325.■■■17
「余が壊し! お主が守る! 何ともわかりやすい図式だ!」
「壊そうとしなければ守る必要も無いんだがな!」
何度目の打ち合いだっただろうか。
常人であれば気力を削り続けるような攻防の中、大嶽丸は高揚する。
鬼とは飢え渇く者、ゆえに奪う者。悦楽のままに他者を挫く悪逆の徒。
奪わなければ生きていけぬ精神性でありながら、強き相手にも高揚する。
人という鬼には理解できない不確定の価値を持つ種が見せる輝き。それにこそ大嶽丸は奪う価値を見出している。
金や財宝、そして大嶽丸が好むいい女と同等の価値を。
「かっかっか! 無理な話だ! 余という鬼は日の本を……一国を転覆させる悪鬼なれば!」
「ひの、もと……!?」
「よい! 忘れよ! 今はこの享楽に身を委ねなければ嘘というもの! このような高揚はいつぶりか! 女を抱いている時のようだ!」
アルムは二本の斬撃の合間を狙い、地面よ割れよという勢いで踏み込む。
振るわれた鏡の剣を大嶽丸は笑いながらもしなやかに受け流した。
恐らく、大嶽丸の武器は本来武器同士で撃ち合うものではないのだろう。その動きは滑らかで自然に見える。
足を狙った返しの一刀をアルムは半歩下がってかわした。
紙一重の回避が続く。
大嶽丸の操る二刀を潜り抜ける為には虚を突くか、反撃の一刀を恐れず立ち向かうしかない。
「ぐ……!」
体内を駆け続ける魔力がアルムの腕に更に負担をかける。
制服を染める血は赤く染まりながらも白く光っており、腕から放っている光も合わさって輝いていた。
これはアルムが操る他の魔法と同様に"現実への影響力"が上がっている証であり、崩壊へのカウントダウン。
アルムの使っている【一振りの鏡】は魔法の分類で当てはめるならば世界改変魔法に属される。
人間の自分という世界を魔法に変える荒業。
アルムは人間。魔法生命という魔法と生命が入り混じった理外の存在ではない。
自分を魔法に変えるという事は、人間をやめるという事。
つまり、【一振りの鏡】の"現実への影響力"を上げるという事は生命を拒絶するのと同義である。
「がっ……!」
だが、アルムは加減などしない。
絶えず魔力を"充填"し、"変換"し、"放出"し続ける。
その三工程を同時に行い続ける技術こそが、アルムという人間に許されたたった一つの魔法を支える根幹なのだから。
(届け――!)
痛む腕のまま、鏡の剣をアルムは振るう。
二つの顔は対極だった。
アルムは痛みによる歪みを、大嶽丸は心底からの喜びを。
「おかしいな。余の斬撃を躱していながらその痛ましい腕。実に可笑しい」
「今のうちに余裕かましとけ糞が……!」
痛みで額に汗が浮かぶ。周囲の音は聞こえない。
極限の集中が大嶽丸と体内を駆け巡る魔力の感覚だけを鋭敏に感じ取る。
もうすぐ。もうすぐ届く――!
「む――!?」
何十度目かの火花がこぼれたその時。
大嶽丸は異変に気付く。
「刃毀れ――!?」
白い輝きを放つ小通連の刀身。その輝きが傷によって鈍くなっている事に――!
「届、いたなぁ!!」
アルムは好機と見て踏み込む。
大嶽丸は咄嗟に刀でその一撃を受け流すが、それだけで小通連には傷が増えた。
確かに、普通の刀ならば確かにとっくに刀身が使い物にならなくなっているかもしれないが……小通連も大通連も魔法生命である大嶽丸の能力であり一部。
普通ならば、刃毀れなど起きるはずがない。
その刀が欠けるという事。それは目の前の男が使う魔法が、大嶽丸という魔法生命の領域に届いた事を示している。
「かっかっか! つくづく異質というわけか! この男は!」
これこそがミノタウロスをして天敵と言わしめた所以。
アルムという人間に許された最初で最後の道。
無属性魔法という曖昧な魔法と、常識外の魔力量がもたらすただ一代の奇跡。
アルムの魔法はついに、その"現実への影響力"を大嶽丸に届かせる――!
「勝機が見えたと思ったか? それはお主の勘違いというものだ!」
「!!」
大嶽丸は突如、衝突を避けてアルムから距離を取る。そしてそのまま、歩く事の延長であるかのように自然と空へと浮き上がっていった。
そう――エルミラにやった時と同じように。
「空に――!?」
「人間の命を奪う方法など余は幾百通りでも用意できる! お主の剣が届かぬ領域からその命を散らしてやろう! そのみすぼらしい剣だけで防げるか!? あの女のように!!」
「ぐ……!」
痛みとは別に、感情でアルムの顔が歪む。
アルムに空を飛行する魔法は使えない。精々が地上で使った魔法に乗って浮くだけで精一杯。それでは"現実への影響力"に多大な条件がある空には行く事はできない。
大嶽丸はどんどんと空へとあがっていく。それが鬼という生命の当然の能力であるように。
【一振りの剣】の"現実への影響力"が大嶽丸に追い付いた。だが、その力が核に届かなくては意味が無い。
何か手は!?
そう思考する前に。
「平民!」
「――!!」
二者の戦いを見続けていた、ヴァルフトの声がアルムに届いた。
「さて、空は飛べるのか? それともあの女のように全て防ぎきるのか?」
大嶽丸は王都シャファクの空に立つようにして見下ろしている。
アルムがこれから自分が出す黒雲を切り裂くくらいの芸当を期待しながら。
「【千夜翔ける猛禽】!」
「なに?」
しかし、大嶽丸の下から飛び上がってきたのはアルムではなく、先程一太刀で沈んだ白い巨鳥。
苛立つ大嶽丸の表情に影を落としながら、白い巨鳥は大嶽丸の頭上へと飛び上がった。
確かに空というのは鳥の領域。地上よりはその羽ばたきに意味もあるだろうが、それで大嶽丸の相手を出来るかは話が別。
白い巨鳥はその羽ばたきで大嶽丸の頭上から風の弾丸をぶつけ、自身も嘴と爪を光らせて大嶽丸へと突っ込んだ。
「……魔力の無駄だな」
大嶽丸は向かってきた白い巨鳥を大通連で縦に切り裂く。
無造作に見えた、しかし確かな威力を誇る一閃。
先程と変わらない結果が目の前では起こる。大通連の斬撃は白い巨鳥を両断し、ヴァルフトの血統魔法は緑色の魔力光を帯びた魔力へと変わっていった。
その光景を大嶽丸はつまらなそうに見つめる。
「なに!?」
霧散する緑色の魔力光の中から――アルムが飛び込んでくるまでは!!
「あれに乗って――!」
確かに、ヴァルフトの血統魔法では大嶽丸には歯が立たない。だが、大嶽丸が立つ領域に大嶽丸の敵を運ぶ事は出来る。
自信の血統魔法をただの移動手段にしか使えない屈辱を飲み込んで、ヴァルフトは大嶽丸の敵になり得るアルムの補助に回る選択をした。
「いけええ! 平民!!」
「はああああああああ!!」
アルムは白い巨鳥の背に乗って、再び大嶽丸と同じ領域に辿り着く。
単純でありながら、ヴァルフトが眼中が無かったからこそ出来たその策は大嶽丸の虚を突き――鏡の剣は魔法生命の外皮を破壊し、大嶽丸の首へと突き立てられ――!
「ぐ……ぬぁ……!」
鏡の剣が肉を貫く感触。首から噴き出る黒い血飛沫。
外皮を切り裂き、間違いなく核へと届いた一撃に大嶽丸も苦悶の声を上げた。
「……!?」
だが……その感触は異質だった。
外皮を裂き、首へと突き刺したまではよかった。だが何か、硬いものに阻まれている感覚が鏡の剣からアルムへと伝わってくる。
骨? いや、違う!
「見事だ。普通の魔法生命ならば、ここで終わりだったであろうな?」
血を垂らしながら口元を歪ませる大嶽丸。
今までで一番の喜びと邪悪が湛えられていた。
「お前――!」
大嶽丸は驚くアルムの制服の襟をつかみ、自分の方へと乱暴に引っ張る。
勢いのまま、大嶽丸とアルムの頭蓋は鈍い音を立ててぶつかり合った。
「が……!」
頭部に走る強い衝撃。ぐらつく視界の中、アルムは手に握る鏡の剣の力だけは緩めない。
何かに阻まれている感触を貫くべく、更に力を加える。
何故核を破壊できない!?
アルムはベネッタの声を思い出す。間違いなく核は首と言っていた。
いや、もう一つ――
「ま、さか……!」
まさか――自分はとんでもない勘違いをしているのか――!?
「本当に見事だったぞ、アルムとやら」
「あ……。ぁ……?」
思い出した時にはもう――遅かった。
賞賛の声と同時に、アルムの胸にそれは訪れる。
衝撃は一瞬。何をされたかがわからないほどだった。
アルムは頭突きによってゆらいだ視界を下に向ける。
見えるのは自分の胸元。そこには大嶽丸の刀……小通連の刃が深々と突き刺さっていた。
「っぐ……か……!」
その場の時間は止まる。
空という領域でアルムの胸が貫かれるその瞬間はミスティとルクス、ヴァンの三人だけでなく、感知魔法によって戦況を見ていたラーニャ達も目撃してしまう。
それはマナリルを襲う魔法生命を葬ってきた希望の失墜に等しく。
「ああ、ガザスへの侵攻を今日まで伸ばした甲斐があった。十分すぎる成果と言えよう」
邪悪な喜びに満ちた声。
アルムの口からは言葉ではなく赤い液体が漏れる。
「余の名は大嶽丸。神無きこの世界で最も神に近き者。天上の空席に手をかける弧峰なり。
礼を言おうアルム。余の存在とお主の死。恐怖と絶望は絡み合い――余はまた一つ天上へと近付ける」
「ごぶっ……!」
その光景を見た者達はようやく気付く。
アルムは魔法生命を倒す為の存在でも無ければ、常勝を約束する英傑などではなく。
夢に向かって愚直に歩き続けていただけの――ただの人間だったという事に。