273.魔法儀式から……
いつも読んでくださってありがとうございます。
次は一区切りになるので二回更新になるかもしれないです。
魔法儀式が始まって数分。
植物園近くの実技棟。魔法を撃ち合うアルムとライラック。
ギャラリー席で戦いを見ていたロベリアはその光景に目を疑っていた。
「嘘……でしょ……?」
序盤は贔屓目無しに、ライラックが押していた。
圧縮して放たれる風の礫。アルムを接近させない為の突風。動きを封じる拘束系の魔法。それらを駆使してアルムの攻撃を封じていたのだ。
無属性魔法の攻撃魔法はたかが知れている。警戒すべきは使い手本人の身体能力のみ。
ライラックは目の前のアルムを平民と侮ってはいるものの、血統魔法を使わない事以外の手加減はしていなかった。
自分が有利になるような状況を魔法で作り、唯一警戒すべき身体能力を発揮できないように遠距離戦に持ち込み、純粋な"現実への影響力"の差だけの勝負に持ち込む事で有利な展開へと進めていた。
いくら風属性が"現実への影響力"を上げにくい属性でも、無属性魔法と属性魔法の"現実への影響力"の差は言うまでもない。
ライラックの望んだ通りに魔法儀式は展開されていった……ように思えた。
「く……!」
「……」
そう。望んだ通りの展開のはず。はずだった。
そのはずが、今ライラックの顔は歪み、アルムは涼し気な表情を浮かべ、『強化』で強化された身体能力を持って実技棟を走り回っている。
ただ走り回っているだけならライラックの魔法で拘束すればいいのだが、それをさせない一つの魔法がアルムの周囲には展開されていた。
「なんなのよ……あの鏡みたいなの……!」
ギャラリー席のロベリアは忌々しそうに歯を鳴らす。
形勢を変えたのは、走り回るアルムの周囲に浮遊する三枚の鏡の魔法。
一枚目はライラックの魔法ですぐに割ることができた。知らない魔法ではあったが、察するに防御魔法。その一枚目が割れたことでライラックもロベリアも所詮は無属性魔法と笑い飛ばす余裕があった。
しかし、三枚目に差し掛かった時、その余裕は消える事となる。
二枚目はひびが入るだけで、一枚目のようにあっさりというわけにはいかなかったが、二度目の中位の攻撃魔法で砕け散った。
問題は三枚目から。中位の攻撃魔法でもひびすら作れず、魔法が弾かれるようになったのだ。
同じ魔法、同じ鏡のはずが、さっきまで破壊できた魔法で破壊できない不可思議。
自分の知る無属性魔法とは明らかに違う魔法の前にライラックは顔を歪めていた。それはギャラリー席のロベリアも。
……彼らは知らなかった。
無属性魔法の魔法であり魔力でもあるという曖昧さ。通常ならデメリットにしかなりえないこの特性を利用するアルムの技術。
魔法の三工程。"充填"。"変換"。"放出"。通常、順番に行うはずの三つの工程を全て同時に行い続ける事で、延々と"現実への影響力"を高め続けるという、馬鹿げた魔力量を持つアルムだからこそ可能になる常識外の方法を。
無属性魔法という最古が今、アルムという最新によって開拓されている事を――!
「無属性魔法という情報は嘘か……? 本当は光属性……!?」
そう口にしながらも、知識はライラックのその疑問を否定する。
本当に光属性ならば、アルムが使う補助魔法が無属性魔法ばかりの説明がつかないし、アルムにそんな手加減をする理由も無い。何より、鏡の魔法が破壊できない説明もつかない。
いや、説明がつかないというのならどれも説明がつかないのだ。
ライラックの知る常識で考えた時、光属性魔法でも無属性魔法でも説明がつかない出来事が目の前では起きている。
何より、ライラックを混乱させているのは鏡の魔法の強固さだけではなかった。
「ちょこまかと……!」
ライラックはアルムに狙いを定める。
"変換"によって属性の速度を重視し、鏡の魔法をすり抜ければいくら防御が強固であろうと関係ない。風属性は元から威力が低い為、強固な防御魔法には対策が必須。その為の技能と手段も身に付けている。
「『暴風の強弓』!」
ライラックが指差し、魔法を唱えるとライラックの頭上に荒れ狂う巨大な風の矢が現れ、アルム目掛けて放たれる。その矢は鏡の魔法の横を通り過ぎて、アルム目掛けて一直線に風を切っていた。
アルムの周囲に展開されている鏡は反応して動いてこそいたが、ライラックの魔法はその鏡の速度を超えてアルムへと辿り着く。
「操作じゃないな」
しかし、ぼそっ、と呟きながらアルムはその魔法を冷や汗一つかかずに横に跳んで躱していた。
跳んだ先を狙おうとするも、事前に配置されていた鏡の魔法がライラックの視線と攻撃のラインを阻む。
「また……!」
何回目になるだろうか。
鏡の魔法が動く速度を超える魔法を放っても、アルム本人にいとも簡単に躱されてしまう。
鏡の魔法をかいくぐる手段を用いても、使い手に当たらない。
いくら強化の補助魔法を使っているからといって、風属性魔法の速度に反応できるほどになるだろうか?
ましてやアルムが使っているのは無属性魔法の『強化』。ライラックも使える一般的な魔法。攻撃魔法や防御魔法に比べれば"現実への影響力"はましだが、あくまでましなだけのはずだというのに。
「何やってんのよ兄貴……!」
ロベリアがライラックを責める声も心なしか小さい。
何せ、ロベリアも何が起きているのかわからないのだ。
無属性魔法にしては強固すぎる鏡の盾。何故か何度も躱されてしまう風属性魔法。
自分の学んだ知識と身に付けた常識で理解できない光景。
もっと簡単に、もっと楽に受けた指令を終わらせられるはずだったのに――!
「仕方ないですね……!」
本音を言うならば、魔法儀式で圧倒するのが望ましかった。
だが、恐らくこの状況は血統魔法を使わない限りは打開できない。とはいえ、血統魔法を見せるわけにもいかない。
ならばとるべき道は一つだけ。
自分達の受けた指令を優先すべくライラックは動きを見せる。
「……っ!」
一瞬、ライラックはロベリアに目配せした。
目が合ったロベリアはその意図に当然気付く。
気付いたからこそ、ロベリアの中に言いようの無い悔しさがこみ上げてきていた。叫びたくなるような苛立ちと不快感に耐え、ロベリアは不本意な表情を浮かべながら動きを見せる。
「!!」
ライラックを注視していたアルムはロベリアの動きには気付かなかったが、魔法による遠距離勝負をしていたライラックの動きが変わった事にはすぐ気付く。
一瞬、ギャラリー席のほうを見たかと思うと突如、ライラックは懐から小瓶を三つ取り出した。その全てには謎の粉末が詰まっている。
(薬――いや毒――!)
アルムは瓶の中に入った粉末の正体に気付くと息を大きく吸い、制服の袖を口にあてると操る魔鏡を一枚、ある場所へと飛ばした。
「『一陣の突風』!」
ライラックは三つの小瓶を床に叩きつけ、風属性魔法が巻き起こす突風によって割れた瓶の破片と粉末を魔法ごとアルムにぶつける。
鏡の盾では破片を防ぐ事はできても風に舞う粉末は防ぎきれない。
アルムは散布された粉末を吸わないように、制服で口と鼻を覆って呼吸を止め続ける。
粉末の正体はアルムが気付いた通り、ライラックが調合した毒。
薬草の研究が盛んであるパルセトマ領。その領主であるパルセトマ家も当然、薬にも毒にもなる薬草の知識は魔法と同じくらいに豊富だった。
「『嵐の檻』!」
「!!」
ライラックがアルムの周囲に粉末を散布すると、ギャラリー席を移動し、アルムの真横まで来ていたロベリアがアルムに拘束系の魔法を唱える。
ロベリアが唱えたのは、鏡で防がれようともアルムの周囲全てを拘束する風の檻。
散布された毒の粉末を巻き込み、アルムが粉末を吸うまで閉じ込めるつもりだった。魔法を唱えようとすれば少なからず、毒の粉末が気管に入ると見越して。
「安心して下さい。ただの神経毒……体を麻痺させるだけのものです。もっとも、私が調合したものなので、私達が作った解毒薬が無ければしばらくの間、満足に体を動かせなくなってしまいますが」
「悪く思わないでよね。うちらだって本当はこんな……こん……な……」
ロベリアの声が途切れる。視線は導かれるように下へと。
ライラックの毒とロベリアの介入による二つの不意打ち。
不本意ながら、受けた指令だけは果たせたと確信していた。
だが――ロベリアは気付いた。
実技棟の床に……あるはずのない日の光が落ちている事に――!
「何で天井が……!」
見上げると広がる空に白い雲、そして降り注ぐ日の光。今まで閉まっていたはずの天井は確かに開いていた。
毒の粉末をアルムの周囲に留まらせるために天井は開けず、空気の流れがほとんど無い閉鎖的な空間にしたはず。
実技棟の天井の開閉は、壁にはめ込まれた魔石に魔力を通さなければ出来ない。
今、その魔石に触れているものはいないはずなのに、何故天井が開いたのか。
「っ!!」
「ば、馬鹿な!」
二人の視線は、疑問を解くために自然と壁に埋め込まれた魔石に向く。
同時に、驚愕の声がライラックから上がった。
その驚きも当然と言えよう。
壁に埋め込まれた天井の開閉用の魔石には、先程までライラックを難儀させていた鏡の魔法が一枚、突き刺さるように触れていたのだから。
「そんな……事が……」
開閉用の魔石は魔力を流し続ける事で機能する。
魔法を当てたところで属性魔力には反応しない上に、無属性魔法も通常は単発の魔法に過ぎないため当てたところで遠隔で反応させられることはない。
だが、アルムの魔法は違う。
無属性魔法に魔力を"充填"し続けるという事は、魔力を流し続けているという事。
『永久魔鏡』という魔力を注ぎ込まれ続けている魔法を通して、アルムは開閉用の魔石を反応させていた。
「ぶは!」
驚愕も束の間、アルムの周囲に展開させていた残る鏡が嵐の檻を突き破り、アルムもそこから脱出し、その場から距離をとるためにギャラリー席まで跳んだ。
ロベリアとライラックの作戦はあくまで閉鎖された場所だからこそ可能な策。風属性魔法で多少の誘導ができるとはいえ、天井の開放で換気され始めたこの場所で充分な量を吸わせることなどできるはずもない。なにより天井の開放に気付かずに風属性魔法を使った事で、すでに毒の粉末は外に舞い上がってしまっている。
脱出したアルムは呼吸が出来る喜びを感じながら、一階で立ち尽くす二人に声を掛けた。
「ふう……ルールは説明したはずだが?」
その声にロベリアとライラックはギャラリー席にアルムを見上げる。
二人の視線が、こいつは何者なんだと、言っているような気がした。
「魔法儀式は一対一、使っていいのは魔法と身体能力のみ……そのどちらも破ったな。しかも、毒を使って俺を動けなくしようって……どういう事だ? まさかとは思うが、俺を殺す気だったのか?」
「こ、殺す気だったらなに? こちとら貴族の事情ってのがあんのよ。あんたみたいのと違ってね」
実際は殺す気など全く無かった。宮廷魔法使いラモーナを通じて受けた国王カルセシスからの指令はアルムをガザスへ行けなくする状態にする事。ラモーナには決して殺してはいけない、と念も押されている。
理解できない魔法儀式の展開、平民相手に正面からの指令の遂行を断念せざるを得なかった事実、そして今……プライドを捨てて行った策すら抜け出された現実。
積み重なった苛立ちが、ついロベリアに反抗的な態度と返しをさせてしまっていた。
ロベリアからすれば、口の悪い自分の延長のようなもの。気に食わない平民に対する当然の態度を取っただけ。
しかし、アルムにとって重要なのはそんなロベリアの態度などではなかった。
「そうか……殺す気だったのか」
「っ……!」
短く呟くその声は、何かが切り替わる合図のようだった。
二人を見つめるアルムの目から魔法への好奇心は消え、魔法儀式に臨む時の真剣さもまた消える。
この瞬間、二人とアルムの関係はベラルタ魔法学院の生徒同士から自分と敵へと。
アルムの目に映るものはもっと純粋で、自然なやり取りへと変貌した。
「"変換式固定"」
浮遊していた三枚の鏡が音を立てて地に落ちる。
獲物にすべくは眼下の敵。
自分の命を奪い、夢を潰さんとする敵。
彼等が自分を殺す気だったというのなら――対等にならなければ。
「『幻獣刻印』」
夜も無く、月も無く。自身の敵を狩るべく白い獣は現れた。
ああ……殺す気は無かったと言うだけで、彼らの運命は少しだけ違っていただろうに。