305.情報共有2
「まず、この紅茶は飲まないでください」
誰かがカップに手を伸ばそうとする前に、ラーニャが先んじて忠告する。
アルムの腕はカップに向けて動きかけていたが、ぴたりと止まった。
「少し気になる情報が入ってきまして……念の為です。この件に関してはマナリル側の協力も取り付けておりますので追及は後程」
「……なるほど。そういう事だったか…………」
ヴァンだけは何かに納得したように頷く。
ミスティ達も何となく事情を察したのか、カップを手で円卓の奥に追いやった。アルムも同じようにカップを遠ざける。
「まず顔を合わせるのは初めてだと思いますが、彼女がエリン・ハルスター。こちらがウゴラス・トードルードです。すでに自己紹介されたかもしれませんが改めて」
ラーニャに紹介されるとエリンとウゴラスは立ち上がり、アルム達に向けて一礼する。
先程とはまた違う重々しい雰囲気を漂わせる。
「ウゴラス。アルムさんは命の恩人なのでしょう? どうですか、再会の喜びは」
「え? あ、ええ……まぁ、出会った時よりも逞しくなって驚きましたな! ははは!!」
「?」
不自然な様子のウゴラスにラーニャは首を傾げる。
アルム達が知る筈もないが、ウゴラスはベラルタ魔法学院の留学候補のリストを見た際に、思い出したかのように当時の様子をラーニャ達に語っていた。なので、まさかその命の恩人に顔すら覚えられていなかったとは言えなかったらしい。
とはいえ、そこを突っつく理由も今のラーニャには無かった。
「この二人を呼んだのは魔法生命について知っている人間同士の顔合わせも兼ねて、情報の確認と共有をさせて頂くためです。基本的には酒呑に喋ってもらう事になりますね。この場で一人だけですから。コノエの内情を知っているのは」
「私以外の者が喋ると奴の呪法に引っかかる可能性もあるからな」
酒呑童子はそう言うと一歩前に出る。
約束通り、アルム達の知らない情報を対価として差し出す為に。
「約束通り、この場は君達の魔法生命との経験を共有して貰った対価に……この場で私が話す情報は情報源を晒さなければマナリルでの対魔法生命の策を練る際にも役立てて貰っていい」
酒呑童子は一度円卓に座る全員の顔を確認して、改めて話し始める。
それは酒呑童子自身がこの世界に生まれ変わった半生を語るのと同じだったかもしれない。
「まず……常世ノ国がどうやって私達を生み出したかは知っているか?」
「ええ、魔法使い不足の常世ノ国で……魔法使いを増やす為の実験を行っていたと、とある方からお聞きしました」
ミスティが言うと、酒呑童子は一瞬驚いたように目を見開く。
誰からその情報をと詮索しかけるが、そこは今重要ではない為に思い直す。
何より、酒呑童子には一人だけ心当たりがあった。恐らくは大百足と敵対していた白い龍の宿主だろう。
「その通りだ。常世ノ国の魔法研究組織コノエで行われていたのは霊脈で発見された魔法の核を平民に植え付け、人為的に魔法使いを生むという実験だった……まぁ、失敗していたがな。そして失敗を悟ったコノエは方向性を変え、平民ではなく魔法が使える者……つまり今の貴族に魔法の核を植え付け、血統魔法級の魔法を二つ持たせる事で魔法使い一人一人の戦闘能力を向上させる為の実験に着手した」
「その実験で生まれたのが……魔法生命」
「そうだ。コノエが保有していた……かつてこの世界に存在した魔法の核だと思われていたものは全て異界の生命だった私達であり、私達は宿主を得る事で魔法生命として目覚めた。私もそうだ。常世ノ国の貴族ツモリノ家の魔法使いの体を宿主としている」
酒呑童子はそのまま自分の首を指差した。
「その魔法の核というのが……今の私達の心臓や頭そのもののようなものだ。ミノタウロスは首、大百足や紅葉は胸など……場所はまちまちだが、基本的に頭か首、胸のどこかだと思っていい」
「どうして?」
「宿主の魔力と繋がりやすい場所がその三つだからだ。私も首にある。万が一の時は私の首を狙うといい」
縁起でもないが、酒呑童子は手を広げて自分の首を切るような動作を繰り返す。
エルミラはベネッタのほうを見そうになったのを我慢する。ベネッタが魔法生命の核を見る事の出来る情報はまだガザス側に与えていいものではないと判断して。
「つまり、元々コノエとやらは魔法生命の組織じゃなかった。単純に常世ノ国で魔法研究を行う組織だったってわけだ」
「そういう事だ」
「変えたのはやたら話に出てくる……最初の四柱とやらか?」
腕を組み、抑揚の無い声で確認するようにヴァンは尋ねる。
酒呑童子は頷いた。
「それに加えてコノエの資金面と、その魔法で私達を霊脈から掬い上げていた常世ノ国の貴族クダラノ家だ。奴らは魔法の核がただの魔法ではなく、私達魔法生命である事を知ると、あっという間にコノエの方向性を変えていった。ガザスを狙っているあやつと大百足、それに"ファフニール"と未だ常世ノ国に残っている一柱がコノエという組織を魔法生命中心のものへと変えてしまった」
「え? あれ? しゅ、シュテンさん名前……名前言っちゃってる!」
聞き慣れない魔法生命の名前を酒呑童子が口にし、ベネッタはわたわたと両手を動かす。
数日前、アルム達も最初の四柱は名前そのものが呪法になっていると聞かされたばかりだ。
その慌てる様子にエリンやラーニャの顔がつい緩む。
ベネッタの慌てようが伝わってくるような両手の動きは、意図せず会議室の重々しい空気を柔らかくした。
「落ち着いてくれていいベネッタ・ニードロス。ファフニールという魔法生命はすでに死んでいる。常世ノ国にも早い段階でコノエの方針が危ういと感じた貴族が数名いた。すでにクダラノ家が常世ノ国を支配しているといってもいい状況の中……その数名が反旗を翻した事で一柱だけは倒す事に成功している」
「あ、そ、そうなんですか……ボクったらてっきりシュテンさんがうっかり言っちゃったのかと……ごめんなさい……」
「いや、しっかりと私達の呪法を警戒している証拠と言えよう。存外しっかりしている女子のようだ」
酒呑童子に微笑まれながら褒められ、少し照れるベネッタ。
魔法生命ではあるものの酒呑童子の見た目は綺麗な顔立ちをした男なだけあって、その微笑みには中々の破壊力がある。
「一柱だけという事は……」
ルクスがその先を言わずとも、常世ノ国がどうなったのかはわかる。
恐らくはその数名が反旗を翻した時こそが常世ノ国という国にとって最後のチャンスだったのだ。
「ああ、その数名も敗北し……常世ノ国は国としては滅んだ。すでにまともに戦える貴族が少なかった上に、クダラノ家が有力な貴族は取り込んでいたからな。私達がいたのもあって、常世ノ国に為す術は無かった。今は一柱だけ常世ノ国に残った魔法生命に支配されているか……全て食われているかだろう」
「そうですか……」
母の故郷に一度行ってみたいという思いを胸の奥にしまうルクス。
常世ノ国までの海は自立した魔法に阻まれているため、どちらにしろ故郷の地は踏めそうにないのだが、たとえ行けたとしても待っているのは凄惨な光景だろう。
「ちょくちょく出てくるクダラノ家ってのは一体……?」
アルムは数日前から少し気になっていた名前についてを尋ねる。
シラツユやマキビなど常世ノ国の貴族と色々会ってきたが、誰からも聞き覚えの無い家名だった。
「常世ノ国の巫女と呼ばれる一族だ。実質常世ノ国の王のような家だったが、正直私もよくわからない。何かの教えを守っているらしく、魔法の核を霊脈から掬い上げたのも、そんな血統魔法になった理由もその教えによるものらしい」
「そのクダラノ家の人間が今もコノエを?」
「少なくとも私がいた時はそういう事になっていたが……魔法生命の力がある程度戻れば組織の実権を握るのは不可能なのはわかるだろう?」
何故かは言われずともわかってしまう。
大百足や大百足と同等の"現実への影響力"を持つ魔法生命を相手に上に立つのはまず不可能。
人間社会における人を纏める才の有無は関係なく、単純に存在そのものが恐怖であるがゆえに。
魔法生命側が自分から下るような事がなければ、人間が魔法生命の上に立つのは余りにも非現実的だ。
こうしてラーニャの部下のように振舞っている酒呑童子も何らかの理由で人間に寄り添っているに違いない。
「奴や大百足の力が戻ってからはクダラノ家も魔法生命を増やす事の出来る貴重な魔法使いとして生かされているに過ぎない。とはいえ、ここ数年は増やせていないし、私が抜けてからも間違いなく増えていないだろう」
「わかるんですか?」
「ああ、今のコノエの拠点であるカンパトーレには増やす為の霊脈が無い。魔法生命が接続できる霊脈を選ぶように、クダラノ家の血統魔法にも巨大な霊脈が必要でな。カンパトーレにはそんな霊脈は無く、ガザスも条件に合う霊脈は王都にしか無いからな」
酒呑童子の説明を聞き、もしかして、とベネッタがおずおずと手を挙げる。
「あのー……じゃあマナリルが魔法生命に何回も狙われてる理由ってー……」
「巨大な霊脈がいくつもあり、魔法生命の力を発揮しやすい場所が多いからだな。去年ダブラマにメドゥーサという魔法生命が攻め込んだのも同じ理由に違いない。ダブラマにも巨大な霊脈がいくつかある。ダブラマがコノエから手を引いたのは自分達の国が探られている事に気付いたからというのも理由の一つだろうな」
「ありゃー……」
謎が解けたのと同時に、人間ではどうにもならない都合に妙な声を上げるしかないベネッタ。
霊脈が多い事は魔法使いを育成しやすい環境が整っているという事であり、マナリルが魔法大国と言われる理由の一つでもあるのだが、魔法生命がかかわるとなるとデメリットにしか聞こえない。
「まぁ、マナリルは自立した魔法が多いのもあって一概に侵攻しやすいわけではないが……」
「自立した魔法が何か関係あんの?」
一見関係無さそうなワードが酒呑童子の口から出てきた事にエルミラは眉を下げる。
自立した魔法。
魔法使いの死後、血統魔法が意思を持ったかのように世界に顕現し続ける現象だ。
「魔法生命にとっては中々に邪魔な存在なんだあれは。その場の現象としての"現実への影響力"を持っているせいか霊脈の支配権の奪い合いになる。ミノタウロスが数年前から潜伏していたのもその為だな。自立した魔法を掌握するにはかなりの時間を要する。
去年【原初の巨神】という創始者の自立した魔法を動かした理由の一つもそれだろう。ダブラマを唆してマナリルの動きを見る意味もあったのだろうが……一番の理由は恐らく障害になる可能性を考慮したからと私は見ている」
酒呑童子はこんなもんか、と呟いてラーニャに視線を送った。
その視線にラーニャは頷いて正面に向き直る。
「こちらが出せる魔法生命の情報は以上です。ガザスを狙う魔法生命に関しては呪法の危険性ゆえお話できません。どうかお許しを」
「なんとなく……今になるまでの流れは見えた気がするけど……」
酒呑童子の話から、確かに大まかな流れはわかった。
魔法生命という存在が生まれ、常世ノ国という国が滅んだ経緯。大百足を始めとした魔法生命がマナリルに出現する理由。ミレルでシラツユに聞いた話と合致する部分もある事から酒呑童子は嘘を言っていないのだろう。
「なんだか……靄にかかったみたいですわね……」
情報は増えたはず。今に至るまでの経緯も理解する事ができた。
それなのに、肝心な部分が意図的に隠されているかのような……会議室にいる全ての人間がそんな感覚に陥っている。
「当然だ。私達はばらばらなんだ」
「ばらばらって……」
「自身の願望の為、自身の未練の為……そんなエゴを持って私達はこの世界を生きている。全てが繋がった一つの回答など私達には存在しない」
酒呑童子はそのまま続けた。
情報を話す時とは違う感情の籠った声。目の奥に湛えられるは自身の望みか。
「クダラノ家やコノエが何を考えているかは知らない……。だが、これだけは断言しよう。私達魔法生命は自分の為だけにこの世界を振り回し、それを当然だと思う我欲に塗れた生命の集まりだ。私も……そしてそれは当然奴もだ」
悪意無く、酒呑童子は当然と言わんばかりの物言いでこの場にいる者に告げる。
お前達の暮らすこの世界は自分達を輝かせるための舞台。私達の為にこの世界はあるのだと。
初めて垣間見せる尊大さを言葉に見せて。
「ゆえに、強いのだ。一つの生命として」
酒呑童子は人差し指を一本だけ、静かに立てた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
書籍化記念短編のキャラクターについては予告通り、11月8日までのコメントを締め切りにさせて頂きます。
このキャラのお話を見てみたいな、と思う方は是非活動報告の記事のほうにコメントしていってくださいませ。