322.■■日14
「アルムくん!!」
「下がれベネッタ! 避難を!」
「はい!」
アルムの姿を見てもたらされた安堵がベネッタにようやく撤退の選択肢をとらせる。
「アルムくん! 核は首! それと武器に気を付けて! 何か変ー!」
「わかった!」
最後に、血統魔法で得た情報だけを置いてベネッタは避難している住民を追いかけるべく走り出した。
ベネッタは先程まき散らした吐瀉物とは別に感じる微かな血の味に今更気付く。
それだけじゃない。
髪を掴まれていたからか頭皮の痛みが主張を始め、目尻には涙が滲み、額と背中には髪や服に張り付く冷たい汗。いつも魔法を使う時にはかかせない、腕の十字架と鎖の冷たさにも今更気付いた。
今になって気付いた自分の状態に、自分がどれだけ鬼胎属性の魔力に支配されていたかがわかる。
「かっかっか! 小賢しいな!」
逃げた獲物を見て、大嶽丸は薄ら笑う。
目の前に現れた不可解な存在は気になるが――獲物が目の前で逃げるのは気に食わない。
大嶽丸が逃げるベネッタの背中を一太刀で沈めるべく床を蹴ると。
「どこに行く気だ?」
「ぬ――!」
その狙いを挫くように、アルムが大嶽丸の先を回って移動を阻む。
予想を超えるスピードに大嶽丸の目が見開いた。だが、動揺には程遠い。
白い爪と二本の刀が火花を散らしながら交差する。
弾きあう刀と爪。
数瞬で肩から腹部にかけて両断せんとする袈裟斬り。そして鳩尾への突き。
大嶽丸が繰り出した二つの斬撃がアルムを襲うも、アルムは再びその爪で受け止めた。
岩に鋼を無理矢理打ち付けたような鈍い金属音が辺りに響く。
二人が立つ石畳は衝撃で砕かれ、砂利道と化す寸前だった。
(鋭い斬撃……! この爪で刃こぼれすらしないか……!)
すでにここに来るまでに『幻獣刻印』には相当な魔力をつぎ込んでいる。
それでも、大嶽丸の能力の一端であろうその武器の"現実への影響力"を砕けない。
「何だこやつは……?」
驚愕は別の形で大嶽丸にも訪れた。
自身の守護刀。三明の剣と呼ばれる二振りその一つ、小通連。
その能力は――手にする者に目の前で起こる"現実への影響力"の叡智を探し、授ける事。
エルミラの強化を見破ったのも、ベネッタの瞳の本質を理解したのも全てはこの刀の力だった。
しかし、その小通連の能力を持ってしても目の前の男の扱う魔法が理解できない。
知識が曖昧で、微睡みのように頼りない。
ただ一つ理解したのは、これが無属性魔法というこの世界で欠陥魔法と言われている代物という事だけだった。
「……そんな魔法を何故突破できない?」
二本の刀と白い爪の応酬の中、大嶽丸の呟きに応えるように小通連から情報が流れ込む。
『類似事象あり。検索不可。自立した魔法と化した光属性創始者イルミナ・ヴァルトラエルの血統魔法【星辰よ、魔を閉ざせ】により"天体の観測"は妨害されています』
それは疑問の答えとは呼べないもの。
何故目の前の人間の魔法の正体を掴むのにその魔法が関わるのか。
少なくとも、目の前の人間は何らかのイレギュラーな存在であると大嶽丸は判断する。
「かっかっか! 面白いな! 余と同じ異質な者というわけだ!」
ベネッタを相手していた間、停止していた五メートル程の大きさもある黒い靄が動き出す。
揺らぐ靄の中に確かにいる鬼という存在が口内の牙を剥き出しにして、アルムに襲い掛かろうとしたその時。
「【雷光の巨人】!!」
「!!」
重なる声が迸った。美しく響き渡る血筋の合唱。
魔力の渦は門となり、落雷のように――その巨人は第三区画に顕現する――!
"ゴオオオオオオオオオオオオ!!"
現れたのは十メートルを越える巨躯を持った雷を迸らせる甲冑姿の巨人。
突如顕現した雷の巨人は、咆哮とともに巨大な悪鬼を横から思い切り殴りつける。
どちらも巨人と言って差し支えない大きさ。それでも、雷の巨人のほうが遥かに大きい。
近くの建物に悪鬼は叩きつけられ、建物はその威力に瓦礫となって崩壊する。
一陣の風と雷の巨人が味方の到来をアルムに知らせた。
「ルクス! ヴァン先生!」
「こっちは僕達に任せろ! アルム!!」
「アルム! お前は核を破壊しろ!」
「お願いします!」
風と巨人とともに姿を見せるのはルクスとヴァン。頼もしい援軍の到着に大嶽丸の侵攻はようやく止めたと言って差し支えない状況にまで持ち込まれた。
「かっかっか! よいぞ! マナリルから来た奴等は何故余をこうも楽しませてくれるのだろうな! あの女の言う通り待って正解だった!!」
「……?」
大嶽丸は喜悦の笑みを浮かべると。
「【異界伝承】」
異界の力をこの世界に顕現させる為の文言を唱えた。
「【悪鬼禁獄神虚】」
地の底から這い出てくる重苦しい声。
途端、雷の巨人が殴り飛ばした巨大な悪鬼の体が崩れる。
しかしすぐに、その場には群がる死霊のように黒い靄が集まった。
ルクスの【雷光の巨人】と同じほどの大きさにまで靄は膨らみ――
「さあ! 余を楽しませてくれるのだろうお主らは!!」
黒い靄の中から姿を見せるのは【雷光の巨人】と同じ大きさにまで膨れ上がった巨大な悪鬼。
その姿はより大きく、そして醜悪になっていた。
体に刻まれた歪な紋様からは魔力光が漏れ、開かれた口内にある牙はまるで剣。先程まで何も無かった手には大嶽丸と同じような刀が握られていた。
黒い靄が微かに帯びた黒い魔力光。そして"現実への影響力"が上がった事が一目でわかるその大きさと姿で、悪鬼は【雷光の巨人】とぶつかり合う。
「纏う空気が違う者共よ! お前らのどちらかなのだろう!?」
高揚した大嶽丸の声は呪詛の如くその場にいる人間に圧し掛かる。
赤子のように無垢でなければ生き残れない重圧の余韻を残し、
「さあ、どちらだ!? あの大百足を殺したのは!?」
大嶽丸は昂り吠える。
あの女とあの大百足。それはどちらも違う者を指している。
アルム達が大嶽丸と遭遇する少し前の事。
第一区画ではミスティが避難に遅れた人がいないかを確かめていた頃だった。
第三区画は大嶽丸の出現によって凄惨たる被害を被っているが、第一区画は今は静かなものだった。
大嶽丸の術を防いだエルミラの灰の爆炎が第一区画の住人どころか王都にいる全ての人間に異変を知らせ、避難していない人間の存在を無くしていたのである。
第一区画は王城が近く、居住区も限られているので避難していないのは逃げ遅れた人を確認しているミスティくらいなものだった。
「次はあちらですわね……」
とはいえ、万が一という事がある。
ミスティは人がもういないであろう場所まで確認しようと路地裏へと入った。
「それはベラルタ魔法学院の制服だね」
「!!」
背後からの声はあまりに透き通っていた。
突然そこに現れたかのように気配も無く、ミスティは驚愕で目を剥いた。
これだけの騒ぎだというのにその声はあまりに静かすぎる。味方ゆえの確認か、敵がゆえの挑発か。
ミスティは即座に体を反転させて声の主を確認する。
「――白い」
それはきっと感想だったのだろう。
後ろに立っていた人物は真っ白なローブを着ており、フードを深く被っていた。
フードの下に覗かせる長い髪までもが白かった。
手には身長と同じくらい大きな杖を持っていて、見える肌すらも雪国育ちのミスティと同じくらい白い。
路地裏に落ちる影の中でこの上なく存在感を示していながら、光となって溶けてしまいそうなほど幻想的な人物だった。
ゆえに――ミスティには敵としてしか映らない。
「何者ですか?」
「不躾ですまないが……君の疑問に答えるにはこちらの質問に答えて貰わなければいけない」
声は女性のもの。
フードの下にある目線と口の動きは掴めない。
ミスティは無言でその白い人物に続きを促す。
「君は、アルムの友人か?」
「――え?」
虚を突かれた問いだった。
何故アルムの名前が出てくるのだろう、と思わせるほどには。
「アルムの友人かと聞いている」
「そうですが……それが何か……?」
答えてミスティは思い出した。
アルムと出会った頃にも聞かされた昔話。フードにでっかい杖を持って、如何にもという感じで現れたと言っていた恩人の姿そのままだった。
「第三区画に行ってほしい。奴は恐らくこちらには興味が無い。行くとすれば王城のほうだけだ」
「あなたは……まさか――!」
その人物はおもむろにフードをとる。
フードを被っていたのは儚げな雰囲気を漂わせる顔立ちの整っている二十代くらいの女性だった。
生気を感じさせない顔色の中で――その瞳だけは真っ直ぐ、今を生きている。
「私はアルムに師匠と呼ばれてる者。訳あって今は奴についている。情けない話だが、今は何もできない。少しでも奴に勝つ可能性を上げる為に私が出来る事はこうして君のような者に頼む事だけ」
アルムの言の葉の中だけにいた、アルムという物語の登場人物。
ミスティの前に立っていたのはアルムを救い、導き、憧れを抱かせた――魔法使いだった。
「頼む……! 私の弟子を……アルムを助けてやってくれ!」