並行 ネロエラ・タンズークの疾走3
「ロータちゃん久しぶりー!」
マナリル北部タンズーク領。
まだ雪も解け切っていない山から駆けてきた四匹の白い狼型の魔獣が一匹、フロリアに飛び込んできた。
「わぷ」
「フロリア様ー!?」
傍から見れば魔獣に喰い殺される憐れな少女が一人増えたかのような光景だった。
遠くからネロエラとフロリアを見ていた馬車の従者もつい大声を出してしまう。
「だ、だいじょ……大丈夫です!」
「ほ、本当ですかー!?」
「はい! もう町に戻って頂いても大丈夫です! 私達この子達と行くので!」
「そ、そうですか……一応町で待機しておきますので!」
「はーい! お願いします!」
御者はほっとしたような顔を浮かべると、すぐに馬車を走らせて来た道を戻って行く。
町からこの山までは少し距離があるが、ここからタンズーク家の屋敷までならばそう遠くない。馬車が無くとも、強化をかけた足ならすぐに着く距離だった。
「やん、ちょ、ちょっとロータちゃん!」
ぺろぺろとフロリアの顔を舐めるロータと呼ばれる白い狼型の魔獣。そしてそれに応えるようにフロリアは頭や首を撫でていた。
他の三匹はフェイスベールを付けているネロエラの所に駆け寄り、足下で匂いを嗅いだり、ネロエラの周りをくるくると回るエリュテマもいれば、ネロエラの前できっちり座っているエリュテマもいて個性が見え隠れしている。
この白い狼型の魔獣はネロエラ・タンズークが管理しているエリュテマという魔獣だ。
マナリルの山間部に生息する人間大の全長を持つ狼型の魔獣で、知能が高く本来人間と関わろうとしない種族であり、過剰魔力で狂暴化しない限りは人里に下りてくる事も無い。
だが、ネロエラのタンズーク家はそのエリュテマと共存する道を選び魔法を研鑽した結果貴族となった一族であり、タンズーク家はずっと与えられた管理地に生息するエリュテマ達と交流を持ってきた。
そんな経緯が無ければ、このように人と触れ合う機会など訪れない魔獣である。
「ちょ、待っ……嬉しいけど、ちょ! スト、ストップ! ロータちゃんストップ!」
じゃれつかれていたフロリアがその勢いにストップをかける。
ロータと呼ばれるエリュテマはフロリアに覆いかぶさっていた体をどかす。
人間大というものの、その全長は長身のフロリアよりも大きく、ただじゃれついていても勢いによっては凄まじい。
フロリアは土や草を払いながら体を起こす。
「ふひー……歓迎されてるのは嬉しいけど大変ね」
そんな様子を見て、ネロエラは笑いながら本に文字を走らせた。
馬車がまだ見えるからだろうか。フェイスベールを付けていてもネロエラは自分の口を開ける事に慎重だった。
《領地再編の調査の時にずっと一緒だったからか、懐かれてるな》
「熱烈なのはロータちゃんだけだけどね」
《他の三匹も見分けはつくか?》
「勿論よ」
座ってフロリアが立つのを待っていたロータの頭を撫でながら、フロリアは他の三匹に目線を合わせるように中腰になる。
そして一匹ずつ順番に名前を呼んだ。
「カーラちゃんにヘリヤちゃんにスリマちゃん……でしょう?」
《流石だな》
「そりゃずっと一緒にいたもの。忘れないわよ」
フロリアが笑い掛けてもそっぽを向くのはスリマというエリュテマ。
逆に、カーラとヘリヤの二匹はフロリアと目こそ合わせるが、まだフロリアという人間を見定めようとしているように見える。
ただの魔獣と侮るなかれ。タンズーク領のエリュテマとタンズーク家の結びつきは強い。
少しでも怪しい素振りを見せようものなら、彼女らには疑念が積もっていく。これから部隊が新設されようという時に疑われれば補佐として来たフロリアにとっては致命的になるだろう。
「むむむ……ロータちゃんと比べるとやっぱまだまだ……」
フロリアはとりあえず目が合うカーラとヘリヤに近付く。
きっちり座っているカーラの頭を撫で、次にネロエラの足下で寝転がっているヘリヤの脇腹辺りを撫でてみる。二匹とも抵抗はしない。
「ねぇ? 私が気に入られてるって言ったけど、本当……?」
《本当だ。普通なら撫でさせてもくれないぞ》
「何かロータちゃんに比べるとやっぱり目が冷たいのよね……」
《ロータはフロリアを気に入っているからな》
「一回、腕食べられそうになったけどね。あの時は流石に驚いたわ」
《すまん。ロータは警戒心が強くて特に仲間思いの子だからな。疑っている時は少し過激になりがちなんだ》
フロリアは領地再編の調査の時の事を思い出す。
ロータに気に入られるまでの経緯に苦笑いを浮かべながら、擦り寄ってくるロータの頭をフロリアは撫でた。
「とりあえずゆっくりできるんだっけ?」
ネロエラはこくこくと頷きながら本にペンを走らせる。
《ああ、町中を歩いても大丈夫なように王都からマナリルの国章とタンズーク家の家紋が入ったエリュテマ用の鞍布のようなものが届くらしい》
「うわー……豪華……そんなの五枚も作ってもらえるんだ……いや、タンズーク家の他のエリュテマとか合わせたらもっとか……」
羨ましがるフロリアにネロエラは首を傾げる。
《五枚? 私のエリュテマは四体だぞ?》
「いや、あなたの分が必要じゃない? あなたほら、変わるわけだし」
念の為、ネロエラの魔法について濁して言うフロリア。
「……!」
一方、フロリアに言われて気付いたネロエラ。
そう、エリュテマ達に専用の装備が贈られる事に浮かれていたのか、ネロエラは血統魔法で自分が姿を変えた時の事が想定されていない事に今気づいた。
「あなたまさか……四枚でいいとか伝えたんじゃないでしょうね?」
《私達の部隊用の制服は王都到着後と書かれていたからつい……》
気まずそうにそう書いたページをフロリアに見せるネロエラ。
これにはフロリアもため息を一つ吐いてしまう。
「あなた……グレースの言う通りやっぱアホになったかもね」
《面目ない》
「ま、大丈夫でしょう。あなたが血統魔法使う状況になるかもわからないしね」
まだ寒さの残る山の空気と快晴の空。
フロリアは気持ちよさそうに体を伸ばす。
「ミスティ様達は今頃ガザスかしらね」
《そうだな。着いた頃だろう》
「あの人達の事だからガザスの人を驚かせてるでしょうね……それにしても、グレースが魔法使っている所見た事ないけど、大丈夫かしら」
《大丈夫だろう。グレースは勤勉な人だ》
「そうね、確かに」
話しながら、二人はタンズーク家の屋敷向けて歩き出す。
その横と後ろにはまるで二人の護衛のように四匹のエリュテマが付き従っていた。
……見る者が見れば恐ろしい光景かもしれない。
「そういえば私、国章は知ってるけどタンズーク家の家紋知らないかも」
フロリアがそう言うと、ネロエラは周りに誰もいない事を確認し、馬車もこちらを見てもわからないような距離に走って行っているのを確認してからペンを走らせる。
「た、タンズーク家の家紋は、エリュテマと人が同じ目線で座ってる姿がモチーフになってる。私は、その、す、好きだ」
「へぇ、タンズーク家らしくていいじゃないの。あんまり知らない私が言うのもちょっと偉そうだけど」
「そんなことは無い。あ、ありがとう」
「ううん。それで……何書いてるの? せっかく声で会話してるのに」
二人とエリュテマだけになり、もう筆談用の本を開く必要が無いにもかかわらず、何故かネロエラは歩きながら本にペンを走らせ続けている。
ネロエラは得意気に笑うと、ペンを動かす手を止めて書いたものをフロリアに見せた。
本に書いていたのはいつものように筆談の文字ではなく、タンズーク家の家紋を絵で描いたものだった。
「これって……」
「タンズーク家の家紋は、こ、こんな感じだ」
「……」
「ふ、フロリア?」
その絵を見てフロリアの体が震える。
そして――
「ぷふっ……」
震えは笑いをこらえていたらしい。一瞬だけ、フロリアの口からこらえきれない笑いが漏れる。
フロリアは急いでにやける口が見えないように手で押さえた。
お世辞にも、ネロエラの絵は上手くなく……下手というか、個性的だった。
モチーフの話を先に聞いていたのもあって、かっこいい家紋を想像していた所に見せられた、線が妙にうにょうにょとした絵にフロリアは不意打ちを食らった。
普段、綺麗なネロエラの字を見ているのもあってギャップが凄かったのである。
「フロリア……今笑ったか?」
「わ、笑ってない……」
「う、嘘だ! 声が震えている! た、確かに下手ではあるが!」
「ご、ごめんごめん……でも本当に何が描かれてるかわからなくて……! なんかうにょうにょしてるし……!」
「そ、そんなにか? も、もう一度見てみてくれ。この胸毛にエリュテマの、ゆ、勇敢さがだな……」
もう一度ネロエラに絵を見せられて、フロリアはこらえきれなくなる。
「あははは! それ毛だったの? ひ、人の顔かと思った……!」
「ひ、人の顔……? そんなわけ…………」
フロリアの反応に不満そうにしていたネロエラの表情が真顔に変わる。
……言われてみると。
一瞬でもそう思ってしまったため、フロリアの反応に何も文句を言えなくなってしまったのである。
「うう……フロリアは意地が悪い……!」
「ごめんごめん! ネロエラごめんてば!」
ネロエラは隣に歩くフロリアを引き離すように歩く速度を速めた。
だがすぐに、フロリアは謝りながらネロエラの隣に追いつく。
「でもそうね、わかると可愛いかもね」
「も、もうフォローしても遅いからな!」
「拗ねちゃってもうー……ね、今度遊びに行く時ごはん奢るから許してくれない?」
「……」
「ん、もう一押しかしら?」
そんな二人の後ろを四匹のエリュテマが付いていく。
主であるネロエラが怒っているような様子を見ても、彼女達のフロリアへの評価が下がることはない。
エリュテマは知能が高く、この領地に住むエリュテマ達はタンズーク家の人間との結びつきが強い。
ゆえに彼女達四匹は自分の主が本気で怒っておらず、フロリアを拒絶する気が無い事もよくわかっているのである。
恐らくは……もう一押しするまでもなく、これからフロリアとの予定が立てられる事に自分の主が内心喜んでいる事も。
いつも読んでくださってありがとうございます。
二回目の更新となります。こちらのお話も進んでいきます。