307.女子集まれば
「はぁ……何故こうも言葉が出てこないのでしょう……?」
ベラルタ魔法学院の生徒に与えられている宿舎の部屋は一人で使うには広いくらいで、ガザス自慢の細部まで刺繍の施される絨毯や、その可愛らしいデザインだけでお香を炊かずとも置く意味がある香炉のようなガザス特有のインテリアはありつつも、全体的にシックな色合いで纏まっていて部屋で過ごす人間を落ち着かせる内装となっている。その広さも相まって利用者が相当な我が儘を発揮しなければ不満など出ようはずも無い。
そんな充分すぎる宿舎に戻ったミスティに待っていたのは自己嫌悪だった。
集まったのはベネッタの部屋。まだ昼前だというのにミスティはベッドに体を預け、珍しく甘えるかのようにエルミラに抱き着いている。
「まぁまぁ、そんな時もあるわよ」
「そうそう! タイミングが悪かっただけだってー!」
ベネッタもエルミラはそんなミスティを茶化す事無く、エルミラは珍しく自己嫌悪に駆られているミスティの背中をぽんぽんと叩いてあげていた。
ミスティの出せた勇気は会議室での一度だけ。ガザスの王城シャファク城からここに戻るまでに、ミスティはアルムを明日の休息日に誘う事も出来ずに宿舎までいつも通り他愛の無い話だけをして戻ってきた。
普段であればミスティの恋のあれそれはからかうのが鉄板となっているのだが、ミスティが本気で落ち込んでいるのは明らかだ。気が置けない友人であろうとも、からかう時というのはタイミングが重要なのである。
「あなた方って本当に仲がいいんですのね……」
そんな三人の微笑ましい光景を椅子から眺めるサンベリーナ。
ミスティ達が帰ってきた際、丁度ベネッタを誘いに来たらしく、ベネッタの部屋の前にいたのでそのまま流れでベネッタの部屋へと招待されていた。
サンベリーナが口にした感想は決して馬鹿にしているというわけではなく、心底からの感心だった。
南部は貴族の家柄による差というのが未だに根強い。ゆえに、没落貴族であるエルミラと下級貴族であるベネッタが四大貴族であるミスティと本当の意味で友人である事に南部出身であるサンベリーナにとっては衝撃だったのである。
「本当にって……別に私達が一緒にいたの知らないわけじゃないでしょうよ」
「知ってはおりましたが、ミスティさんが恩を売って手足になっているものかと……没落貴族なんて変なしがらみも無いでしょうから下級貴族以上に表沙汰に出来ない事に色々使えそうですし?」
「あ?」
「あくまでそういう見方もできますわよ、というお話です。元補佐貴族のベネッタさんもいらしたのですからそう思っても仕方ないでしょう? 南部の貴族は特に家柄の上下関係が五月蠅いもので」
睨むエルミラにも怯む事無く、サンベリーナは両手を違う高さにあげて上下関係を表すようなジェスチャーを見せる。
「何? あんたもそんな小間使いみたいな下級貴族が学院で欲しくてベネッタに声かけたってわけ?」
嫌味を込めてエルミラがそう言うと、ベネッタは少しどきっとする。
ベネッタとサンベリーナが知り合ったのはベネッタの入院中にサンベリーナが見舞いに来たのがきっかけだった。確かに、それまで話した事も無いサンベリーナが病室に入った事への疑問は解けていない。
サンベリーナにそんな雰囲気が無いとわかってはいながらも、改めて言葉にされると少し不安になってしまう。
「それは違いますわ。私、お友達が欲しかったんですのよ。私と同じ……甘い物をこよなく愛するお友達が」
サンベリーナは嘘のような正直さでベネッタに近付いたきっかけを語る。テーブルに置かれているクッキーを一つ手に取りながら。
ベネッタの不安をかきけすかのような堂々とした態度に嘘はみられない。
「は? 甘い物?」
予想だにしない答えにエルミラの眉が下がるもベネッタはうんうんと頷いている。
「うん、サンベリーナさん色々知ってるんだよー」
「今日もそのお誘いに来ましたのよ。明日は待ちに待ったガザスの王都シャファクを観光できる休息日ですもの。ベネッタさんとともにシャファクの有名店を網羅する為……私、下調べもばっちりしてきましたの!」
「流石ー!」
「当然ですわ! 私こう見えて……いえ! 見ての通り出来る女ですもの!」
褒め称えなさいと言わんばかりにサンベリーナはクッキー片手に胸を張る。
パチパチパチと小さなベネッタの拍手が更にサンベリーナを調子に乗らせた。
「南部の貴族は上下がどうのこうのって話はどこいったのよ……」
「あくまで私より前の代の古いままの貴族達のお話ですわ。家柄に誇りを持つのは結構、見栄を張るのも結構。歴史や伝統は尊ぶべきもの……ですが、それでこの私が誰かとの付き合い方を縛られるのなら、そんなもの糞以下ですもの。おっと、ついはしたない言葉が。失礼」
「思ってないでしょあんた……」
謝罪する気もなさそうに、わざとらしく口を手で押さえるサンベリーナ。
だが、そんなサンベリーナの傲慢さにエルミラは好感を抱いた。誰かに決められた地位ではなく、自分の基準で決めた気位の中で立つ場所からの世界の見方に。
「羨ましいですわ……サンベリーナさんのように言いたい事を言えてしまうのが……」
エルミラの胸の中、誰もが気落ちしているのがわかる声でミスティは呟く。
どうやら言いたい事は言えずに帰ってきた今のミスティにはサンベリーナの姿が眩しい。
休息日に一緒に観光をしたい。……何故そんな簡単な事すら言い出せなかったのだろうか。
「何があったのかは知りませんが……その様子だと、よほど落ち込む事があったんですのね? あなたが思いを寄せているアルムさんに誘いでも断られたんですの?」
「誘えてすらいません! と、というより、な、なな、何故それを……!?」
エルミラの胸から飛び起きるほど動揺するミスティにサンベリーナは呆れたように肩をすくめる。
「何故もなにも……あなた全く隠す気が無いではありませんか。毎日あんな熱い視線をあの方に送っておきながら隠しているつもりでしたの?」
「そうだよ! ミスティは隠してるつもりなんだからー!」
「そうなのよ。この子の苦手分野だから言わないであげて。まぁ、当の本人にはばれてないからいいんじゃない?」
エルミラとベネッタのフォローのような追い討ちのような言葉がミスティに突き刺さる。
「あら、アルムさんはお気付きではないの? まぁ、鈍そうというか……見るからにそういう方面に明るいようには見えませんものね」
「ま、あんたも初心な大貴族と鈍感な平民っていう構図をしばらく見守ってあげて。今日はこの子なりに頑張ろうとしてたから」
そう言って、エルミラはミスティの頭を褒めるように撫でた。
自分で撫でておいて、ミスティの髪の触り心地の良さにびっくりしたのは内緒である。
初めて触ったわけではないが、この撫でている手のほうが気持ちいいほどの触り心地に毎度驚愕せざるを得ないのだ。
「ふうん……私としては、向き合おうとしない没落貴族と向き合わせようとしてる大貴族の構図も気になるところですけれど?」
「ぶふっ!」
サンベリーナはそう言いながらクッキーを口に放り込む。
エルミラの反応をまるで肴にするかのように。
「あら、反応したって事は自覚はおありなんですのね。よかったですわ」
「没落貴族って私しかいないでしょうが……!」
「あなた方は少なくともミスティさんよりは進んでいるように見えますが? あのルクスって男とどうなんですの?」
「ないない。あんたを楽しませるような事は全くないわよ。ないない」
顔を赤らめながらも、エルミラは手をぶんぶんと振って否定する。
繰り返し、ない、と言う様子は自分に言い聞かせているようだった。
「エルミラさんはこう仰られていますが……本当ですの? ベネッタさん?」
「スノラで手にちゅーされてた事あるよー」
「ベネッタこらあ!!」
「あて!」
「まぁまぁまぁ! 有益な情報ですこと」
あっさりとスノラでの出来事をばらされ、エルミラは反射的にベネッタの頭をはたく。
それを聞いたミスティも自分の落胆や羞恥を一先ず置いておき、エルミラに詰め寄る。
「スノラでまさかそんな素敵な事になっていたなんて……! エルミラ! 私応援致しますね!」
「ぐっ……! なんて傍迷惑な純粋さなの……!」
茶化すわけでもない善意百パーセントのミスティの応援に、今度はエルミラがミスティを眩しく感じてしまう。
「明日の休息日に誘われたりしておりませんの?」
「ないっての。私達は何でもない友達よ友達」
そう、自分とルクスはいい友人。
サンベリーナが期待しているような事も、ミスティに応援されるような事も無い。
ただ少し、ルクスが自分を見る目が他よりほんの少し優しく見えるだけ。
ただ少し、そんな目を向けられて悪くないと思う自分がいるだけ。
ルクスは家柄を気にせずに友人として接してくれるいい友人というだけなのだ。
「……なんでもないのよ」
それでも、誘われる事を期待していた自分がいないと言うと嘘であり。
少し落ち込んでいる自分がいる事は認めなければならない事実である。
しかし、自分でもどうすればいいのかわからない感情を他に悟られるのは何というか癪に障るので、エルミラはなんでもないと言い張り続けた。
「いいですわね……こういうの。ただ貴族であるだけでは味わえない甘酸っぱさ。学院という場所に身を置いているからこそですわね」
「そういうあんたはどうなのよサンベリーナ」
「まぁ、私もラヴァーフル家ですからそういったお話はいくつか来ますが……あなた方のような色恋とは程遠いですわね。相手を選り好みできるという意味では楽なのですけれど、中々いい方はおりませんから」
上級貴族ともなれば当然、縁談の話も色々と舞い込んでくる。サンベリーナが話したのはそんな貴族界隈ではありふれた話だった。ドライな視点でそういった話が舞い込んでくるのは一応メリットとして捉えているようである。
ちなみに、ミスティやルクスにもそういう話は来るものの、今は学業を優先という建前で全て断っている。
「それで、ベネッタさんはどうですの?」
「へ? ボク?」
サンベリーナは自分の話をつまらなそうに切り上げると、ベネッタに矛先を向ける。
ベネッタは意外そうに自分を指差しているものの、この流れで一人だけ免れるなどという事が起きるはずはない。むしろ必然である。
「ないよー! 友達でさえアルムくん達とか、ネロエラとフロリアに最近サンベリーナさんと知り合っただけだし……それにボク、ほら、ミスティやエルミラみたいに綺麗でも可愛くもないから……髪とかもね、ミスティに憧れてちょっと伸ばし始めたりしてるんだけどー……やっぱボクが伸ばすと違うかなあとか思っちゃうし……」
顏を俯かせ、ベネッタは髪を指でくるくるさせながら、躊躇いがちに話す。
色恋はともかくとして、女の子として可愛くなりたいという願望をエルミラやミスティに話すのがベネッタは何だか照れ臭かった。
そんなベネッタを二人が笑ったり、からかったりするはずもない。
「何言ってんの。いいじゃない。あんた結構可愛い顔してるんだから髪が長くても短くても似合うわよ」
「そうですわ。そんなに自分を卑下しないでくださいまし。ベネッタはとても可愛いらしい女性です。とってもよく似合うはずですよ」
「えへへ、ありがとー……」
世辞を感じさせないいつもの雰囲気のエルミラと、手を握って言葉を染み渡らせるように語るミスティ。
疑いのようない二人の言葉にベネッタははにかんだ。
「というより、ミスティさんを基準に考えてはいけませんわ。この方と比べたら色々とおかしくなってしまいますもの。このサンベリーナ・ラヴァーフルの美貌でもなければね」
「あんたの美貌はともかく、基準については同意だわ」
「全くエルミラまで……そんなお世辞を言われても何も出ませんからね?」
「いや、お世辞じゃなくて……」
「あははは!」
そんな話をしていると。
こんこんこん、と部屋をノックする音が扉から聞こえてきた。
「はーい!」
ベネッタはぱたぱたと足音を立て、ノックされた扉を開ける。
扉を開けた先にいたのは大きな眼鏡が目立つ女子生徒グレース・エルトロイ。
学院や第二寮で時折見かける事はあり、アルムの友人という事は知っているものの、ベネッタ自身は話した事は無い女子生徒だった。
「グレースさん? どしたのー?」
「別に私に用は無いわ。私はあなたを呼びに来ただけだから」
「呼ぶ? どこにー?」
ベネッタが聞くと、グレースは面倒臭そうにため息を吐く。
「タトリズのセーバって人いたでしょ。模擬戦の」
「うん、ミスティと戦ってた人だよねー?」
「そう。その人が明日の休息日についてあなたに話があるんだって。ロビーで待たせてるわ」
そう言ってグレースは下を指差した。
ベラルタの生徒が宿泊している宿舎は男女で別れて二つあり、異姓は宿舎のロビーから先には入ってはいけない決まりになっている。
その決まりを破ったタトリズの生徒が一人、サンベリーナの手によって半殺しにされたのはタトリズの生徒やベラルタの留学メンバーの記憶にも新しい。
「……へ?」
「じゃあ私はこれで」
「えっと……ボク?」
「そう言ってるでしょ。あなたはベネッタ・ニードロス。違う?」
「はい……そうですー……」
「よろしい。伝えたわよ」
「う、うん……ありがとうー……」
用件を伝え終わると、グレースは手をひらひらとさせて去って行く。
ベネッタはグレースに伝えられた用件の意味がよくわからないまま、グレースが自分の部屋に入って行くまでの間、その背中を見送った。
「……へ?」
混乱しているベネッタが振り向くと、そこには嬉々とした様子のミスティ達。
ベネッタが自分を指差すと、ミスティ達はうんうんと頷いた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
書籍の発売が近づいてくるにつれて緊張します……。