベリアは反論しようとするも、ライラックがにこにこと笑っているのを見て口から出てきそうになった兄への罵詈雑言を引っ込める。
「まぁ……うん……」
「まさかとは思いますが……」
「そんなんじゃないわよ。ただの罪滅ぼしと恩返し」
「……ならいいのですが」
「もう二人はよくわからないけど」
「そちらは私にもさっぱりです」
二人は小声で話しながらも、倉庫のある区画に辿り着く。
三つほど並ぶ倉庫の建物の周りをカンパトーレであろう魔法使い数人が固めており、ここからばれずに人質を解放するというわけにはいかなそうだった。
別動隊がいるという事もばれているのか、きょろきょろと忙しなく周囲を見渡しており、警戒も強い。
「陽動のほうに数を割いているのか少ないですね。六人ちょっととは……」
「奇襲で二人潰すわよ」
「ええ、勿論。ですが……ビクター・コーファーは向こう側でしょうか……」
倉庫の周りを守っている六人の中にビクターらしき姿は無かった。
ライラックはいくらなんでも千人近くの人質の周りを囲むのが六人だけというのは不用心ではないかと息を潜めて警戒を強めた。
「罠?」
「周囲の六人を囮に炙りだそうとしている可能性がありますね」
ロベリアとライラックはゆっくりと移動し、周りの確認をし始める。
感知魔法の使い手はどうやらいない。いればすでに戦闘は始まっているだろう。
「後ろについてくる者はいません」
「遠距離系? 物見塔から狙ってるとかは?」
「いえ、それなら陽動で目立っていたフロリアさんを真っ先に狙うはずです」
「そりゃそっか……」
ロベリアとライラックは見張りに気付かれないよう、町の裏路地をなどを通りながら周囲に伏兵がいないかを入念に確認する。
「どうやら、罠ではない様子……女性や子供を人質にとる算段――ん?」
ライラックが倉庫の方を見ながらそう言うと、目の前を歩くロベリアが立ち止まる。
「ロベリア?」
その体は心なしか震えていた。
「っ……! 兄貴……あれ何……?」
「あれ?」
ロベリアは生唾を飲み込み、ぷるぷると震える指で見つけたものを指差した。
指差す先をライラックは見つめる。
「な……!?」
人が倒れていた。
そして堂々と、その倒れている人に噛みついている者がいた。
倉庫の入り口の前で堂々と、じゅるじゅると吸い付く音をその口から立てている。
周囲の見張りはそれが当然であるかのように、またはその光景を目に入れないように周りを警戒していた。
「プハッ……アハッ! オイシイ……」
噛みついていた者が赤い髪を振り回して、息継ぎのために顏を上げる。
女性だった。その行為が至上の喜びであるという表情で舌なめずりをしていた。唇の端についた赤い液体をその舌が綺麗に拭う。
鳴らす喉は夏場に冷水を飲み干したのように気持ちよく音を立てていた。
「ぅ……。ぁ……」
倒れ、噛みつかれていた人間はコルトスの住民だろうか。
まだ生きている。
生きている……だけだった。虚ろな目は絶望を見つめていて、抵抗しようとすらしていない。それともできないほど衰弱したのか。
ただ、その赤髪の女の餌となっている。
その光景にロベリアとライラックは一瞬、絶句してしまっていた。
釘付けになりながらも、二人は我を取り戻す。
「血を、吸ってる……?」
「血を吸うカンパトーレの魔法使い……!?」
ライラックには心当たりがあった。
ダブラマの防衛線であるパルセトマ家はダブラマに雇われるカンパトーレの魔法使いについての情報も色々と保管されている。
王家にも送っているパルセトマ家の警戒リスト……そこに載っていた一人の特徴に、戦場で血を吸いながら戦う魔法使いのリストがあった。
「アハッ……! コウキナ……! ハム!」
「ぁぃ……」
じゅるじゅる、と赤髪の女が血を吸う音。
同時に聞こえてきたのは倒れている、吸われた者の小さな断末魔。
びくん、と一瞬動いたかと思うと、その女に吸われていた人物は動かなくなった。
「ラドレイシア……! 吸血魔犬ラドレイシアか……!」
赤髪の女は顔を上げる。すんすんと鼻を鳴らしたかと思うと。
「アハッ!」
ぐりん! とその首はロベリアとライラックがいる方向へと向いた。
二人は咄嗟に身を引いて建物の陰へと身を隠す。
「匂うわぁ……! 高貴な血の匂いがする……!」
いつも読んでくださってありがとうございます。
年末年始までは更新できる……かな?と思います!