286.愛された者
ラヴァーフル家はマナリル南部に領地を持つ上級貴族である。
四百年近い歴史を持ち、その魔法の才能は四大貴族に迫る。
領地には魔石の鉱脈があり、上質な魔石をマナリルに提供していて事業においても抜かりない一族だ。
ラヴァーフル家の長女であり、次期当主でもあるサンベリーナもラヴァーフル家の才能をしっかりと受け継ぎながら、その才に驕ることなく日々精進し、現当主である父の領地視察に着いていくなど意欲的な少女である。
そんなラヴァーフル家の才が羨望と嫉みの対象になるのは必然。
しかし、同時に……才があるからこそ不運だとも言われる一族でもある。
それは領地運営と魔法の才能ともに、目の上のたんこぶになっている貴族がいるからだった。
「『雷鳴の軍勢』」
サンベリーナは広げた扇を天井に掲げた。
魔法使いの戦闘に於ける基本である強化の補助魔法も使わず、真っ先に唱えたのは雷属性の攻撃魔法である。
「……は?」
対峙するタトリズの生徒――"ヤシン・トルーバ"は間の抜けた声を出してしまっていた。
髪の赤いメッシュが特徴であるヤシンは定石通り、自身の身体能力を上げる強化を唱えようとした。
対して、それよりも遥かに早くサンベリーナの魔法は唱えられた……そして、その魔法がヤシンの口から魔法ではなく間の抜けた声を出させてしまう。不運にも、彼はサンベリーナが唱えた魔法を知っていたから。
サンベリーナの頭上に黒雲が出現する。リニスの夜属性の魔法を彷彿とさせるが、そんな生易しい魔法などではない。
「ざけんな――!!」
怒りがヤシンに口汚く罵らせる。
見上げた先に広がる雷雲の中で光が明滅すると――
「踊りなさいな」
サンベリーナの意地の悪い笑顔とともに、無数の雷撃が訓練場に襲い掛かる――!
「『雷纏』!!」
ヤシンは最短最速で唱えられる強化を選択する。
いや、正確にはそうせざるを得なかった。
ヤシンの知識が間違っていないのだとすれば、サンベリーナが唱えたのは雷属性の上位魔法。
まだ魔法使いになっていない者が唱えていいレベルの魔法では無かったのだから。
「あら、あなたも雷属性ですの?」
「――!」
サンベリーナの問いに、雷撃を必死に躱すヤシンは答えられない。
訓練場に降り注ぐ魔法の暴力、床を焼く雷属性の熱、耳を割るような雷鳴。
その全てがヤシンの呼吸を荒くする。
「不運ですのね」
それは決して嫌味では無かった。
ヤシンにとってサンベリーナが格上であるように、サンベリーナもまた上がいる事を知っている。
「流石はラヴァーフル家の御令嬢」
ギャラリー席で座るマナリルの宮廷魔法使いファニアは手放しで賞賛する。
自国贔屓ではなく、魔法使いであり、同じ雷属性を扱う者としてサンベリーナの腕前を評した声だった。
「魔法の範囲が広すぎて扱いにくいあの上位の攻撃魔法を、しっかり"現実への影響力"を落として訓練場内にだけ範囲を限定し、後遺症が残らない程度にまで威力を制限している。見事の一言だ」
「……見事なのはそれだけじゃないがな」
雷撃を必死に躱すヤシンを見ながらそう口にするヴァン。
ファニアはうんうんと頷く。
「本来、サンベリーナならあんな上位の攻撃魔法を使わなくても勝てたろう。しかし、あいつはあえてこの魔法を選択した。……これは模擬戦だ、そう思っていたとこにあんな派手な魔法を撃たれたらそりゃ向こうの生徒みたいに動揺もする」
「魔法は"現実への影響力"を作り上げるための使い手の精神が"変換"に多大な影響を及ぼす……それをよくわかっている戦い方です」
「格下に勝つのは当たり前……差が大きければ、強者は勝ち方まで選べる。一番手であり、四大に数えられない自分がどんな勝ち方をすべきなのかをサンベリーナはしっかり考えてる」
「四大貴族ではないサンベリーナ殿が相手を圧倒する事で、マナリルの魔法使いの層の厚さをしっかりガザス側にアピールしている。最初にタトリズの生徒ではなく、同級生であるアルムを煽ったのも……タトリズの生徒に自分が侮っていると思わせる為の布石でしょう。侮っていると相手が思えば、つけ入る隙があるかもと慎重になる」
「まぁ、それは少し過大評価かもしれないが……」
「本当に、オルリック家さえいなければ四大に数えられてもおかしくないでしょうに」
ファニアが残念そうにそう言うと――。
(聞こえてますわよ)
サンベリーナの視線がギャラリー席に向かった。
一瞬、ファニアはぎょっとするが、視線の先にいるのはファニアではなくルクス・オルリック。
ラヴァーフル家の伝統と同じ雷属性にして、ラヴァーフル家と同じく魔石の事業を手掛ける四大貴族オルリック家の次期当主である。
そう、ラヴァーフル家の目の上のたん瘤とはオルリック家。
何かと共通点の多い両家はずっと比較され続けている。当然歴史は六百年続くオルリック家のほうが長く、功績も大きい。
その為、ラヴァーフル家はずっと二番手の扱いを受けてきた。
雷属性の使い手としても、事業にしても。
オルリック家がいなければ、オルリック家がいなければ、そんな声をサンベリーナも幼少の頃からずっと聞かされてきている。
何百、何千、何万と言われ続けたその言葉をサンベリーナは……
「鼻で笑ってさしあげますわ」
全く意にも介していなかった。
オルリック家を意識していないと言われれば嘘になる。
しかし、オルリック家がいなければと思った事も無ければラヴァーフル家が不運だと思った事も無い。
そう、全ては布石なのだ。
四百年の間、ラヴァーフル家がオルリック家に勝利できなかったのも、二番手を笑う周囲の声も、全ては自身が当主になり、オルリック家を越えた時に浴びる賞賛の為の壮大な前振りなのだと!
不運だなんてとんでもない。
こんなおあつらえ向きに用意された逆転しろと言わんばかりの状況に感謝こそすれ、運命を呪う必要などあるはずがない。
むしろ、サンベリーナは自分を幸運とすら思っていた。
ラヴァーフル家屈指の才を持った自身の誕生、倒すに相応しい四大貴族という好敵手、そして賞賛を浴びた際により輝きを増すであろう自分の美貌、甘い物を食べても太りにくいこの体質、そして何より先祖の四百年を布石と考える事の出来る自分の性格。
私は天と甘い物に愛されている!
これを幸運と言わずして何と言うのだろうか?
留学メンバーに選ばれるほどの成績も残し、最近は甘い物が好きな友人も出来て学業から人間関係までまさに順風満帆。
先程も、ただ順番を決めるくじ引きでさえも一番を引いてしまう自分の幸運に高笑いの一つもしたくなるというものだ。
とはいえ、内心でサンベリーナは少し反省する。
タトリズの生徒を油断させる為とはいえ、あんなにやる気のあったアルムさんをあんな風に煽るのは少しはしたなかったですわね、と。
後日お詫びの品を差し上げなければと今後の予定を立てながらサンベリーナは広げた扇を閉じた。
そして扇の先を雷撃を躱すヤシンに向ける。
「『雷鳥の囀り』」
扇の先が光り、降り注ぐ雷撃とは別の轟音が鳴ったと思うと。
「がっ……!」
扇から放たれた細い矢のような雷がヤシンを貫いた。
ヤシンが床に倒れると、サンベリーナは降り注ぐ雷撃と天井の黒雲を解除する。
サンベリーナが静かに唱えたのは本来は相手を痺れさえて動きを封じるだけの攻撃魔法ではない拘束系の魔法。
強化に必死で『抵抗』を唱えていなかったヤシンには雷属性の麻痺がよく効いている。
加えて、一撃で決着をつけるためにと"現実への影響力"を高めた結果、サンベリーナのこの魔法は攻撃魔法クラスの威力にまで引き上げていた。
とはいえ、ヤシンもまたガザスの次期魔法使い。何とか意識を保ち、立ち上がろうとする。
「少し強すぎましたかしら?」
「!!」
「まだ立てますか?」
しかし、そんな抵抗は無駄だと言わんばかりにすでにサンベリーナは距離を詰めていた。
向けられた扇の先は痺れたヤシンの処刑法を選んでいるかのように恐ろしい。
ヤシンは敗北をそこで悟る。
同じ学年とは思えない力量の差。
これが魔法大国マナリル。
四大貴族でなくともこれなら四大は一体――?
「こう……さんする……」
「結構」
相手の実力も発揮させない理想の勝利。
これこそが一番槍である自分の役目。
サンベリーナは満足そうに笑うと、倒れているヤシンに向けて丁寧なお辞儀を見せた。
「勝者サンベリーナ・ラヴァーフル!」
その宣言に異論を唱える者などいるはずがない。
格が違う、と誰かが言った。
ずるいな、と誰かが言った。
どちらの言葉も、私はそのまま着飾りましょう。
その言葉の一つ一つが、私が愛されている証なのだから。