並行 ネロエラ・タンズークの疾走
「んふふふ! すまないね、急に呼び出して」
アルムがロベリアとライラックと魔法儀式をしていた同時刻。
学院長室には一人の生徒が訪れていた。
白い髪に白い肌。色素の薄い外見に映える赤い目が特徴的な小柄な生徒だった。
その生徒が扉を閉めると、扉を閉めた時の空気の動きで制服のスカートが少し揺れる。
その生徒は学院長室に入ると、持っている本を開き、胸ポケットに差してあったペンを抜くと開いた本に走らせる。
《どういったご用件でしょうか?》
その生徒はそう書かれた本のページをオウグスに見せた。いわゆる筆談というやつだろう。
学院長室を訪れた生徒の名はネロエラ・タンズーク。
アルム達の友人の二年生だった。
「まず、ガザスの留学について……惜しかったねぇ。候補には入っていたんだが……流石にあの面子に並ぶには足りなかった」
《元々一年の時は積極的ではありませんでしたので、結果は受け止めています》
「うんうん、何故そうなったかを理解し、受け止められるのは魔法という点においても大切だ。皆、君のような考えを持っていればいいんだがね」
《ありがとうございます》
「さて、当然ただ褒める為に君を呼んだわけじゃあない。少し重要な話だ」
雑談もそこそこにオウグスは本題へと入る。
重要な話。そう聞いて、ネロエラはすらすらと本にペンを走らせる。
《筆談のままで構いませんか?》
それは、重要な話の受け答えを筆談という形で記録されて問題ないか、という意味の問いだった。
一応、牙を見せずに会話できるよう、フロリアにプレゼントしてもらったフェイスベールを持ち歩いている。
「ん? 構わないよ、君の家の問題だからね。外に流れようが流れまいが自己責任だ」
《では、このまま聞かせて頂きます》
「うん、構わないさ」
オウグスは机に置いていた封書を一枚見せる。封書はオウグスがすでに確認したのか開いていて、その封書を閉じていたであろう封蝋にはマナリルの国章を基に作られ、王家が使っているシーリングスタンプが押されていた。
「今朝、王城から書状が届いた。恐らく、君の家にも同じものが届いているだろうが……タンズーク家の現当主、つまり君の父上ではなく君宛だったから呼び出させてもらった」
《王命……? 私にですか?》
王命を貰ったのは領地再編の調査以来か。
その調査に抜擢された時ですら恐れ多かったというのに、今回ネロエラには特に心当たりも無かったので光栄よりも先に怯えがくる。まさか領地で何か起きたのだろうかという不安もあって、そんな負の感情を誤魔化すように生唾を飲み込んだ。
「安心したまえ、悪い話じゃない。むしろ逆さ。君……スノラのクーデターの時に報告書を提出しただろう?」
《はい、複数の当事者の目から情報を照らし合わせる為にと》
「うんうん、それと……領地再編の為の北部の領地調査の時にも報告書を出してるよね?」
《はい、そちらはフロリア・マーマシーと共同で書き上げたものです》
「うんうん」
繰り返される頷きと、表情の読めないオウグスの笑顔がネロエラの不安を加速させる。
書いた文字だけなら心に余裕があるように見えているが、筆談でなければ途中で答える声は震えていただろう。
「その報告書をつい最近、カルセシス……ああ、国王が目を通したようでねぇ。君とフロリアは北部の領地調査の際にタンズーク家が管理している魔獣エリュテマで移動する時があったらしいね。そしてスノラでのクーデターの際には、君の命令で魔獣エリュテマはトランス城に突入してルクス・オルリックと共闘した……違いないかい?」
聞かれて、ネロエラの顔は青ざめる。
元々色素の薄い肌からみるみる血の気が引いていた。オウグスからすれば何に怯えているのか全くわからない。
何かに怯えているかのように震えながら、ネロエラは本にペンを走らせた。
《やはり……弁償ですか?》
「ん? 弁償?」
《私、あの時エリュテマ達と一緒にトランス城の窓を壊して入ったので……いつか請求がくるんじゃないかと……》
「……」
本に書かれた文字を見てオウグスはぽかん、とした。
一瞬、冗談を言っているのかと思えば、ネロエラは至極真面目に壊した窓の弁償代を請求する事に怯えているようで本を持つ手は小刻みに震えている。
確かに、かつての古代国家ラフマーヌの芸術たるトランス城を破壊したとあれば、下級貴族には絶望的な請求がくるだろう。
請求される金額によってはこの場で泣き出してしまうのではないかと思うほどに、ネロエラの瞳は揺れていた。
「んふふふふふ! 馬鹿だねぇ! んふふふふふふ! そんなわけないじゃないか!」
そう。アルム達とともにスノラのクーデター阻止に協力した貴族にそんな酷な請求をするはずがない。
オウグスはずれた不安を抱えるネロエラのあまりに真剣な表情に大笑いするも、ネロエラは真剣に弁償でない事にほっとしたのか胸を撫でおろす。
しかし、だとすれば話とは?
《では、一体何のお話でしょう?》
「めでたい事さ。おめでとうネロエラ。試験的にだが、タンズーク家とタンズーク家の魔獣エリュテマを緊急時の移動手段、又は物資の輸送手段として北部、もしくは王都の新設部隊として運用できないか、という話が来てる」
オウグスは封書の中から書状を取り出して、ネロエラに見えるようにした。
書状にはマナリルの国章が入っており、ネロエラの名前も入っているのが見える。
ネロエラは驚愕で目を見開き、書状をよく見たかったのかオウグスの座る机のほうに無意識に歩いていっていた。
「部隊長は当然タンズーク家の人間。筆頭は君だ。エリュテマが馬より速い魔獣である事と、馬と違って輸送しているエリュテマ本体にも戦闘能力があるのが評価されたようだ。懸念である危険性も……スノラでの報告書でタンズーク家の指揮下であれば、戦闘時のような興奮状態でも敵味方の分別をつけて活動できる点が決め手となって、問題ないと判断されたようだねぇ」
「……!」
「これは喜ばしいことではないが……魔法生命の出現で、各地に迅速に駆け付けられる移動手段が従来より重要になったのも一つの要因だろうねぇ。ただでさえ去年、転移魔法を使う一族が馬鹿な事したせいで投獄されちゃったから困ってたし」
書状を見て目を輝かせるネロエラ。
タンズーク家は今でこそ北部に領地を貰っているものの、下級貴族である事には変わらない。
そんな下級貴族が王都での新設部隊を任される。内容だけ見れば移動手段としての評価のため輝かしい内容ではないが、それでもこうしてタンズーク家の力が求められるという事はタンズーク家の魔法のアプローチが決して間違っていなかった事の証明だった。
他の家に今まで理解されてこなかった魔獣との共存。自身を魔獣の姿と同化し、より心を通わせるタンズーク家の血統魔法。
そのタンズーク家の歴史が今、この国に必要とされる時が来た事にネロエラは嬉しそうに腕をぶんぶん振っている。
「ベラルタ魔法学院で優秀だと判断された子達は卒業前から色々な場所から目を付けられるものだけど……試験的にとはいえ、王命によるチャンスを掴める貴族はそう多くない。上手くいくような事があれば間違いなく、特定の魔獣と共存する、なんて理解の得られにくい君の家も、君が当主になる時期には広く認められるようになる……かもしれないね?」
「……!」
筆談することも忘れ、こくこくと首がとれそうな勢いで頷くネロエラ。
そんな姿が微笑ましく、オウグスもまた口元に笑みを見せた。
「君とタンズーク家は魔獣エリュテマと一緒に王都に来るよう招集がかけられてる。留学メンバーより一足先にベラルタを出ないといけないね。タンズーク家の人間以外に補佐を指名できるようだけど……あてはあるかい?」
「……」
「勿論、君以外に魔獣に慣れてる人じゃないと無理だろうけどねぇ……」
ネロエラは少し考えると、ページをめくって本にペンを走らせる。
《います》
短く、そう書いた。
「そうか、ならいいんだ……頑張りたまえ」
オウグスは書状を封書にしまい、その封書をネロエラに手渡す。
ネロエラは封書を受け取ると勢いよくオウグスに頭を下げた。
「招集に遅れないように出発するように。以上さ」
《ありがとう――》
嬉々として書いている途中、窓の向こう……遠くに見える実技棟から竜巻のようなものが立ち上って一瞬手が止まる。
誰かが魔法儀式をやっているのか、と思いながらネロエラは続きを書いた。
《ありがとうございました》
オウグスにお礼の文を見せると、ネロエラは学院長室を後にする。
すでに手遅れだが、平静を装って学院長室を出て静かに扉を閉じた。
「~~~~っ!」
もう一度、書状を開いて確認すると興奮冷めやらぬ表情で小さくガッツポーズする。
確認した書状をにまにましながら封書に戻すと、ネロエラは学院長室から伸びる長い廊下を小さく跳ねるように駆けていった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
なんとか二回目の更新です。
いつもの幕間の代わりの一区切り閑話です。