299.庭園のかっこ悪い秘密
「……」
「……」
アルムが反射的に謝罪したのが功を奏したのか、マルティナは少しすると落ち着いた。
夜は再び静かなものへと戻り、アルムとマルティナの二人は少し離れてベンチに腰掛けている。座る二人の間にはランタンが置かれていて、二人を半分ずつ照らしていた。
緑の庭園で男女が二人……一見ロマンチックなシチュエーションにも見えなくないが、実際はお互いが無言のまま気まずい空気が流れているだけである。
「あの……帰っていいですか」
ミスティやエルミラと過ごすような居心地のいい無言とは全く別物の空気に、アルムはマルティナに宿舎に戻っていいか許可を求める。
無言のままマルティナは首を横に振った。同時に、ポニーテルも揺れる。
通路に向かう出口は、先程マルティナが話しかけていた三体の人造人形が塞ぐように立っている。無理に帰ろうとすれば強行突破になるだろう。
アルムはつい人造人形の動きに目を奪われる。三体の動きは一定ではなく、先程首が一斉にこちらを向いた時を除けばばらばらで、手を大きく広げて通せんぼしようとしている人造人形もいれば、何だか偉そうに通路の前で腰掛けている人造人形までいる。
この三体を見るだけで、マルティナが基礎授業で一緒になるタトリズの生徒とは一線を画しているのがよくわかった。
「……」
「……」
無言の時間が続く。
何を見たのかは正直わかっていないのだが、見られたくないものを見てしまったというのはアルムでもわかっていた。
罪悪感というほどではないが、自分が見た事で何かを邪魔してしまった負い目がアルムにマルティナの言葉を待たせている。
春先の夜は冷えるので、長い時間ここに居座るというのは互いの身の為にもよくないのだが、マルティナは無言のままだった。
急かそうという気にはならない。このマルティナという少女も、何かに悩んでいるという事は何となくわかっていた。
「あの……」
アルムが声を掛けると、マルティナは首だけアルムのほうに動かす。
まだ警戒しているのか、無表情で少し目が鋭い。少し威圧感を感じるような目だ。
「よかったら使ってくれ。冷えるから」
そう言って、アルムは自分の制服の上着をマルティナに差し出した。基礎授業の時フラフィネに貸したように。
フラフィネ曰く、男の子の上着は女の子に貸す為にあるという。そんな偏った感覚から語られる話をアルムは真に受けていた。
「……」
びっくりしたような表情に変わり、マルティナはアルムから制服を受け取った。そのままアルムの制服はマルティナの膝掛けになる。
(俺の上着……上着として使われないな……)
そんなどうでもいい事を考えていると。
「……私は友人というのが今までいなくて」
マルティナはようやく口を開く。
「人と話してなかったわけではない」
ようやく喋り始めたと思えばマルティナの声がそこで止まった。
続きを話すのを悩んでいるのか、口をぱくぱくさせている。
「うん」
だからというわけでもなかったが、アルムは相槌を打った。
マルティナはそんな短い相槌に安心したかのように続ける。
「ち、父の友人や父の隊の人間と、年上の人間とは交流があった。役職のある人間と、それに相応しい振舞いが求められる場所だった。私はハミリア家の人間だから」
「ハミリア家っていうのは偉い家なんだよな?」
「え、偉いわけではない。だが、強い家でなければならなかった。正しい家でなければならなかった。だから、まだ正式に魔法使いになっていない私も、そのように振舞った。周りの、魔法使いが同僚と、接するようなそんな形式ばった関係だった」
そこでマルティナは顔を伏せる。
「……アルム、だったな」
「ああ」
「私は、特別に……ラーニャ女王陛下からお前の事を聞いている。だから、お前が生徒達が噂するような、珍しいだけの少年では無い事を知っている」
暗い声で、マルティナはアルムにそう伝える。
その言葉の意味するところはアルムでもわかった。知っているというのはアルムが魔法生命を倒した事についてだろう。
「私の父は去年、お前が倒してきた存在と同じ存在に殺された」
「……すまない。聞いた」
酒呑童子から聞かされたガサスを狙う魔法生命との戦いの話。
その戦死者の中にマルティナと同じ家名の者がいたのをアルムは覚えていた。名前しか知らないが、顔を伏せるマルティナにとって大事な人間だったのは言うまでもない。
「父は遺体も帰ってこなかった。帰ってきたのは、父の懐中時計だけだった。こんなものが帰ってきて欲しかったわけじゃなかったと思いつつも、父の名残に縋るしか無かった。父の友人とも、父の隊の魔法使い達とはそれ以来……会話が無かったから。私を心配する旨が書かれた定型文の手紙は届いた。だが、すぐに途絶えるようになった。わ、私はその時にようやく気付けたのだ。私は人間関係を築いていたのではなく、父上という柱の影にいただけだった事に。皆にとって私はその影に生えていた頼りない雑草に過ぎないと。当たり前ではあるが、ハミリア家というだけの何の実績も無い小娘なのだ」
「……そうか」
たどたどしく語られるマルティナの話をアルムは真剣に聞き続ける。
暗い声だ。二人の間で周囲を照らすランタンの明かりのような柔らかさはどこにもない。
「だが、そんな時……彼女達は声を掛けてくれた」
そう言ってマルティナは顔を上げた。そして今は通路を塞いでいる人造人形たちを眺める。
やっぱり、あの人造人形を友人に見立てていたんだろうなとアルムは確信する。テーブルに一緒にいたあの三人に。
「慰めに、来てくれたのだろう。久しぶりに学院に来て二日経った頃……あの三人は私に声を掛けてくれた。な、ナーラちゃん、は……私に憧れていると言って、お友達になりたいと言ってくれた。ま、マヌエル殿はハミリア家とジャムジャ家の交流をと建前を言いながら声を掛けてきたが、この半年間、家業の話など出そうともしない、せ、セーバくん、は不器用だが、父が偉大な人だったという話を互いにして、その後は普通に接してくれている……わ、私は情けなくも父の死から動けなかった。けれど、彼女達が私を、動かしてくれた。私の友人になってくれた。こ、こんな無表情で無口な女とずっと、一緒にいてくれている」
「饒舌に見えるが……」
「お前は友人ではないから……か、彼女達の前だと照れてしまうのだ。そ、その、恥ずかしい話なのだが、嬉しくて顏がにやけてしまうのだ……それは、ハミリア家の威厳を損なう……だから、我慢している」
「表情が固いのはそういう理由なのか?」
自分の事を棚に上げながらアルムが尋ねると、マルティナは恥ずかしそうに頷く。
「初対面の、お、お前に話すような話ではないと思うのだが……秘密の特訓を見られてしまったし、どうせなら、全て吐き出してしまおうと思ってな……」
「秘密の特訓……そういえば、さっき名前を呼んでいたのは何だったんだ? 正直よくわかってないんだ」
アルムが人造人形を見ながら聞くと、マルティナは恨みがましい目でアルムをじっと見つめる。
だが、アルムが悪意なく言っているのがわかると、小さくため息を吐いた。
「……か、彼女達の、名前を呼ぶ練習をしていたんだ。名前を、その、呼んだ事が無いから」
「ん!? ま、待て。さっき半年って……」
半年って何日だ!?
そんなわかっても意味が無いような混乱した思考で、アルムは自分の手を広げ、指を順に折り始める。
出会った初日からミスティやルクス、エルミラの名前を普通に呼んでいたので、半年以上どうやって名前を呼ばずに友達付き合いを続けたのかが想像もできない。
「うう……馬鹿だと思うだろう……だが、仕方ないのだ。名前を呼ぼうと思うと、にやけて、しまう。それは、私に憧れてくれている、な、ナーラちゃんを幻滅させてしまう」
恥じるように言うマルティナにアルムは何か近しいものを感じた。
何だろう。胸の中のもやもやが見つかるような感覚がする。
「ち、近しい人間には特に、その……自分をよく見られたいだろう? ……ち、違うか? 私が面倒臭いだけか?」
「いや、そんな事は無い……だろう……」
アルムの声が不意に止まった。よぎった思考がそうさせる。
もしかして自分は、よく見られたいのか?
知らない人間からの目は正直な所どうでもいい。断言できる。けれど、自分の友人達の目がどうでもいいかと問われると……。
……こんな願望が自分に眠っていたのか?
ミスティが迎えに来てくれた事に、模擬戦でルクスが乱入してきた事に、過保護だと言われた事にもやもやし始めたのはまさか――自分が友人達に頼りないと思われたくなかったから?
「う……わぁ……」
「な、なんだ急に!?」
自分の中にあったもやもやの正体が自分の欲望だと気付いて恥ずかしくなり、アルムは先程のマルティナのように顔を伏せた。
マルティナの話を聞いていたはずが、もやもやを晴らしたきっかけはそのマルティナの話だった。
「俺ってださい上に我が儘だなぁ……」
頼りないと思われたくなかった。それはつまり……俺は友人達に信じて欲しいのか。
曖昧で不確かな場所に立っているからこそ、近しい人間だけにはアルムという人間を信じて欲しいのだ。
気付いてみれば、駄々をこねた子供のようだ。
いつからこんな我が儘だったのだろう? それとも、元から我が儘だったのか?
「よくわからんが……平民で魔法使いになろうだなんてやつはよほど我が儘じゃないのか?」
「はは、それは確かに……」
言われて納得するしかない。
どうやら元から我が儘だった説のほうが正しそうだ。
「お前も……その、よく見られたいのか?」
「そうみたいだ。マルティナの話を聞いて気付いてしまった。俺はどうやら、友人に不安に思われるのがどうも気になるみたいで……自分が頼りない存在に思われているのが何かもやもやしていたんだ」
アルムは気付かなかったが、マルティナは名前を呼ばれた事に反応する。
一瞬、彼女の表情が緩んだのを見たのは夜空の星々だけだった。
「……昼の、話か?」
平静を装い、話を続けるマルティナ。
先程とは立場が逆になっていて、今度はマルティナがアルムの話を聞く番になっていた。
「ああ、周りに過保護だと思われるほどミスティ達は俺を助けてくれる……それはありがたい事だけど、俺が頼りないという評価の裏返しでもある。俺は平民で、皆のように貴族っていう立場が無い人間だから仕方ないのかもしれない。そう、思ってる、んだが……どうにも、気になってしまってたんだ。勝手だと思うよ、俺は俺が大丈夫だと証明するものが何も無いのに、ただ信じてほしいなんて我が儘を言ってるんだから」
「そ、それは……」
マルティナは口を出すべきかどうかを悩む。
自分の意見を言うべきだと言っているマルティナと、他人の関係に口を出すほどお前に経験は無いだろうと言っているマルティナが脳内でせめぎ合う。
頭の中でぽかぽかと殴り合う小さい自分同士。勝利したのは前者だった。
「それは……違うんじゃないか」
「え?」
「お前の友人達がお前を助けてくれるのは……その、友達だからだろう。不安だからとか、頼りないと思っているのではなく、心配しているからでは、ないのか? 少しでも、友達に嫌な思いをしてほしくないと思ってくれているからじゃないのか?」
「……」
「それともお前は……お前にとって、友達を助ける理由は、友達が頼りないと思っているから、なのか? 私はきっと、彼女達を助けなければいけない時、頼りないからとは思わない。わ、私のほうが、ずっと、もっと助けられてきたから……」
出過ぎた事を言ったかとびくびくしながらも、きっぱり言いたい事を言い切ったマルティナ。
緊張で喋っている間に上手く呼吸ができていなかったのか、少し息が荒い。
「……」
一方……アルムはただ言葉が出なかった。
あ、違うな。
真っ先にそう思った。自分が友人を助けようと思う時、それは……決して頼りないと思うからなんかじゃない。ミスティ達を頼りないと思った事など一度たりとも無い。
なら、逆は? ミスティ達は本当に……頼りないからという理由なんかで誰かを助ける人間だろうか?
「はっ……」
考えるだけで馬鹿馬鹿しくなってきた。そんな理由で今日まで一緒にいるはずがない。
自分は一体何を悩んでいたのだろうか? 過保護だと囁く周りの言葉から勝手に悪い意味に物事を考えて、勝手にもやもやして、勝手に落ち込んで……こうしてまた誰かに助けられている。気付いてみれば簡単な事だったのに。
「ああ、でも……ずっとそうだった」
自分一人で考えられる事などたかが知れているんだな、とアルムは思う。今まで人とかかわってこなかった自分なら尚更だ。
他の魔法を知って自分の魔法の幅を広げるように……人を知って、自分という人間の考え方が広がっていく。自分だけでなく、周りの人もきっとそうだ。
自分にとっては悩むような事でも、誰かはあっさりと違う答えを導きだせる。誰かの悩みの答えが、自分の中にはあったりする。
そして――自分がどう思うか、どう思えるかで、こんなにも世界は変わるのだ。
ここに来る前よりも軽くなっている体がそれを証明していた。もやもやという名の欲望は一体どこへ?
きっと、自分の中に入ってきたマルティナの言葉に押し出されてどこかに行ってしまったんだろう。だって、そんな欲望は今の自分には必要無いのだから。
「ありがとう、マルティナ」
「え?」
「俺はただ……流されてただけだったんだな」
よほど自分の事も友人の事を見えていなかったんだなと気付く。
そう、世間知らずが周りの声を聞いてつい不安になってしまっただけ。
見るべきものを見よう。自分が憧れに突き進んできたように。
それが世間知らずな自分が唯一出来る事だろう。
「そ、その……アルム」
「ん?」
「感謝して貰ったところ悪いんだが……この事は、秘密にしてほしい」
「この事というのは……人造人形を使った練習か?」
「ああ……ハミリア家のマルティナが、こんな軟弱な事を、していると知られれば……その、な、ナーラちゃん達に幻滅されてしまう、恥ずかしながら……私は巷では父上のような厳格な女として見られているからな。ナーラちゃんもそんな私に憧れていると言ってくれている、から」
どうやら、周りからの評価と友人達からの評価が一致してしまうと自分を曝け出すのも一苦労のようで。
隠すような一面があるほどアルムは器用ではないので、ただ大変だな、という感想が出るばかりである。
「それと、ハミリア家とか関係なく恥ずかしい……この歳になって名前を呼ぶ練習は、ちょっと……自分でも自覚はあるのだ……! お前は自分をださいと言っていたが、私も、自分で言うのもなんだが、いい勝負だと思う……」
マルティナは言いながら顔を両手で覆って隠した。
そういうものなのだろうかとアルムはピンと来ていない。そもそも名前を呼べないという状態が想像できないのもあった。
「なら、ださい者同士……今日の事は秘密にしよう」
「ほ、本当か!? 助かる……」
「ああ、嘘は下手糞だが……口は堅いと思う。絶対に口外しない」
「……よかった。見られた時は本当に口封じをせねばと思ったからな」
ぼそっと恐ろしい事を呟くマルティナ。
変に追及するのも恐ろしいのでアルムは聞かなかった事にする。
「れ、礼にこの上着は洗って返そう……気になっていたが、妙に汚れているしな」
「そこまでする必要は……それに公平に秘密にするんだから――」
「秘密の事だけじゃない。……お前は私をマルティナと呼んでくれた」
「呼んでくれたって……名前は呼ぶだろう?」
「それが……私は嬉しかったんだ」
アルムはマルティナの事情は知らない。
どうやら、マルティナにとって名前を呼ばれるというのは大切な事のようだった。
「そうか……じゃあ頼んでもいいか?」
「ああ、任せてくれ。こ、これでも隊の雑務を経験したりしていてな、洗濯は得意だ」
膝に掛けられた上着を力強く握っているマルティナを見て、半ば諦める形でアルムはマルティナに上着を託す。
マルティナの善意を突っぱねる理由も特に無かった。
そこからは特に話すような事も無く……夜も更けて来たのでアルムはマルティナと別れて庭園を出る。
アルムは散歩する前より身軽になって宿舎へと戻っていった。
この選択がどれだけ迂闊だったのか……アルムはまだ気付いていない。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日二回投稿できるかも?しれないです。