320.■■日12
「フラフィネ・クラフタ! サンベリーナ・ラヴァーフル! 共に沈黙しました!」
「対象は魔法を持続しながら侵攻し続けています!」
王都シャファクの中心シャファク城。
その一角には感知魔法の使い手が感知魔法で得た情報を即座に共有し合い、より多くの情報を感知する為の観測室が存在する。
ガザスでも感知魔法を得意とする魔法使いが集まるその観測室で飛び交う報告は、魔法使いが五人いるにもかかわらずあまりにも救いが無いものばかりだった。
「好き勝手を……!」
部屋の中心には巨大な通信用の魔石と座るラーニャ。報告を聞き続けなければならないその顔は険しい。椅子の肘掛けを握り潰すのではないかと思うほど手には力がこもっている。
傍に立つ酒呑童子はそんなラーニャとは対極的で平静なままだった。
「フラフィネ殿とサンベリーナ殿の生存を確認します!」
「いい。奴の性格上食ってないなら生かしてあるはずだ。すぐに救出隊を向かわせろ」
「は、はい!」
酒呑童子の指示で、フラフィネとサンベリーナの生存確認をしようとした女性はすぐに耳に着けている通信用の魔石に手をあてて指示を出す。
また一つ、一人の男が集中から戻ってきたように目を開いた。
「第三区画の門でウゴラス様と指揮していた部隊の衛兵達を発見!」
「生きてるか?」
「……っ!」
「……そうか」
「ウゴラス……!」
報告してきた男の態度でわかるくらいには、酒呑童子も人間を学んでいる。
大嶽丸の侵攻ルートを考えれば侵入したのは第三区画にある門から。ならば、そちらを守っていたウゴラスが生きているはずもない。
酒呑童子は昨日まで普通に顔を合わせていた男が死んだ事を悟る。ウゴラスはただでさえ呪法で縛られていた。大嶽丸相手に抵抗すらできなかったであろう。
ラーニャも無力感に苛まれながらただウゴラスの名前を呼ぶしかない。
「第四区画にエリン様の騎兵部隊が到着! カンパトーレの魔法使いらしき部隊と交戦を開始しました!」
「そっちは住民の恐怖を煽る為の陽動だ。エリンの部隊だけで対処できる。注意するのは第三区画のやつだけだ」
「了解しました!」
「先程対象と交戦したエルミラ・ロードピスがこちらに向かっています! ベラルタ魔法学院からの留学生グレース・エルトロイが運んでいる模様!」
「治癒魔導士を急行させろ。あれが死ぬとマナリル側との亀裂を生む可能性が高い。優先的に治癒させろ」
「了解です!」
飛び交う報告に一つ一つ迅速に酒呑童子は指示を下し、通信用の魔石を介して現場にその指示が飛ぶ。
大嶽丸を理解しているからこそわかる状況の理解力。普段はラーニャを守る為だけの側近ではあるものの。魔法生命の意図を読める酒呑童子は魔法生命がかかわる事件に限り、指揮をとる事を許されている。
「国境のほうは? コルトスの町の状況は見れるか?」
「それが、先程から連絡をとろうとしているのですが、応答がありません……!」
「支配されたか。私達を王都から下がれないようにしているな。ついでにマナリル側の国境も押さえている。性格の悪いやり口だ。ただでさえマナリル側の救援など望めないというのに……」
「対象が第三区画から避難している集団と接触します!」
徐々に閉じ込められるような感覚を感じながら酒呑童子は舌打ちする。
一番最後の報告を聞いてたまらずラーニャは立ち上がった。
「出てはいけませんよラーニャ」
従者としての口調で、酒呑童子は立ち上がったラーニャに忠告する。
「何故ですか? 少なくとも奴は止まります。私が行けば……」
「黙れ」
だが、すぐにその口調は対等なものへと変わった。
周囲で感知魔法を使っている魔法使い達はその言葉遣いに驚愕する。
ラーニャはガザスの女王。ただの側近にそんな言葉遣いが許されるはずが無い。観測室の報告は一瞬だけ止まり、緊張感が走る。
しかし……周囲の魔法使い達は知る由もないが、二人が実際に結んでいるのは主従ではなく同盟関係。
普段こそラーニャの顔を立てて側近に徹しているが、酒呑童子にはラーニャと対等に喋る事の出来る権利がある。
「何故避難している住民達がここを目指してると思ってる? お前がいるからだ。この国の長がいるからだ。自分達を助けてくれる、優しい言葉をくれるお前がいるからだ。お前が今ここからいなくなればこの王都に住む住民は希望を失う。言わずともわかるだろう先導者のいない集団は崩壊する。後に残る誰かが纏め上げるなど妄想だ。象徴を失った集団は残党でしかない。お前はこの国の住人をガザスの民ではなく、ガザスの残党にしたいのか?」
「そんな――!」
「お前がガザスという集団の長ならば利用しろ。集団の外で動いている全てを利用しろ。集団を守る為なら他の一切を捨て置け。奴を食い止めんとしているベラルタの連中を、正義に駆られた他国の人間を全て、全て利用しろ。奴らのおかげで大嶽丸の侵攻スピードは落ちている。それを幸運に思うほど図太くあれ」
「それは、言っているのですか? 本気で?」
「そうだ。悪逆に魂を売れ。魂が白なら血で染めろ。清濁の混じった女であれ! お前が女王であるのなら! 長であるのなら!」
ガザスの女王である事はラーニャにとってかけがえのない誇り。
しかし、酒呑童子の言葉はその誇りに遠慮なく泥と血で汚せというものだった。
たとえ生まれる世界が違うはずだったとしても、ラーニャ・シャファク・リヴェルペラという女としてこの場所で生まれた。王族の名と首都の名前を貰って。
それを誇りに思わない者がいるだろうか。自分は正しく、ガザスの民が誇りに思るような女王になろうと決意させるには十分すぎる理由ではないだろうか。
だというのに――他国から留学に来た生徒に戦わせて、自分はただこの場で座っていろと?
わかっている。
酒呑童子の言葉は正しい。間違っているのはむしろ大嶽丸が侵攻してくる時間を自発的に稼いでいるベラルタの生徒達だ。
彼等には本来理由が無い。ガザスを守る理由が無い。留学中に起きたカンパトーレからガザスの首都への襲撃。今すぐにここを発ち、マナリルに帰ってもいいくらいの事態だ。マナリルの貴族であるならば、そうするべきだと言ってもいい。
それにもかかわらず、ガザスの住民を逃がす為だけに、ベラルタの生徒達は戦ってくれている。
そう。間違ってるのは……間違ってるのは――
「タトリズの生徒達はこの場面で動けるほど経験は積んでいない。王都にいる魔法使いは避難者の対応と感知魔法での観測で手一杯だ。留学しに来た連中が勝手に奴の相手をしてくれるというのなら、こちらの人員を余すことなく使う事が出来る」
「……ここは……ガザスですよ」
「そうだな」
……間違ってるのは。
「そのガザスを、ガザスの長である私やこの国の魔法使い達ではなく、マナリルの貴族がガザスを守ってくれてるのですよ……!」
「そうだな」
間違ってるのは……!
「こんな、こんな屈辱を味わいながらただ待てと言うのですか……? 酒呑」
「そうだ。糞便よりも汚れた恥辱を浴びてなお、動いてはいけない時がある。勇猛であってはいけない時がある。今私達が打って出てはいけない。ここまで逃げれば安全だと、女王がいるから安心だと……この王城は今、毒に侵された民達に希望を与える塒でなくてならない。毒に侵された民達の足を止めない為に」
「……」
ラーニャは酒呑童子の言葉を受けて再び座る。
その手の平はあまりに強く拳を握りしめていたせいか爪で血が滲んでいた。
観測室はある意味、先程よりも重苦しい雰囲気に包まれていた。
「どうした。感知を続けろ。今は些細な情報でも欲しい」
「は、はい……」
そんな雰囲気など気にする事無く、酒呑童子は情報を促す。
ただ自分の役割を果たす為に。
何故か、自分よりもよほどガザスの事を考えている酒呑童子という魔法生命の姿を見て、ラーニャはただ歯を食いしばるだけにとどまる。
「耐えろラーニャ。万が一、お前が奴に捕まるか殺されるような事があれば、本当にこの国は終わる。それが集団の長というものだ」
「……ええ、わかってます」
「後は祈れ。対峙する連中があの鬼の構造に気付いてくれる事を」
屈辱に耐え、ラーニャは椅子に座り、再び飛び交い始める報告を耳に入れていく。
酒呑童子の言葉も、ベラルタの生徒達の行動もどちらも間違ってなどいない。
間違っていたのは今ここを出ようとした自分の判断。
そして大嶽丸……あいつの存在そのものだけ。
"次出会う時は今度こそ、余の女になるといい。女王などというくだらぬ肩書を捨ててな"
去年、何もされずに見逃された屈辱がラーニャの脳裏によぎる。
自然と、そうするのが正しいように、見えぬ大嶽丸をラーニャは呪った。
女王である事を否定し、姿を見せずとも汚辱で穢してくるあの悪鬼を。
いつも読んでくださってありがとうございます。
相変わらず長い……長い……。ついてきてくださる読者の方に感謝です……。