317.■息日9
「……余に見せてみるがいい。余の知らぬ、余に見えぬ、愚かしき人間の世を!」
「あんたに見せる為にやる事なんて一つも無いわよ! さっきも言ったでしょ! 私が私である為だって!」
空に広がる黒雲。轟く黒い雷鳴に切っ先を見せる氷の鉾。
この場に災厄が降り注ぐ直前、エルミラはあるだけの魔力を注ぎ込みながら叫ぶ。
「【暴走舞踏灰姫】!!」
響き渡る先祖との合唱が雷鳴と重なる。
エルミラの体に現れる灰のドレスは小気味いいヒールの音とともに散り、空に向けて放たれた。
空に張られるは灰の防護壁。何が降ってきても血統魔法の爆発によって防ぐ覚悟でエルミラは広範囲に展開させた。
大嶽丸の手が無情にも振り下ろされる。
「【黒雲災禍・氷天鉾】」
標的はエルミラと、後方で黒雲に恐怖しながらも避難する人々。
合図とともに、災害はその姿を現した。
黒雲より降り注ぐは氷で作り上げられたあらゆる武器。武器。武器――!
剣。刀。矢。鉾。槍。針状の氷からただの氷塊まで。
氷で作り上げられた人を殺すあらゆる武器や物に姿を変えて雹は降り注ぐ――!
「通すかああああああああああ!!」
その悪夢のような光景に立ち向かうのはたった一人の少女だった。
降り注ぐ氷の武器とエルミラの灰がぶつかりあい、空は轟音とともに爆炎で包まれる。
王都シャファクの空に絶えず響き続ける爆発音。ビリビリ、と重なり続けるその音が空気を揺らし続けている。
爆発で勢いと力を失った無害な氷の破片がこつん、と屋根に落ちていった。
「く……ぬ……!」
降り注ぐ自分の術を大嶽丸は涼しい目で見つめている。
一方、エルミラは展開させた灰をコントロールし続け、降り注ぐ氷の武器を的確に迎撃していた。
危険度の高い武器の形状をとっている氷のほうに優先的に灰を向かわせ、そのコントロールした場所をカバーするように別の場所で展開させた灰を違う場所から持ってくる。
瞬きすら出来ないそんな作業の繰り返しに神経が焼ききれそうだった。
……皮肉な事に、ここにきて、エルミラは血統魔法のコントロールを完璧なものにする。
無理な強化で軋む体に加えて、魔力切れが近くなったせいで体もだるい。
一粒の灰すら無駄に出来ない状況下で暴発する灰は一つも無く。その全てが大嶽丸の降らす術と相殺されていく。
そんな精密作業の中で……エルミラは気付いた。
(足り……ない……!)
爆発が起きるごとに灰が減っていくエルミラの血統魔法。時間が経てば経つほど大嶽丸が降らす全てを防ぐのは厳しくなってくる。
一分ほどの迎撃を経て、すでに後方の人々を守る灰が予想以上に減っている事に気付いた。
ありったけの魔力を注いで、過去最高の灰の量を"放出"した。もう二度目を出せる魔力は無い。
一体どうすれば――!
爆発音の中、驚くほど静かな思考の中……とある考えに思い至った。
(魔力が無い……?)
痛みと灰の精密なコントロールを行う中、その思考だけが妙にクリアだった。
そして、辿り着く。
あ、なんだ。魔力が無いなら……私の体守る必要なくない?
魔力切れの自分を守る必要が無い――そんな自己犠牲の思考に。
「生きて血統魔法操れれば……オッケーよね」
エルミラは自分を守っていた灰を、即死する箇所への防御分だけ残して他へと回す。
これで灰には余裕ができたと、エルミラは本気で笑った。
なにせ、自分の周囲を守っていた灰のほとんどを後方の人々を守る為に使えるのだから当然だろう。
だが、その代償はすぐに訪れる。
「うぎっ……!」
先程まで軽く守る事のできた、なんてことない大きさの雹がエルミラの肩を抉る。
制服には血が滲み、黒雲を見つめ続ける顏が歪んだ。
「ぐ……か……! ひ……ぐっ……!」
腕に刺さる氷の針。足に落ちる鉄球のような氷塊。肉を抉る感触と骨が折れる音が痛ましい。
エルミラはずっと黒雲から降り注ぐ大嶽丸の術を見ている。
それはつまり……自分の所にその術が来るのがわかっているという事だ。
しかし、それでも防御しない。
エルミラにとっての優先順位はもう決まっていた。
即死する箇所への攻撃だけを迎撃し、他は全て見逃す。今のエルミラにとって自分の体など、足場にしている屋根ほどの価値しか無かった。
「ぎ……! あが……! がっ……いぎ……!」
氷の武器が混じった雹が容赦なくエルミラの体に降り注ぐ。黒雲からはまだ氷の武器が切っ先を覗かせていた。
そんな自分の体を破壊していく大嶽丸の術を前に、エルミラは黒雲から目を離さない。
いつまで続く? 後どれだけ防げば終わる?
当然浮かび上がるであろう思考すら手放して、ただ黒雲から降り注ぐ大嶽丸の術を血統魔法で防ぎ続けていた。
「ごぽ……! ぶっ……!」
氷塊が腹部を抉る。喉元にせり上がってきた赤い液体をエルミラは屋根に吐き捨てる。
中空に舞う灰をエルミラはコントロールし続ける。
幾度となく繰り返される空での爆発の先に何も無かったとしても、これだけは譲れない。
時に流れる血よりも、ここに在る体よりも、ましてや命よりも大切な自己がここにはある!
「かひゅ――」
最後には、自分の頭部を守っていた灰すらも手放して。
自身の喉をえぐる氷塊すらも無視して後方に灰を飛ばした。
一瞬呼吸が止まるものの、意識だけは手放さない。
霞む視界の中、崩れ落ちながらもエルミラは空を見続ける。
――雹が止む。黒雲が晴れる。
日の光が王都シャファクに差し込み始め、空は大嶽丸が術を使う前の青空に戻っていた。
突如訪れた未曽有の災害を――少女は見事防ぎきった。
「ひゅー……ひゅー……」
エルミラが立っていた屋根は崩れ、建物の二階の床にエルミラは落ちていた。
エルミラの体中の肉は抉られ、あちこちの骨にはひびが入っている。呼吸は喉に氷塊が直撃したせいか、おかしな音を立てていた。
破けた制服は元の色よりも染まった血のほうが多く、体のあちこちには抉るように残っている氷の塊がある。
強化を残していたおかげか、どれも致命傷にはなっていない。
しかし、これだけの傷を負っていれば一つ一つが致命傷でなくとも意味がない。
体中から走り続ける痛みがエルミラの意識を保ち、緩やかに流れる血が死を知らせ始めていた。
(どんくらい……稼げたかしら……?)
自分は何分稼げたのだろう。一番に考えていたのはそんな心配だった。
どのくらいあの雹は降っていた?
避難している人達は無事だろうか?
セーバは……ベネッタは?
体を動かそうとするが、どうにも動かない。そこでようやく、エルミラは自分の体の凄惨さを確認した。
そこに、一つの影が落ちる。
「お主の後ろに骸は無い」
影の持ち主は空から降りてきた大嶽丸だった。
エルミラは痛む首を少しだけ動かして、大嶽丸を見上げる。大嶽丸の体越しに見える日の光が妙に眩しかった。
「おや、ざしい…こと……」
声が上手く出ない。
大嶽丸の言葉が真実かどうかも確かめる術は無いが、その声に嘘は無いような気がした。
「生前は仏神と菩薩によって叩き落とされた事はあるが……まさか一人の人間に全て落とされるとはな」
エルミラにはぶっしんもぼさつもわからない。だが、賞賛されている事はわかった。
魔力も無い。体も動かない。返す声ももう出ない。殺されるよりも先に意識が飛びそうだ。
影の中から見る大嶽丸の姿にエルミラは自分の最後を悟る。
「余が気に入る女は皆こうだ。余を前にして折れぬ。好みの問題かもしれぬな」
しかし、その最後は大嶽丸の気紛れによって訪れない。
大嶽丸はエルミラに止めを刺さずに屋根から大通りへと下りた。
エルミラの目には見えなかったが、大嶽丸は大通りをゆっくりと歩いて避難している人々を追い始める。
「止めたくば止めてみよ。その死に体で動けるならばな」
屈辱的にも……小通連が消える音と大嶽丸の声だけが、エルミラの耳に届いた。
戦う相手だと見なされなくなった武器をしまう音と何もできない体に楔を打ち込むかのような言葉が、この場で起こった戦闘の本当の終わりを告げる。
「っ……!」
エルミラは血の味がする中で歯を食いしばった。
すぐには死なず、すぐには動けない自分の体。
そんな何もできないもどかしさがエルミラに涙を流させていた。
結局、何も変わらない。変わってない。変えられない自分。
ほんの少しの時間を稼ぐ事しかできない自分の弱さが憎らしい。
戦って、守って……けれど救えない。
今まで自分の友人がやってきた事がどれだけの偉業だったかを改めて知る。
こんなにも……こんなにも難しい事なのか。あの二つの背中に近付くという事が――!
「くそ……!」
悔しさに耐えきれず、喉の痛みすら無視してエルミラは吐き捨てる。
「……?」
そんなエルミラに――また一つ影が落ちる。
大嶽丸が止めを刺しに戻ってきたのかと、エルミラは顔を上げた。
「あ……んだ……?」
「バトンタッチですわ、エルミラさん」
何も変わってないはずがない。
その背中はまた、誰かを突き動かす。