337.反撃の為に
王城の会議室。
マルティナ・ハミリアはラーニャから呼び出されていた。
執務室で少し待っていてほしいと言われて、案内されたソファにただ座っている。
仕事の激務を感じさせるインクの匂いと、女性らしいインテリアが融合した何とも見事な部屋だった。
「……」
そんな執務室の静寂の中、マルティナ・ハミリアは自分の無力さを嘆いていた。
避難してきた住民を誘導する事しか出来ない自分。
父ならば……もっと上手くできたのだろうか。父ならば、兵達に上手く指示を出し、敵の迎撃をすべく駆けだしたのだろうか。
「父上……」
マルティナは懐から懐中時計を取り出す。
戦いの影響か、もう部品が壊れていて動かない父の形見をマルティナは縋るように握りしめた。
こんな姿を父が見たら嘆くだろうか。
けれど、許して欲しい。自分の親であり憧れだったその名残に甘えるくらいの幼さを。
……戦ったと聞いた。
あの日、あの夜、迷路の庭園で出会ったアルムが戦ったと。
王都シャファクに卑劣にも毒を撒き、第三区画を荒らした敵に彼が立ち向かったと聞いた。
彼だけではない。その場に居合わせたベラルタ魔法学院の生徒達は住民を避難させる為に敵に立ちはだかったのだという。
セーバが話してくれたその事実を、マルティナは胸に抱える。
友人である彼はその場に居合わせ、敵を見たのだという。
人だとは思えなかったと、恐怖で足が竦んで自分は何も出来なかった、自分は情けなくも、ベラルタの人達が戦っている間に逃げたのだと、まるで懺悔するように。
話してくれたセーバの目の下は赤くなっていた。どれだけの涙を流したのか想像もつかない。
「ナーラ、ちゃんとマヌエル、さんは……ちゃんと、セーバ……くんを……慰めてたな……」
自分は彼に何も出来なかった。……けれど、その悔しさだけは共有できた。
セーバは知らないかもしれないが、その敵は……去年、父でありハミリア家当主でもあったヨセフ・ハミリアを殺した魔法生命という理外の存在。
その存在が目と鼻の先にまで来ていて……マルティナ・ハミリアという人間が何もする事が出来なかったという事実。
セーバとは違う形ではあれど、悔しさがこみ上げる。
父の仇が来ていた事さえ知らなかった、間抜けな女がここにはいる。
「待たせた」
「はひ!」
考え事に耽っていたからか、執務室の扉が開いた事にすらマルティナは気付いていなかった。
一人の男が執務室にずかずかと入ってきて、マルティナの正面のソファに乱暴に座る。
「え……と……」
マルティナはその男の名を記憶から探る。
確か、ラーニャ女王陛下の側近であるシュテンという人。変わった名前だな、と一度思った覚えがあった。
学院で見かける印象とは少し違う。もう少し丁寧な人だと思っていたのだが、ソファの座り方も何だか豪快で執務室には似つかわしくない。
「気遣って話すのは得意ではない。事実と要望だけを話す。俺は酒呑童子。ラーニャの側近であり、今回シャファクを襲った敵と同じ魔法生命と呼ばれる存在だ」
「っ……!?」
「お前の父が死んだ時、魔法生命については教えられたな?」
マルティナの感情を気にも留めず、酒呑童子は話を進めようとする。
懐中時計を握る力が無意識に強くなった。
「何故、ラーニャ女王陛下の、側近を……?」
「魔法生命も一枚岩では無いって事だ。俺は俺の目的の為にガザスの味方となる道を選び、お前の父を殺した奴は敵対する道をいった……ただそれだけの話」
「信用しろ、と?」
そんな言葉では、割り切れないとマルティナはぎりっ、と歯を鳴らす。
「去年から今に至るまでラーニャの側近で居続けた事と、去年お前の父と肩を並べた事が味方である証明だ」
「父上と……」
「ヨセフは俺の事を嫌ってはいたが、俺はヨセフの事が嫌いではなかった。それ以上も以下もない薄っぺらな関係だが、一度だけ酒を飲み交わした事もある。その懐中時計を持ってきたのも俺だ」
その声に、マルティナは懐中時計を握っていた手の力をつい緩めた。
マルティナにはまだ感情的な嫌悪感こそあれど、酒呑童子の声が嘘とは思えず、酒呑童子と目を合わせる。
「時間が無い。タトリズの生徒の中で……唯一奴と戦える可能性があるのはお前だけだ。ラーニャの名前でここに呼んだのは二週間ほど先に控える奴との決戦に参加してもらう為だ」
「私が……?」
「拒否権は無い。ラーニャとエリン、俺の三人では勝てない。ヨセフとウゴラスの穴を埋めてもらう」
「けれど、私は父上よりも……」
劣っている。
父という偉大な柱に隠れた雑草。マルティナの自己評価は変わらない。
父のように頼りなく、父のように威厳もなく、父のような実績も無い小娘だ。
同じなのはハミリア家という家名だけ。
「ああ、劣っている。だが、ヨセフが戦った時よりも状況は好転した」
そう言って、酒呑童子はマルティナに向けて手を伸ばす。
「マルティナ・ハミリア。この二週間……お前には、鬼胎属性の魔力に慣れてもらう。奴と戦える心を持たせるために」
マルティナの決断を待たない、有無を言わせない言葉。
手の中の懐中時計と、その伸ばされた手をマルティナは交互に見ていた。
「では決まりです。この手筈で。忘却は想定しても仕方ありません。忘れてもわかりませんから、新たに魔法生命が姿を現さない限りは無視するものとします」
タトリズ魔法学院学院長室。
ラーニャとエリン、そして学院長であるマリーカを交えてガザス側の作戦が決まる。
マナリルから解毒薬を運ぶ救援が来る前提の作戦だが、その前提が無ければどちらにしろ終わりだ。念の為、マナリルからの救援が無い事もラーニャは想定しているが、その場合は住民達の被害がどれほどになるか想像がつかない。それこそ、大嶽丸の気分次第になるだろう。
「奴の襲撃があるであろう数日前からマリーカは部隊を率いて遠回りをしながらシクタラスに行き、奴が王都を襲撃している間にシクタラスの町と水源を奪還。私達は奴の襲撃を王都で迎え撃ち、住民の避難は護衛の魔法使い部隊と治癒魔導士、そしてタトリズの生徒達でこの時点で奪還されているであろうコルトスに。コルトスが奪還できていない場合は山脈のほうに向かわせます。一時的に」
「国境の山脈は危険な魔獣が多くいるので……出来ればコルトスの奪還を願いたいものですね」
マリーカはすでに緊張しているのか、眼鏡をとって額の汗を拭っている。
「それがベストではありますけど……カルセシス陛下が送ってくださる輸送部隊がカンパトーレの魔法使いを倒してくれるかにかかっていますね。指揮官であろうビクター・コーファーさえ何とかしてくれれば住民の危険もかなり減りますから」
とは言いつつ、エリンの表情には不安が混じっている。
カンパトーレの魔法使いは各地で国を追われたり、住んでいた国の思想についていけなかった者の集まりだ。ゆえに協調性には多少欠けるのだが、中にはその欠点を意に介さない者達もいる。
狂獣マーグート、変幻の水使いカモノ、吸血魔犬ラドレイシア、見知らぬ恋人クエンティなど……一人で大局を操るカンパトーレの猛者達。
ビクター・コーファーという魔法使いは少なくともガザスとは戦った記録は無い。だが、二十年前にダブラマに雇われていたという事は少なくともその実力は並ではないはずだ。
マナリルからの救援とはいえ……果たして、正規ではない部隊で奪還など可能なのだろうか。
「多くを求め過ぎですよ。エリン。解毒薬を寄越してくれるだけでもかなりありがたい事です。解毒薬さえ届けば、少なくとも住民達の足は動くでしょう。生きれるという希望とともに」
「はい……申し訳ありません」
「それに、あなたが考えるべきは自身の戦いです。その腕を喰われた相手との」
「……わかっています」
エリンは腕が通っておらず、ひらひらと揺れる袖に目をやる。
去年の戦いで、大嶽丸に喰われた右腕が通るべきだった制服の袖に。
「何にしても……私達は生き残らなくてはいけません。あの悪鬼の魔の手から」
決戦はマナリルから解毒薬を運ぶ輸送部隊が入国したその瞬間から。
魔法生命と戦ってきたアルム達の入国と奮戦、そしてマナリルからの援護……こんなチャンスは恐らくはもう訪れない。
「今度こそ、戦いましょう。そして見せるのです。無尽騎隊ガザスと呼ばれるこの国を」
ガザスは小国。魔法で劣り、領土の位置関係も悪く、敗戦の歴史の中で生き残った軍事においては弱小の国。
それでも、美しい文化と人々が住む……彼女らのかけがえの無い故郷だ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日で一区切りになります。
最近寒すぎませんか?