329.正しかった
「ヴァン殿。心配そうですね」
ファニアに言われて、ヴァンは振り返る。
ヴァンは端から見れば窓の外に見える町を睨むように見ているように見えるが……実際は窓に映る自分自身を睨んでいた。
「……わかるか」
「ええ、怒っているようにしか見えませんが」
ファニアからの声掛けは、その表情で生徒の前に出るなという忠告であろう。
引率の人間がこれでは生徒を怯えさせてしまう。
皆が皆、アルム達のように脅威に立ち向かえる人物ではない。現に、生徒の一部からはマナリルに帰国すべきだという提案も来ている。
国境近くの町のコルトスが占拠されているという情報を聞いた時、その生徒は真っ青になっていたが。
意見だけならばファニアも同じなのだが、流石に国境付近の占拠されているとなると話が変わる。
ベラルタ側の方針は明日、マナリル国王であるカルセシスに連絡をとってから決める事となるだろう。すぐにでも連絡したい状況だが、ここで通信用魔石を使って敵に情報を流した可能性だの、あらぬ疑いをかけられるのは得策ではない。あくまで許可を取った状況で使わなければいけない。
「利益も無くガザスの防衛に参加した誇りある魔法使いの顔には見えません」
「遠回しに馬鹿にしてるな?」
「ええ、あのヴァン・アルベールがまさかという気持ちです。若いのにあてられましたか?」
「……」
「私達の役目は留学メンバーを守る事……それはお忘れなく。あなたの行動はマナリルの魔法使いとしては些か間違っているように見受けられる」
辛辣にも聞こえるファニアの忠告。
しかし、ヴァンは特に表情を変える様子もない。
「いいかファニア。俺は間違った事なんてしちゃいない。ただ思い出しただけだ、初心ってやつをな」
「それを――」
「聞くがお前……あいつらを間違っているとでも言う気か?」
ファニアは黙る。
間違っているなどとは口が裂けても言えない。それは命懸けで戦った者達への侮辱。
今日戦った生徒達は魔法使いの理想。弱い者を助ける超越者の姿。
だが、理想は理想なのだ。国という枠にいるのなら、魔法使いは国の為にその命を懸けるべきだとファニアは思う。他国の為に命を懸けて、自分の国で救えたかもしれない誰かを救えないのは、無念ではないだろうか。
少なくとも、ファニア・アルキュロスという人間は無念に思うだろう。
ファニアという人間は自国の民を守りたくて、この道を進んだのだから。
「お前は正しい」
ヴァンの言葉にファニアは目を丸くし。
「でも、あいつらも正しい。俺も正しい、今日、間違ってるやつなんていなかった。あの化け物からびびって逃げるやつも、あの化け物に立ち向かったやつだって間違っちゃいなかった。あの化け物達と遭遇するってのはそういう事なんだよファニア」
有無を言わせないようにヴァンは断言する。
ファニアもそう言い切ったヴァンにそれ以上何かを言う気は無いようで、静かに腕を組んでいた。
ヴァンがそう断言できるのは魔法生命と対峙した事があるからに他ならない。
「正しいってのはきっと一つじゃないんだ。何が大切かで、正しいは変わるんだよ」
「まるで教師みたいな事を言うのですね」
「…………教師だ」
一応な、とヴァンは付け足した。
「ありがとうグレース・エルトロイ。何とお礼を言ったらいいか」
「やめてください。別に、普通の事をしただけです」
シャファク城の旧居館――とある一室でルクスはグレースに頭を下げていた。
頭を下げられたグレースはどうしたらいいのかわからないといった様子で顔を背けている。
確かに、何も知らないマナリルの貴族達が見れば何が起こっているのかという光景だ。オルリック家がエルトロイ家などという下級貴族に頭を下げているのだから。
「あらあら、この私には感謝の言葉はありませんの? ルクス・オルリック?」
そこに口を挟むのは体中に包帯を巻かれ、骨折した腕を固定する布を首から掛けているサンベリーナだった。
ひどい怪我を負っているものの、その姿は普段と変わらず堂々としている。
「勿論だ、サンベリーナ殿。君にも礼を言いたい」
「というか、あなた目覚ますの早すぎなのよ……フラフィネさんはまだ目を覚まさないっていうのに」
サンベリーナの隣のベッドでは治療を終えてすやすやと眠っているフラフィネがいた。
左腕の骨は砕かれ、肋骨や内臓も傷ついたサンベリーナのほうがどう考えても重症なのだが、先程サンベリーナは昼寝を終えた後のように目を覚ましていた。サンベリーナを担当していた治癒魔導士もドン引きしていたくらいである。
「私はそこらの人達と違って人一番健康で頑丈ですの。なにせ毎朝欠かさずヨーグルトとバナナ、そしてサラダを食べていますから」
関係あるのかしら、とツッコみかけるグレースだが、あまりに堂々と誇らしく朝ごはんを自慢するサンベリーナの姿にその気も失せる。ルクスはサンベリーナが元気そうなのが喜ばしいのか、ただ笑っていた。
「でもバナナはマナリルのほうが美味しいんですのよね……あ、ですけどヨーグルトはこちらのも中々のもので――」
と語り始めたサンベリーナの朝ご飯情報はさておき。
「じゃああそこにいたのは偶然だったのか」
「はい、昼前に運動をという事でサンベリーナ様に――」
「様はおやめなさいと言ったでしょう。グレースさん」
「……サンベリーナさんに乗馬に付き合わされた後にランチしようという事であそこに」
うんうん、呼び方を訂正された事に満足そうに頷くサンベリーナ。対して、調子が狂うのか言いにくそうなグレース。
何で私の周りってこう距離の近付き方が急な子が集まるのかしら、とは後にうっかり零してしまう愚痴である。
「君達は大丈夫だったのかい? 毒は第三区画と第四区画に撒かれたらしいけど」
「私は水を持参していましたから。ただサンベリーナさんは確か水を貰って飲んでいたはずで……」
「え!?」
眼鏡の位置を直しながらちらっとサンベリーナを見るグレース。ルクスもつい、サンベリーナの方に目をやった。
「全然平気ですけれど?」
そこには毒に苛まれる様子など全く無いサンベリーナがいるだけだったが。
「あ、ああ……平気ならいいんだ……まぁ、人によって差があるという話は聞いてるからサンベリーナ殿は平気だったんだろう」
「仕方ありませんわ。私ほどにもなると毒から頭を下げてくるのでしょうね、私がいなくなるなんてこの世界の損失ですから」
「ええと……」
「午前中付き合ってわかったんですけど、あの人自己肯定感の塊なので慣れてください。ただ周りを見下したりはしないですし、気遣いしてくれたりといい人ではあるので……」
言い淀むルクスに耳打ちしてフォローを入れるグレース。ルクスはつい苦笑いを浮かべてしまった。
だが、あの怪我でもポジティブな思考を貫ける精神は尊敬に値する。今も治癒魔法で治り切っていない箇所は痛むはずなのだ。
「というよりも、あなたこんな所にいていいんですの? エルミラさんのお見舞いに行っては?」
「うん、これから行くよ。エルミラはまだ目を覚ましてないだろうし、まずはエルミラを助けてくれた事にお礼を言いに来ただけさ」
ルクスは改めて、この場にいる人間全てに頭を下げる。当然、眠っているフラフィネにも向けて。
「本当にありがとう。エルミラの所に駆け付けてくれたのが君達である事に感謝する」
「お礼を言うのは私のほうですわ」
ルクスが頭を上げると、サンベリーナは清々しい表情を浮かべていた。
昨日までの自信に満ちた顔にさらに磨きがかかったかのような。
「エルミラさんの行動は素晴らしかった。様子を見るべきだと判断した私に見せたあの背中に、私は触発されてしまったんですもの。結果、私はこんな負わなくてもいい怪我を負ってしまったわけですが……それでも、この怪我を誇りあるものだと思えるのです。友人を巻き込んだのは少し、後悔していますが」
サンベリーナの視線は隣のベッドで眠るフラフィネに。
堂々と振舞ってはいたようだが、フラフィネがまだ起きない事に対しては思う所があるようだ。
それでも、サンベリーナは自分の行動を正しかったと誇っているのがわかる。
「あの方のお陰で、私は私の事をもっと好きになる事が出来ました。エルミラさんが起きたらどうか、ありがとうと伝えてくれます?」
「……ああ、伝えるよ。必ず」
サンベリーナからの伝言を胸にルクスが部屋を出ていこうとすると。
「お待ちになって」
「うん?」
その背中をサンベリーナが呼び止めた。
何かと思ってルクスは振り返る。
「やっぱり自分で伝えるのでいいですわ。何か、あなたに借りを作るのは癪ですし」
「あ、うん……わかったよ……」
嫌そうな顔でそう言ってきたサンベリーナに、ルクスはただ頷くしか無かった。
グレースが笑いを堪えていたのを見ながら、今度こそルクスはその部屋を後にした。
いつも読んでくださってありがとうございます。
昨日新たにレビューを頂きました!この場で改めてお礼させて頂きます。
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