300.誰も得しない闘争
「他人を見る目?」
「ああ、昨日そんな話を聞いて……フラフィネはどうだ?」
翌日、ガザスの基礎授業の一つで、精神の平静を意識する瞑想の時間が終わった頃。
瞑想の基礎授業は私語厳禁。授業を担当していた教師が訓練場を出た瞬間、アルムだけでなくタトリズの生徒達も一斉に私語が解禁される。
自分のもやもやが解決した今、マルティナの話のほうが気になってしまっていた。マルティナは他人にも友人にも自分は厳格な女だと思われているという話だ。
アルムは約束通りマルティナの名前は出さずに、それとなくフラフィネに尋ねてみる。
「他人を見る目なんてよほど知ってないと自分の解釈になっちゃうもんじゃん? うちとかアルムっちの事、裏口入学してきた貴族的な感じだと思ってたし」
「裏口……? 学院にはちゃんと正門から入ったぞ?」
説明するのも面倒臭いというフラフィネのため息。
その後ろでベネッタはくすくすと笑う。
「ベネっち……こいついつもこんな感じなわけ? 疲れない?」
「面白いですよねー」
「あんたも変だし……」
変なの二人と組まされた事を実感しながらフラフィネは同意を得るのを諦める。
「ま、あんま知らない他人をどんな人か判断するなんて出来ないって事だし。どうしたって人は自分が見たいように見えちゃうわけ。それが良いか悪いかは置いといて」
「そういうものか?」
「うちを例にするなら、平民が入ってくるなんて思ってなかった私が納得いくようにアルムっちを身分隠した貴族だと想像したみたいな? そんな感じだし」
「なるほど……」
「ま、その人を知ってるか知ってないかでも変わるもんだし……一概にこうとは言えないけど――」
その時、訓練場の扉が勢いよく開いた。
バターン!! という扉が壊れたのかと思うほど大きな音に訓練場にいるタトリズの生徒達もびくっと体を震わせて驚く。
「アルムとかいう輩はここかああああああ!!」
しかし次の瞬間、そんな扉の音よりも恐ろしい声が響いた。
扉を開けて入ってきたのは昨日の昼マルティナと同じテーブルで見かけた、マルティナを尊敬しているナーラ・プテリという少女。
その形相は昨日見かけた時と同一人物とは思えない。昨日は可愛らしい少女という印象だったのが、今は怒りで燃え上がっていた。
その形相に、ベネッタがついアルムの背中に隠れる。
「あんた……! 私のハミリア様になにしてくれてんだこの女たらしがああああ!!」
「お、落ち着くんだナーラ!」
そんな怒りの形相でずんずんと突き進むナーラの腰には、同じく昨日マルティナと同じテーブルにいたセーバという少年が掴まっていた。
恐らくはナーラを止めようとしているのだろうが、腰に掴まっているセーバを引き摺りながらナーラはずんずんとアルムのほうに突き進んでいる。まさかここに来るまでずっとあの状態だったという事だろうか。だとすれば怒りの力というのは何とも恐ろしい
「なに!? なになに!? アルムくん何したの!? めっちゃ怒ってるよー!?」
「全く身に覚えがない! というか初対面だぞ!」
「こんにちは! 私はナーラ・プテリです!」
「どうもご丁寧に……アルムです」
定型文のような自己紹介だったものの、怒りの形相のまま自己紹介をしてきたナーラにアルムもつい名乗り返す。
「よし! これでもう殺していいって事だよなああああ!?」
「どういう理屈だ!?」
「アルムだったな!? 逃げてくれ! ちょっと誤解があったようなんだ! 落ち着いたら改めて話させるから!」
褐色の肌は烈火の如く、その白髪はもう怒りという火に照らされた赤にしか見えない。
セーバはナーラの腰を掴みながら何とか止めようと踏ん張っているが、ナーラの怒りに軍配が上がっている。
アルムに進むその足は止まらない。ナーラの迫力にアルムは後ろに下がりそうになるが、ベネッタが背中に引っ付いている為下がれない。
「私のハミリア様にいかがわしい真似しやがって……絶対に許さないからな貴様あああ!!」
「いかがわしいって……アルムくんやっぱり何かしたのー!?」
ベネッタは何を想像したのか少し顔を赤らめ、アルムの後ろから離れた。
「してない! と思うんだが……」
「じゃあなんであなたの上着をハミリア様が持ってるんだあ!? ああ!?」
「上着……ああ、あれか」
アルムは自分がどれだけ愚かな選択をしていたのかをわかっていなかった。
マルティナ・ハミリアはガザスで最も有名な貴族の一人であり、この学院内でも人気も高い女子生徒。
そんな女子生徒が男の制服の上着は持っていればそれはもう爆弾のようなもの。アルムの制服をマルティナが洗ったなどという事実がばれれば、もうあれやこれや根も葉もない噂が広がる事間違いなし。その噂から彼女に憧れる全員から妬み嫉みは勿論、怒りの視線を向けられる事であろう。
そしてまさに、今がその時である。
ああ、何故学習しないのか。この一年、アルムはミスティと行動を共にした事で、その背中が見えなくなるほど剣で突き刺すような視線を注がれ続けてきたというのに。
「心当たりがあるじゃねえかああ! やっぱり昨晩何かあったなああ!? 昨晩散歩から帰ってこられたと思ったら……うきうきで誰かの上着を洗い始めたハミリア様がいておかしいと思ったらああああ!! ……そんなうきうきの姿を見れた件についてはありがとうございます。眼福でした!」
「あ、いえいえ……でいいのか?」
「だけどそれで変な事していいかは話が別だごらあああああ! ハミリア様の純潔が貴様なんぞにいいい!!」
「待て! 何を疑われてるか知らないが、怒られるような事は何もしていない! 変な事? とやらもわからんがない!」
何故怒られているのかも若干わかっておらず、変な事に至っては何を指すのかすらわかっていないアルムは必死に弁明する。
なにせ、目の前の少女の怒りようと言ったら、少女と既知であるはずのタトリズの生徒が怯えているくらいだ。隙を見て訓練場から脱出している生徒までいる。
「じゃあ昨晩何してた!? いってみろおおお!! 変な事してないなら言えるだろおおおおお!!」
「昨日は――」
そこでアルムはようやく、自分の状況が昨夜の時点で詰んでいた事に気付く。
そう、アルムは昨日の事は秘密にするとマルティナと約束してしまっている。
恐らく、このナーラという少女が知りたいのは昨晩の詳細だ。散歩した所で偶然会ったといえば、マルティナが何をしていたかを話さなければならない。嘘が下手糞な自分がここで何か言ったとして、怒りに燃えたナーラが納得する事は無いだろう。何より、上着を洗う経緯までの嘘を作れるほどアルムは器用ではなかった。
ゆえに――
「そ、それは……言えない」
「言えないような事を外でしてたのかあああああああああ!!」
言えないと言うしかアルムに残された道は無かった。
火に注げるものが油しかないほどに、アルムには選択肢が無かった。
約束したという理由から単純に話せないだけなのだが、ナーラの怒りと誤解がアルムの返答をいかがわしく聞こえさせてしまう。
ナーラの怒気が殺気に変わった決定的な瞬間でもあった。
誰かが言った。ナーラの後ろで何かが爆発する幻覚を見たと。
「どいてくださいセーバさん!」
「あぐ!」
ナーラの容赦ない肘撃ちがセーバの頭に入り、セーバはナーラの腰から手を離してしまう。
セーバという枷の消えたナーラの体が怒りの力を借りて宙に跳ぶ。
問答無用。有無を言わせぬ開戦。
ナーラはそのままアルムへと飛び掛かる。
「『海鳥の歌』!」
ナーラは人差し指と親指で輪っかを作りながら魔法を唱えたる、
その瞬間、奇妙な鳴き声とともにアルムの体がぐらついた。
(呪詛魔法……!)
魔法の正体を看破し、アルムもすぐに対抗する。
「『解呪』!」
呪詛魔法に対抗する『解呪』だが、無属性魔法では当然解除しきれない。
微妙に揺らぐ感覚のまま、怒りのまま飛び掛かってくるナーラにアルムは身構える。
「シャー!!」
「困ったな……!」
ナーラ側に悪気が無い為に、果たして本気で対抗していいものか悩むアルム。
誤解から生じたどちらも得しない戦いが今始まった。
「……ベネっち、あんた止めなくていいん?」
そんな誰も得しない戦いを見学するベネッタとフラフィネ。
フラフィネもベラルタ魔法学院の生徒。普段一緒にいるベネッタなら助けに入るかと思っていたが、ベネッタはフラフィネの予想に反して特に助けに入ろうとしない。
「うん、誤解だろうから思う存分発散したほうが落ち着くのも早いと思うのでー……アルムくんなら大丈夫ですから」
「……何それ」
「見てきたから、わかるんです」
「ふーん……」
「あ、でもあの人危ないんで回収してきます!」
「いってらー」
そう言って、ベネッタはナーラに肘撃ちされてその場に突っ伏しているセーバのほうにタイミングを見計らって駆け寄った。
「わかる、ね」
そんなベネッタとアルムをフラフィネは交互に見ると。
「……なんか、きもちわるいし」
誰にも聞こえないように小さな声で、その言いようの無い不快さを呟いた。
「うんしょ! しょっと……ふー……」
当然フラフィネの呟きなど知らず、ベネッタは急いでセーバに駆け寄ると、セーバの両脇を持って引き摺るようにして壁際に運んだ。
アルムとナーラのほうを見ると、アルムはまだ戸惑っているのか碌な抵抗を見せていなかった。
それでもベネッタは特に心配していない。むしろ、ベネッタが心配しているのは別の事だった。
(うーん何か変な噂立ってるみたいだけど……あっちが大丈夫かなー……?)
いつも読んでくださってありがとうございます。
300はきりが良くてめでたいと思ったんですが、幕間や並行、番外やらを省いた話数なので実際にはとっくに300を超しちゃっていたりします。ですが、めでたいと思える事は多いほうがいいと思うのでめでたいと思う事にします。やった!
今日はもう一本更新します。