283.タトリズ魔法学院
ガザスはマナリルの北北東に位置する友好国である。北には山を隔ててカンパトーレという敵対している国と隣接し、東に進めば海に出る小さな国だ。
昔は国土の割に魔法使いの数も多かったが、三五〇年ほど前にあったマナリルとの戦争によって激減したことによってほぼ属国という形でマナリルと友好関係を結んでいる。北にはカンパトーレ、西にはマナリル、東には海とその先にある水壁に閉ざされた常世ノ国と、生き残るにはあまりにも場所が悪すぎる国と言えるだろう。
しかし、周囲の国といがみ合い続けていたわけではなく、歴史の中で交流があったために多様な文化が混在しながらも独自の発展を遂げ、深く根付いている国である。
特に芸術面は目を見張るものがあり、タイル装飾や緻密な彫刻に刺繍、カラフルなテイストが街並みから衣料品、食器にまで施されており、他国の人間にとっては田舎村から王都まで全てが美しい観光地になり得る。国を跨ぐ商人にとっても美しい土産物の数々を仕入れられる絶好の場所であり、小国としては間違いなく豊かといっていいだろう。
中でも、ガザスの王都シャファクにあるタトリズ魔法学院は、建物だけでも見たほうがいいと言われる場所である。
円形に建てられた本棟は青を基調とした外観で細やかな植物紋のタイル装飾が施され、万華鏡の覗いたように美しく、芸術家を目指す貴族が学院の外観を近くで見るために魔法学院に入ろうとするくらいに魅力的。
他国のみならず自国の民すらも魅了した建築の出来栄えであり、シャファクに来たらまずこの学院を観光しろとガイドする者も少なくない。
そんなタトリズ魔法学院に通う生徒達は朝からそわそわと落ち着かない様子の者が多かった。
何故落ち着かないかは誰もが知っている。
今日はマナリルのベラルタ魔法学院で選ばれた留学メンバーがこのタトリズ魔法学院に到着する日なのだ。
「落ち着いてない? はい、ずっと楽しみにしていましたもの」
白を基調としつつも窓のデザインに目を惹かれる一室。
鏡の前で髪を整えながらタトリズ魔法学院の制服を纏った少女がいた。
少し幼くも可憐で、気品を感じさせる整った顔立ち、水色の瞳は透き通っていて、梳いたダークブラウンの髪は差し込む日の光を織り込んで輝いている。
「しばらくはこんな調子。ここの子達は噂が好きだもの。あなた達と同じで」
自分しかいない部屋で誰かと話すように喋りながら、少女は薔薇の香油をダークブラウンの毛先に馴染ませて手入れを終えると部屋を出た。
「ご苦労様」
部屋の脇に立っている衛兵のような人物に労いの言葉をかけると、衛兵のような人物も少女に付き添っていく。
少女は階段を下り、ホールを抜けて外へ出た。
歩いてすぐの場所にはタトリズ魔法学院の本棟が建っている。
タトリズ魔法学院は全寮制であり、男女別れた二つの寮が学院の敷地内に建っている。
男子寮のほうを見れば、急いで本棟に向かっている生徒が数人いた。
「何事にも熱い興味を示せるって人間には大事な事なの。わからないかもしれないけどね。あなた達には」
本棟に入ればいつもより学院内が騒がしい。
教室に行くと、付き添いの衛兵のような人物は教室の外に待機した。
少女が中に入ると門の方を見ようと生徒達が窓のほうに集まっている。
「あ、ラ――」
「しーっ」
一人のクラスメイトが少女が話しかけようとすると、少女は唇に人差し指を立ててクラスメイトの声を遮る。
話しかけようとしていたクラスメイトも慌てて口に手を当て、改めて言葉を選んで話しかける。
「お、おはようございます!」
「おはよう。不便だろうけど、聞いてくれて助かります。私の我が儘を」
挨拶もそこそこに、少女もクラスメイトと同じように窓から外を見始める。四つある他の教室も恐らくは同じ状況だろう
少女含め生徒達の目的は言うまでもない。
もうすぐベラルタ魔法学院の留学メンバーが到着する時間だ。今か今かと生徒達は門のほうを雑談しながら見つめている。
話題はカエシウス、オルリック――そして――
「来た!」
ガザスとは様式の違うベラルタの馬車が数台、学院の前に到着して生徒達が沸き立つ。
タトリズ魔法学院の門は馬車の到着とともに開かれ、先頭の馬車から人が降りてきた。
「初めて来ましたが、綺麗な学院ですね。ベラルタとはまた違う美しさがあります」
「ベラルタはシンプルだからな。こっちはごてごてしすぎだが」
「ヴァン殿」
「わかってるわかってる。ただ好みの話をしただけだ」
まずは今回、引率としてベラルタ魔法学院の生徒に付いてきた二人の魔法使いが門をくぐり、本棟に伸びている石畳を進んでいく。
タトリズの生徒達はその姿にざわつき始めた。
「マナリルの最年少宮廷魔法使いファニア・アルキュロスとヴァン・アルベールだ……」
「ファニアさんわっけぇ……俺達とあんま変わらねえんじゃないのか?」
「ヴァン様は気怠そうな顔してますわね、お疲れなのかしら」
「隣国とはいえ長旅だもんな」
ヴァンは普段と違って流石に髪は整え、髭は剃っているが、その気怠そうな顔までは変わらない。
この短期留学の間に、タトリズ魔法学院の生徒はヴァンが元からこういう顔だという事を知るだろう。
続く馬車からは生徒達が次々と現れる。引率の二人はガザスにも名が知られる魔法使いだが、今回は生徒同士の交流こそがメイン。タトリズ魔法学院の生徒の興味はやはりベラルタ魔法学院の生徒達に向けられている。
「フラフィネさんったら大丈夫ですの?」
「おえっ……よ、酔ったし……」
「ガザスで乗り物酔いだなんて先が思いやられますわね……ほら、手をお貸し致しますからしっかり歩きなさいな」
「でも、吐くかもだし……」
「体調の優れない同級生を放置するくらいなら私は吐瀉物を浴びるほうを選びますわ。ほら、今だけは毅然としませんと」
次に門をくぐったのは茶色の髪を二つの団子状に纏めている体調が悪そうな小柄な少女と、その少女の手を取って一緒に歩く扇を手に持った長い金髪を靡かせる少女。金髪の少女のほうは背も高く、隣にいる少女と同じ学年とは思えない。
「体調悪そうな子いるな……」
「先程のヴァン様といい、やはり長旅でしたのよ」
「金髪のほうスタイルいいなあ……」
次々とベラルタの留学メンバーは馬車を降りるとタトリズ魔法学院の門をくぐっていく。
マナリルとガザスは友好国ではあるものの、主要の貴族以外の家名は互いにほとんど知ることは無い。知られているのは戦時に名を馳せた家名や一部の上級貴族だけであり、下級貴族ともなればガザスにとっては無名に等しい。
ベラルタの留学メンバーの会話の声はタトリズの生徒達のところまでは届いておらず、誰がどの家名の持ち主かは見たところでわかるはずもないのだが、タトリズの生徒達はわからないならわからないで別の楽しさを見出していた。
「グレースちゃんって結構可愛いよな。眼鏡とって隈もとったら結構儚げ美少女じゃない?」
「殺すわよランドレイト」
「家ごとってこと!? くはは! 案外物騒な女だなグレースちゃん」
「ただの正当防衛よ。あなたに名前を呼ばれると寒気がするから」
門をくぐる留学メンバーをタトリズの生徒達は、今だけガザスの貴族という事も忘れて歳相応の反応を見せている中、一人神妙な面持ちで少女は外を見つめていた。
「どなたが噂の方でしょうか。見える?」
クラスメイトのテンションが上がっていく中、少女は静かに呟く。正確には、話しかけていた。
その相手はクラスメイトでは無かったが。
「そう……」
少女と他のタトリズの生徒達が気にしているのは、先程までの雑談で話題にもなっていた家名を持つ生徒二人ともう一人……別の意味で噂となっている人物。
まだかまだかとタトリズの生徒達が待ちわびていると、門の前に停まった最後の馬車から五人の生徒が降りてきた。
「ちょっとベネッタ! 引っ付かないの!」
「はぐれないようにと思ってー……」
「本棟まで真っ直ぐですけど!?」
「だ、だってー……うわ、綺麗な学院ー……」
「あ、ほんとー……じゃない! 歩きにくい!」
まず降りてきたのは赤い猫っ毛の少女と、その少女の腕に引っ付く水色に近い青髪色をした少女。
遠目に見ても留学に来たとは思えないほどわちゃわちゃとしていて微笑ましい。だが、タトリズの生徒の視線の多くはその少女二人の様子を後ろから見守っている少年に向いた。
「まぁまぁ……いいじゃないか」
「ルクスは引っ付かれてないからそんな事言えるのよ! あっついんだから!」
「初めての外国だから緊張してるんだよ。ベネッタの緊張が解けるまでの辛抱さ」
「私だって初めてだけど!」
「エルミラは……ほら、そういう物怖じはしないだろう? それとも僕の腕を貸そうか?」
「あんたねぇ……!」
タトリズの生徒もその特徴を知っている金髪の少年。
男子からはあれが噂のという反応がちらほら、女子はその視線を奪われたかのように釘付けとなっていた。
「ルクス・オルリックだ……」
「素敵な方……」
「先日ベラルタの事件も解決したという噂の……!」
「ちっ……堂々としてるな……。ガザスだろうが関係ないって事か?」
「何にせよ、この中でも屈指の実力なのは間違いない。注意しよう」
オルリック家の名前はガザスでは特に有名なマナリルの貴族の一つだ。
三五〇年程前に行われていたマナリルとガザスの戦争時に台頭してきた貴族で、その戦闘能力でガザスの侵攻を幾度も止めていた事からガザスにとっては憎しみを抱いてもおかしくない家名であるが、当時捕虜だったガザスの貴族が、捕虜を虐げることなど無く対応も紳士的な魔法使いの鑑のような貴族、と書き残した記録が見つかっており、ガザスにとってはどうにも複雑な印象を抱かせている。
その複雑な印象通り、タトリズの生徒達の反応も分かれている。
「う……お……」
そんなルクスについてあれこれ生徒達が零す中、一人の生徒が言葉にもなっていない声を挙げた。
彼は見てしまった。
一人の女子生徒が、先に降りていた一人の男子生徒の手をとって馬車から降りてくるのを。
「わぁ……」
遠くからでもわかるその美しさは蒼白い月のよう。
青みを帯びた揺れる白銀の髪は、見る者に季節違いの雪を想像させた。
気品ある佇まい、嫉妬すら起きない美貌、その姿は穢れ無く完成された人形のよう。
理想を描く絵画かそれとも悪しき欲を排斥した人形か。少女の美しさは根源的なもの。
それでいてその表情は果実のように色づいていて、温かい人間の感情が表れていた。
カエシウス家の情報は勿論ガザスにもある。しかし、事前の情報が無かったとしても生徒全員が確信しただろう。
今馬車から降りたあの少女こそ、噂のカエシウス家の令嬢であるのだと。
「あ、あれがカエシウス家……!」
「すっげ……」
「綺麗……」
その美貌にタトリズの生徒もこちらに歩いてくる姿をただ見つめる事しかできない。あまりの美しさに鼻息を荒くする者すらいる。
そして自然と、輝かんばかりの美貌の隣に並んでいる男子生徒の姿もタトリズの生徒の目に入った。
「何かさっきの馬……ラーディスに似てなかったか? 俺とミスティが撫でた時の態度の差に既視感を覚えるんだが……」
「まぁ……うふふ! アルムったら笑わせないでくださいまし!」
「初めて会った馬から懐かしさを感じるとは正直思わなかった……」
「ふふ、大人しくて可愛らしいお馬さんでしたよ?」
「俺には噛みつこうとしてたんだが」
カエシウスの令嬢と並び、楽し気に話している一人の男子生徒。
その正体がタトリズの生徒達にはどうにも見当がつかなかった。
良く言えば平凡、悪く言えば場違いな印象を受ける。
「隣の……何だ、あの冴えない男は?」
「なんというか、冴えないな……?」
「ああ、冴えてない顔つきというか……」
「皆さん失礼ですわよ。ああいった平凡な顔立ちも味がありますわ」
「いや、お前が一番ひでえぞ」
カエシウスの令嬢と並ぶにはどうにも不釣り合いな容姿。
珍しいのは黒髪という事くらいだろうか。佇まいからも顔立ちからも特別なものを全く感じない男子生徒が謎を呼ぶ。
「カエシウス家の令嬢と仲が良さそうだが……一体どこの家なんだ……?」
「婚約者かもしれんな」
教室にいたタトリズの生徒達の視線が眼鏡をかけた灰色の髪をした男子生徒に集まる。
その生徒は全てを見抜いたかのように視線を本棟に歩いてきているアルムとミスティに向けていた。
「カエシウス家ともなれば留学メンバーに選ばれて当然の婚約者がいてもおかしくはない。冴えない見た目に反して実力は本物でその才能から婚約者になる事が叶ったとあれば……あの絶世の美少女と平凡な男が仲睦まじい様子にも辻褄が合う。カエシウス家のような魔法使いの最高峰ともあれば婚約者も才能を一番に見るのが当然だろう」
「た、確かに……」
「か、完璧な推理だ……!」
「そう思ったら何かあの男にむかむかしてきたな……」
眼鏡の生徒の推理に再び沸き立つタトリズの生徒達。
完璧な推理と評されてしまったがゆえに、アルムはまだタトリズ魔法学院の門をくぐったばかりだというのに、タトリズの男子生徒に目の敵にされ始める。
本当に噂好きなんだから、とカエシウス家に婚約者などいない事を知っている一人の少女は人知れずため息を吐いていた。
「見える?」
沸き立つクラスメイトを他所に、少女はもう一度誰かに話しかけていた。
「そう……」
返答はよくないものだったのか、少女は肩を落とす。
一方、クラスメイト達の話は短い間にまた変わっていた。
先程の雑談の話題にもなっていたオルリックとカエシウス……だが、もう一つ、タトリズの生徒達が気になっていた噂がある。
一人の生徒が首を傾げた。
「それで……どれが噂の平民だったんだ?」
「さぁ……?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
到着しました。そしてガザス留学編開始です。