334.初めての交渉
『……甘くなったなファニア』
「は。返す言葉もございません」
通信用魔石は自分の姿が相手に伝わる事は無い。それでも、ファニアは通信の繋がったカルセシスの声に膝をついていた。
報告と称し、ガザスの現状などをカルセシスに全て話し終えた後の事だった。
『俺の命無しに宮廷魔法使いであるお前が他国の肩を持つとは……自分の立場がどうなるか覚悟の上だろうな?』
「はい。陛下の思うままに処罰を」
カルセシスの声は魔石越しにも冷たい。ファニアの声はこうなる事をわかっていたのか落ち着いていた。
そんな様子を見てアルムはミスティに目をやると、気を利かせてミスティは少し耳を近付けてくれた。
「……ミスティ、そんなにまずいのか?」
小声で問うと、ミスティは頷く。
「宮廷魔法使いは任務の失態よりも、自国の為だけに動くという意識を重視されると聞きます」
「大変なんだな……」
マナリルにおける宮廷魔法使いとは、自国の魔法使いの象徴。
自国のために行動し、自国のために戦い、自国のために死に、自国のために生きる。
他国がどんな状況にあろうと憂慮するなどもっての他。だからこそ、マナリルの未来を担うベラルタの留学メンバーを引率する立場を任されている。
宮廷魔法使いとは、ただ魔法使いとして強力なだけなのではなく……自国の為にしか動かない魔法使いでなければならない。他国から引き抜かれず、自国の民以外の助けの声にすら揺れない、そんな魔法使いである事が求められる。
その宮廷魔法使いであるファニアが、あろう事かほぼ属国に近いガザスの為にマナリル国王カルセシスとの通信を使用する……それがカルセシスの怒りの原因だった。
判断を仰ぐためという建前こそあるものの、ファニアの立場からしてはあってはならない事だった。
『状況が状況だけに解任とまではいかんだろうが、それなりの罰は覚悟しろ』
「寛大な処置に感謝いたします」
『下がれ』
「は」
言葉の通り、ファニアは立ち上がると礼をして下がる。
『さて、話に戻ろうかラーニャ殿』
通信用魔石から聞こえるカルセシスの声は見事に怒りが消えていた。
下がったファニアに申し訳なく思いながらもラーニャは前に出る。
『ガザスの救援要請について先に結論を言ってしまうが……無理だな』
「そう……ですか」
カルセシスからの答えは残酷なものだった。ラーニャの血の気が引き、顔は青ざめていく。
『理由は二つ。一つ目はダブラマとマナリル南部に妙な動きがあり、そちらの警戒に戦力を割いている事……新部隊を設立したり、魔法使いの配置を西部寄りに変えたりと余裕があまり無い。二つ目はラーニャ殿もご存知の通り、マナリルとガザスの間に友好条約があるからだ』
それが何故理由になるのかアルムは首を傾げる。
『三五〇年前の戦争終結時に交わされた短い内容だが、領土の不可侵や罪人の引き渡し、魔法文化的の発展の為の交流などに加えて……当時のガザスの要望で相互の軍事援助は不要とされている。俺の執務室で受けた非公式の通信で、しかもガザスの町を奪還するためにという理由ではこの条文を無視できない。わざわざ友好条約に記されている条文を破ってまで他国を助けるなど馬鹿馬鹿しいだろう?』
「……仰る通りです」
『それに……ガザスはそちらの国から来た魔法生命が暴れたミレルの一件でもこの条文を盾に情報提供を断っている。だからこそ、我々マナリルはスノラの事件後まで情報提供者からもたらされた情報の裏も取れなかった。ダブラマから休戦の要望が無ければ更に時間がかかったであろう。つまり、条文を曲げる義理が無い』
ラーニャは声にこそ表れていないが、カルセシスの話を聞くその表情は暗い。
後ろに立つ酒呑童子は黙って聞いているだけだったが、隣のエリンも顔が青褪めていた。
『こちらで編成するとすればベラルタに留学している生徒の救出部隊だろう』
「カルセシス殿。それなら――」
『だが、もし救出するのならマナリルは国境上にある山脈を使うルートを選ぶだろう。コルトスが制圧されているのなら尚更だ。カンパトーレとしては、せっかく町を制圧したというのにわざわざそこから離れる意味は無いと考えるだろうからな』
尤もな話だった。
ベラルタの留学メンバーを救出するという名目なら、わざわざカンパトーレの魔法使いが支配しているコルトスの町を経由して国境を超える必要は無い。検閲所のある場所を通らなければいけないのはあくまで平時の時だけなのだ。
マナリルが救出すべきなのはベラルタの留学メンバーのみ。全員が魔法を使えるという前提がある為、補給物資さえ届ければ可能であろう山越えのほうがリスクは低い。コルトスにいる魔法使いが危険な毒物を使うとなれば尚更である。
『誤解しないで欲しいが、俺とて意地悪くこう言っているわけではない。魔法生命の脅威は直接目にしていないものの理解しているつもりだ。個人的には救援を寄越してやりたい所ではあるが……俺の立場でガザスの為に動いてしまうのが問題なのだ。自国の状況と条文が邪魔をする。全く、王族などなるものではないな。貴族の目が面倒臭すぎる』
ここにそのマナリルの貴族が大勢いるのだが、全員が聞かなかった事にする。
国王の愚痴など聞きたくても聞けるものではないのである意味幸運なのかもしれないが、それどころではない。
「ガザスの為に……つまりガザスの為じゃなければ……」
カルセシスの話を聞き、アルムはそう呟いた。
「ファニアさん」
「何だ?」
「カルセシス様とお話させてください」
ファニアは頷き、魔石をアルムのベッドの近くに持っていく。
「陛下。アルムがお話したいと」
『許す。というよりも、マナリル国王としてカエシウスの令嬢、オルリックの子息、アルムの三人の無事は確認したいところだ』
カルセシスの声にエルミラが静かにむすっとした表情へと変わったが、ルクスとベネッタが宥めている。
そんな光景を横目に見ながら、アルムは魔石に触れて魔力を通した。
「カルセシス様。アルムです」
『無事か?』
「はい、何とか……ミスティもルクスも無事です。ガザスの方々にお世話になっています」
『言っておくが、それを理由に動く事はできんぞ。むしろお前のやった事を考えればガザスの待遇は当然だ。蔑ろにしていたのならそれこそ救援を送る理由も無い。お前がお人好しである事は報告からもわかっているからな』
「カルセシス様。失礼を承知で……それと、自惚れが気に障れば申し訳ありません。マナリルにおける自分の価値は高いですか?」
それは普段のアルムならば絶対にしないであろう質問だった。
手を握るミスティだけでなく、ルクスとエルミラ、ベネッタも。アルム友人である四人は全員が全員信じられないといった表情でアルムのほうを見ている。
アルムの自己評価が著しく低いのは共通の認識だった。
『く……くく……!』
「……?」
笑いをこらえているような声が聞こえてくる。
確かにおかしな質問をしているという自覚はアルムにもあった。
何の話をしているのかとラーニャやエリンも不可解な表情を浮かべている。
『いや失敬。正直に言おう。魔法生命の脅威について不明瞭だったミレルの時点では変わった平民程度だったが……今ではそこらの貴族より遥かに高い。魔法生命を初めて討伐した存在であり、カエシウスを救った功労者だ。低く見るほうがどうかしている。先日贈らせた勲章も俺が高く評価している証だ』
「本当でしょうか?」
『ああ、少なくとも……魔法生命での一件が終わるまではお前の価値は相当なものだろう』
「光栄です。カルセシス様」
『当然だ。未曽有の事態に対応し、解決までする人材を低く評価するような愚物ではないと自負している』
カルセシスの声を聞き、アルムは意を決したように頷く。
こんな事をするのは初めてだった。なんて慣れない。似合わないにも程がある。
けれど、しなければいけないと思った。
「カルセシス様。以前言っていたスノラの一件で頂けるはずの自分への褒美がまだでしたよね?」
『ああ、普段ならば人となりで褒美を決めるのだが……お主はよくわからなくてな。難儀していた所だ』
「その褒美……今ここで頂けないでしょうか?」
『ほう?』
「もう褒美を頂くと言われてから大分経ちますから……本当に褒美を頂けるのかと不安になってしまいまして」
『確かにそう思うのも仕方ない。それで? 今望むという事は貰いたい褒美が決まったという事か?』
「はい」
アルムは一つ深呼吸した。
「今ガザスで毒に侵されている住民約三百人の為の解毒薬を頂きたいです」
「!!」
この場にいた全員が驚愕する。
ラーニャやファニアは他国の為に褒美を使うその精神性に、ミスティ達はアルムが交渉しているというあまりにイメージからかけ離れた事をしていた事実に。
『あっはっはっはっはっは! いい。いいぞ。存外頭が回るなアルム』
「え?」
『住民の為の解毒薬を褒美に貰いたいという事は、お前が褒美に貰いたい解毒薬は今毒に侵されている住民の為に使われなければいけない。褒美を与える側の俺としては……到着を間に合わせる必要がある。出来るだけ早く褒美を与える為には山越えなどさせる余裕は無いな。間に合わなければ褒美をやるといった言葉を俺は違えた事になる。いい要求だ』
「あー……」
そうなるのか、とアルムは納得したように頷く。
そこまで考えてなかったとは言えなかった。
『何より、今のお前にはこの要求を俺に通させる価値がある上に……お前は貴族ではない。その気になればガザスにそのまま移住できてしまう。お前をマナリルに繋ぎ止めるためなら……こちらもそれ相応のリスクを負わねばなるまい。ガザスのためではなく、お前という貴重な存在のために』
「じゃあ……!」
『アルムからの要求を呑もう。直ちに解毒薬を届けさせる。その過程で……コルトスに介入する可能性はあるだろう』
「……っ!」
通信用の魔石から聞こえてきた声に、ラーニャは涙をぐっとこらえる。
自分は何度、アルムという平民に世話にならなければならないのだろう。ミスティから出されたアルムの後ろ盾になるという条件での協力関係だったが、そんな条件など無くとも、ガザスが存続した暁にはアルムの後ろ盾になるのは当然と言うべきほどの恩をすでにラーニャは受けていた。
『だが、ガザスが関わる以上、やはり公的な部隊は動かせない。今俺が個人で動かせる、しかもマナリルの戦力として数えられていない人間を使っての輸送になる……宮廷魔法使いを派遣して確実にとはいかん。コルトスの奪還は正直難しいかもしれないぞ。基本的にはベラルタの留学メンバーの脱出を優先させるよう命じるからな』
「わかりました。それでも可能性が無いよりははるかにありがたいです」
『それと、どの解毒薬をという点についてはどう解決する? 解毒薬について要求しているのはお前のほうだ。毒の解明についてはこちら任せか?』
アルムを試すようなカルセシスの問い。
すでに答えが決まっていたかのように、アルムは答えた。
「それについては……ベラルタ魔法学院に連絡を取って頂きたいのです」
『ベラルタに? ふむ……』
「できますか?」
『いや、出来ない事は無い……。休戦の条件にダブラマから通信用魔石をいくつか仕入れたからな。傍受される可能性を考えて使用を控えるよう厳命してあるが、今はオウグスも所持している』」
俺にはそんな話来てないぞ、と言いたげなヴァンを置いてアルムは話を続ける。
「カルセシス様の手を煩わせてしまうのですが……助けになってくれるかもしれない人達がいるのです」
『連絡を経由するくらいは構わん。俺の通信用魔石を介すればそちらの声も届けられるからな』
言っていいと知った。自分は助けてほしいと言っていいのだと。
どんな反応が返ってくるかは正直恐い。もしかすれば、平民なんかの願いは聞く価値も無いと一蹴されるかもしれない。
それでも、アルムは助けを求めると決めていた。
『だが、オウグスは別に毒について詳しくないぞ』
「いえ、用があるのは学院長ではありません」
『む? では誰と連絡をとる気だ?』
「ベラルタ魔法学院一年生ロベリア・パルセトマとライラック・パルセトマ――パルセトマ兄妹に連絡を」
いつも読んでくださってありがとうございます。
カルセシス的にはカエシウスとオルリックの機嫌取りの意味もあったりします。
『ちょっとした小ネタ』
友好条約での相互の軍事援助は不要、という謎の条文ですが、これはカエシウス家が原因です。
ガザスとマナリル間の友好条約は三五〇年前の戦争後に交わされましたが、当時のカエシウス家が暴れに暴れたせいで当時のガザスはカエシウスに怯えてました(タトリズの生徒にカエシウスについて色々伝わってるのは生き残ったガザスの貴族がある事ない事を後世に伝えてるせい)。
そのため、軍事援助の名目でカエシウスの人間が送られ、国内で暴れられたら国が滅ぼされると滅茶苦茶びびっていた当時のガザス国王が望んでこのような謎の条文が出来上がりました。