326.■■■18
「が、はっ……!」
喉までせり上がってくる赤い液体。アルムの口から次々と血が漏れ出る。
空から落ちる赤い雫はアルムの命を刻々と減らす砂時計のようだった。
「いやああああああああああ!! アルム!!」
この世の終わりが如き少女の絶叫。
だが、それは決して大袈裟などでは無い。
ミスティという少女にとって彼の死は大きすぎる喪失。残酷過ぎる光景だった。
世界の片割れや安寧の崩壊に等しく、友の死であり――想い人の死。
(ミス……ティ……!!)
ミスティの絶叫で飛びかけていた意識をアルムは手繰り寄せる。
まだ、やれる事がある――!
「なに!?」
「があああああ!!」
アルムは力を振り絞り、大嶽丸が握る手の上から小通連の柄を掴む。
そして鏡の剣を大嶽丸の首から引き抜くと、大嶽丸の腕目掛けて振り下ろした。
鏡の剣はアルムを大嶽丸の腕に振り下ろされ、大嶽丸の腕の外皮は引き裂かれる。
「ちっ! どちらが怪物かわからぬな――!」
もう一度、アルムは口から血を吐きながら鏡の剣を振り上げる。
このままでは腕が斬り落とされる――!
そう判断した大嶽丸は小通連を握る手を弱めて引き抜いた。小通連の柄はアルムの血に塗れており、たとえアルムに掴まれていようとも引き抜くのは容易である。
同時に、胸に突き刺さる小通連と大嶽丸の力で支えられていたアルムの体は空にいる権利を失い、そのまま落下していった。
しかし、それこそが大嶽丸の初めての愚策。
アルムの狙いは大嶽丸の腕ではない。
武器が変。
そう言い残した友人の助言が、アルムに狙いを定めさせる――!
「はあああああああ!!」
ガギン! と空に響き渡る鈍い音。
鏡の剣が捉えたのはアルムの手と突き刺さっている胸で固定された小通連の刀身。
大嶽丸が驚愕した刃毀れはすでに鏡の剣が小通連の"現実への影響力"を上回っている証明。
アルムは迷いなく、この一撃が大嶽丸を挫く最初の一撃になると確信を持ちながらその刀身を叩き折る――!
「こやつ――!?」
「ごぽ……っ」
小通連の刀身を砕いた力は当然、小通連が突き刺さっているアルムの胸にも訪れた。
胸の中の、致命的な部分を引っ掻き回された激痛が走り、アルムは意識を今度こそ手放す。
カタチが崩れていく小通連とともに、アルムの意識は途絶え――そのまま地上へと落ちていく。
「最後の最後で、気付いたのか――!」
落下していくアルムを見つめる大嶽丸の目には憎しみと賞賛が同居している。
ただ者ではないと思っていたが、死ぬ時すらただで逝かないとは敵ながら褒めるしかない。
小通連。自身の守護刀の無くなった手を大嶽丸は力強く握った。
「ヴァン先生!! アルムを!!」
「任せろ!!」
ルクスが指示するまでもなく、ヴァンは落ちてきたアルムの体を血統魔法の風で優しく攫う。
ヴァンは自分の体も風で浮かせると、そのまま全速力でシャファク城へと飛んでいった。
大嶽丸の追跡など考慮していない、ただアルムを助ける為だけの行動。
だが、そうしなければ間に合わない。アルムの傷を作り、塞いでいた小通連は破壊された。
制服に広がっていく赤い血は誰が見ても事態の深刻さを伝えている。
「ミスティ殿! ここは……!」
「嫌……! 嫌です……! アルム……! また私、一人に……!」
一目で、ミスティが戦える雰囲気ではない事がルクスにはわかった。
顔色は真っ青でその宝石の瞳からは涙が止まらず、アルムを失う恐怖でかちかちと歯を鳴らしている。自分を守るように震える体を抱くその姿に戦えと言えるはずもない。
恐らくは初めて見る、人間が本当に絶望した姿。
ルクスの声は間違いなくその耳に届いていない。
「ぐ……ヴァルフト!! ヴァルフトー!! まだ戦えるか!!」
自分では平静を保てているつもりのルクスでさえ、その形相は美少年の姿からかけ離れていた。
顏は憤怒で歪み、殺気で血走った目にはスマートさの欠片も無い。時折学院で見かける雰囲気の一切が無いルクスにヴァルフトは少しだけ怯んだ。
だが、ここに戦えるのはルクスと自分だけ。残った自分達が今何をするべきなのかは、誰でもわかる。
「仇討ちというわけか?」
途絶えぬ戦意に大嶽丸も気付いた。
エルミラの時のように空から術を降らせる予定だったが、アルムを殺した今その必要は無い。
アルムと同じ纏う空気の違う者――ルクスの器を確かめるべく、大嶽丸は空から地上に降下する。
「た、たりめえだ! 誰に言ってやがる!」
「アルムにしたように僕をサポートしろ! 僕は空を飛べない! 奴が空に行ったら君が――」
大嶽丸と戦うべく迎撃の相談をするルクス。
しかしその横で――
「――【白姫降臨】」
時間を止める声がした。
「――え?」
正気に戻されたかのように、ルクスの表情から怒気が消えていた。
頭に昇った血は急速に冷えていく。
そうさせたのは隣でうずくまるミスティの声。
今唱えたのはカエシウス家の血統魔法。それはわかる。だが、その前に唱えるべき文言がルクスには聞こえなかった。
"放出領域固定"。
世界改変魔法を制御する為、もしくは強大過ぎる"現実への影響力"を抑える為の文言。
さっきは唱えていたその文言がルクスの耳には届いていなかった。
自分の耳がその声を捉えられなかったのか?
いや、そんなわけがない。
何故なら……座り込む彼女の口から聞こえた重なる声。その悲哀に満ちた旋律ははっきりと聞こえてきている。
「ミス――」
春の気温がこの場から消え、ルクスは自分の息が白くなった事に気付く。
もはや誰かを気に掛ける時間などここには残されていない。
冷気はミスティに集まり、極小の吹雪がミスティの周囲に吹き荒れ始める。
当然の如く舞い散るは季節外れの氷と雪。
気温はどんどんと下がり、ミスティの足下からは徐々に氷が広がっていく……それは永遠に広がる波紋のよう。
本能が逃げろと叫ぶ。理性もまた逃げろと叫ぶ。
唱えられたのは千年の"現実への影響力"を積み重ねた世界改変魔法。
そして目の前にいるのは――その血統魔法の全てを引き出せてしまう、選ばれた少女なのだから。
「『雷鳴一夜』!」
ルクスは即座に最も信頼する強化の魔法を唱える。
無論、大嶽丸と戦う為などではない。全てはミスティから逃げる為――!
「逃げろ! 逃げろヴァルフトー!!」
「あ!? お、おい!」
「カエシウスの血統魔法だ! ミスティ殿に殺されたいか!! 死にたくなかったら逃げろ!! 逃げろー!!」
ヴァルフトに喉が裂ける勢い忠告しながらルクスは全速力で撤退を試みる。
その切迫した声にヴァルフトもまたその場から離脱した。
「【雷光の巨人】……!」
肩越しにルクスは後ろに残した自身の血統魔法を見た。
雷の巨人は瞬く間に凍り、その"現実への影響力"は停止する。
ミスティが血統魔法を制御できていないのだとすれば、ここにいれば命は無い。
アルムをあんな目に合わせた大嶽丸に一矢入れたい気持ちはある。ミスティをあの場に残す選択を心苦しくも思っている。
だが、今のルクスにはこうする事しかできなかった。
「この魔法の規模……あの女がグレイシャの妹――かえしうすか」
地上に降りた大嶽丸は白い息を漏らしながら、その光景と使い手であるミスティを興味深そうに見つめる。
自分以外の全てが凍っていた。
建物も街路樹も、石畳も、周囲の光景全ては氷の中で止まっている。
凍っていないのは大嶽丸と使い手のミスティだけ。
大嶽丸という魔法生命が人間にとっての地獄なら、この魔法もまた地獄。
共に文明を蹂躙する災害。およそ、生命が活動できる景色では無かった。
「さて……流石にこれを放置というわけにもいくまい」
大嶽丸は大通連を握る手を強め、座り込むミスティへと歩を進める。
ミスティは顔を俯かせ、周囲に吹き荒れる極小の吹雪はミスティを守っているようだった。
ミスティまで後数歩という所にまで近付くと。
『――退くがよい。悪鬼』
「!!」
ミスティはゆっくりと立ち上がった。だが、その声は明らかにこの少女のものでは無い。
威厳に満ちながらも玲瓏たる声。佇まいは少女とは思えぬ風格を漂わせていた。
瞳は青い光で輝いており、その瞳に鋭く睨まれた生き物が凍るほどに冷たい。まともな生命がこの場に立てば、一挙一動、呼気の一つでその命を凍らせてしまうかのような。
アルムやルクスのような強者が纏う空気とはまた別。自分達のように一線を超越した空気を大嶽丸は肌に感じ取る。
『我はこの娘を気に入っている。このような解放は悪くないが、望んでいるわけではない。今退けば共に損をする事は無かろう。疾く下がれ』
普通ならば、その不遜な態度と命令に従う理由など無い。
しかし、少女の体の中にいる何かは間違いなく普通ではなかった。
ここでその力を試してもいいが、この周囲全てを凍らせるような力が王都シャファク全土に広がった時――人間は全て死んでしまう可能性が高い。
それは大嶽丸としても避けたい事態。元より大嶽丸が標的としていたのは第三区画の人間とラーニャ達のみ。他の区画の人間は残す予定だった。
鬼胎属性は人の恐怖を糧にする。霊脈に接続していない大嶽丸が生前にまで力を回復させるのはまだ人の恐怖が必要。
――ここでの崩壊は望んでいない。
『それとも……我の忠告を無視してここで互いに命を削るか? ならばこの場所にいる人間は全て死に絶えよう。そして……ふふふ。そなたを守護しているその武器も諦めるがいい。この娘が死ぬまでに二本は破壊させてもらおう』
ハッタリではないと。
確かに、少女の中にいる何かにはそう出来る力がある。
「まだ人間は残さねばならぬ。それにお主とやり合えば……確かに大通連は持っていかれそうだ。お主の言う通り、この場でお主と戦うのは余にとってあまりに不都合……かっかっか! 面白い事もあるものだ!」
まさか、人を喰らう鬼であるこの大嶽丸が人間を人質にとられるとは。
生前にかどわかされた事はあったが、人質を取られるのは初めての経験。
予想だにしなかったちぐはぐすぎる状況に大嶽丸はただ笑った。
「ふむ……確かに、余の目的はほぼ達している。お主の言う通りここは退こう」
『賢明だ。ここでぶつかった所でどちらにとっても利益は無いのでな』
「一つ興味本位だが……お主は何者だ?」
大嶽丸は再び空に浮く。
入ってくる時は人間を装っていたが、もうそんな必要は無い。
大嶽丸の問いに少女は笑みを浮かべた。
『……存在としては、そなたらに近いものがある』
「ほう?」
『まだこの世界で神が信じられていた時代に……人でありながら天上に手を伸ばし、世界を変えようとした古き王の遺産。人の世を泳ぐ生きた幻想。王の横に立つ天上に至る姫。それが我だ。夢のある話であろう? 叶う事は無かったがな』
「かっかっか! 人の身で神の座を目指すものを作り出そうとは、それは確かに夢のある話だな」
『ふふふ。どこにでもいるのだよ。……大層な夢を見てしまう大馬鹿者というのはな』
答えを聞いて満足したのか、大嶽丸は少女から王城に目を向ける。
「ここは退くが、余はまたこの王都を訪れる。そうさな、余の部下がここに撒いた毒が人間を蝕み終わったその時が……この国の終わりと知れ」
恐らくは、感知魔法で会話を盗聴しているであろうラーニャ達に向けての声。
そう言い残すと、大嶽丸は王都シャファクの空から悠々と去っていった。
『……だがな悪鬼よ、そのような大馬鹿者が時に常識を覆すのだ』
少女は一つ呟いて、手を胸に当てる。
『起きろミスティ。カエシウスの後継者。お前がうずくまってただ泣くだけならばお前はまた雪原を一人で歩く事になるぞ。共に歩くという事は、ただ想うだけの事ではないはずだ。しっかりと繋ぎ支えろ、お前が想う大馬鹿者の手を。お前には――我を操る使命があるのだから』
ここに大嶽丸の侵攻は終わりを告げる。
死亡者は門の警備にあたっていたウゴラス・トードルートを含めた十三名。
重傷者はエルミラ・ロードピス。サンベリーナ・ラヴァーフル。フラフィネ・クラフタ。ベネッタ・ニードロス。そしてアルムの五名。
水源に撒かれた毒により予断は許さないものの、王都シャファクの住人に一切の死傷者無し。
二時間にも満たない大嶽丸の侵攻はベラルタ魔法学院の生徒達の奮闘によって食い止められた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
悪鬼侵略編はここまでとなります。第五部もいよいよという所まできました。
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書籍も発売しておりますので、そちらも是非!
明日は幕間の更新となります。