331.とある記憶
白く輝く花畑が広がっていた。
それは彼という人間にとっての原風景。
「ごめんなさい師匠……」
子供が腕を怪我をしていた。
今年七歳になる子供だった。
目尻に涙をためて、目の前にいる女性に謝っている。
「何を謝っているんだいアルム」
師匠と呼ばれた女性は治癒魔法でアルムと呼ぶ子供の怪我を治している。
黒い髪をしたアルムという子供と白い髪をした師匠という女性。師匠の後ろには暗い森が広がっていて、アルムの後ろには白い花畑が広がっていた。
師匠は泣いているアルムに聞き返す。
「魔法、うまく出来なくてごめんなさい……」
師匠と呼ばれる女性と出会ってから二年。あまりにも進展が無い自分をアルムは恥じていた。
一度だけ、偶然にも魔法かどうかも判別できない小さな魔力の塊を出した時はアルムも心躍ったが、それ以来何も起きる気配が無い。一度でも魔法擬きを出してしまったせいか、自分の情けなさを必要以上に心の中で責めていた。
そんなアルムに師匠はデコピンをかます。
「いづっ!」
デコピンをされたアルムはごろんと転がって、白い花畑に戻された。
師匠はいつもの位置から動かないまま、いつもの木に寄りかかっている。
腕はすでに治し終わっていたのか、もう痛くなかった。今痛いのはデコピンをされた額だけだ。
アルムは額を触りながら、涙を我慢する。
「うまく出来なくて当然だ。君は出来損ないなんだから今更そこを謝る必要は無いよ」
「はい……」
「そもそも、平民なのだから出来なくて当然だ。それは魔法の歴史が証明していることで、君はむしろ出来ないのが普通なんだよ。それとも君は自分が才能があると勘違いしているのかい? まずはそっちの考えを正してあげたほうがいいのかな?」
アルムはぶんぶんと、もげるんじゃないかと思うほどに首を横に振った。
そうしなければいけないのは悔しいが、それは師匠の言う通り仕方のない事だった。
長い魔法の歴史はすでに才能がある人物を選び終わっている。
だから貴族、だから平民。
数百年ほど前ならともかく、今この時代に平民にも魔法の才能がありましたなどという奇跡は本当に奇跡でしかない。そんな奇跡が起こる時代は終わったのだ。
それは一年以上前、魔法の歴史についてを師匠に説明された時からわかっていた。
「でも……」
「でも?」
恐る恐る、アルムは言った。
「でも師匠……怒ってますよね?」
「ああ、怒っているとも」
予想が確信へと変わり、思わず生唾を飲み込むアルム。
アルムは人の感情を察するのが得意ではない。そんなアルムが師匠が怒っている事を当てられたのは師匠が眉間に皺をよせていたからであった。
基本無表情で感情を表に出さない師匠にそんな変化があれば流石のアルムも気付く事が出来る。
「何で怒ってるんですか?」
「何でだと思う?」
「……俺が、魔法をうまくできないからだと、思いました」
「だからさっき……君は泣いてしまったのかい?」
「……うん」
「馬鹿な子だ」
「ごめんなさい……」
師匠の声で俯いてしまうアルム。
「おいでアルム」
そんなアルムに優しい声が届く。その声色はこの季節に吹くそよ風よりも優しい。
アルムは顔を上げて、ゆっくりと師匠に歩み寄る。
アルムが師匠の目の前まで行くと、師匠はアルムを抱き寄せた。
「し、師匠?」
柔らかくて安心する匂いがした。
「私が怒っていたのはね、君が怪我しているのを隠していたからだ」
「か、隠してないです。ただ気にしてなかっただけで……」
「痛いと言わないのは、隠すのと一緒だよ」
「で、でも、枝にちょっと引っ掛けちゃっただけだから……」
アルムが言い訳のような台詞を口にする。
師匠は抱き寄せていたアルムを一旦引き離した。
二人の目が合う。
「傷は君だけのものかい?」
「え……?」
「傷は、君だけのものかい?」
もう一度、師匠は問う。
「う、うん……だって、俺がしたものだから」
「……そうか」
師匠はもう一度、アルムを抱き寄せた。
「いいかいアルム? 傷も痛みも、君だけのものじゃない」
「俺のものだけじゃ……?」
「君の周りにいる人全てのものだ。君が怪我する事で心配になる人がいる、不安になる人がいる。だから君が傷付くという事は、君が思っている以上に大事な事なんだよ」
何かを教えてくれるという事は漠然と感じ取る事が出来た。
けれど、その意味がわからない。
魔獣と戦うのが当たり前で、自分の命と他の命への責任をシスターから教わっていたアルムにとって、傷は自分と傷つけた誰かのものでしかない。
「……ごめんなさい、よくわからないです」
だから正直に、アルムは答えた。
それは子供ながらにカレッラでの死生観を理解していたからこそのすれ違い。
子供の頃に捨てられたという事実と相まって、アルムという子供は自分一人の命の価値は、あくまで自分一人のものという認識が根付いていた。
それをわかっているからこそ、師匠は多くは語らない。
「ああ、今はわからなくてもいい。きっと君の周りには人が少ないから……わからないのかもしれないね」
「……ごめんなさい」
「いいさ。私の言葉だけではわからない事もある」
アルムが謝っている間、師匠は抱きしめながら、アルムの頭を撫でている。
「けれど、覚えておいてほしいアルム。君が周りを見渡した時……私達以外の誰かが見えるようになった時に私が言った事を思い出してみてほしい」
「師匠とシスター以外?」
「そう。君が傷付いた時……私が言った事を思い出しながら、周りの人たちがどんな表情を浮かべているのか見てみたまえ。君にもきっと私の言っている意味がわかるよ」
「……? わかりました」
アルムの表情は師匠の言葉にピンと来ていないようだった。
今伝えなければいけない事を伝えるべく、師匠は続ける。
「いいかいアルム。君はね、誰かに助けて貰ってもいいんだよ?」
「助けられてます。シスターに拾って貰った時からずっと、師匠にだって」
師匠はうんうんと頷く。
「ああ、それでももっと、助けて貰っていいんだよ。君は、誰かに頼っていいんだ。誰かに助けてと訴えてもいいんだよ」
「もう俺は恵まれてるから……シスターに拾って救われた日にも、あの日師匠に救われた時も」
アルムは俯いた。
自分はすでに恵まれている。今年七歳になろうという少年は本当にそう思っていた。
捨てられても救われて、夢を諦めた所を救われて。
これ以上の幸福は自分には身に余るのではないのかと。
「それでもだ。人はね、いつだって助けてと言っていいんだ。人はそうやって生きていくものなのだと私は知っている。だから怪我をしたら痛いと言っていいんだ。助けてと言っていいんだよ。一人で抱え込むだけではいつか、壊れてしまうんだ。壊されてしまうんだ。だからそうならない為に、人は助けてと誰かの力を借りて生きていくんだ」
「でも……」
「勿論、助けてと叫ぶだけでは誰も助けてはくれない。そこは、助けてと叫ぶ人の在り方が答えをくれる。けれど君が君の憧れを目指していればきっと、私のように君を助ける誰かが出てきてくれる……かもしれないね」
自信無さげにそう言うと、師匠は抱きしめていたアルムの肩を掴んで胸から離し、目を合わせるようにした。
魔法についてを教える時のような真剣な瞳。けれど、その瞳は優しかった。
「わからなくてもいい。納得しなくてもいい。けれど、今言った私の言葉を……覚えていてくれたまえ」
「……はい。でも……」
アルムが頷くと、師匠は微笑んでアルムの肩から手を離す。
「さあ、わかった所で続きといこうか」
「は、はい!」
師匠が手を離すと、アルムは白く輝く花畑の中央へと駆けていく。
中央まで走ると、アルムは座る。
師匠も定位置に戻るように、いつもいる場所の木に寄りかかった。
「私の教えた技術は魔力が無くては話にならない。慌てるなアルム。君は少しずつ、ほんの少しずつだが……ちゃんと進んでいるよ」
師匠が言うと、師匠はアルムが少し笑ったのに気付く。
「どうしたね?」
「いや、今日の師匠……何か優しいなって思っただけです」
「これはこれはおかしな事を言う。私はいつも優しいさ」
「確かに!」
師匠はフードを深く被って。
「……優しい、を出来ているんだね。私は」
その呟きの意味はアルムにはわからなかった。
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