316.休息日8
「かっかっかっか! よいな。その強気な瞳……余相手でも屈しないその語気。どうやらお主は女であるが、武士でもあるらしい」
「もの……?」
言葉はそのまま伝わっているが、エルミラにその意味はわからない。
「む? なるほど、翻訳はされても意味が伝わるかは別か。それとも該当する言葉が無いのか……。まぁ、どうでもよいか。全く……女に言葉を贈っても伝わらぬとは、何とも余らしい」
生前の事を思い出しているのか大嶽丸は自嘲する。歌にしたところで同じ結果であろうな、と。
歪む魔力の中、砂糖一粒ほどの人間らしさを見せたかと思ったその瞬間。
「【三明一振・小通連】」
瞬く間に、その人間らしさは消え失せる。
声は重く、音は高く。
石畳の床に突き刺さるように現れたのは一振りの刀。
エルミラは刀という武器は初めて見るが、それが剣の類である事は見て取れた。
真っ白な柄。金の装飾が控え目ながら施された鍔。そして剣とは違った反った刀身は日の光を吸ったかのように輝いていた。
持ち主が怪物なら、その武器はまるで幻想。
刀の造形美に加え、鈴のように美しい金属音を鳴らすその刀に一瞬エルミラは惹かれる。
「『炎熱魂』!」
その武器を持っているのが最悪の存在でなければもっと眺めていられたであろう。
見た事の無い形の剣だが、隙を晒せばその刀身が自分の血で染まるのは間違いない。
エルミラは自身の魔法の"現実への影響力"を底上げする強化をかけた。
エルミラにチャンスがあるとすれば魔法生命本体が現れていない今……こいつが油断している内に、核を貫く事だけ。
しかし、魔法生命の宿主は魔法生命の外皮によって守られている。ゆえに生半可な"現実への影響力"を持った魔法ではそのチャンスを逃してしまう可能性が高い。
そのチャンスを逃さぬために、エルミラは"現実への影響力"を自分が出来る限界まで引き上げようとしていた。
「ふむ……魔法の威力を上げるのか?」
「!!」
勢いを削ぐかのように、大嶽丸はエルミラの強化の効力を言い当てる。
流石にこれにはエルミラも動揺した。
『炎熱魂』は強化の中でも特殊な補助魔法だ。"現実への影響力"を決定づける"変換"に直接干渉する珍しさと難易度からか使用者もあまり見ない。
それを何故……異界の生命である大嶽丸が知っているのか?
「まぁ、気にするでない。余のこれも……ただの刀ではないという事だ」
大嶽丸はその手の武器――小通連を振りかぶる。同時に、その輝く刀身が黒く染まった。
ぞっとするような悪寒にエルミラはすぐに魔法を唱える。
「『炎奏華』!」
体の無理を無視した二個目の強化をかけてエルミラは横へ跳ぶ。
大嶽丸が振るった刀はそのリーチではありえない距離にまで斬撃を伸ばす。
丁度、エルミラが立っていた場所に届くかのように。
エルミラの立っていた石畳は鉄球でも投げつけられたかのように陥没し、石畳を形作る石は両断されている。
陥没した道は大嶽丸の怪力を、両断されている石は大嶽丸が持つ武器の切れ味を雄弁に語っていた。
「刀を持ったからと……近距離で戦うとは限らぬであろう?」
「ええ、その通りね! 『火鳥の飛翔』!」
「……?」
エルミラが唱えるとともに現れたのは、灰だった。
突如、周囲に撒かれた灰に大嶽丸は不快そうに眉を顰める。
「……花を咲かせたいわけではあるまい? お遊びか?」
灰に触れても特に何が起こるわけでもなく、エルミラの姿を隠しているわけではない。
何を見せてくれるのかと思えば、ただ灰をまき散らすだけの魔法に大嶽丸は落胆しながら小通連を無造作に振った。今度は先程のようにわかりやすい動きを見せずに、ただ斬る為だけの動きを見せる。
「遊びだと思ってれば!?」
エルミラは体勢を低くすると、先程よりも余裕の表情を浮かべてその斬撃をかわす。
「む」
大嶽丸はそこで気付いた。
小通連を振るって放つ見えないはずの斬撃が灰の中に軌跡を描いている事に。
「『火蜥蜴の剣』!」
逆に、エルミラの魔法の魔力光は霞んで見えにくくなっていた。
自身に向かってくる燃えた剣を大嶽丸は小通連で受け止める。
「かっかっか! なるほど、小通連の斬撃を見る為か……存外冷静な女だ!」
切り捨てるようにエルミラの放った燃える剣を弾き、大嶽丸は高らかに笑った。
中位の攻撃魔法をいとも簡単に弾かれたエルミラとしては笑えない。
いや、今のは自分の魔法の"現実への影響力"が低かった。まだ鬼胎属性の影響を受けているのか、あまりにも威力が低い。
「そんな暇無いでしょ私……!」
魔力を燃やせ!
畳み掛けろ!
「『炎竜の息』!」
斬撃を躱す時間で足を止めないよう、石畳を蹴って壁を蹴る。
灰の中を舞うように跳びながらエルミラは大嶽丸の胸部目掛けて魔法を放つ。
核の場所は酒呑童子の話で絞られている。頭、首、胸のどれか。
中位の攻撃魔法で撃ち抜けるとは思っていないが、核を狙ってると思われればそれはそれで都合がいい。
「くかっ……! かっかっかっか!!」
大嶽丸は哄笑を上げながらエルミラの魔法向けて、小通連を握っていないほうの手を差し出す。
灰と空気を裂いて横に走る火柱は大嶽丸の掌で炸裂した。
魔法生命の外皮に任せたあまりにも無理矢理な防御方法。散った残り火が石畳の道を焦がす。
「先程のような腑抜けた魔法でなくなったな。余の外皮を焦がすその威力……やはりよいなお主」
「ならもうちょっとダメージ負っときなさいよね!」
『炎熱魂』で強化した『炎竜の息』で掌を焼いた程度。
やはり生半可な魔法は通用しない。下位の攻撃魔法など使うだけ魔力の無駄だろう。
そして何より……遠くては核の部分を狙う決定打にはなりにくい。
「ちぇっ……抵抗あるけどさ……」
斬撃を見切る為の灰も長くは続かない。
ならばその前に。
チャンスを掴む為、時間を稼ぐ為、エルミラは懐という死地に飛び込む決意をする。
「『不可侵無き炎猫』」
舞い散る灰の中、エルミラの目が輝き、体中の魔力光が逆立つように燃え上がる。
エルミラの纏う魔力光は火と変わってエルミラの体を包み、その両手両足に爪を授けた。
瞬間、体勢は荒々しく――輝いていたエルミラの目の形が細く変わる。
「なに……?」
だん! と地を蹴る音。
灰の中を突進してきた赤い光目掛けて大嶽丸は小通連を振るう。
「これで……戦えるとこまできたかしら!?」
「ほう」
小通連を強化を重ね掛けした手で受け止めるエルミラ。
三つの強化の重ね掛けで大嶽丸の怪力と渡り合い、爪を模した炎は刀身を阻んでぎしぎしと火花を立てている。
「炎の猫……獣化というやつか。強化の魔法を重ね掛けして体がもつとは思えないが?」
「私、頑丈だから」
「それは手ごわい」
並外れた大嶽丸の腕力から振るわれる剣戟。
センスと獣化によって強化された反射で受け止めるエルミラ。
周囲の建物を破壊し、焼きながら二者の攻防は続く。
大嶽丸の懐にあえて飛び込み、小通連のリーチを殺すエルミラの作戦は功を奏した。
大嶽丸が二メートル近くあるのに対して、エルミラは少女らしい体格。そして密接した距離。長物をただ振り回すには難しい形だ。
怪力は警戒せねばならないが、小通連の斬撃を制限できるだけでも十分に手応えがあった。
美しい観光地だった第三区画の大通りが戦場に変わる。
焼ける壁、砕ける石畳。燃える街路樹。破壊される橋。
大嶽丸をこの場に縛り付ける為だけに周囲の全てとエルミラの体が犠牲となっていく。
「なるほど……余を相手に時間を稼ぐというだけの事はある」
無理に重ねた強化と獣化によってエルミラの体は軋んで悲鳴を上げ続ける。
そんなものを気にしている余裕はエルミラには無い。
相手は魔法名も出していない。まだ本気を出していないのに、ここまでしてようやく互角。
その事実は否応なしに重圧となって圧し掛かる。
(でも……戦えてる!)
そう、あの時とは違う。
ただ悲鳴を上げて逃げるしかできなかった自分はもういない。
大嶽丸は胸部を狙えばその武器で防ぎ、首を狙えばその炎の爪をかわしている。防御の行動をとるという事は先程のようにただあしらわれていたのとは違い、攻撃として成立している証。
百足の時のように呑まれるな!
ちっぽけな自信でも力に変えろ!
一秒でも長く……こいつをこの場に釘付けにし続ける為に――!
「お主を突き動かすのは何だ?」
「ナンて?」
獣化の影響でエルミラの思考と声が変化し始めかけた時だった。
小通連と炎の爪が火花を散らす中、大嶽丸は問い掛ける。
「その体が悲鳴を上げているのは自分でも気付いているだろう? 余の妾になりたくなければ逃げればよい。死にたくなければ逃げるがよい。ただ、それだけの事を何故しない? 体の崩壊まで戦うつもりか?」
エルミラの体は二つの強化と獣化で過度に強化している。
強化の"現実への影響力"は体の強度と身体能力を上げてくれるが……限界もある。
それは使い手であるエルミラが一番よくわかっているはずだった。
このまま大嶽丸が防戦するだけでも崩れ落ちる結末がエルミラには待っている。
「なにが突き動かスって今更ソンナ事……決まってる、デショ」
小通連を炎の爪で弾くと、エルミラは後ろを見ずに……炎を纏った親指で後ろを指差した。
「ワタシが……"私"である為よ。今ここで、後ろの人達を守れるのは私だけなんだから……頑張らないといけないでしょうよ」
魔法によって猫の目のように瞳の形が変わっても、その瞳に籠った意思は変わらない。
苦しんでいる人々が避難するまで守り抜く。
こいつをここに釘付けにする。
後ろには知らない人も、友達もいて……それを見捨てる自分はもう自分ではいられない。
「何か譲れぬものがあるのはわかったが……ラーニャといいお主といい、その思想はわからぬな。誰かの為、人の為……自己を犠牲にする価値の基準が余にはわからぬ。余がおらねば自分にとって誰かは意味が無い。余がおらねば自分にとって世界は意味が無い。自己を犠牲にした先に、自己が観測できない何かに意味があると確信しているのか?」
「確かに、何がアルかと言われたら……わから、ナイ。けど……そう、あんた……案外悲シ、い奴ナノね……」
一瞬、戦いの場だというのに空気が湿る。
エルミラの憐れむような声を受けて、大嶽丸は興味深そうに。
「わからぬなら……確かめなくてはな」
「な――!?」
静かな声色のまま、大嶽丸の体が宙に浮く。大嶽丸の体はゆっくりと昇って行く。
エルミラは驚きながらも、屋根に上って後を追う。魔法を使っての飛行の為には"現実への影響力"に様々な制限がある。それをこうも容易く行える魔法生命は反則だと実感しながら。
「【孤峰に浮かびし黒き雲】」
「!!」
宙に浮く大嶽丸の上昇が止まると、何かを唱え始めた。
変化はすぐに現れる。
快晴の空、天頂から日差し――現れたのはそれを閉ざす黒雲だった。
「天候を……変エテる……?」
手を空にかざす大嶽丸を中心に渦巻くように集まる夜より黒い雲の塊。
エルミラの表情が青褪める。あの黒雲が一体何を引き起こすのかが想像つかない。
怪力や斬撃を飛ばすならまだ理解できる。しかし、天候を変えられるのは初めてだった。
改めて実感する魔法生命の力にエルミラは息を呑んだ。
「【一に死を、十に恐怖、百を屍、千を山。人の世に降り注ぐは氷塊の呪詛なり】」
黒雲に黒い雷が走る。
どれだけの現象を引き起こそうと大嶽丸は鬼胎属性。生前の呪術と呼ばれる技術も神通力とされる異能も全て、鬼胎属性の力となって現れる。
これほど、日の光が頼りないと思った事があるだろうか。快晴のはずだった天気は大嶽丸の手によって雷へと変わってしまった。
「今から……お主の守ろうとしているものに雹を落とす」
「!!」
大嶽丸は何故か、エルミラに今からやろうとしている事を宣言した。そのまま放てば恐らく、大勢の人間をそのまま殺せただろうに。
何故宣言したのかは……言われなくてもわかっていた。
「ここより見える有象無象を守るというのなら守って見せよ」
「ハ――やっぱアンタら……性格悪いわ」
「お主は……頑丈なのだろう? 余に見せてみよ。お主の命の先にあるものが何なのかを」
人を馬鹿にしたような薄ら笑い。試してるのか、それとも本性なのか。
このまま大嶽丸に飛び掛かっても一撃与えてそのまま地面に落下して終わり。
この黒雲を放置する事になってしまう。そうすれば後ろにいる大勢の人間が死ぬだろう。
何より……雹と言っているがそれもどうだか。もっと凄まじいものが降ってきても正直驚かない。
「……ふう」
エルミラは獣化を解除する。これを解けばもう大嶽丸と接近戦をする事はできないだろう。
獣化の影響で白んでいた思考が戻ってくる。大嶽丸の集めた黒雲の中で雷は暴れ狂う。
やがて……黒雲から氷の形をした武器の切っ先のようなものが顔を見せ始めた。
「ほら、雹なんて生易しいものじゃないじゃない……」
エルミラは屋根の上から大通りの先にある広場に目を向ける……そこにはまだ避難している人々がいた。
病人を背負って運んでいるベネッタとセーバの姿も小さく見える。
結構時間を稼いだと思ったが、まだ見える所にいる。
「あそこに降らされたら……やばいわよね」
広場にはベネッタやセーバも含めて何百人と人が集まっている。
全員で王城のほうへと向かっているものの、そのペースは毒で動けなくなっている人達を抱えているのもあって牛歩の如し。明らかに大嶽丸から逃げられるようなスピードではない。
「私は何度も守られたから……」
ずきずきと強化と獣化の反動の痛みを感じながら……ふと、エルミラは思い出す。
応援する事しかできなかった、城壁に堂々と立つ背中。
逃げる事しかできなかった、夜の山で遠くなる背中。
思い出の中にある感情に違いはあれど、いつの間にかその二つは自分の目標になっていた。
絶対に本人達には言ってやらないけれど……私も、あんな風になりたかった。
「今度は、私が守らないとね」
空を見上げれば悪鬼と黒雲。ここにいるのは自分だけ。
日の光も奇跡も無く――エルミラは自分のやるべき事を迷わない。