275.かの故郷
「ベラルタは東部寄りですし、平坦な道が続きますから移動は問題なさそうですわね」
「オルリック領は大体道も整備されているからベラルタの馬車なら楽に移動できると思うよ」
橙色の光が日没までのカウントダウンを始める夕暮れ時。
日も暮れかけているミスティの家で、アルム達五人は机に本や資料を並べて、改めてガザスまでの道のりと予定などを確認していた。
魔法学院のイベントであるガザス留学ではあるが、当然生徒揃っての移動であったり、教師の引率などは無い。
ガザスまでは普段の実地や魔法使いの出向のように自分達で移動する。学院側が整えるのは、国を通じての国境近くの領地への各申請や国外への渡航許可、ガザス側への連絡などなど。生徒の警護としてガザスに行く教師や宮廷魔法使いと合流するのは、ガザスの国境を越えた後になる。
出発まで後四日(予定)。今当たり前のような顔で集まっているものの、内心楽しみではあるのか、普段の実地よりも心なしか移動時の確認も念入りだった。
「ミレルまでくらいかしら?」
「うん、山も少ないから馬を休める時間も減るだろうし……ガザスと隣接してるマットラト領までは五日くらいで着くんじゃないかな」
「オルリック領は移動路の整備にかなり力を注いでおりますものね」
友人というよりは一貴族として、ミスティはオルリック家を賞賛する。
ルクスも少し誇らしいのか口元に笑みを浮かべた。
「父上曰く、魔石の運搬を円滑にするには輸送路を兼ねて道を整備するのが一番手っ取り早いって、かなりお金をかけているからね。生活に直結してる上に税の使い道が目に見えてるってのは領民も安心するのか、支持する人も多くて円滑に進んだし……とはいっても、東部の事情があったから出来た事だけど」
「なるほど……確かに税が自分達の住む場所に使われてるってのは支持を得やすそうね……」
エルミラはオルリック領の話を聞き、ふむふむと頷く。自分が領地を貰った際の事を考えているのだろうか。
世辞の類とはいえ、勲章を授与した時、カルセシスに領地の下賜を匂わされただけにその表情は真剣だ。
「効率的に移動できるのは助かりますわね。移動日数に余裕ができれば途中、野盗や魔獣に襲われるようなトラブルがあった時の保険にもなりますし」
「……ボクはともかく、この四人が乗る馬車を襲う野盗って運が無さすぎるような……」
ベネッタがどう想像しても、四人の誰かにものの数秒でボロボロにされる野盗の姿が目に浮かぶ。
自分を棚上げしているところがベネッタの自己評価の低さを感じさせた。
「日程的にマットラト領に少し滞在する感じになるかしら……あそこ何かあったっけ?」
「有名なのはお野菜でしょうか……中心部以外は農作物が主流なはずですから」
「観光地として有名な場所はあまりない印象だね……景色はゆったりしていて僕は好きだけどね」
「じゃあ、てきとうにのんびりしましょ。ガザスに行ったら嫌でも魔法漬けになるだろうし」
「そうですわね、皆でゆっくり致しましょうか」
滞在時の大まかな指針も決まると、ミスティは資料と本を片付け始めた。
エルミラもソファの背もたれにもたれかかってリラックスする。
「ボクが聞いたのはハムが美味しいってー」
「ハム?」
「うん、ハムハム」
「はむはむ」
「はむー」
「……何の時間よこれ。やめてよね」
「エルミラがやり始めたのに! ボクのせいにしようとしないでよー!」
「ぶっ……く!」
「ルクスくんが笑ったー! ひどいー!」
「ごめん……! だって、本当に意味わかんなくて……!」
何の意味も無く、雑談とすら言えないエルミラとベネッタのてきとうな会話が始まった事で本格的に予定の確認を兼ねた話し合いは終わりとなる。
向かいのソファでエルミラとベネッタのじゃれ合いのようなものが繰り広げられる中、アルムは話し合いの途中から少しぼーっとしており、とある方向を眺めながら考え事をしていた。
「うふふ。今、お茶をお持ち致しますわね。ラナ、いいー?」
ミスティが資料と本をリビングの棚にしまいながら、使用人であるラナを呼ぶと扉の向こうから、只今、と小さくラナの声も聞こえてきた。お茶を淹れるのを手伝おうと、ミスティも資料と本を棚にしまい終わると、扉のほうに歩いていく。
家の中は全体的にリラックスした空気が漂い始めていた。
そんな空気の中、ぼーっと、とある方向を眺めていたアルムが一言呟く。
「……久々に家に帰ってみようか」
この一言が波乱を呼んだ。
「アルム……今なんと?」
主にミスティに。
ドアノブに伸ばしかけていたミスティの手はぴたりと止まり、衝撃の事実を知らされたかのような表情を浮かべて振り返った。
割合でいうと興味100のその他0ぐらいの問いをアルムに投げかける。
もうトラブルのための保険の日数だとか、効率的な移動が出来るだの話は完全に頭の中から消え去っていた。
「日数に少し余裕があるなら俺は家に一旦帰ろうかと思って……出てから丁度一年くらい経つからな」
「そういえばカレッラはマットラト領だったね」
「ああ、俺もマットラト領ってとこにあるのはここに来てから知ったが」
「それもどうなのよ……」
「えっと、そういえばカレッラってどこー?」
「ガザスとの国境近くの山中にあるんだが……地図にあるのかはよく知らん」
リビングでアルムの故郷についての会話が繰り広げられる中、ミスティだけは凍ったように立ち尽くしていた。
行きたい!
そんな欲望が彼女の頭を支配する。
普通なら、ガザスへの旅の途中でわざわざ山の中にあるド田舎に寄る理由など無いのだが……想い人の故郷とあらば話は別。
しかし、理性がその欲望を言葉にするのを思いとどまらせる。
アルムにとっては久々の帰郷。そして久々の家族水入らずになる。
そこに部外者がいるのは迷惑になるのではないだろうか。
いや、そもそも貴族が行くというだけで委縮させてしまうかもしれない。村の人達を緊張させるようなことがあれば、アルムもせっかくの故郷だというのにゆっくりとくつろぐ事もできないかもしれない。
でも行きたい!
理性に対して、湧き上がってくる自身の欲望が大きすぎる事に、ついミスティは唇をきゅっと固く閉じる。ふとした瞬間に言ってしまいそうになるのを何とか我慢しようと必死だった。
「はいはいー! ボクも行きたーい!」
ミスティの内で敗北寸前の理性と傷一つ無い欲望が争う中、ベネッタが屈託のない笑顔を浮かべながら手を挙げた。
自分がこの数秒死ぬ気で我慢していた言葉をあっさり言えてしまうベネッタに、さながら、偉大な先祖を目にしたかのような羨望にも似た眼差しを向けた。
そんなミスティの様子には当然、エルミラは気付いており、にやりと笑うと、ベネッタと同じようにエルミラも手を挙げた。
「私も行きたいかも。アルムがどんな環境で育ったかは興味あるし」
ミスティはベネッタに向けていた眼差しを今度はエルミラに送る。
手を挙げながら、エルミラもまたミスティをちらっと見た。二人の目が合い、エルミラの意図がミスティに伝わる。
結果、自分がどれだけ行きたがっているかもエルミラに伝わってしまったような気がして、ミスティは耳を真っ赤にした。
「いや、本当に何も無いぞ……そうだな……村のある山を想像してみてくれ」
「うん? うんー……」
「村のある山ってそのまんまじゃない……まぁ、いいけど……」
アルムに言われた通り、エルミラとベネッタは山中の村というのを各々想像してみる。
「そこから村が無くなったのがカレッラだ」
「ただの山じゃないのよ!? 村はどこいったのよ村は!」
「そのぐらい何も無いって話でだな……」
「人は住んでるんだろう?」
「一応」
「一応って……僕も気になってきたな」
「いや、本当に何も無いんだ。本当に」
アルム本人は故郷に何も無いと言うが、その言い回しが逆にルクスにも興味を抱かせる。
「駄目ー? やっぱ迷惑ー?」
「いや、そんなことは無いが……俺の思いつきで予定を変えていいのか?」
「別にいいじゃない? 予定なんて道中以外はあってないようなもんだったし、なんなら一日早く出発してカレッラに寄ってからマットラト領で色々散策してもいいわけだしね」
それでいいでしょ、という確認の意味でエルミラはルクスに目をやる。
ルクスもそれに頷いた。
「うん、それでいいんじゃないかな。アルムが迷惑じゃなければアルムの故郷も見ておきたい」
「うーん……」
「アルムくーん!」
エルミラだけでなく、純粋に興味を抱いたルクスとベネッタの援護。
ミスティの内心で、大勢で押し掛けるのは迷惑になるのでは、と理性がそれっぽい抵抗を見せる。
しかし、そんな儚い抵抗は膨れ上がった欲望と、自然に行きたいと言えるようになった状況の前に意味をなさない。
「わ、私も行って、み、たいです! アルムの故郷に……!」
我慢できず、アルムに意思を伝えるミスティ。
声が上擦り、言葉を詰まらせた事に羞恥を感じながらもアルムの返答を待つ。
待っている間の時間は長く、ばくばくと鳴る胸の鼓動は大きかった。
「それなら……皆で来てくれ。本当に何も無いとこだから期待はしないでくれよ?」
「やたー!」
友人の故郷を訪れる事に純粋に喜ぶベネッタ。
向かいで喜ぶその姿にアルムは若干困ったように頭を掻く。本当に何も無いんだがな……と小さく呟いているようだった。
「……」
ミスティは一人、呆けたように立ったままだった。
アルムの故郷に行ける事の喜びはあるはずなのに。
心臓が鳴っている。まだ行くことが決まっただけだが、それだけでミスティは少し緊張し始め、喜びを表に出す事が出来なかった。
かちゃ、とミスティの後ろで静かに扉が開く。
「ミスティ様? 扉の前で何を?」
「ラナ……」
扉を開けたのは、紅茶のポットと人数分のカップを載せたトレイを持ったラナだった。
どうやら呼ばれる前からお茶を準備していたらしく、ミスティに呼ばれてしっかり一式を持ってきている。
「随分嬉しそうな顔をされておりますが……そんなにガザスに行くのが楽しみなのですか?」
「私、嬉しそうですか?」
「ええ、それはもう。顔がにやけておりますので」
ラナに言われ、ミスティは慌てて口元を隠すように両手で押さえた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
名前だけはずっとあったあの場所です。