324.■■日16
「これは……」
大嶽丸に突っ込んだ白い巨鳥には見覚えがある。
模擬戦で見たヴァルフト・ランドレイトの血統魔法。
アルムはつい背後を振り向いた。
「はっはー! ヒットだ!」
「ヴァルフト!」
アルムと大嶽丸がいる建物――すでに建物と呼べないほど倒壊しているが――の向かいの建物の屋根の上。
そこに白い巨鳥の使い手であるヴァルフトは立っていた。
「助太刀するぜ平民! 今のが今回の騒ぎの主犯だろ!?」
攻撃する前に確認すべき事ではあるもののヴァルフトの判断は正しい。
でなければ白い巨鳥は大嶽丸に当たるなどという事は無かっただろう。
白い巨鳥はその羽ばたきをもってアルムと大嶽丸がいた建物の壁を薙ぎ払う。
羽音とともに発生する風は刃となって大嶽丸を襲っていた。
ヴァルフトは屋根から飛び降り、軽い足取りでアルムの所まで走ってくる。
そしてアルムの背中をバンバンと叩いた。
「ほら感謝しな平民! このヴァルフト様によ!」
「いや、まだだ」
しかし、アルムは構えを解かない。
「何言ってんだ。俺様の血統魔法が直撃したんだ! もう――」
「つまらん」
それは命令の如く。
声とともに羽音は止まり、風は止んだ。
白い巨鳥の丁度真ん中辺りに、アルムは黒い刃の軌跡を見る。
まさに一閃。
ただ一撃で白い巨鳥は真っ二つとなり、白い巨鳥だった緑色の魔力がその場に散った。
眩い魔力光と砂埃の舞う瓦礫の中から大嶽丸は無傷のままその姿を現す。
「お……い……?」
アルムの背中を叩く手は止まり、ヴァルフトはただ絶句する。
何が起こったのかが理解できない。いや、したくない。
理解したくなくとも、目の前で何が起こったのかを理解してしまっていた。
今唱えたのは確かに、ランドレイト家の血統魔法だったはず。
それが……それが……あんな武器に一撃で――!?
「本当につまらん。輝きも無ければも芯も無い。鬼のように快楽を得るわけでもなければ人としての意思すら希薄。余の時代にいた絡繰り使いの絡繰りですらもう少し血の通う攻撃をしてきたぞ」
「なん、だ……それ……」
「貴様は鬼より空っぽだ。鬼は飢え渇くゆえに欲望を燃やし何かを求めるが……何も求めていない空虚は久しく見ぬ。あるのは形の外側にある虚飾だけか? それともその言動の裏に隠した臆病な性根か? 伽藍の中身で一端の英傑を気取るな劣等者。自覚の無い劣悪は善悪の両者から忌避される悪であるぞ」
大嶽丸は冷ややかな目のまま、血統魔法を切り伏せた大通連をその場で振った。
まるで汚らわしいものを斬った痕跡を消したいかのように。
大きく息を吐くその姿は文字通り、邪魔が入った事に対する苛立ちを表している。
睨む大嶽丸に、ヴァルフトは無意識に一歩後ずさってしまう。
それが大嶽丸がヴァルフトの価値を決めた決定的な瞬間だった。
「――塵芥より価値も無い」
踏み出す一歩はヴァルフトにも見えた。大嶽丸の姿も迫ってきている。
しかし反応が出来ない。
自分の血統魔法を一撃で破壊された光景で生まれた心の隙に鬼胎属性の魔力が入り込む。
ヴァルフトを襲っているのはまさに、恐怖で体が動かないというありふれた体験だった。
「ヴァルフト!」
ヴァルフトの前に飛び込む影。そして散る火花。
放心に近い状態のヴァルフトに呼び掛けながらアルムは大嶽丸の斬撃を鏡の剣で受け止める。
「こんなのも守らないといけないとは……大変だな、人間は」
「そう思ってるのはお前だけだ」
短い会話の中に、両者の間にある確かな溝を感じながらアルムは鏡の剣を振るう。
狙いは当然首。
大嶽丸は大通連を鏡の剣と自分の首の間に置いて、その斬撃を防ぐ。
鏡の剣と大通連がぶつかり合った金属音と同時に、大嶽丸のもう片方の手にある小通連がアルムの胴を薙ごうとする。
アルムは止められていた鏡の剣を即座に手さばきだけで向きを変え、逆手となった鏡の剣で小通連の斬撃を止めた。
「ぐ……!」
大嶽丸の斬撃は防いだ。しかし、アルムの右腕の皮膚が裂けて血が噴き出る。
アルムの制服は右袖は血で染まると同時に、白く輝き始めた。
「かっかっか! 光る血か。面妖だな」
「あったまってきただけだ」
同時に――二人はより激しく、苛烈に、鋭く互いに切り結ぶ。
相手の急所を狙い続ける白い軌跡と黒い軌跡。
ぶつかり合う衝撃と金属を打ち付けるような音が周囲に響いていた。
二人の攻防で瓦礫は崩れ、空気は揺れ、砂埃は散っていく。
大嶽丸が胴を薙ごうとすればアルムは防ぎ、アルムが首を突こうとすれば大嶽丸はかわす。
アルムはその合間に後ろで呆然としているヴァルフトを一瞬確認すると。
「あぁ――!!」
隙を突いて大嶽丸を蹴り飛ばす。大嶽丸は大通連の柄で咄嗟にその蹴りを受け止めながら後ろに跳んだ。
この攻撃がダメージになるとはアルムも思っていない。ただこの場から引き離したいがための蹴りだ。
それが、ヴァルフトにもわかってしまった。
「待てよ……おい……」
ヴァルフトが見ているのは少し離れた場所で刀と剣を切り結ぶアルムと大嶽丸。
その剣戟は魔力光と大嶽丸の武器の色が空に描く軌跡もあって美しい。
だが、ヴァルフトが気になったのはそんな所ではない。
自分の血統魔法を一撃で切り裂いた大嶽丸の斬撃を……アルムの魔法が受け止め、捌いている事実。
何度も。何度も。何度も何度も何度も何度も。
人体の急所を狙う大嶽丸の斬撃をアルムは捌き続ける。一撃一撃が必殺に等しいのは疑うべくもない。
「待てよ……お前……! お前……!」
ヴァルフトの目にはアルムが映っていた。
自分の血統魔法を切り伏せた相手と互角に戦うその背中。
一息の呼吸すら難しいであろう斬撃の雨の中、誰かを守る為に距離をとるその一瞬の判断。
噂は聞いていた。
ルクス・オルリックに勝ったという入学式、ミレルでの自立した魔法の事件から、グレイシャ・トランス・カエシウスと戦ったとされるスノラの事件。
耳に聞くだけで実際には知り得なかった……アルムという同年代の実力をヴァルフトはこの目で垣間見る。
唇が、喉がこれ以上動かない。
明確な疎外感。一番近くでこの戦いを見ているはずなのに、何か別の視線越しに見つめてしまっているかのような。
(お前……そんなに強かったのかよ……!)
絶望にも似た敗北だった。
ヴァルフトに身分による差別をしようという考えは無い。生まれた時から決まっているだけの立場で上に立っているだけの優越感など得たいとも思っていない。
それでも認めたくはなかった。平民と呼んでいた男は自分よりも遥か先にいるというその事実。
ただ見る事しか出来ないアルムと大嶽丸の戦いに、その場で自決したくなるほどの情けなさを実感する。
何が、助太刀。何が、感謝しろ。
目の前の光景がヴァルフトに、自分が双方の実力もわからずに飛び込んできた間抜けである事を認めさせてしまう。
自分は確かに、空っぽかもしれない。
だが、そんな何も無い間抜けにもやれる事はあると……ヴァルフトは歯を食いしばり、戦意だけは捨てなかった。
「はあああああああ!!」
アルムと大嶽丸の戦いの裏――建物を破壊しながら、雷の巨人が悪鬼を組み伏せる。
"現実への影響力"に差はあるものの、使い手であるルクスともう一人ヴァンの支援によって戦闘は優位に進んでいた。
(いける!!)
大百足の時のように使い手の介入が無い上に敵の形状が人体に近い。
これはルクスにとっても雷の巨人にとっても戦いやすい条件だった。
人型であり、同じ大きさの巨人であるがゆえに、悪鬼の行動は読みやすい。
ましてや使い手の意思が魔法に伝わっていないとあれば――!
「ただの人造人形と変わりない!」
言ってのける。言ってのけた。
普通の魔法使いならば蹂躙されるであろう悪鬼を前に、ルクスは確かな自信を得る。
そして理解する。
魔法生命の意思、そして宿主との一体化が魔法生命の"現実への影響力"にどれだけの影響を及ぼすのかを。
ルクスの言葉は決して虚勢などではなく、確信だった。
ミノタウロスに比べれば目の前の魔法生命はただのもどきであると――!
「『鳴神ノ爪』」
悪鬼の振るう刀をルクスの雷獣の爪が受け止める。
【雷光の巨人】は防御に使わない。この悪鬼を撃ち抜く矛とすべく、ルクスは生身で悪鬼の攻撃を請け負った。
「ぬ……ぐうううう!」
「ルクス!」
その膂力に石畳を削りながら後退するルクスの体。支えている腕の痛みなどどうでもいい。
そんなルクスの体をヴァンの血統魔法の風が即座に支えた。
「畳み掛けろ!!」
「ええ!」
"ゴオオオオオオオオオオ!!"
ルクスが悪鬼が振るう刀を受け止めているその間に、雷の巨人は剣を振るう。
びりびり、と周囲の空気が揺れるような一撃を悪鬼は手の平で受け止めようとするも受け止め切れない。
悪鬼の手はその一撃によって外皮が裂け、黒い靄が切断した場所から漏れ出るように噴き出した。
「いける!」
「その腕……貰うぞ」
ヴァンは腕を縦に振り抜く。
その意思に従う烈風は刃となり、悪鬼の腕に断頭台のように落とされる。
上から圧し掛かるヴァンの血統魔法によって悪鬼はその場で膝をついた。
「ぐ……流石に両断ってわけにはいかねえが……! あれに比べたらましだ!!」
悪鬼に痛覚は無いのか、痛みに歪む表情はない。こちらをただ獲物として見る目と、牙を見せる口元だけが歪んでいた。
しかし、その間にも風の刃は徐々に悪鬼の腕を裂きながらめり込んでいく。
悪鬼は腕など気にしないかのようにぶちぶち、と肉がちぎれる嫌な音を立てながら立ち上がった。
建物が障害物にすらならない争いの光景は魔法使い同士の闘争を越えている。
三つの魔法それぞれが一騎当千。"現実への影響力"の違いこそあれど、一人で戦局を変える切り札に相応しい。
「"放出領域固定"」
「!!」
そしてここにもう一つ、一騎当千の魔法が顕現する。
戦局を変える切り札とは、戦局を決定づけるものにもなり得るという事を示すが如く。
「【白姫降臨】」
その旋律は美しく――世界を変える調べだった。
突如、ルクス達の前に現れる氷の塊。その中には先程まで戦っていた悪鬼が氷漬けとなって埋まっている。
「流石です……!」
ルクスは自分が何をやるべきかを理解し、雷の巨人に命令を下す。
雷の巨人は拳を勢いよく振り被り、
"ゴオオオオオオオオオオオオオ!!"
全霊の力を込めて氷の塊に拳を打ち込む!
その拳は空気を焼く雷鳴の音と、稲妻を放ちながら氷を砕いて悪鬼の体を貫く。
悪鬼は断末魔すらあげる事無く、終わりを知らせたのは貫いた場所から血の代わりに噴き出る黒い靄とぼろぼろと崩れていく体。
雷の巨人は見事――凍った悪鬼を薄氷のように打ち砕いた。
「ルクスさん!」
「ミスティ殿! 助かりました!」
悪鬼を氷漬けにしたのは勿論、友人でもあるミスティ・トランス・カエシウス。
第一区画で乞われた通り、ミスティは第一区画から最短で騒ぎのある場所へと駆け付けていた。
何故か、その表情には安堵と不安が入り混じっており、何かを探すようにきょろきょろと忙しなく顔が動いている。
「アルムは……アルムはどこですか?」
「アルムは今本体と交戦してます! あちらに――」
あちらに、とルクスが先程アルムが戦っていた方向を指差したその時が丁度、大きく戦況が動いた瞬間だった。
ミスティとルクスが見たのは浮かび上がっていく大嶽丸ともう一つ。空を飛んだ大嶽丸を追いかける巨大な白い鳥だった。