294.女王の頭
「ちょ、ちょっと待って……整理させて……」
頭を抱えながら、エルミラが待ったをかける。
エルミラだけでなく、この場で今の話を聞かされた者は同様に情報を整理しているようだ。
「ラーニャ様が異界の人間で、そちらの方が魔法生命……という事ですよね?」
「異界の人間とは言っても、向こうで生まれたわけではないので異界の事は全く知りません。この子達も向こうの世俗の事は把握していませんから知識も無いです。元々向こうの人間だったというだけで、基本は変わりはないのでその点は忘れてくださっても」
そう言って、ラーニャは妖精と戯れるように止まり木にしていた指を色々と動かす。
猫じゃらしにじゃれる猫のように、妖精はその指に集まった。ラーニャの指を中心に飛び回っているその様子は宙で踊っているようにも見える。
「それでー……シュテンドウジさんー?」
「酒呑でいい。お嬢もそう呼ぶ」
「シュテンさんはどんな魔法生命なんですー? 宿主さんは?」
「……」
「シュテンさん?」
値踏みするように、酒呑童子は首を傾げるベネッタを見つめた。
魔法生命だと知って変わらぬ態度。一番気弱そうだと思った少女が思ったよりも胆力がある事に感心する。
「私は鬼だな。属性は鬼胎属性で、宿主はすでに人格を侵食し切っていて出てこれない。あなた方はスノラで紅葉という鬼と遭遇したろう? あれと同種だ」
酒呑童子がそう言うとアルムは、何かに気付いたような表情に変わる。
「そうか! 紅葉だ!」
「ん?」
「あ、いや……ずっとあなたの雰囲気が誰かに似てると思っててずっと見てたんだ。ようやく合点がいった」
「ずっと見て……」
ずっと見ていた。恐らくは、模擬戦が始まる前の時の事だろう。
あれはラーニャを見ていたのではなく酒呑童子を見ていたのだとようやく気付き、ミスティはほっと胸を撫で下ろす。
なるほど、確かにアルムなら男性でも綺麗だと言いそうだと納得して。
「同種と言っても系譜は違うが……そうか、似ているか。私も人間はあまり見分けがつかないからな。そのようなものなんだろう」
「えっと……それで、ガザスを狙ってるっていう魔法生命は? どんなやつなの?」
エルミラが聞くと、酒呑童子は首を横に振る。
「そっちは言えない」
「……何でよ?」
「呪法ですね」
ルクスの声に酒呑童子は頷いた。
呪法。常世ノ国で発展した言葉と誓約の呪詛魔法にして、鬼胎属性の魔法生命が存在するだけで振り撒く力の一つである。
「そういえば……大百足の時にマキビが同じような事言ってたわね……」
「伝えたいのはやまやまだが、常世ノ国を滅ぼした最初の四柱は"現実への影響力"が強すぎて名前そのものが呪法になっている。能力すら言えない。言えるのは私と同じ鬼という事くらいだろうか」
「最初の四柱……ミノタウロスもそんな事言ってたな……」
「ミノタウロスと遭遇したのか。その通り、大百足も最初の四柱だ。まぁ、あの女はそもそも名前を私達にすら明かさなかったから過度に縛られる事は無かったが……」
結局あの女の真意は何だったのか、と少し考える酒呑童子。
結論が出るはずもなく、まぁいい、と片付ける。
「ちょっと待て……その、マナリルの大百足も最初の四柱でガザスを狙ってるのも最初の四柱ってやつなんだな?」
「そうだ」
「つまり、ガザスを狙ってるのはあの大百足レベルの怪物って事か……?」
言いながら、ヴァンは思い出す。
ただ動くだけでミレルの町をすり潰す巨体、自身の血統魔法がほとんど通用しない"現実への影響力"を持った怪物の姿を。
「そうだ。これは脅しではないが、ガザスを侵略し終わった後は……マナリルを襲撃する事になるだろう」
「ガザスは何をしてる? マナリルほどじゃないがガザスのトップはマナリルと遜色ない魔法使いが揃ってるはずだ……ハルスターは? ジャムジャは? ハミリアの当主もいるはずだ、国境を守ってる"タロルス家"だってかなりの手練れのはずだぞ」
ヴァンがマナリルにもその名を轟かせているガザスの家名を数個上げる。
酒呑童子の表情は変わらなかったが、ラーニャは妖精と戯れていた指を悔しそうに握りしめた。その表情は光の粉が舞っていてもなお暗い。
「……そうだな。これは奴に関して渡せる情報だ。いいですよね? お嬢?」
「……はい」
「去年、マナリルで起きた大百足襲撃とほぼ同時期に、我々ガザスは奴に襲撃された。いつものように、カンパトーレとガザスを隔てる山でのカンパトーレの部隊との戦闘かと思っていたのが……異常なほど侵攻が早い事を察知した我々はガザスの精鋭を引き連れ、侵攻されたタロルス領に急行した。タロルス領にはいつもと違いカンパトーレの魔法使いがかなりの人数侵攻してきていた。とはいえ、ガザスの魔法使いも並ではない。そいつらの対処はある程度容易だ。勝利と言えるほどに形勢がこちらに傾いた時……奴が出てきた。
ほぼ無傷だった私とお嬢、そして王家直属の魔法使いエリン・ハルスター、そして魔法騎兵隊ハミリアの隊長"ヨセフ・ハミリア"、当時の副隊長ウゴラス・トードルードの五人が奴の対処にあたった」
酒呑童子がその先を語らずとも……アルム達は結末がわかってしまう。
ラーニャの表情から、酒呑童子の語り口から、そして大百足という存在を間近に見たから。
「私達は完膚無きまでに敗北した。ヨセフ・ハミリアは戦死、エリン・ハルスターは片腕をとられ、ウゴラス・トードルードは呪法を五つ刻まれて前線を退かざるを得なくなった。他にもタロルス家の魔法使い三人と隣の領から駆け付けた魔法使いが二名、そして補佐を名乗り出た平民がおよそ三十人死亡……私とお嬢は屈辱ながら奴の気分によって何もされずにすんでいる」
さっきまで余裕そうにアルム達と話していたラーニャの顔が歪む。
酒呑童子が言う通り、よほどの屈辱だったのか。それとも当時の光景を思い出しているの。
もしかすれば……被害に遭った死者を思っているのかもしれない。
「奴の気分って……どういう?」
エルミラが聞くと、酒呑童子はラーニャを指差す。
「奴がお嬢を気に入ってな。自分のものにしたいらしく、無傷で解放された。私はついでだな。お嬢を気に入って奴の気分がよかったから見逃された」
「そ、そんな理由で……?」
「私達はそういう存在だ。個としての力が強すぎるのもあって自分の欲望や衝動をとにかく優先する。最初の四柱ともあれば尚更だ。私がガザスに付いているのも自分の欲求を果たすため……そういう生き物だと思ってくれればいい」
酒呑童子はラーニャの様子を一瞥すると、そのまま続ける。
ラーニャの表情は険しく、話を引き継げるような状態ではない。
「公には、私達がカンパトーレの侵攻を食い止めた事になっているが……事実を知っている私達は絶望の底にいた。マナリルに疲弊を気付かれないようほぼ全ての交流を断絶し、交渉に来るダブラマにも悟られぬように振舞い……奴の影に怯えた。私は離反した時とは別物の奴の"現実への影響力"に、お嬢は国を守る重圧と奴に狙われているという悪夢に」
部屋を飛び回っていた妖精が寄り添うようにラーニャに集まる。
出口の見えない暗い洞窟を進むかのような酒呑童子の話に、アルム達は耳を傾け続けた。
「希望が差したのはそんな時だった。マナリルでも同じように魔法生命が侵攻したはずが……ミレルという町であの大百足が倒された事を知った。私達はマナリルの新聞に載っているマナリルの貴族達の家名に希望を見出した。そこで初めて……奴の存在に呑まれかけていた私達は倒せる存在なのだと認識する事が出来たのだ。更に冬頃には、スノラで紅葉が倒された事もガザスに伝わってきた。グレイシャという至高に近い宿主を手に入れた紅葉が倒された事実もまた君達の名前とともに伝わり、事情を知るガザスの人間を奮い立たせた」
酒呑童子は力強く言葉を紡ぎ、そして……アルムに目を向けた。
「そして――気付いた。どちらの事件でも何故か囁かれる……ベラルタ魔法学院に通う平民の存在に」
酒呑童子だけでなく、ミスティ達の目もアルムに向けられる。
国の意向と貴族の嫉みによって隠され続けている少年の功績をそこに見るかのように。
「何故平民の話題が出るのか? 珍しいからか? 新聞には載らず、情報収集に出たガザスの魔法使いでも真実が掴めない。だが、ただの噂として……必ずその名前は語られていた。ベラルタ魔法学院に入った唯一の平民アルムという名が」
「私の名でアルムさんを推薦したのも、それが理由です。私達には……どうしても、この常識外な平民が鍵になっているとしか思えなかった。魔法生命の侵攻を食い止めるための」
アルムはまるで自分の事を言われているかわかっていないかのように自身を指差す。
そんなアルムを見てミスティ達はラーニャ達の話を遮らないように無言でうんうんと頷いた。
「それでも、半信半疑ではあった。私の目で見ても特別なものは見られず、お嬢のように異界から来た人間かと思えば妖精達は首を振る。あの模擬戦が無ければ、恐らくはわからないままだったろう」
「ですが、先の数手で確信しました。私達の知らない何かがあなたの中にはあるのだと。そして、その御友人である皆様方にも私達にとって救いになる経験が眠っていると」
「!!」
ラーニャは立ち上がったかと思うとこの国で最も重くあるべき頭がアルム達に向かって下げられる。
決して、垂れてはいけない頭。ましてや他国の人間に向けてとなれば尚更。
女王という、ただでさえ頭を下げるべき相手のいない立場の人間が頭を下げるその価値は一体どれほどのものだろうか。
だが――
「ガザス国女王ラーニャ・シャファク・リヴェルペラからのお願いです。どうか、この交渉に応じて頂けませんでしょうか」
それ以上に――アルムの目には計算によって作られた場の中で、その行為はラーニャという少女の精一杯の助けを呼ぶ声そのものであるような気がした。
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