336.鬼の影に
『輸送部隊のほうには俺の方から連絡をした。後は輸送部隊のスピード次第だな。トラブルがあればその時点で詰みと思ってくれ』
通信用魔石からの声に部屋にいる者はとりあえず安堵する。
安堵以上の喜びを感じているのは言うまでも無くガザスのメンバー達だった。
「元より、ほぼ詰んでいるといって差し支えない状態……私達は信じて待つしかありません。そこに希望があるのなら」
ラーニャの声に何か感じる者があったのか、通信用魔石の前でカルセシスは軽く笑う。
『留学している生徒達の帰国や支援の詳細などは公式な通信で話そう。ラーニャ殿。だが、魔法生命の件については不確定要素が多すぎる。期待はしないでほしい。恐らくは、こちらの留学メンバーの救出部隊を編成するという所で落ち着くだろう』
「いえ、解毒薬の輸送とコルトス奪還への援助に人員を割いてくださるだけでも十分すぎます。このご恩はガザスが存続した際には必ずお返し致します」
『恩? 俺はアルムへの褒美の為に動いたに過ぎんよ。ガザスはついでだ。まぁ、恩を感じるなら……ガザスが存続した際には無茶な要求の一つでもしてみるか。ガザスの誠意とやらは如何ほどか、見せてもらおう』
「……まぁ。そちらのほうが怖いですね」
ラーニャの笑顔に呼応するように妖精達が部屋を飛び回る。
その軌跡が見えるのか、ベネッタは目をぱちぱちさせていた。
『む? ああ……』
カルセシスの声が急に遠くなる。
誰かと会話しているようだが、通信用魔石に相手の声は乗っていない。
「どうされたんですか?」
アルムが聞くと。
『いや、大した事は無い。輸送の護衛を志願した者達がいてな。少しその者達と話をしていただけだ』
「志願者?」
もしかして、ロベリアとライラックの二人が毒についての情報だけでなく、護衛にまで志願してくれたのだろうか。四大貴族である二人に護衛して貰えるのならそれは心強い事この上無い。
『……そろそろまずいな。他の宮廷魔法使いに勘付かれる』
「はい。カルセシス殿……感謝致します」
『この件が片付いた暁には、当然マナリルは支援もしよう。ラーニャ殿、また後日に』
「はい」
『最後の忠告だが、ベラルタ魔法学院の生徒達には手厚い待遇を。蔑ろにしたその時は……魔法生命の手にかかる前に、ガザスという名を歴史から消してやろう』
「リヴェルペラ家の名に誓って……命消えゆくとも、我々ガザスは彼らの友人である事をお約束します」
ラーニャの宣誓に通信用魔石の向こうで、カルセシスが頷いたような気がした。
最後に、カルセシスは言葉を残す。
『この魔石の向こうにいる我が国の者達よ。必ず生きて帰れとは言わぬ。逃げるは恥ではない。戦うは愚かではない。自らの責と信条を天秤にかけ……正しいと思った行動をするがよい。国の長としてその行いを否とする事はあるかもしれぬが……俺という個人は決して、その行動を非難する事は無い。誇りを貶める事はない。以上だ』
そこで、通信用魔石での通信は切れた。
最後の言葉は、地位を無視しての後押し。カルセシスというただ一人の人間からの激励だった。
流石に、宮廷魔法使いという地位であるファニアは聞かなかった事にする他ない。
「住民の避難の目途さえ立てば……今度は我々が立ち上がる番ですね。陛下」
「ええ、エリン。去年含めて二度の屈辱……晴らしましょう。今度こそ」
「とはいえ、戦力になりそうな魔法使いはほとんどいない……へたに奴の前に出せば恐怖で奴の"現実への影響力"が上がってしまうからな。俺が言えた事ではないが……鬼胎属性というのは厄介だ」
「カンパトーレからの増援を考えれば、各地の魔法使いを招集するわけにはいきません。今王都にいる魔法使いで何とかしなくては……私達三人以外で、奴と戦える誰かを」
そんな大嶽丸との戦いに向けて話すラーニャ達。
三人の話を聞きながら、アルムはふと気になった事を問う。先日、会議室で情報を交換した時にはいた男性がいない。
「あの、そういえばウゴラスさんは……?」
「戦死した。奴に殺された」
そんなアルムの疑問に酒呑童子がさらっと答えた。
ラーニャとエリンの表情には影が落ちた気がする。
「そう、か……」
正直、アルムはウゴラスの事を覚えていない。
覚えているのは師匠と誰かを助けた記憶であって、ウゴラスという人物ではないから。
けれど、私を助けたのは君だ、と真剣な表情で断言するウゴラスの事がアルムは少し気になっていた。
その真意を聞く前に……この世を去ってしまったのだ。
悲しんではいない。悲しむ権利なんて無い。
それでも……思い出の中にいたかもしれない誰かがいなくなったという事実は、中々に傷に効く。
「とりあえず……私とアルムは怪我を治さないとね」
そうして話を変えたエルミラの顔色が悪い事にルクスは気付く。
すかさず、ベッドに座るエルミラにすぐ肩を貸せるよう、傍らに駆け寄った。
「……悪いわね、さっきまでは全然大丈夫だったんだけど……」
「何言ってるんだ。当然だよ。失礼。先に退出します」
「ご用件の際は遠慮なく衛兵にお声がけを。使用人を連れてきてくれるはずです」
エリンがルクスにそう伝えると、ルクスはラーニャ達に一礼し、エルミラはルクスに支えてもらいながら部屋を出ていく。
その二人の背中を、ラーニャは申し訳なさそうに見送った。
「……我が国の医者と治癒魔導士は毒に侵された住人の対処で手一杯です。あなた方に優先して治癒を施すべきなのですが……」
「優先する必要はありません。ラーニャ様の役目は俺達を守る事ではないですから」
アルムの力強い言葉にラーニャはつい、アルムと目を見合わせる。
その声には裏など全く無かった。本当に、住民を優先すべきだと思っている。
アルムのやった事を考えれば、優先して治療しろと言ってもいいくらいだというのに。
「ベネッタ、実際どうだ?」
アルムが聞くと、ベネッタは困ったような表情に変わった。
「エルミラのほうは何とかなりそうなんだけどー……アルムくんがギリギリかも……心臓が無事って言っても、それは別に大怪我してないって事じゃないから……その、なんというかー……中の肉はぐちゃぐちゃに斬られてるから難しいの……」
「なるほど……どうりでずっと痛むわけだ」
「アルム……ずっと痛む、のですか?」
ショックを受けたように、ミスティの表情から血の気が引く。
思わず、アルムの手を掴んでいる手が強くなった。
「ああ、まぁ、耐えられないほどじゃない。今日か明日にでも熱が出るだろうから水とタオルだけ用意してもらえれば問題ない」
慣れた様子でこれからの自分の症状を予想するアルム。
本人は平気そうだが、ミスティはそうはいかない。
「アルム、私が看病いたしますからね」
「あ、いや、一人で大丈夫だ。いざとなったらラーニャ様に使用人を寄越してもらうし……」
「私が看病いたします」
引かないミスティ。
何というか、いつもと変わらないように見えて圧がある。
「待て。ミスティは昨日から……」
「私が、いたします」
「ま、待ってくれ。ミスティには休んで欲しい。万が一の時に備えて、住民を守る戦力として体調を整えてほしい。ミスティ以上の戦力なんてそうはいない。俺の看病にあてるわけにはいかないだろう」
「……それは…………」
アルムの正論にようやくミスティが揺らぐ。
「それに、昨日からずっと俺の傍にいてくれただろう。それだけで十分だ。だから休んでほしい」
「……わかりました。アルムがそう仰るなら」
理屈では納得したものの、感情では不満そうなミスティの手をアルムはまた握り返す。
「ですが、毎日様子は窺いに来ます。苦しんでいるようであればすぐにまた、こうして傍にいます。いえ、いさせてください」
「あ、いや……」
「駄目……でしょうか?」
「……わかった、その時は頼むよ」
悲しそうな表情のミスティを正論だけで突き放す事はできないと悟り、アルムはミスティの提案を受け入れた。
ミスティの体調も心配なアルムにとっては、休んでくれると約束してくれただけでもありがたい。
「はい、アルムさんの言う通り……起きる可能性が高いのです。その万が一が」
「どういう事ですか?」
アルムに聞かれ、ラーニャはエリンに目をやる。
「実は、奇妙な証言が商人達から語られていたんです。奴の潜伏場所になっているはずシクタラスから来たにもかかわらず……シクタラスで何が起こったか、何をしていたのかを忘れた、と」
「忘れた……?」
「それと、今支配されているコルトスが占拠されているのも……今日急に報告が来たのです。まるで、今日までカンパトーレに占拠されているのを忘れていたかのように」
「確か……魔法で記憶の操作はできないはず……」
いつか読んだ本にそんな事が書いてあった事をアルムは思い出す。例の如く著者の名前は覚えていないが、内容は覚えていた。
記憶は人を形作るものだと無意識の認識が存在する。侵してはいけない領域という共通認識があるゆえに、"現実への影響力"を引き起こせないと。
「ええ、普通の魔法ならできませんが……魔法生命ならば、話は別」
「!!」
そう、魔法生命は異界から現れた存在。
この世界における人間の認識を軽々と踏み潰す事の出来るイレギュラー。
ゆえに、その"現実への影響力"は高く、この世界の人間では出来ないような能力を備えている。
「知る限り、奴にそんな能力は無い。そんな能力があの鬼にあれば……俺のような魔法生命がいたところで役に立たないだろう」
「じゃあ……!」
「そうだ。ガザスには……魔法生命がもう一柱いる」
考えられる限り最悪の報告。
酒呑童子の声にアルム達が驚愕する中、ミスティだけは……第一区画で会った師匠と名乗る女性を思い出していた。
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