328.セーバの後悔
「アルムが負けた……!?」
「うん、ひどい怪我だけど何とかー……今はミスティがついてる」
ベネッタから自分が意識を失った後の出来事を教えて貰い、アルムが負けた事に予想以上に驚いている自分がいる事にエルミラは気付く。
普通なら、おかしくはない。
アルムは平民。本来ならそこらの弱小貴族にすら負けてもおかしくない存在。
だが、アルムが普通じゃない事はわかっている。
アルムが【原初の巨神】を破壊したあの日の背中に憧れるくらいには。
「ミスティは?」
「わからない。ボクも魔力全部アルムくんの治癒につぎこんじゃってずっとここで寝てるからー……でも、怪我は無いよ」
「……そっか」
ベネッタがここで安心して寝てるという事はアルムは恐らく一命を取り留めている。
それなら一番心配なのはミスティだった。
アルムを一途に想っているあの少女の心労はいかばかりだろうか。
「ルクスは?」
「ルクスくんは無傷だって。流石だねー」
「そう、よかった……」
友人全員の安否を確かめ終えた所で、こんこん、とノックの音が鳴る。
「どうぞ」
エルミラは包帯だらけの自分の体を隠すようにブランケットを肩辺りまで引き寄せると、ノックに声で返事する。
ベネッタもエルミラと二人だけで油断していたのか、急いでエルミラと同じように自分の体を隠した。
「失礼します。……よかった、起きていたんですね」
入ってきたのはセーバだった。
表情は暗いが、二人が起きている事に安堵したようだ。
「セーバじゃない。無事だったのね、よかったわ」
「ええ……お陰様で……」
「それにしても乙女の寝床に用事だなんて……随分手が早いのね?」
「え!? いや! そんなやましい気持ちは微塵もありません!!」
「あはは、冗談よ」
エルミラにからかわれながら、セーバは並ぶ二つのベットの傍らまで歩み寄る。
ベネッタは体どころか、顔の辺りまでブランケットを持ってきて顔を隠していた。
「ベネッタが心配で来たの?」
「お二人がですよ。俺は……お二人に助けられましたから」
「助けてないわよ」
「いえ……助けられました」
「そんな顔して言われてもね」
エルミラに言われ、セーバは自分の顔に触れる。
ベッドにいる二人と違って、自分は無傷。
怪我をするのが、自己犠牲が決して正解とは思わない。
けれど、なんだ。
この、自分だけここに一緒にいないような情けなさは。
「ま、いいわ。それで、何か用?」
「ただの、お見舞いです。まだガザスも方針を決めかねているようで……今ヴァン様とファニア様、それにルクスさんがラーニャ女王陛下と協議している所で伝えられる事が無くて」
「そ。でもお見舞いに来てくれるだけで嬉しいわ」
「それと、食事が必要かを聞こうかと……お昼から何も食べていない事は知っていますので、もし食欲があるようでしたらスープなどを持ってこさせます」
「私はいいわ。流石に今は食欲無いもの。ベネッタはいるでしょ? 私やアルムに治癒魔法かけてお腹ペコペコじゃない?」
エルミラが隣のベッドのベネッタに振ると。
「…………いらない」
ただ短く、そう返して来た。
エルミラは怪訝そうな顔でセーバと顔を見合わせる。
さっきまで普通に話していたというのに態度が急変している。
あんた何かした? というエルミラの視線に、セーバは手をぶんぶんと横に振った。
むしろ……何もしなかった事に対して自分は申し訳なく思っているのにと。
「遠慮しなくていいのよ。セーバが持ってこさせるって言ってるんだから持ってこさせればいいのよ。魔力切れしてるんだし、ちゃんと回復させなさいな」
「…………今はいい。お腹空いてな――」
きゅるるる。
とベネッタの口よりも正直に鳴るお腹。
ベネッタは自分の顔を全て覆うようにブランケットを頭辺りまで引き上げる。
顔が隠れる前に、赤くなった耳がちらりと見えた。
「……何か食べたくない理由でもあるんですか?」
セーバはベネッタのベッドまで歩み寄る。
「……来ちゃ駄目!」
「え……」
セーバの足が止まる。エルミラも驚いたように目を見開いていた。
ベネッタの拒絶にショックを受けながらもセーバは当然かとうなだれる。
自分がどれだけ情けない男かなんて自分がよくわかっていた。
自分は住民を避難させたんじゃない。避難させるという大義名分に逃げたのだ。
あれは決して、シャファクの住民を思っての行動では無かった。
エルミラのように住民の為に立ち向かったわけでも、ベネッタのように住民の為に決断したわけでもない。
ただ、そうすれば……あの怪物との戦いから逃げられるから選んだのだ。
そんな事は恐怖で怯えていた自分を見たこの二人からすればお見通しなのだろう。
「そう、ですか……」
セーバは足を退こうとすると。
「……から」
か細い、とてもか細い声がブランケット越しに聞こえてきた。
「なん……ですか?」
セーバが問い返すと、また聞こえてくる。
今度こそ耳にしたそのベネッタの言葉は信じられないものだった。
「……ボク、吐いちゃったから」
「――え?」
鈍器で殴られたかのような衝撃。
今、この少女は何て?
確かに見てしまった。この少女が戦いの最中、痛みにのたうちながら戻していたのを。
それが一体?
「あの時……吐いちゃったから……汚い、女の子だって、思ってる……でしょう……? だから、来たら、その……ボク、みっともない……」
「――――」
セーバの頭に鈍器で殴られたような衝撃が襲う。
自分の情けなさで拒絶されたと思えば、ベネッタから語られたのはそんな有り得ない理由だった。
何だ、それは。
何だそれは。何だそれは……何だそれは――!!
「何言ってるんだ……! 思うわけない……! そんな事……思うわけないだろう!!」
怒りにも似た感情でセーバはベネッタのベッドへと歩みを進める。
その表情は泣きそうでありながら、自分の意見を言うまで一歩も退かない意思を感じさせた。
「嘘――」
「嘘じゃない!!」
セーバはブランケットを押さえてるベネッタの手を無理矢理取った。
顔まで被っていたブランケットは胸元まで下がり、隠れていたベネッタの目とセーバの目が合う。
「君が一番優しくて、勇気があって……かっこよかった! かっこよかったじゃないか!! そんな事思うはずが無い!!」
「あ……」
「何度だって言う! 君はかっこよかった! 女神のように、素敵だった! 俺が出会った女性で一番! これだけは譲れない! 譲ってやるもんか!!」
失礼だと殴られてもいい。この子が望むなら、ベッドにいる淑女を襲ったという不名誉な罪にすら問われよう。
けれど、これだけは伝えなくてはいけないと心が叫ぶ。
君が一番優しかった。その明るい声で住民達を勇気づける君が。
君が一番勇気があった。恐怖と怒りを呑み込んで立ち向かう君が。
君が一番かっこよかった。殺される間際まで、逃げろと誰かに言える君が。
俺の目に映る君がどれだけ大きかったかを――!
「……」
「……」
捲し立てるような勢いだけで綴られたセーバの言葉。
二人は少しの間見つめ合い、
「………ありが、とうございます……」
「あ、ご、ごめんなさい! し、失礼を!!」
ベネッタが目を逸らしながらお礼を言った所で、セーバはベネッタの手を離した。
敵に立ち向かってきた時の勇姿と、今普通の女の子のように頬を染めて恥ずかしそうに目を伏せるその姿。その二つの顔が同居するベネッタという少女に今度こそセーバは惹かれていた。
ベネッタは今度は先程とは別の理由で……ブランケットを顔の辺りまでたぐりよせて隠す。
「そっかー……私はかっこよくなかったか……」
「え!?」
隠れてしまったベネッタを見つめていたセーバは振り返らざるを得ない。
二人の間に流れ始めた気まずそうな空気を緩和させる為か、わざとらしい大きなため息をエルミラはついていた。
「そ、そういうわけでは!」
「頑張ったと思ったんだけどなぁ……そっか、私には二番、いや、もっと下か……」
「そういう意味で言ったわけでは、その……! エルミラさんもとても――」
「はいはい、冗談よ冗談」
「じょ、冗談……冗談でしたか……」
エルミラが悪戯っぽい笑みを見せた事でセーバはホッとする。
そう、エルミラがかっこよくなかったなんて事は決して無い。
むしろ――
「あの……一つお聞きしてもいいですか?」
「ん?」
だから、聞きたかった。
「何故……あの時、あんな風に立ち向かえたのですか? あなた達には、その、戦う理由は無かったのに」
エルミラという少女もベネッタという少女も、言ってしまえばあれに立ち向かう理由は無い。この二人はマナリルの貴族であり、ベラルタ魔法学院の生徒。
ガザスとマナリルが友好関係を築いているとはいえ、他国を命懸けで守る理由など一つもない。
だから、理由を聞きたかった。
命の悉くを蹂躙せんという魔力と涙と叫びを引き出す恐怖の中、最初に立ち向かったあなたに。
何故立ち向かえたのか。普通に逃げずに、立ち向かおうと思ったのかを。
「食べてないから」
「え?」
セーバにとっては意を決した質問だったのだが、エルミラはあっけらかんと答える。
しかし、その意味がよくわからなかった。セーバが聞き返そうとする前にエルミラは続ける。
「あんたが言ってたオススメのパンケーキ……食べてないもの。作る人が死んじゃったら食べれないじゃない? だから、私が守らないとね」
当たり前のようにエルミラは微笑む。
「そう、ですか……」
対して、当たり障りのない返事しかセーバは返せなかった。
「スープを、持ってこさせます。一応、ベネッタさんが食べていたら食欲も湧くかもしれませんので二人分運ばせます」
「うん、ありがと。頼むわね」
「ゆっくり、休んでください。またお見舞いにきますね」
矢継ぎ早に伝えるべき事だけを伝え終わると、セーバは急いで部屋を出る。
いや、出てきてしまった。
耐えられなかった。見せられなかった。
セーバは早足で部屋から離れる。自分は今どんな顔をしているだろう。
「……っ!」
蝋燭だけが照らす薄暗い廊下に出る。外には衛兵が大勢いるが、廊下に人の気配は今は無い。落ち着いて傷を癒せるようにという配慮だろう。旧居館全体はエリンの結界に覆われていて、会話が漏れる事は無い。
改めて、二人の少女の言葉に触れた。
あの二人は決して、自分の事を情けない男だなんて思っていない。
そんな事、思う人達じゃないと知って余計に苦しくなる。
最後のエルミラの答えで、より情けなさが浮き彫りになったようで。
自分という存在の情けなさを思い知ったようで。
「あ……っ!」
エルミラさんと別れた時に、自分はほっとしていた。
ベネッタさんと別れた時に、自分は助かったと思っていた。
自分はガザスの貴族なのに、戦わない事に安堵していた。
「う……!」
逃げるという事しか頭に浮かばなかった。
だってそうだろう。あんな怪物。あんな化け物。立ち向かうと思う方がどうかしている。
仕方ない。
自分の選択は仕方ない。勝てるはずがないんだから。
勝てないんだから。だって、勝てないんだから――向かっていっても仕方ない。
そんな自分を正当化する声が、なんて小さい。
「――いや」
"私が時間を稼ぐわ"
「あ……」
頭に焼き付くように再生される。
迷うことなく立ち向かう事を選んだ声が大きく。
「あ……ああ……!」
"セーバさん逃げて! 一人でも多く避難させて"
「あ……うあ……!」
光景が頭の中で反芻する。
無辜の民を守ろうとする意志が輝いていて。
「っふ……! っ……!」
……勝てるから、立ち向かうのか?
あの二人は――勝てるから立ち向かったのか?
思い出すは覚悟を秘めた紅石の瞳。
思い出すは慈愛を湛えた翡翠の瞳。
その二つの瞳には決して、勝利の確信など無かった。
自分がやらなければ。
自分だからやらなければと……あれに立ち向かったんじゃないのか?
パンケーキを安心して食べられるような普通を守る為に。
友人との休息日を楽しめるような日常を守る為に。
そこに暮らし、日常を作り上げる人々を守る為に。
それが……それが、彼女達の在り方だったから――!
「ぐっ……! うぐっ……!」
目から流れる止まらない涙。
自身の情けなさを恥じてつい壁に手を叩きつけてしまう。
あまりにも自分が情けなさすぎて、廊下を照らす蝋燭の揺らめきにすら苛立ちを感じた。
……そうだ、あそこで立ち向かわなければいけなかったのは自分だったと誰よりも知っている。
ボロボロと廊下に落ちる涙を拭うことすらせず、セーバは自身の着ている制服を乱暴に掴んだ。
この制服は何だ。
タトリズ魔法学院の制服だ。
これはなんだ?
何の証だ?
お前は何故、これを着ている?
お前は何で、これを着ようと思った――!?
「う……あ……! ああ……!」
二人との関係のスタートラインに立てたと、ほんの一瞬でも思い上がっていた自分を恥じる。
隣に立つどころか、自分は立ちあがれてすらいない。
何が、普通。
何が、対等。
思い上がるな。自惚れるな。
あの二人は自分の遥か先を堂々と歩いている。
「う……ぐっ……! あ……あああああ!!」
初めて――見たのかもしれない。
あれが、あれが……俺達が目指すべき存在なんだ……!
「うあ……! ああ……! っあああああああああああああああ!!」
あれが……あれが――"魔法使い"なんだ――!!
「っああああああああああ!!」
結界によって漏れぬ慟哭が廊下に響く。
廊下にいるのは自分の行動に後悔し、涙を流す少年。
蝋燭の火が映し出すのはそんな、一歩を踏み出す前の普通の人間だった。