幕間 -酒呑童子の問い-
もしもここが地獄だったら?
敗北してなお願望を抱き続ける我らに罰を与える為、悪趣味な神が再び生を与え、二度目の死を味わわせようとしているのだとすれば?
さすればこの生は機会ではなく、罰ではないだろうか。
我らは知っている。
死という感触はかくもおぞましい。
不気味な静謐。滲むように這い寄る闇。一切の無い虚空。
どう表現しようと陳腐にならざるを得まい。味わった事の無いものには伝わらぬ。
それを二度味わおうとしている我らはきっと、正常な生命ではないだろう。
もしもここが地獄だったら? この生は罰ではないか?
白き龍の乙女は答えた。
「だとしても、この子を見捨てる理由にはなりませぬ。罰だと言うのならそれも結構。少なくとも……この子の生が罰であっていいはずがありません。この子には穏やかに、そして健やかな生を謳歌する権利がありますゆえ」
高潔な女だった。
宣言通り、我らを裏切るのに躊躇いも無く、ただ宿主の少女に寄り添った。
牛頭人身の怪物は答えた。
「我が身はそれでも感謝しよう。この生が罰であっても、我が身の無念に挑戦する機会が確かにある事に。神々の嘲笑も今は聞こえぬ。なにせ……我が身はこうして生きている。嘲笑を聞くのは再び死に絶える時……我が身が、醜く朽ちていく時のみ」
武人のような怪物だった。
生前によく見かけた武士を思わせた。宿主の精神と相反するように確固たる自己があった。
謎掛けの怪物は答えた。
「それは……謎掛けですか? 答えなければ、殺されますか? 違う? 純粋な興味? そう……ですか……。そうですね……。人が生きる世であれば、それだけで私はとても嬉しいです……。罰とは思いません。けれど……それを紐解くのは私達ではなく、この世界に生きる人々だと思われます。私達は、その答えを出してはいけません」
人を愛する怪物だった。
母のような慈愛を持ちながら、人に試練を与えるべきという苛烈さを持ち合わせていた。
人を殺す事に怯えながら、人を殺す事を当然と考える矛盾した精神に宿主は早々に壊れていった。
石蛇の怪物は答えた。
「地獄……? タルタロスって事かしら? 有り得ないわね、ここがあなたの言う地獄だとしたら、私がいるはずないもの。私はずっと正しく生きてきた。奈落に堕ちる道理も無ければ、罰を受ける道理も無い。ただ美しい……それが罪になるのかしら?」
言葉通り美しい女だった。
その髪や肉体だけでなく、自身の行い全てを正しいと信じるその精神も。
ダブラマに侵攻し、どうやって敗北したのか想像つかないほどに。
鬼女は答えた。
「私がいて、人がいて、グレイシャがいる……ここまで恵まれていてここが地獄? 酒呑童子様ったらずいぶんおかしな事を仰るのね?」
呪いの塊のような女だった。
声も笑みも、仕草に至るまで……世が世なら支配者になったであろう、人をかき乱す生きる呪い。
そして、その呪いに全く呑まれぬ宿主に戦慄した。呪いを全身に浴びながら一切を侵されない、氷のように澄み切った狂気を持つ宿主に。
■■■■は答えた。
「さあ? 私はどちらも体験した事が無いからね。今こうしている事が罰なのだとしたら……私はただ生まれる事が罪だったのかな? なら生きるというのは、不幸なのか幸いなのか……まぁ、ゆっくりと確かめる事にしよう」
これは誰の記憶だったか。
真っ白な影と真っ白な記憶。なんと不自然な忘却か。
ただ言えるのは、その声はひどく無気力だった。
……大百足は答えた。
「鬼の癖に妙な事を考えるのじゃなそなたは……。なるほど、罰か。確かに儂らには儂らが蘇った意味も、この世界が何たるかを知る術は無い。ここが地獄という仮説もありえよう。
だが、そうじゃな……仮に地獄だとしたら興醒めじゃ。地獄に奴がいるはずもないからの。まぁ、いないのなら……来るまでこの世界を食らうまでじゃが」
ただ一つの為に、全てを捧げている女だった。
その一つの為に何でもやる女だと悟った。だからこそ、我がいなくなった後のコノエを事も無げに裏切った事にも驚かなかった。
きっと、焦がれたそのただ一つの為に……あの女は走ったのだろう。
奴は、答えた。
「どうでもよい」
奴は心底からそう思っていた。
しかし、それがこの上なく我の質問への回答だった。
「戯れもよし、運命もよし、罰もまたよし……余がここに在るのであれば構わぬ。何故余がここに在るのか、ここが何処であるかなど些末な事よ。余の耳が世界を聞く、余の瞳が生命を映す。そこに疑問の余地があろうはずもない。
畏怖を聞け。執着を見つめよ。余が立つこの場所こそが、紛れも無い現世なれば」
いつも読んでくださってありがとうございます。
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