311.休息日4
アルムは古めかしい木製の扉をそっと開く。
何処か格式めいた空気を感じるが、アルムにとっては関係ない。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは女性の店員の落ち着く声と、瓶に入った茶葉の数々、そして優しく香る茶葉の香りだった。
五十は軽く越えているだろうか。茶葉の入った瓶は壁の棚一面にずらりと並べられており、その瓶の前には茶葉の名前と産地、量り売り時の値段、そしてどんな味わいかが軽く書かれた札が置いてある。
店の一角にはティーポットやティースプーン、カップなどの様々なティーウェアも置いてあり、ガザスでは珍しい優しい色合いのものが多いもののデザインからはガザスらしい奥妙さを感じさせる。知識に明るくないアルムにはどう使うかわからないものすらあった。
シックな内装と並べられた茶葉の瓶の数々。入った事のないような雰囲気の店にアルムは一瞬、圧倒されるような錯覚を受けた。
「わぁ……」
そんなアルムの隣で目を輝かせるミスティ。
子供のようにきょろきょろと店を見渡している。この姿だけでも誘った甲斐があるなとアルムは微笑む。
「見てくださいアルム……マナリルの茶葉も揃えてありますよ」
テンションは上がっているようだが、しっかりと店内の雰囲気に合わせて声量は落ち着いている。
ミスティが見上げている棚の茶葉はアルムも聞いたことのある銘柄だった。とはいっても、アルムの知識はミスティから聞き齧ったものしかないが。
「何かお探しですか?」
「ガザスのお茶の茶葉が幾つか欲しいのですが……ガザスのお茶に明るくないもので、おすすめを教えて頂いてもよろしいですか?」
「ええ、勿論です。ではこちらへどうぞ」
「はい」
ミスティがおすすめを聞くと、店員がカウンターのほうへと促す。
アルムもミスティの一歩後ろを着いていった。
店員はカウンターの後ろの棚にある瓶を選ぶように人差し指を動かしたかと思うと、瓶をいくつかとる。
瓶をカウンターに置くと、きゅ、と擦れるような音を立てながら瓶の蓋を開けた。それだけで茶葉の香りが漂ってくる。店員は木製のスプーンで瓶の中の茶葉を掬うと、小さなトレイを瓶の数だけ取り出して順番に茶葉を載せていった。
「おすすめなのはこちらの数点でしょうか。うちはガザスでも最高の品質を揃えていると自負しております」
「わざわざありがとうございます……では失礼して……」
「試飲も出来ますのでお気軽に申し付け下さい」
ミスティははしゃぐ子供のような表情から真剣な表情へと切り替わった。
茶葉の載ったトレイを一つ手に取り、香りを嗅いだかと思うと、瓶から取り出した時のスプーンで茶葉を数粒掬うと観察し始めた。
それで何がわかるかはわからないが、ミスティの様子は真剣ながらも楽しそうだった。
気付けば、アルムは茶葉を観察しているミスティの横顔を見つめていた。
茶葉を見るミスティ、そのミスティを見るアルム、アルムがどんな客か掴めない店員と、店内の視線の構図がややこしい。
「煤けた香り……もしや茶葉を燻製しているのでしょうか?」
「はい、見た所ガザスの方ではないとお見受けしましたので……特徴的なものをいくつか選ばせて頂きました。勿論、私めのおすすめであります」
「面白い着香の仕方ですね……マナリルでは見たことがありません」
「紅茶としては癖がありますから敬遠される方も多いかもしれません。慣れていない方は、水を選んで淹れるといいかもしれません。硬水で淹れると風味と香りが軽くなりますから」
「紅茶を硬水で……」
紅茶は基本的に軟水のほうが適しているとされる。それは勿論、紅茶を趣味としているミスティは知っており、常識ですらあった。
店員は補足として、王都の水事情を付け加えながら説明を続ける。
「ここシャファクは区画によって水が違うので、店によってお茶の味わいが変わったりするんです。第三区画と第四区画はガザスの北東にあるシクタラスという町にある山が水源になっていて、硬水が流れてきますからガザスの紅茶を癖なく味わいたい場合はそちらでお飲みになるのがおすすめですね」
「王城やタトリズがある第一区画は違うのですか? 少なくともタトリズで使っていた水は軟水でしたが……」
「はい、あちらはマナリルとガザスの国境にある山地が水源になっています。こうして好みによって水を選べるのはお茶好きとしてはメリットかもしれませんね」
「癖のある銘柄には硬水も選択肢に……面白いですわね……」
店員が薦めた淹れ方はミスティの常識とは違う考え方によるもの。固定観念がいい意味で崩された事で、ミスティはガザスの茶葉についてさらに興味を持ったようだった。
「こちらはハムと一緒ですとまた格別ですよ」
「ハムと? ワインのようですね」
「はい、マナリルからもマットラト領が近年ハムが有名になりまして、そこから仕入れているお店もありますよ」
「なるほど……マットラトがハムが有名になっているのはガザスに輸出する為の……やりますわね……」
ガザスに来る前にミスティの家で話していた会話を思い出す。
その時はわけがわからなかったが、こうして聞くと元からマットラト家にとってはマナリルの大部分よりも近いガザス相手に商売する気だったのだろう。どうやらマットラト家は中々に商才があるらしく、ミスティは素直に感心してしまう。
(楽しそうだな……よかった)
そんな集中しているミスティを一歩後ろで見つめるアルム。
真剣な表情で茶葉を観察したり、店員と話すその姿は普段よりも少し歳相応さを感じさせた。
何より、アルムにすら楽しんでいる事が目に見えてわかる。
この店に入った時も思っていたが、やはり誘って正解だったとアルムは改めて満足そうに頷いた。
ミスティと店員が話している内容はほとんどわからないが、その様子を見ているだけで胸の中が温かくなっていくのを感じる。
「……?」
何故?
そうなる理由がよくわからず、アルムは首を傾げる。
「何かご説明致しましょうか?」
そんなアルムが、銘柄の説明でわからない点があるのと勘違いした店員が優しく尋ねる。
「え? あ、いや、何でもないのでこちらは気にしないでください」
自分の事について考えていたアルムは店員からの提案をやんわりと断る。
そんなアルムに今度はミスティが振り返った。その手には今さっき説明を受けていた茶葉のトレイがある。
「アルム、見てください。こちらの茶葉、独特な香りが致しますの」
「ああ、何か煙たいというか……」
「はい、紅茶には詳しいと自負しておりましたが他国にこんな茶葉があったとは……私もまだまだみたいです。アルムはこの茶葉の香りはどうですか?」
「うーん……正直味が想像つかん……」
「うふふ、実は私もなんです」
「ん? ミスティもわからないのか?」
「はい! なにせ初めて見ますもの。どんな味わいがするのか今から楽しみです。その時はご一緒していただけますか?」
「ああ、勿論。ミスティが淹れてくれるなら」
そう言ってアルムが微笑むと、頬を赤らめながら釣られてミスティも微笑んでしまう。
店員はそんなミスティとアルムを、まさか、という表情を浮かべながら交互に見ていた。
先程まで店員として完璧な対応をしていただけに、その表情の差異はこの店を知っている者ならば特に新鮮に感じるだろう。
「その、もう少しお待ち頂いてよろしいですか? したいお話がもう少しありまして……」
「ああ、ミスティが好きそうだと思って来たんだ。いくらでも待つ」
「ありがとうございます」
そう言って、ミスティは再び店員との話に戻る。
同時に、アルムは考え事に戻った。
正直、自分はあまり物欲が無い。咄嗟に思いつく欲しいものといえば魔法について書かれた本だろう。しかし、それも本が欲しいというよりは……魔法が知りたいという知識欲かもしれない。
つまり、この胸に積もる温もりは、壁の棚に並べられた茶葉に目を奪われたという事ではないのは確実だ。
アルムは周囲の棚に目をやる。
見事だとは思うが、ミスティと違ってこの光景に心を躍らせる事は無い。
それとも、初めて他国を観光しているという事で昂っているのだろうか。
いや、山中の田舎――カレッラに閉じこもっていた自分にとっては外の世界全てが外国のようなものだった。初めてベラルタに着いた時には期待感こそあったものの、このような温かさを感じた覚えはない。
そこまで考えて、自分の無知さを思い出す。
初めて訪れた感情を思考で解決できるほど、アルムという人間はアルムという人間を知らない。
(俺が一人で考えても無意……)
無意味だと、内心で諦めようとしたその時。
ミスティの横顔が目に入った。
何故か……無意味だと断じてはいけないような気がして踏みとどまる。
これが何なのかを、自分は考え続けなければいけないような。
そんな、締め付けられるような感覚。警告にも近い。
だからといって、答えも知らず、答えの導き方すらわからないアルムが答えを出せるわけでもなかった。
唯一の手掛かりはミスティしかなく、ミスティと過ごした記憶をアルムは自然に思い出し始める。淑女をじっと見つめるのは失礼だとミスティに言われた事を思い出し、アルムは目を逸らした。
「最近マナリルで作られ始めた茶葉がありまして……ミレルという場所で作られているまだ知名度の無いオリジナルの銘柄なのですが……」
いつの間にか商談に持ち込もうとしているミスティに彼女の強かさも感じるアルム。
どうやらまだまだ、考える時間はありそうだが……この店を出る時になっても、アルムの中に答えが出る事は無かった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
デートしてます。アルムはデートという言葉すら知りませんが。