339.合流 ネロエラ・タンズークの疾走5
長身に白髪。蓄えた白い髭にモノクルと老紳士を思わせる男。
カンパトーレの魔法使いビクター・コーファーは退屈していた。
今のビクターの雇い主である大嶽丸の王都シャファクの襲撃からすでに十日と一日……ビクターが水源に撒いた毒による死亡者がもうじき出始める頃、拠点に選んだコルトスのてきとうな宿屋の一室で彼はぼやく。
選んだ理由はこの部屋が宿屋の三階にあり、コルトスの町を見渡せるからである。
「ふむ……いつまでこうしていればいいのやら」
彼は髭を撫でながら、朝のコーヒーに興じる。
毒と薬の扱いに慣れている彼はコーヒーの淹れ方も一流だ。部下に淹れさせたまずいコーヒーなど二度と飲むかと誓って以来、彼は自分で淹れている。
マナリルとの国境近くにあるガザスの町、コルトスは今やそんな彼の支配下にある。
コルトスを警護していた魔法使いは全て殺した。一人粘ったのもいたが……彼ともう一人の魔法使いによって敗北し、コルトスに住む住民は恐怖で支配されていた。
住民達は町の一角に集められており、ビクターの部下によって見張られている。
「はて、あの魔法使いは何といったか……名乗っていたはずだが……さ、サリ……? ふむ、歳でしょうか」
まぁ、いいか。とビクターは思い出しかけた名前を記憶の彼方へ消し去る。ダブラマのリオネッタ家にでも渡らない限り、死体の名前など覚える必要も無い。
忘却されたわけではなく、単純に興味の薄れから彼はこの地を守っていたガザスの魔法使いの名前を忘れていた。
血統魔法は中々の防御力を誇っていたが……ただそれだけ。ビクターともう一人の魔法使いにとっては固い壁と同じ。命を脅かさないものに何の脅威を感じる事があろうか。
ビクターにとってはそれほど、どうでもいい存在だったというわけである。
がたがた。
ビクターの座る椅子の近くにある箱が揺れた。
シクタラスの水源に運んでいたのと同じ箱だ。
「おやおや、起きてしまいましたか。おはようございます」
ビクターは箱を撫でながら朝の挨拶を箱に向ける。
箱の揺れはまるでその挨拶に満足したかのように収まった。
ビクターはその温和そうな笑顔を見せて、もう一度コーヒーを口に運ぶ。
その姿はコルトスの町を恐怖で支配している者とは思えない。
「どうぞ」
足音が部屋の前まで来るのを見計らって、ノックされる前にビクターは扉の向こうに声をかける。
扉が静かに開かれると、ビクターの部下が入ってくる。
「ビクター様。朝早く失礼致します」
はて? この部下は何という名前だっただろうか。
そんなとぼけた脳内の疑問も、決してふざけているわけではない。
傭兵として長く生き続けていたビクターは部下を持つという事にあまり慣れていない。そして、部下の名前を覚えるという事も得意ではない。
だが、魔法使いとしての能力は絶対に忘れないのがビクターという男だった。
目の前にいるこの部下は水属性の使い手で中位魔法すら満足に使えない。ダブラマの数字名連中とようやく競り合える程度の実力しか無い事だけはビクターは把握している。
ビクターの個人の認識の仕方は変わっているのだ。人は通常、顏と名前を直結させて個人を判別するが、ビクターは顏と能力をまず直結させて個人を判断する。そこに加えて名前を覚えるのは、魔法使いとして強いと判断した者と依頼された標的くらいなものだった。
この極端な記憶の仕方では、初対面の相手の顔と名前を合致させるのが重要な貴族社会になど馴染めるはずもなく……かつてマナリル南部の貴族として生まれたビクターをカンパトーレへと向かわせた。
頭を下げる部下はビクターにそんな評価を下されているとは夢にも思わっていないだろう。
「構いませんよ。どうしました?」
かりかり。
箱の中からする音に入ってきた部下はぎょっとしつつも、ビクターへ報告する。
「国境の検閲所から何かが接近してくると報告がありました」
「おや、マナリルが動きましたか? それにしては早いですね……して何かとは?」
「それが、感知魔法で正確に観測できず……目視で見える距離まで待っているところです」
「ふむ……」
ガザスの連絡があったとしても、救援にしては早すぎる。
マナリルがこの状況を予期していた? いや、それはない。
あの白い女の忘却の力によってガザスの情報は一時的に閉ざされていた。マナリル側がガザスの状況を知るのはどれだけ早くても大嶽丸の襲撃後のはず。
ビクターは思考するが、すぐに手放す。現実にマナリルから何らかの部隊が攻め込んできているのだから。
「……この町には物見塔がありましたね。向かいましょう」
「は!」
念の為、去年大嶽丸が滅ぼしたガザスのタロルス家の家紋とガザスの国章が縫われたローブを纏い、ビクターは部下を連れて物見塔へと向かった。
退屈を紛らわすには丁度いい。
そんな暇潰し気分で。
物見塔はコルトスの町の名所の一つだ。
大昔、マナリルと戦争中だった頃に使用されていたものがそのまま残っている。
ビクターは部下を連れて螺旋状の階段を上り始めた。
「――!!」
「――れ!?」
物見塔を上っていくと、上から部下達であろう声が聞こえてくる。
「何やら騒がしいですね」
「ええ……何か見えたのかもしれません」
物見塔を上りきると、監視のために置いている二人の部下がいた。
ビクターが上ってきた事に気付いたのか、背筋を伸ばしてビクターに一礼した。
「ビクター様! お疲れ様です!」
「ビクター様! 丁度見えたところでして……あちらです!」
女の方の部下が指を指すと、ビクターも部下が指を差したほうを見た。
「あれは……? 馬車……?」
国境の方角から迫ってくる何か。
目を細めた部下がそう言うと。
「……違いますね」
その何かは朝靄を裂きながら駆けてくる。
馬車と勘違いしたビクターの部下もそのスピードは見て考えを改める。
何だあれは。馬車とは比べ物にならないスピード。最初は影しか見えなかったものの姿が、急速に近付いてきてその姿はクリアになっていく。
「……住民の見張り以外は戦闘の準備を。厄介な事になりそうです」
「な、な……馬車じゃない!?」
そう。早くて当然。
ビクター達が見たのは大きな荷車を引っ張る五匹の白い獣。
それは人間とは違う魔力の"変換"能力を持ち、魔力を直接体力や身体能力に変える事の出来る生物。
「これはこれは……流石マナリルというべきか」
「え、エリュテマだと!?」
それはカンパトーレの山でも見られる狼型の魔獣。
中には魔法使いで対処しなければならない危険度を持つ人喰いの魔獣が、まるで馬のようにその背中に人を乗せ、人間の味方をするように……荷車を引いて現れたのだから――!
「ばれてるよね?」
コルトスの町を視界に入れたフロリアの問い。
四匹のエリュテマに血統魔法で混じり、荷車を引いているネロエラが答えた。
『あ、ああ……元より、隠密する気は無い』
「ならご挨拶しましょう」
エリュテマに跨っているフロリアは大きく息を吸う。
コルトスの物見塔にかすかに見える人影。その人影に向かって、フロリアは思いっきり叫んだ。
「おらおらおらー! カンパトーレの魔法使い共! とっとと道を開けなさい! マナリル新設輸送部隊アミクス(仮)の……お通りだあああああ!!」
"ワオオオオオオオオオオオオ!!"
フロリアの叫びに呼応し、四匹のエリュテマも同時に吠える。
国境を越え、コルトスに攻め込んでくるはタンズーク家次期当主ネロエラ・タンズーク率いる輸送部隊アミクス。
友のため、自分のため――ガザスの地にエリュテマの咆哮が響き渡る。
いつも読んでくださってありがとうございます。
反撃開始編更新開始です。
クリスマスイブでも普通に更新します。ええ。普通に更新しますとも。




