277.すれ違い
「それにしても……ここにお客さんとはね」
吹き抜ける風で深い茶色の髪が揺れる。
シスターと呼ばれた女性の目はミスティ達を見定めるようだった。
一瞬、薄まった警戒も女性にはいつの間にか戻っており、その眼差しは少し険しい。
階段の上に立っているシチュエーションも含めて、さながら村の門番といったところか。
「……」
「……」
そんなシスターを別の意味で見つめる視線が二つ。
いつもなら、真っ先に自己紹介をするようなミスティとルクスが無言のままだった。
理由は単純で、初めて会う女性のはずなのだが、二人は彼女を何処かで見たことがあるような気がしていた。
成功しない誘い文句のような思考の引っ掛かり方だが、一度会った人物の顔を覚えるという貴族の特殊技能を考えれば、ただの気のせいで片付けるわけにはいかない。
むしろ、四大貴族でその特殊技能が一際研ぎ澄まされているミスティとルクスをもってして、何処かで、という曖昧さが逆に、会ったことはないが知識として知っている人物へと焦点を当てさせる。
(修道服に斧……まさか……)
ミスティはこの組み合わせに心当たりがあった。
勿論シスターと呼ばれる女性に会ったことは無い。しかし、知識としてミスティは階段の上に立つ女性を知っているかもしれなかった。
ルクスもまたミスティと同じように思い至ったのか、ミスティに確認を取るかのように視線を送っている。ミスティはその視線に小さく頷いた。
「こんにちは! アルムさんの友人のベネッタ・ニードロスです!」
重い空気になりかかっていた場を引き裂く自己紹介。
はつらつとした声ではあるが、自己紹介しながら見せるその丁寧なお辞儀は相手への印象をやわらげるには十分なものだった。
ベネッタは自己紹介とともに一歩前に出て、そのまま続ける。
「突然の訪問、どうかお許しください。アルムさんがこの度ご実家に寄るという事だったので、ご一緒に挨拶できればと伺いました!」
「そう……そりゃご丁寧に……アルムの友達、友達か……アルム、本当に友達か?」
丁寧ながらも、どこか初々しいベネッタの様子にシスターは険しかった表情が少し緩む。
しかし、そんなベネッタの雰囲気に絆されることなくシスターはアルムに尋ねた。
流石はアルムの育ての親というべきか。嘘と誤魔化しが下手なアルムに聞く事でベネッタの言葉の真偽を確かめようとしているようだった。
「ああ、そうだ」
シスターはアルムの顔をじっと見つめて。
「……あら、ほんとなんだ……」
警戒が解けたというよりは、何かを諦めたような。
呟きと共に、シスターの肩の力が抜けていくのがわかる。
「ならようこそ、カレッラへ。アルムの友人なら歓迎しないわけにはいかないな。とはいっても……いひひ。なーんもねえとこだから案内くらいしかできねえがな」
シスターはそう言うと、振り返る。
その背中はついてこいと言っているようだった。
階段を上り切ると、木々に囲まれた景色の中でミスティ達は一先ず自己紹介をすませる事にした。
シスターはカエシウスとオルリックの名前は知っており、特にミスティの時は目を目一杯まで見開いて驚きを隠せないのがわかる。
「カエシウスって……」
「シスター、カエシウスを知ってるのか?」
「あん? 当たり前だろ、いくら平民でも知らないやつはいないさ」
知らないやつはいない。
言われてふと、ミスティと出会った時の事を思い出してしまうアルム。
その思い出の中にはカエシウス家の名前に何の反応も示さず、どんな貴族かすら知らない自分がいた。
「私はシスター。ただのシスターだ。アルムが世話になっているようだね。大変だろ、貴族様方がこの子に付き合うの」
「そんな事はありません。私はアルムにとても助けられております。これから先、いくら返しても足りないほどに……」
「僕もです。彼の在り方から学ぶ事は多くて……かけがえのない友人を持てたと思っています」
ミスティとルクスの言葉につい、アルムは照れくさそうに頬を掻く。
「……何か恥ずかしいな。そんな風に思ってくれてるのか」
「アルムくんが照れるの珍しいー」
「いや、ここまで言われると嬉しいだろ……」
「どうする? 私とベネッタの分が残ってるけど聞いとく?」
「勘弁してくれ……」
ここぞとばかりにアルムをからかうベネッタとエルミラ。
たとえシスターの前でだろうと関係無い。
このからかいが素直に言うのが恥ずかしいエルミラの照れ隠しであるのだと気付ければ立場も逆転するのだが、ここはエルミラが一枚上手のようでアルムは照れくささを誤魔化す事しか出来なかった。
「……楽しそうだな、アルム」
「ああ、みんなのおかげだ」
「……そ」
口元で笑うアルムに注がれるシスターの優しい眼差し。
気が強そうな見た目と若干乱暴な口調と、ミスティ達が抱いていたイメージとは違っていたが、アルムを見つめるその瞳を見るだけでこの女性がアルムを思っている事が手に取るようだった。
「そんなあんたに言うのもどうかと思うが……この一年で一人喰われた」
「何? 誰が?」
何とも物騒な言葉が混じった報告にアルムは驚く。
しかし、驚いたのはシスターが物騒な話題を出した事に対してではなかった。
喰われるという事実自体には何の疑問も抱いておらず、アルムが気になっているのは誰がという事だけ。
「セミト爺さん。流石に歳だね。私が駆け付けた時には駄目だった」
「そうか……これで……」
「あんた入れて八人。実質七人だね」
「減ったな……」
アルムの表情が少しだけ暗くなる。
「久しぶりに帰ったんだ。あんたはみんなに挨拶してきな。私がお客さんを教会に案内するから墓参りついでにいってきな」
「ああ……すまん、みんな。少し離れる。シスターに着いていってくれ。すぐに戻るから」
アルムはあまり表情に出ないが、その雰囲気と声は明らかに暗い。
察するに、セミト爺さんという人はアルムと少なからず関係があった人なのだろうとミスティ達は思う。
「ええ、お気をつけて」
ミスティに言われると、アルムは頷いて走り出す。
アルムはまだ強化をかけていないはずだが、その足は強化をかけた魔法使い並に速い。
故郷の山だからか、彼の足に迷いは無く、木々のカーテンをすり抜けるように見えなくなっていった。
「さて……あいつのスピードならもう声は聞こえないかな」
アルムの後ろ姿が見えなくなった事を確認して、シスターはミスティ達の方に覚悟を決めたように向き合う。
大きな、大きなため息を吐いて、肩に載せていた巨大な斧を地面へと置いた。
まるで、抵抗しない事を示した罪人のように。
「私の事……気付いてるよな。そこの二人」
「ん?」
「なにー?」
シスターが指差したのはミスティとルクス。
何のことかわからないエルミラとベネッタは指を指されたミスティとルクスの表情を窺う。
二人は自分達と違って、シスターの言葉の意味をわかっているのか表情が少し固かった。
「僕は資料で見ただけだから正直確信は無かったけど……」
「やっぱり……そうですのね」
「は? なに? 何の話?」
「どゆことー?」
深刻そうなミスティとルクスの声がエルミラとベネッタを余計に混乱させる。
アルムの故郷に来て、アルムの育ての親に会っただけのはず。何が二人にそんな重苦しい声を出さているのか。
意を決したように、ミスティは一言で二人に伝える。
「彼女は元指名手配犯です」
「は!?」
「え!?」
驚きでエルミラとベネッタの顔が勢いよくミスティからシスターのほうに向く。
シスターはポリポリと自分の頭を人差し指で掻いていた。否定する様子は見られず、むしろその仕草は肯定の意ではないかと思うほどの白々しさを感じる。
「元ってのは?」
「二十年ほど前に死亡扱いになっていますので、元、なんですよ」
「悪い人なのー?」
「あー……まぁ、貴族様にとっては極悪人だろうなぁ。平民にとっては普通の悪人だったり救世主扱いされたりもした」
「なにそれ……?」
極悪人と救世主。それはあまりにかけ離れた言葉ではないだろうか。
それが同居する人物像がエルミラとベネッタにはどうも掴めない。
しかし、その疑問はミスティの口からすぐに語られる。
「身の丈に合わない赤い斧とその場にそぐわぬ修道服。印象的な姿で魔法使いと渡り合っていた事から通称をシスター……南部を中心に活動している"反魔法組織クロムトン"のナンバー2です」
「反魔法組織!?」
「えー!?」
「元だからね元……って、よく考えたら何であんた達が驚いてるんだい? あれ? 私が思ってた展開と違うな?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
これも名前だけ出てたやつですね。