298.静かな夜のはず
ガザスに滞在する間、ベラルタの生徒達はタトリズ魔法学院の敷地内に作られている宿舎に滞在している。
本棟から五分ほどの距離の先にある、三階建ての豪奢な屋敷のような建物だ。
それも二軒建っている。男女で別れるには都合がいいものの、留学メンバー十数人を泊めるには広すぎる大きさであり、元々は誰かの別荘だったのではと泊まった生徒達には噂されている。
二軒の外観はほぼ同じような装飾が施されており、左右対称のデザインとなっていた。かつて住んでいた人物のこだわりなのか、それともデザインした人物のこだわりなのかはわからない。どちらだったとしてもここに泊まるベラルタの生徒にとっては関係無い。宿泊する場所が美しくて広く、そして過ごしやすい場所だった事に感謝するのみである。
「ふー……」
そんな豪奢な宿舎からアルムは出てきた。
すでに日は落ちて夜。星と月、そして建物から漏れ出る明かりが周囲の夜闇をほんの少し柔らかくしている。
タトリズ魔法学院に来てからというものの、アルムは夜の散歩を欠かしていない。
まだ休息日前でガザス王都であるシャファクに出れないというのもあるが、明確な理由が一つある。
それが宿舎から少し離れた所にある巨大な庭園だった。
その庭園は手入れされた生垣が緑の迷路を形作っており、あての無い散歩をするには最適な場所なのである。初日の夜にこの庭園を見つけたアルムは次の夜からここに通うようになっていた。勿論、禁止区域でない事は確認してある。
「……ん?」
少し歩いて、アルムは緑の迷路が作られたその巨大な庭園に到着する。
緑の迷路への入り口はいくつかあり、それがまた散歩しがいがある要因でもあった。
闇夜の中広がっている巨大な生垣は威圧感すらあるものの、入らないという選択肢はない。
方向音痴である――本人はまだ違う可能性があると信じている――アルムにとって道に迷うことを娯楽にできる迷路というのは中々に魅力的な存在でもあった。
しかし、今気になったのは庭園に広がる緑の迷路の事ではない。
アルムは呼吸を一瞬止めて耳を澄ます。
「マ……。バ……」
「……何の鳴き声だ?」
庭園の中から何かの鳴き声のようなものが聞こえてくる。
一般人であれば魔獣か幽霊を疑ってもおかしくない状況だが、前者であれば退く理由にはならず、後者に関しては自分には見えないと言われた事がある上に、最近は魔法生命によってベラルタにもいたらしいのでむしろ会えるものならといったところだろう。
尤も、幽霊かもしれないなどという発想は彼にはないようだが。
「まぁ、いいか」
奇妙な鳴き声のようなものが聞こえてこようが関係ない。カレッラの森の中より危険とも思えなかった。
怖気づく様子もなく、アルムは緑の迷路に入っていく。
「……そういえば誰が手入れしているんだろう?」
歩きながらアルムは首を傾げる。
学院の敷地内にあるという事は管理されているはずだし、放置していたら生垣が伸びっぱなしになって庭園を森に変えていそうだ。
厚い生垣で作られた通路は光を遮断していて暗く、そして薄気味悪い。
夜の間は緑の迷路というよりは黒の迷路だ。こんな所に夜散歩に来る者など普通はいないだろう。
しかし、考え事をするには丁度よかった。
ここは丁度いい具合に周囲から閉じている。
「過保護か……」
歩きながら、呟く。
それは今日の昼にタトリズの生徒がミスティを指して言っていた言葉だった。
「わかってはいたが……守られてるんだな俺は」
無表情に落ちる陰はそのまま迷路の闇に溶けてしまうよう。
わかっていたつもりではあるが、口に出すとどうにも情けない
マヌエル達が話していた通り、確かにミスティは訓練場にアルムとベネッタを迎えに来ていた。
先日の模擬戦の乱入も、ルクスがアルムを守ろうとした結果起きた出来事だ。
「何だこの……何だ?」
昨日や模擬戦の出来事だけでなく、自分はこれまでに色々な人から守られてきた。
それは感謝すべき事だ。自分はきっと恵まれている。
なのに、何故だろうか。あの話を聞いてからというものの、胸の中がもやもやとする。濁る。素直に喜べない自分がいる。
アルムはこれが一体何なのか言語化できない。
庭園の芝生を踏む音が妙に大きい。
今日は風が無いからだろうか? 分かれ道で立ち止まってそんな現実逃避をする。
「……」
この一年で自分は強くなったと思った。
だが、それでも自分が頼りないのは自覚している。
どれだけ経験を積もうが自分の肩書きは人とかかわってこなかった世間知らずの平民だ。この一年で多少は学んだとしても、たかだ一年で把握できる世間などたかが知れている。
そんな存在を守るのはきっと、ミスティやルクスのような貴族にとっては当然の事なんだろう。
わかっている。自分の立場は不確かで曖昧だ。
貴族ではない、魔法使いを目指す者。
恐らくは、最も不安定な場所に立っているといってもいい。地位も歴史も無く、自身を守り、証明できるものが何も無い。
だから、どんな所でも自分の実力は疑われる。どんな所でも不安にさせてしまうのか。
「……上手く言葉にできないな」
「ナ……。く……」
また鳴き声がしてきたので、聞こえてくるほうにアルムは進んだ。目的は散歩だったはずなのに、いつの間にか鳴き声を追っていた。
目的があるというのは、とても楽な事だからかもしれない。
分かれ道も鳴き声がした方向に曲がっていった。
「こっちか……」
わからない。自分が今何を抱えているのか。
今まで人と関わらなかったからだろうか……自分の中に生まれた感情に名前どころか、どんな気持ちなのかも言葉にできない。
誰かからの見られ方をどうでもいいと思っていながら、どこか釈然としていない自分がいる。
「……?」
警戒からアルムは身を屈めた。
明かりがあった。ランタンか? 魔法か? それとも魔獣の眼?
光源は生垣の一つ向こうにあるようで判断がつかない。微かに光が見えるだけだ。
アルムはつい、生垣に耳を近付ける。
「ーラ……。……ん。……」
鳴き声ではなく人の声だ。人なのは間違いないが、何者なのかは声で判断が付かない。
警戒して静かに通路を進み、向こう側にいけるようなルートを辿る。
一回遠回りになる道を辿るも、進み方は合っているようで徐々に光が近づく。
声もだんだんと近くなっていき、もう一つ曲がれば辿りつくという所でアルムは小さく息を吸って呼吸音を止めながら、光源と声のする場所を通路を覗く。
「駄目だ……どうすればいいんだ私は……!」
嘆くような女性の声。
覗いた先には通路より少し膨らんでいる広場のような場所があり、そこでは一人の少女と三体の人型の人造人形が立っていた。設置されているベンチのような場所にランタンが置かれており、アルムが見ていた光源はそのランタンの明かりだろう。
その少女は模擬戦で見かけたマルティナ・ハミリア。人造人形は三体とも背丈が違っていて本当にただ立っているだけだった。
「ナーラさんは固いか……。やはりナーラ……? もっと馴れ馴れしい……幻滅。距離。関係の崩壊……そんな恐ろしい事には……。マヌエル殿はマヌエル殿が合っているから採用しよう……。セーバ殿も難しい。セーバくんが妥当か、いやそこは一線引いた呼び方のほうがいいのだろうか……?」
ぶつぶつと呟いたかと思うと、マルティナは真剣な眼差しで一体の三体の中で一番小柄な人造人形に向き合った。
「よし……な、ナーラちゃん」
恥ずかしそうにマルティナは名前を呼ぶ。当然、人造人形から返答は来ない。
「うう……引かれるだろうか……! 私がこんな呼び方をしたら……! 彼女の私へのイメージを損なってしまうか……!? ラーニャ女王陛下のように呼べればどれだけいいか……!」
マルティナは頭を抱えたかと思うと悶えるように体を揺らす。
模擬戦で見かけた時からは想像もつかないほど、何というか、取り乱していた。
「何という難題だ……どれだけ悩んでも答えが―――え?」
「あ」
そんな悶えるマルティナと、その様子を覗いていたアルムの目が合ってしまう。
「……」
「……」
悶えていたマルティナの体は美しいまでにぴたっと止まった。
夜に相応しい沈黙が数秒流れる。
「……み」
「み?」
「見……た……な……!!」
マルティナの声とともにただ立っていただけの人造人形三体の首が一斉にぐるん! と動く。
今度は、光の無い全ての目がアルムの目と合う。
「見ました! ごめんなさい!!」
マルティナの迫力に圧されたせいだろうか。アルムは自分が何を見たのかもわからないまま、ただただ反射で謝罪した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
寒くなってきましたね。いつも使っている布団が冬の布団という魔力あるアイテムに変わりそうです。