並行 ネロエラ・タンズークの疾走2
「えー……」
《頼む……フロリアしか頼める人がいない。嫌か?》
「うーん……いや、嫌なわけじゃないけどね……」
アルム達がベラルタを出発する前、ミスティの家で計画を立てていた頃。
第二寮のとある部屋のベッドの上で向き合う二人がいた。
片方はネロエラ・タンズーク。片方はフロリア・マーマシー。
元北部の補佐貴族にして、今は北部の小さい領地を治めている家名を持っている二人だ。
出会いこそ互いに気に入らない人間としか思っていなかった二人だが、とある事件を経た事によって今は意気投合している。
フロリアはネロエラからの申し出を若干困り顔で思案し、ネロエラは筆談用の本をフロリアに向けたまま、子犬のような目でその様子を見つめていた。
《何が駄目なんだ?》
ネロエラは本に文字を書いてフロリアに見せる。
文面では落ち着いているように見えるが、表情のほうは散歩に行けない犬のように悲し気だ。
とんとんとん、という音がどこからか聞こえてきているが、二人は気にしている様子は無い。
「王都の新設部隊……そりゃおめでとうって思うし、その補佐に誘われて嬉しいは嬉しいのね。けど、タンズーク家におんぶにだっこって事になるわけだし……少し複雑というか……」
ネロエラは学院長からタンズーク家に貰った新設部隊の話をそのままフロリアに伝え、その新設部隊の補佐として一緒に王都に行ってくれないかとフロリアに頼み込んでいた。
マーマシー家はタンズーク家と同じく北部に領地を貰ったとはいえ、やはり下級貴族。
補佐とはいえ、王都の新設部隊が今後どうなるにせよ、新設部隊に所属したという経歴は間違いなくマーマシー家にとってもフロリア自身にとっても将来有益なものとなる。
しかし、ネロエラは普段、フロリアが損得無しで接している珍しい友人の一人であるために少し躊躇っているようだった。
《貸しを作る為に誘っているんじゃないぞ》
「いや、わかってるけど……でもねぇ……」
《ただ友人というだけで頼んでるわけじゃない。フロリアは私のエリュテマ四匹の見分けもつくし、本当に補佐してほしいと思ったんだ》
「うん……」
フロリアのはっきりしない声にネロエラは本に文字を急いで書き殴る。急いで書いているからか、いつもより字が崩れているのが目わかる。
とんとんとん、という音はずっと続いていた。
《それにあの子達もフロリアの事を気に入っている。親切》
「いや、一匹あんまな子いるでしょ。スリマちゃん」
《あれは嫌ってるわけじゃない。少し神経質な子だし、一番若いからフロリアの事を新人だと思ってるだけで……》
とんとんとん、という音がそこで止まって大きなため息が二人の耳に聞こえてくる。
「大事な話なところ悪いけど口を挟ませてもらうわ」
ネロエラとフロリアはその声の持ち主のほうへと顔を向ける。
「何で私の部屋でやんのよ……!!」
二人の視線の先には椅子に座り、とんとんとん、という机を指で叩いた音で不機嫌を露にしていたグレース・エルトロイ。
何を隠そう、ここは第二寮にあるグレースの部屋だ。
不機嫌の理由は言うまでもない。
「そういう話は自分の部屋でやりなさいよ」
尤もである。
「だってガザスに行く前に遊びに行っていい? って聞いたらいいって言ったじゃん」
《言ってた》
「部屋に来ていいとは言ったけど、そんな話を私の部屋でしていいとは言ってない……!」
まるで許可は得たと言わんばかりに堂々とするネロエラとフロリア。グレースはそんな二人の様子に大きなため息を吐く。
グレースはネロエラとは接点が無かったものの、フロリアを通じて今ではある程度喋る仲にはなっていた。ネロエラ側もとあるきっかけで人と関わるようになった影響もあるだろう。流石に気兼ねなく牙を見せるには抵抗があるようでグレースの前ではいつものように筆談で過ごしている。
「ネロエラってフロリアの前では普通に話せるんでしょう? ネロエラの部屋で話せばいいじゃない」
《それだと今日グレースの部屋に遊びに来るという約束が果たせない》
「話が終わったらくればよかったじゃない。同じ第二寮なんだから簡単でしょ」
本に文字を書くまでもなく、確かに、という表情を浮かべるネロエラ。
「この子、刺々しい雰囲気が無くなったと思ったらアホになってない?」
「気を張ってると色々注意深い子なんだけど、今は気抜いてるからね……」
グレースの言葉を否定できず、フロリアも苦笑い。
ネロエラの赤い瞳には不満が表れているが、反論も出来ないのか持っているペンが本を走ることは無かった。
「それにしても……いい話じゃないフロリア。渋る必要ないでしょう?」
「他人事みたいに言ってくれるわね」
「他人事だもの。早く決めてくれないかしら?」
「あ、ごめんなさい」
眼鏡の奥の眉間に皺がよっている事に気付き、フロリアはネロエラからの話を考える時間へと戻る。
結論を出すのにもう少しかかりそうと踏んだのか、グレースはそわそわと返答を待っているネロエラのほうに話を振った。
「話を聞いてる限り……ネロエラ、あなた魔獣と会話できるの? 凄いじゃない。信仰属性だったのね」
グレースからの賞賛にネロエラは照れながら頷く。
ネロエラはアルム達やフロリアと出会うまで、牙の事がばれないようにと人との接触を避けており、魔法儀式もして来なかったので自分の魔法を褒められるなんて機会は全く無く、こうして褒められるとわかりやすく喜んでしまう。
「【天幕の一声】の言語統一と同じ方向性なのかしら。信仰属性創始者の自立した魔法と似てるとなると、あなたは凄い魔法を使ってるのかもね」
ネロエラは本のページを急いで捲ってペンを走らせる。
《グレースも凄い。ガザスの留学メンバーに選ばれていた》
「まぁ、それなりに頑張ったもの。ここは本当に実力で判断されるから貴族同士のあれこれを考えずに勉強できて助かるわ。……今年は私みたいな弱小貴族より目の敵にされるやつがいたしね」
グレースが誰の事を指してるのはネロエラもフロリアもすぐにわかった。
「そういえば、グレースってアルムくんといつ知り合ったの? あなたも人付き合い悪いタイプなのに」
「ハエルシスの少し後くらいかしら。偶然帰り道が一緒になって少し話したの」
「へぇ……グレースとアルムくんがね……」
二人には気付かれなかったが、グレースは少し複雑そうな表情を浮かべて窓の方を見る。
今でも鮮明に思い出す冬の帰路。悔しい事に、あの時の会話がきっかけであったかのように調子がよくなった事をグレースは自覚していた。
グレースは当時、知らず知らず技術や知識に固執して自身の血統魔法のコントロールが上手くできない状態が続いていた。悩んで図書館に通っていた所、その時のアルムとの会話をきっかけにその悩みは解消されたのである。魔法使いの心の問題がどれだけ繊細で重要な事なのかを実感させられた出来事だった。
感謝こそしているが、まぁ、あの件を特別感謝する気は無い。あの日渡した手袋でチャラなのである。
「というより、フロリアは早く決めなさい」
「そうなんだけど……」
《迷惑だったか?》
ネロエラはそう書いたページを見せながら悲し気に眉を下げている。
「そんなわけないじゃない。けど……友達の功績に乗っかるってのはどうも……」
「あなたそういうの気にするタイプだったかしら」
「損得無しで付き合うと決めたとこはね」
「カエシウス家ともそんな感じなの?」
「ミスティ様は別枠よ。私の女神で永遠の女王なんだから」
フロリアから何か譲れない圧力のようなものを感じてグレースは少し身を引く。
「あんたそれ地味に王家への不敬罪……いや、まぁ、いいけれど……そのカエシウス家信仰も一体――」
「カエシウス家にじゃない。ミスティ様に、よ」
「……あなた結構面倒臭い性格してるのね」
これ以上触れると面倒臭そう――すでに面倒臭くはあるが――なのでグレースは話を終わらせる。
「損得無しっていうなら尚更手伝ってあげればいいんじゃないかしら。補佐で着いてきて欲しいって事はネロエラもフロリアを頼ってるって事でしょう?」
グレースの言葉にネロエラはこくこくと頷く。
新設部隊の補佐とあらば当然誰でもいいはずがないのは言われずともわかる。
「でも……」
「まぁ、私には関係ないけれど……ネロエラを手伝ってマーマシー家の功績も増えればどっちも得するんじゃないかしら? あなたが断ってもただネロエラが大変になるだけだと思うけれど」
「そう……かしら……」
「友達を助けると思って行ってみたら?」
いいから早く決めろ、という本音を隠して説得の言葉をグレースは並べる。
てきとうに並べているわけではない。実際、ネロエラにとってはフロリアに来てもらったほうが新設部隊の話もスムーズに進むだろうし、ネロエラが頼っているのは本当だろう。
フロリアのこだわりでネロエラの頼みを無下にするのはどちらも損しかしないのだから真っ当なアドバイスだ。あと眠たくなってきたらから早めにベッドを返してほしかったのもある。
《フロリア》
期待を込めて書かれたフロリアの名前。そしてそれを書いたネロエラの表情が追い打ちをかける。
フロリアはそれを見て。
「よし」
と決意したように頷いた。
「やっぱりもう少し考えさせて!」
かと思えば、フロリアはすぐにグレースの布団に顏を埋めてしまった。
「あなたね……」
「ごめんー! でも自分の中で割り切れなくてー!」
優柔不断なフロリアにネロエラはがっくりと肩を落とす。
私はいつ寝れるのかしら、と窓の外から深くなってきた夜をグレースは見つめてため息を吐いた。
もう冬の時のように、ため息は白くならなくなっていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次の更新は幕間とか言ってましたが違いました。こちらの更新でした。ごめんなさい。
さらに、今日は夜に更新できないので朝の更新となります。朝のお供にどうでしょう。朝でなくとも楽しんで頂ければ幸いです。