306.情報共有その裏
「明日は初めて観光が出来る休息日ですね。ベラルタの皆様にとって。ご予定は?」
ガザス側からの情報提供が終わり、すぐさま退散すべく会議室にいた各々は立ち上がる。
そんな中、先程会議室にあった空気とは真逆の緩んだ微笑みを浮かべながらラーニャはアルム達に問い掛けた。
声色すら別人のようだった。先程までが女王の声色であれば、今は同年代の少女の声。
アルムは少し驚き、何を問われたか一瞬頭の中で整理する。
「……アルムは、その、何か予定は?」
「いや、何も。ガザスに来る前に皆で調べたところに行こうとは思ってたが……」
ラーニャからのパスを好機と見たのか、ミスティはアルムに明日の予定を尋ねた。珍しく声を少し詰まらせていて、その表情には緊張と不安が入り混じっている。
そんなミスティの心中など知る由も無く……アルムは考える素振りすら見せずにさらっと答えた。
見栄を張るなどという言葉はアルムには存在しない。あったとしても使いこなすには十年早い。予定が無い時は無いと言い、ある時はあると言う。
その純朴さが今のミスティにとってはありがたい。意を決してミスティは口を開く。
「で、でしたら――」
「おおそうだ! アルムくん! 私がガザス自慢の王都を案内してやろうか!?」
そんな時、タイミング悪くウゴラスの大声がミスティの声に被さる。
ウゴラスは目を輝かせながらアルムに歩み寄った。
豪快な声に表情は善意に溢れているその提案は、昔アルムに助けられた事への恩返しの一環であろう。
自分の声が遮られた事にミスティが文句を言えるはずもない。何より、ウゴラスにとってもアルムは恩人であるのだから。
「あの時の礼をしなければと思って――」
「あなたは当日、その王都シャファクの警備を指揮するでしょう……どうやって案内するんです?」
しかし、ため息交じりのエリンの声でその目の輝きは消えていった。
そうだった……、と小声でウゴラスは肩を落とす。アルムに案内を提案した時の豪快さの欠片も無い。
「恩返しはまた別の機会にですね。ウゴラス」
「ははは……。そのようですな……」
「それと、もう少し空気を読んだほうがいいですよ」
「はい?」
「なんでもありません。甘い空気は苦手のようですね」
そんな小さく見えるウゴラスの様子にくすくすと笑うラーニャ。
笑いながらも、ウゴラスがしでかしたミスに少しだけアドバイスを送る。本人は何のことかわかっていないようだが。
「恩返しなんていらないですよ。先程も言いましたが、あなたを治したのは俺じゃない」
とぼとぼと会議室を出ていこうとするウゴラスの背中にアルムは念を押すようにして言う。
ウゴラスの傷を治したのは師匠だ。ウゴラスの顔は曖昧でも、その時師匠の指示で水と薬草を取りに走った事はしっかりと覚えている。
しかし、ウゴラスは口元で笑って首を横に振った。
「いいや、それは違う。私を助けたのは君だよアルムくん……君なんだ」
アルムの知らない何かを知っているかのようにウゴラスは力強く断言する。
それだけは覆させないと言わんばかりの圧力に、アルムはそれ以上否定しない事にした。
「ウゴラス。誰かいらっしゃいますか? 廊下に」
ラーニャに言われてウゴラスは扉を開く。
廊下に出て左右を交互に見渡すも、誰もいない。今回の密会の為に王城のこの区画は人払いしてあるので当然だった。
「……ふむ、誰もおりませんな」
「そうですか。それは、なによりです」
ラーニャは笑顔のまま、ヴァンに視線を送る。
ヴァンはまるでとぼけているかのようにラーニャと視線を合わさなかった。
「私達は先に出る。そちらは少し後に出てきてくれ。案内はエリンがする」
酒呑童子はアルム達にそう告げながらウゴラスの脇を通り抜ける。
「エリン、そっちは任せる」
「ええ、任されました」
腕が通っておらずぷらぷらとしている袖を手の代わりに振るエリン。
その様子に、酒呑童子は口元に笑みを見せながら部屋を出ていった。
「ではウゴラス。行きましょう。私達も」
「そうですな。全く……陛下は多忙でおられる」
「それでは皆様またタトリズで。よい休息日をお過ごしください」
続いて、ラーニャとウゴラスも部屋から出ていく。
「どこで落ち合う予定です?」
「はい、客間に……」
一瞬だけラーニャとウゴラスの話が聞こえてきたが、扉が閉まった瞬間全く聞こえなくなる。
恐らくは、エリンによって張られている感知魔法の影響だろう。
「お手数ですけど、少し待っててくださいね」
「はーい」
「接触してるとこは極力周りに見せたくないって事ね」
「ガザスの他の貴族からしたらマナリルの貴族を頼ってる状況は面白くないというか、国やラーニャ様の威信にも関わってくるからね。そういう面倒な事に巻き込まれるのは嫌だろう?」
「わかってるってば。魔法生命の件で協力するならともかく、他国のいざこざは私だって勘弁よ」
ルクスとエルミラの会話になるほどと納得しながらも、どこか妙な空気をアルムは感じ取っていた。
ふと、自分達が座っていた円卓のほうにアルムは目をやる。
ラーニャの指示で中央に集まるように押し退けられたカップが、少しだけ気になった。
時間は会議室での情報共有が始まる直前に遡る。
「……感知魔法を張られちゃったか」
会議室でお茶の用意を済ませた使用人――否。使用人の格好をした女性が壁にあてていた耳を離した。
「ま、女王とベラルタの生徒が秘密裏にってだけでも十分な情報よね。何企んでるのかは知らないけど?」
使用人の格好をした女性はティーポットとカップを運んだカートを静かに運び始める。
からからとカートの音が広い廊下に響く。事前にこの場所には人払いがされており、この女性以外に人の気配は無かった。
この使用人の格好をした女性は勿論、使用人などではない。
ガザス王都に建つシャファク城に半年前からいる使用人……に変装して潜入している密偵その一人。
祖国カンパトーレに忠誠を誓う魔法使いである。
「ふんふんふーん」
彼女はベラルタ魔法学院の留学メンバーが訪れたのを機にシャファク城に潜入したが、感知魔法によるガードの硬さによって今まで有益な情報を得られずにいた。
そんな時、王城にこそこそと入ってくるベラルタ魔法学院の生徒の面々。さらにはガザスの重鎮達と同じ会議室で何やらこそこそと相談事とくれば、秘密裏の動きがある事はまず間違いない。どうやら今回はただの留学ではないようだ。
変装しているこの顔の使用人の今日の勤務が、偶然女王付きだったのも運がいい。ようやくツキが向いて来たみたい、と密偵の女性は内心でほくそ笑む。
ついでに、命令通りガザス側のカップにだけ毒も仕込んでおいていた。遅効性である為に死に至るか怪しいものの、ガザス側だけという不自然さでベラルタの生徒が疑われてマナリルとガザス間に微妙な空気が流れれば言うことは無い。カンパトーレの仕業だと思われてもそれはそれ。元々敵対しているのだから取り繕う必要など全く無い。
密偵の女性はつい上機嫌にも鼻歌を歌ってしまっていた。全てが上手く行けばあの方からの評価も上り、この情報を持ちかえるだけでも仕事は果たした密偵として凱旋できる。
「……ん?」
とっとと退散しよう、などと考えていると、女性の後ろから廊下を歩いてくる音がした。
こつ、こつ、こつ。
固い靴底が規則的な間隔で、小気味よく廊下を鳴らす。
「申し訳ありません、ここは現在ラーニャ女王陛下の命により立ち入り禁止となっております」
音からしてブーツか革靴。という事は、この顔と同じ使用人のものではないだろう。
流石にこの場で使用人らしくしないわけにはいかない。運んでいるカートを一旦止めると、振り返って一礼しながらこの場が今人払いされている旨を女性は告げた。
こつ、こつ、こつ。
足音は止まらない。
女性は下げていた頭を上げた。
「人払いされた王城の一角、集まるガザスの重鎮、留学に来ていたベラルタの生徒、そして正体不明の平民……何かを掴みたい者にとっては絶好のシチュエーションだろう」
歩いてくるのは美しく揺れる金髪、そして射抜くような銀の瞳が鋭い女性だった。
こつ、こつ、こつ。
互いの顔が確認できるほどの距離で、その規則正しい音は止まる。
「だが、思わなかったのか? あまりにもわざとらしすぎる密会では、と」
「何を仰って――」
「ほう、王に忠誠を誓う使用人が盗み聞きをし……そして変装までしているのか。なかなか変わった者を雇用しているのだな?」
「!!」
変装している事を見抜かれ、密偵の女性の表情が変わった。
そう、カンパトーレの密偵の情報などガザス側はすでに手に入れている。
ガザスの人間を動かせば密偵に勘付かれる可能性を考慮し、確実に密偵を捕える為に……ラーニャはこの者に協力を要請したのだ。
「せめてもの礼儀だ、名だけは名乗ろう。私はマナリル国宮廷魔法使いファニア・アルキュロス。マナリル友好国ガザス国の女王ラーニャ・シャファク・リヴェルペラからの要請により、二国の敵であり我が国の貴族、そしてベラルタ魔法学院の生徒に接触を図ったカンパトーレの密偵を……排除する」
靴音を立てて歩いてきた女性の名はファニア・アルキュロス。
今回のベラルタ魔法学院の留学の引率であり、二十三歳という若さで宮廷魔法使いとなった才女。
当然……ただの密偵が相手するにはその実力は身に余る――!
「――っ!」
その名に密偵の女性から一気に冷や汗が噴き出した。
後先の思考を放棄し、咄嗟に窓へと全速力で飛び込む。
一刻も早く、この女から距離を取らなければ――!
その一心で密偵の女性は駆け出した。
「『荊棘の雷鞭』」
しかし、その飛び込みよりも早くファニアは腰に差している剣を抜刀した。
その抜刀の前では密偵が窓に辿り着く速度など欠伸が出る。
剣に走る雷属性の魔力。火花とともに剣から放たれる魔法。
密偵の体は剣から放たれた雷の鞭のようなものに巻かれ、そのまま地面へと叩きつけられた。
「あ……ぎぃひい……!」
密偵が思わず声を上げたのは地面に叩きつけられた痛みによるものではない。
雷の鞭で拘束された部分は刃物で突かれているかのような激痛が走り、バチバチと音を立てている雷属性の魔力は密偵の体を焼くように痺れさせていた。
「『地堝――」
「喋るな」
「ぶぐ……!」
魔法を唱えようとした密偵の女性の傍にはすでにファニアが歩み寄っており、ファニアは密偵の顎辺りを思い切り蹴り上げる。
硬い靴で蹴り上げられた密偵の口内は切れて血が滲み、密偵の歯が一本、からからから、と音を立てて廊下に転がった。
「『爆破』」
「い……ぎ、ひっ……アあ!」
ファニアは密偵の足を掴むと、そのまま魔法を唱える。
掴んだ部分は爆発し、密偵の女性は悲鳴を上げる。下位の攻撃魔法とはいえ、威力の高い火属性の魔法で無防備な足を焼かれればいくら魔法使いといえど一溜まりも無い。痛みと熱で焼かれた密偵の女性の足がぴくぴくと力無く動く。
ファニアは密偵の女性が悲鳴を上げると、すぐさま立ち上がった。
「がべ――っ!」
ファニアは立ち上がると、密偵の顎辺りをもう一度蹴り上げる。
今度は二本、血で赤くなった歯が廊下に転がった。かんからからから、と音を立てて。
「喋るなと言っただろう」
「ひっ……! ひっ……! ひっ……!」
腕ごと体に巻き付いている雷属性の魔力による痛みと、爆発で焼かれた足の痛み、そして顎と口内からじんじんと伝わってくる鈍痛。そしてファニアのあまりに容赦ないやり方に密偵の女性は恐怖する。
何より、魔法使いとして見逃せないのはファニアが使った魔法の属性だった。
(雷と火……!? 二属性の魔法……!?)
自分を縛る雷属性の魔法。自分の足を焼いた火属性の魔法。
普通ならばあり得ず、ファニアが特異体質の魔法使いである事を密偵の女性は知る。
しかし、重要なのは……ファニアは二属性の"変換"を行える特異体質を惜し気も無く披露した事実。
それはつまり、この宮廷魔法使いは自分を生かす気は無いという事に他ならない。でなければ格下の敵にわざわざ特異体質である事を披露する必要は無いだろう。披露したのは格下である敵の心を折る為だ。
自分の命運が決まっている事に気付いてしまい、ファニアの狙い通りというべきか、密偵の女性の心が折れかける。
「喋っていいのは私達が欲しい情報だけだ。わかったか?」
「あ……、え……」
ファニアはすぐに返答が返ってこない所を見ると、密偵の女性の手を掴む。
「『火炎掌』」
「あ、……! っああぎひい……!!」
ファニアの唱えた炎属性の魔法によって密偵の女性の手が焼かれる。
本来よりも"現実への影響力"を下げ、その威力は攻撃魔法にも満たない。手の間から炎が見えるものの、実際はファニアが手の表面を少し火傷させる程度の"現実への影響力"に調整してある。
しかし、折れかけている心に追い討ちをかけるという意味で、目の前で手が焼かれるという光景はこの上なく効果的だった。
「ぎひい……! ひい……!」
「もう一度言う。喋っていいのは私達が欲しい情報だけだ。そして今私が欲しい情報はお前がわかったかどうか、だ。私が今言った事をお前はわかったのか? どうなのだ?」
「ひ……あ……」
ああ、逃げられない。勝てもしない。
はい、以外を言わせる気が無いファニアの問い掛けに密偵の女性は覚悟を決める。
歯の奥に仕込んである毒で自決をはかりながら密偵の女性は後悔した。
何故気付かなかったんだろう。
こつ、こつ、こつ。
あの小気味のいい音はちゃんと、自分に死神が近づいてくるのを知らせてくれていたのに。
いつも読んでくださってありがとうございます。
先日募集していた書籍化記念短編に関して、コメントありがとうございます。11月8日締め切りという早いスケジュールにも関わらず予想以上に多くのコメントを頂き驚きと嬉しさで胸が一杯になりました。あと少しびびりました。
誰を題材にして書くかは少し考え中ですが、改めて後書きと活動報告にて皆様にご報告させて頂きます。
短編自体のアップは「白の平民魔法使い」の書籍発売日である11月13日を予定しています。
よろしければ書籍の購入の方もよろしくお願いします!