278.本当に
「"デルナック家"の事件は今から……三十年前くらいでしょうか」
「二十七年前」
「失礼致しました」
自らの知識の引き出しを開けていたミスティに、年数だけは譲れないとばかりにシスターは鋭い訂正を入れる。
ミスティはこほん、とわざとらしい咳払いをして仕切り直す。
「その領地運営の悲惨さと平民を命とも思わないいきすぎた身分の価値観から宝石を着た罪人と呼ばれ、今ではマナリルの汚点と言われているデルナック家という南部の貴族がいました。ダンロードの庭が当時からあった事に加え、細かい制度があやふやなまま現代まで続いていたので国や他の貴族すら介入できなかったのを……当時のデルナック領の領民を反魔法組織とともに率いて崩壊させたのがこの方です。デルナック家の崩壊をきっかけにその惨状を放置していたダンロード家の領主は交代し、南部の政策は再検討。今の国王カルセシス様の即位後にさらに改良を加えられてダンロードの庭は南部にとってかかせない政策として完成する事になります。確かに……平民からすれば救世主で、一部の貴族からは極悪人という評価になりますわ」
「ほえー、すごい人だ」
「ベネッタ、一応私達は感心しちゃ駄目なのよ?」
「ほえーって……ちょっと待てあんたら……本当にアルムから私の事を聞き出してここに来たわけじゃないのかい? 今南部で起きてることについて……」
エルミラとベネッタの反応にシスターはよくわからない手振り身振り。
混乱が体に現れているのだろうか。ミスティ達が最初に感じた村の門番のような堅固な印象はとっくに消えていた。
「南部ー?」
「クロムトンの内情について私に聞き出しにきたんじゃ……。そうじゃなきゃ、カエシウスやらオルリックやら四大貴族様がアルムと友達なんておかしな話があるわけねえだろ? アルムを利用してって……思って……」
首を傾げるベネッタの様子に、シスターの声は徐々に途切れていく。
先程まで、シスターはついに見つかったと観念していた。
去年送り出したアルムが貴族を連れて帰ってきた。しかも友人だなんて馬鹿な事を言い始めたから。
「思ったんだ……」
普通なら、そんな事を信じられるはずがない。
反魔法組織に所属していた彼女は貴族と平民の格差を誰よりも知っている。その格差が時にどんな所業を生み出すかも。
だからこそ、利用されていると思った。見せた笑顔が引き攣っていないかを気にしながらも、アルムだけにはばれないように。
「それが……普通……」
シスターと呼ばれる自分に近付くために、この四人の貴族がアルムに近付いたのだと思ったから。
自分が捕まるのは仕方ない。死亡扱いで指名手配は消えているが、情報源としての利用価値がある。なにより南部の貴族の中には未だ私に恨みを抱く者もいるだろう。
けどせめて……アルムが自分を利用された事がばれませんようにと思った。
――自分のせいでシスターが、と責めるアルムの姿が目に浮かぶようだったから。
だって当然だろ?
貴族しか魔法使いにはなれない。そんな場所に魔法使いになりたいなんて夢物語を語る平民が行ったところで、歓迎されるはずがない。この一年、アルムは周囲から石を投げられながらも必死に魔法使いを目指しているのだと、毎日毎日無事を祈っていたのに。
友人なんて出来るはずが無いし、出来たとしたらそれは世間に疎いアルムを使って何らかの利益を得ようとする誰かに決まっているって。
「いいえ、私達は本当にただのアルムの友人です。アルムの言うシスターがあなただという事は今知りました。反魔法組織が今どう動いているかは存じ上げませんし、たとえ知っていたとしても……アルムを利用して近付こうなどと決して思うはずがありません」
「じゃあなにか……? 本当にアルムの帰郷についてきただけってことか?」
カエシウス。北部を支配していたかの四大貴族の名を冠するお嬢ちゃんが馬鹿な事を言っている。怒りさえ覚えているかのような表情で。
「はい、僕達は元々学院のガザスの留学でマットラト領に来たのですが……せっかくマットラト領に行くならアルムが家に帰ってみようかと言い出しまして」
「そう。なら私達も寄っていい? ってね。ほんとそれだけ」
「ただの友達です!」
武器を手放したのは、手っ取り早く捕まる為だった。
いくらアルムでも山を回るのは時間がかかる。セミト爺さんの家に至っては隣の山だ。あの子が魔法を使ったとしてもしばらくは帰ってこない。その間に私を連れて行ってくれればと期待した。
けど、目の前の貴族は誰も私を捕まえようとして来ない。もう、友達の振りをする理由なんてないはず。
「いひひひひひひ! なんだそりゃ!! まじか! おいおい、どうなってんだ? あんたら本当にアルムの、その……」
今でこそましになったが……貴族が醜い事を知っている。
一部の貴族だけだよ、と言う者もいる。
けど、その一部の貴族が領地に住むしかない平民にとっては全てなんだ!!
ふざけるなと遠い昔に武器を手に取った。
だけど……どうだろう。
今醜いのはどっちだ?
アルムの友人だと語る目の前の貴族を信じられない自分のほうが――
「そうかぁ……利用されてたわけじゃなかったのか……そうか……」
全身から力が抜けた。気が抜けてその場に座り込んでしまう。
衰えた今でも狂暴化した魔獣を屠れる肉体が、まるでへなへなになった山菜みたいだ。
「シスターさん!」
座り込んだ私に心配そうに駆け寄ってくるカエシウス家のお嬢ちゃん。
ああ、アルムは普通をひっくり返したんだ。
ひどいのは一部の貴族だけだよと、語る誰かの言葉は嘘じゃなかった。
本当に目の前の貴族はアルムの友達なんだという安堵と共に。
情けない事に……十分くらい立てなかった私にこの貴族達はずっと寄り添ってくれていた。
「ふう……見苦しいとこ見せたね」
「いいえ、もう大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう」
立ち上がり、修道服に着いた草と土を払うと、シスターは先程のアルムのように照れ臭そうに頬を掻く。
改めて巨大な斧を担ぐシスターを誰も止めようとはしない。
「本当に私捕まえなくていいのかい?」
「というよりも、捕まえる事が出来ないのです。死亡扱いになっているので指名手配も解けていますし……二十年前の、しかも南部での出来事に私達は介入できませんので……」
「南部はダンロードの庭があるから下手に手出すとこっちが目付けられるのよね……ここで何かやってるなら話は変わってくるけど、そんな様子も無さそうだし」
ダンロードの庭とは、とある分野の経済活動と領内の自治に対して南部に領地を持たぬ貴族の介入を制限するという南部の領地政策。
ミスティ達は南部の貴族ではないので、かつて南部で指名手配されていたシスターを捕まえてしまうと逆にダンロード家に目を付けられ、難癖をつけられるという理不尽な状況が待っている。
加えて、ベラルタを出てガザスに留学中扱いのミスティ達には今そんな権利が無かった。
「ですが、南部の貴族に協力要請をされた時、もしくは誰かがあなたを正当な理由で捕縛する際には情報提供を拒む事はできませんのでご理解を」
「ああ、わかってるわかってる。その時は遠慮なく言ってくれていい。見ての通り、私自身隠れてはいるが隠す気は無いからな」
エルミラとベネッタが顔を見合わせる。
どう違うんだろう、という不思議な顏で。
そんな二人を他所に、念の為にとルクスは改めてシスターに尋ねる。
「ちなみに……本当に今は反魔法組織とは関係ないので? カレッラを拠点にして何か繋がりを持っているようであれば南部以外での活動と見なされてしまいますが……」
「ああ、二十年くらい前にクロムトンは内部分裂しててな。その時に私側だったやつらは全部脱退してるか殺されたかしてる。私も命からがら逃げてこうして隠居してるってわけだ。それ以降は脱退した奴等とも互いに繋がりは無いよ」
「内部分裂……? 反魔法組織が?」
ミスティが言うと、シスターは頷く。
カエシウス家であるミスティには大体の情報が入ってくるのだが、そんな話は聞いたことが無かった。
「内部分裂する一年くらい前に異国から来た女が組織を乗っ取ってね。私がいた時は行き過ぎた貴族共を狙うだけだったんだが……あの女は全く違う。魔法は全て破壊すべき、っていう過激な方針で動き始めたから止めようとして……まぁ、結果敗走したわけだ。今南部でやってる事は完全に無関係だから情報も何も出せない。そもそもあの女がその過激な方針掲げて何する気なのかも知らなくてな」
南部で反魔法組織が活動している事はミスティ達も知っている。
しかし、実際に内部にいた人間からの情報を聞くに、組織というだけあって内部では複雑な事情があったようだ。
尤も、聞いた所でカエシウス家ですら独断で調査する権利は無い。ダンロードの庭と呼ばれる南部の領内を独断で調査できるのは、南部からの協力要請があった場合と南部以外でも被害が確認された時、そして王命が下された時の三つのみなのだから。
「二十年くらい前……」
ミスティ達が当時の貴重な情報を記憶する中、ルクスは何故か年数が引っ掛かったようで手を顎に当ててぽつりと呟く。
「どしたのルクス?」
「いや、僕の母がマナリルに来たのもその頃だったらしいから……」
「へぇ、偶然ね」
「僕の母はずっと東部にいたから無関係ではあるんだけど……時期が被っているのが気になってね」
二十年くらい前に何かがあったんだろうか……?
エルミラの言う通り、偶然なのかもしれないが、一応ルクスはその事を胸に留めておく。
「さ、あんたらが本当にアルムの友人っていうなら……私もちゃんと案内しなきゃいけないな。それに……アルムの友人なら、アルムの話を聞かせてくれよ。こっちも……アルムの話しかできないけどな」
そう言ってシスターは、ここ本当になんも無いから、とアルムと同じような事をミスティ達に念押ししてから歩き始める。
先を見るに、どうやらまだ山歩きは続きそうだ。恐らくはシスターたちが使っているであろう木々の間にある細い山道が見えている。
「シスターさん、一つお聞きしたいんですけど」
歩き出したシスターの隣までベネッタは駆け寄った。先程湧き上がった疑問を直接尋ねるために。
「普通に話してくれていいよ。ベネッタちゃんだっけ? 多分あんた普段はそんな感じじゃないだろ?」
「わかりますかー?」
「いひひ。そりゃ、ぎこちないもの」
不慣れな話し方を見抜かれて照れ笑いするベネッタ。
改めて、普段通りの言葉遣いでシスターに尋ねる。
「さっきの、隠れてはいるけど隠す気はないってどういう意味なんですー?」
「ああ、隠す気ないのはこの服装と武器ってこと。カエシウスの嬢ちゃんやオルリックの坊ちゃんみたいに私の事を知ってるやつは気付けただろ?」
確かに、カレッラという田舎を隠れ家にしている割には、シスターの格好はあまりに自分を主張している。
隠れているのなら、修道服も斧も身につけなければいいのでは、と思ってしまうのだ。
ベネッタが何故かと尋ねる前に、その理由はシスターの口から語られた。
「私自身は見つかりたくないから隠れるが……私が私である事を隠したら、私に殺された貴族の家族が見つけた時に仇だって気付けない。藪に隠れる獣はいるが、獣である事を隠す生き物はいるべきじゃない。卑怯なのは大事だが、狡賢いのはいけない。それが、命のやり取りってもんだ。私は二十七年前……殺される覚悟であの貴族に武器を向けたんだから」
自分の行いを悔いているわけでもなく、償いなわけでもなく。ただそうあるべきだと語るシスター。
そう語ったシスターに、四人はアルムを見つけていた。
命のやり取りに対し、明確な自分の芯を持つ……あの少年のルーツがこの人にあるのだと。
いつも読んでくださってありがとうございます。
故郷にはあと三話か四話いるかもしれません。