272.静かな始まり
「よかったー。あんま時間かからなかったよー」
ミスティ達が座るテーブルを見つけ、ベネッタは賑やかな食堂をとてとてと横断してきた。ルクスがこっちこっちと手招きし、ミスティとエルミラは小さく手を振っている。
ミスティ達に眼差しを向けていた一年達は、近寄りがたいその席に当たり前のように座るベネッタを見て、あれは誰だと密かにざわついた。
そのざわつきに気付いてはいるものの、特に気にしていない四人。
四人とも一年の頃から異質な組み合わせとして注目され続けてきたので、多少のざわつきは気にならなくなっている。慣れというのは恐ろしい。
「ヴァン先生に呼ばれたのって何だったの?」
「なんか、留学行く人達の中で治癒魔法使うのボクだけなんだってー。それで、ガザス国内で治癒魔法を使うための許可申請証みたいなのにサインしてきたのー」
答えながら、ベネッタはエルミラの左隣に座る。
後から来るとわかっていたからか、目の前の丸型のテーブルにはすでに五人分のカップが置かれていた。
「……何で治癒魔法使うのに許可証いるの?」
「さあー?」
「さあ、って……あんた今書いてきたんじゃないの?」
「許可いるんだー、とは思ったけど……ヴァン先生忙しそうだったし、何でかは聞かなかったからー……」
首を傾げてエルミラの疑問を晴らせないベネッタに代わって、その横に座っているルクスが答えた。
「感知魔法だと勘違いさせないためじゃないかな? ほら、治癒魔法って接近しないと使えないし、時間も少しかかるから、親切を装って治癒魔法を使わせてみたら感知魔法で情報を抜かれてた……みたいな悪質なケースが探せばありそうだ」
「そっか。信仰属性の感知魔法とかだと魔力光でも見分けもつかないわよね」
「友好国だからこそ、二国間で無用なトラブルを避ける為のものなんだと思うよ。ベネッタくんは治癒魔導士じゃないから、そういうのが必要なんじゃないかな」
「なるほどー!」
「だから……いや、いいわ……」
ルクスの説明に納得するベネッタを呆れ顔で見るエルミラ。
そのエルミラの前に座っていたミスティは誰かを探すようにキョロキョロと食堂を見回していた。
「あの、ベネッタ。アルムはどうされたのです? ご一緒だったのでは?」
「途中まで一緒だったんだけど、魔法儀式申し込まれてそっちに行ったんだと思うよー」
「へぇ、この時期に魔法儀式って誰とだろう……留学に選ばれてない人かい?」
「ううん、一年生。ほら、パルセトマの人がって話してたでしょー? そうそう! みんなはパルセトマの人が双子だって知っ……て……」
ベネッタの言葉にミスティ達三人の視線がベネッタに集まりながら固まる。
三人の様子が変わった事に気付き、ベネッタも途中で言葉が詰まった。
「ど、どうしたのー?」
「パルセトマ家の双子がアルムに?」
「え、う、うん……ロベリアさんって可愛い女の子とライラックさんっていう糸目の男の子だったよー……?」
「なんかきな臭いわね……私達と接触した次の日に……?」
エルミラは昨日、自分を見下していた二人の目を思い出す。
こうして考えるだけでも、ああいう貴族が嫌いなエルミラにとっては少し腹立たしい。
「ルクスさんとエルミラのところにもいらしたのですか?」
「てことはミスティ殿の所にもかい?」
「はい、ご丁寧な方々だと思っていたのですが……途中、アルムの事を聞いてこられて少し熱くなっておられて……」
ミスティはそこまで言って気付く。
無論、聞いていたルクスとエルミラも。
「まさか……」
「元から狙いはアルム?」
「私、少し探してきます。万が一があってはいけませんので」
「アルムなら大丈夫だとは思うけど……確かにちょっと引っ掛かるわね」
「あ、ボクもいくー!」
カップを置き、ミスティとエルミラは立ち上がった。
ベネッタもカップに淹れてあった紅茶を急いで飲み干して、二人についていく。
三人が移動した事でまた注目――特に男子生徒の視線が――が集まるが、食堂を横断する三人に話しかけようという猛者はいなかった。いたとしても、綺麗にあしらわれただろうが。
「何でパルセトマがアルムを……?」
自分達と同じ四大貴族パルセトマ家。
因果関係のない家が何故アルムに接触してきたのか、ルクスは考えるも答えは出ない。
直接聞くのがいいか、とルクスも探しに行こうとするも。
「ルクス・オルリック様! お初にお目にかかります! 私――!」
「え? どうも……ルクス・オルリックです」
「ルクス様! 四年前のパーティで御一緒させて頂いた――!」
「ああ……お久しぶりです。お元気そうで何より」
一歩、遅かった。
ミスティ達が離れ、「チャンス!!」とルクスの座る席に数人の女子生徒が駆けよってきていた。昨日のパルセトマ家のように、エルミラに対して不遜な態度をとっているわけでもないので真面目に応対してしまうルクス。
魔法学院の生徒として、というよりも貴族の令嬢として接してくる女子生徒達に、内心、辟易しつつも貴族としての外面を崩さず、丁寧に受け答えしていく。
(まぁ……アルムならある程度の事態は大丈夫か……)
結局……自己紹介と雑談の嵐に巻き込まれて出遅れたルクスは、昼の時間中、動くことはできなかった。
アルムが連れてこられたのは植物園近くにある実技棟だった。
植物園は治癒魔導士ログラの管理だが、ログラは生徒がいる時間は医務室にいるので、この時間帯には教師も生徒も好んで訪れるような者は少ない。
昼の休憩時間なのもあって、この周辺には人がほとんどいなかった。
ライラックが魔石に触れると実技棟の扉が開く。
紳士的な振舞いで促され、アルムは魔石に触れてから実技棟の中へと入る。この時点で魔力が登録され、ここでの勝敗は戦績に反映される。
アルムは実技棟に入ると天井を見上げた。
「天井は?」
「そのままでもいいでしょう。そこまで大規模な魔法は使いませんから」
「そうか」
そのままアルムは一階の中央まで歩いていく。
「それで、どっちがやるんだ?」
「私がいかせて頂きます」
アルムの質問に答えたのはライラックだった。ロベリアは無言で二階のギャラリー席に続く階段のほうへ歩いていく。
意外そうに、その背中を見つめるアルム。
ただの印象ではあるが、ロベリアのほうが魔法儀式を進んでやりそうなイメージだったからだ。
「妹が何か?」
「いや、何でもない」
何でもない、と言いながらロベリアのほうを見るアルムにライラックの表情が少し険しくなる。
「言っておきますが、可愛い妹をあなたのような平民にはやれませんよ」
「……ん?」
「見惚れるのはわかりますよ。口は悪いですが、身内贔屓を無くしても器量のよい子です。嫁の貰い手は勿論、婿だって困らない容姿でしょう。同じ紫の髪色でもあの子は少し淡く、色合いも艶も違って美しく、何よりあの子自身の顔立ちに合っている」
「いや、ちょっと待ってくれ」
「ああ、ご安心を。あなたの気持ちをどうこう言う気はありませんし、不安に思っているというわけでもありません。そもそもあの子は家名至上主義……あなたのような平民を相手することなど万が一にもあり得ませんからね。いや、あの子の主義がどうであれ、あなたのような冴えない男がどうこうできる存在ではないわけですが。まぁ、ですからこれは助言の類です。夢を見る前に諦めたほうがいいというね」
「いや、だから……」
アルムの意見が耳に届いていないのか、それとも聞く気が無いのか、早口で捲し立てるライラック。
以前ラナとも同じような事があったので、そんなことは無い、と言っても角が立ってしまう事を学んでいる。
止めようとしても止まらないと悟り、アルムはとりあえず黙って聞いておくことにした。
「欠点に見える口の悪さもあの子の普段を知っていれば愛しいものです。私が五歳の時には花の冠を、七歳の誕生日には私にぬいぐるみを、八歳の時には長くなり始めた私の髪を見てリボンをプレゼントしてくれたり……今でも誕生日になれば誕生日プレゼントではないかのように振舞って、私の誕生日だからケーキ作っただけだし、とか下手な言い訳しながらケーキをプレゼントしてくれたり、私達が十八になった時のプレゼント用に酒屋でワインを予約してくれてたりする――」
「てめえ! 途中から聞こえてんだよ! うちの話はいいからさっさと始めろ馬鹿兄貴!!」
そこでようやく、二階のギャラリー席からロベリアの怒号が聞こえてきた。
アルムが声の方向に目をやると、ロベリアは羞恥からかすっかり顔を赤らめている。
「お兄様と呼んでください」
「誰が呼ぶか馬鹿兄貴!」
そんなロベリアの怒号にも冷静なライラック。
二人の様子を見るに、こういったやり取りは日常茶飯事なのだろう。
「それでは、始めましょうか」
「あ、ああ……」
というか、何でワインの事知ってんだ……とロベリアがギャラリー席でごにょごにょ呟いていると、一階に立つアルムとライラックは向かい合う。
「……兄貴。終わらせてもいいぞ」
「ええ、一応そのつもりです」
「?」
会話の意味がわからないが、言い合っていた時と打って変わってやけに真剣な声色だったのが気になるアルム。
しかし、兄妹間の会話を追究する気も無かったので、アルムの視線はそのまま向かい合うライラックに向けられた。
糸目のように細めていたのは意図的なものだったのか、まるで開戦の合図かのようにライラックの目はぱちりと開く。
「ああ……目を開くとロベリアに似てるな」
「……私にとっては褒め言葉です。どうも」
「一応、ルールについて言っておく。魔法儀式は一対一の魔法戦だ。使えるのは魔法と身体能力だけ。その魔法も相手を再起不能にしたり、直接相手の体を欠損させるような使い方は無しだ。決着は相手が降参するか気絶するか。大丈夫か?」
「ええ」
「それならいい。お節介だったな」
アルムはルールを説明し終わると、ライラックを見据える。
伝えるべき事は伝えた。後は魔法儀式を通して好奇心を満たすのみ。
相手はミスティやルクスと同じ四大貴族。どんな魔法を使うのか、知っている魔法でも知らない魔法でも構わない。目の前の貴族はどんな魔法を使うのか。
ある意味、この瞬間がアルムにとっては一番かもしれない。
魔法を使って戦う前。それはプレゼントを開ける前のような、もしくはびっくり箱を前にしているような、そんな高揚感がアルムを高める。
「さあ、始めましょう。ロベリア、声掛けを」
「律義だこと……はい、始め」
やる気の無い声掛けではあったものの、ロベリアが声掛けをしたその瞬間、向かい合っていた両者は動く。
アルムは後ろに跳んで距離をとりながら、ライラックはその場で、互いに魔法を唱えた。
「『強化』『抵抗』」
「『風穿乱撃』」
片や無属性の補助。片や属性の速度を利用した先制攻撃。
勢いよく、風が放たれる音が実技棟に響き始める。
いつも読んでくださってありがとうございます。
アルムが戦うのは久しぶりですね。