271.噂の平民
「いいぞ」
「え」
「ん? なんだ?」
翌日。座学が終わった本棟の廊下。
いつも通り、魔法儀式の申し出を受けただけなのだが、目の前の二人の反応が妙だった事にアルムは気付く。
声を掛けられ、魔法儀式を申し出てきたのは、今年ベラルタ魔法学院に入学したロベリアとライラックと名乗る双子だった。
アルム自身、何の実感も湧いていないのだが、ベラルタ魔法学院のような学び舎や組織に後から入ってくる者の事を後輩と呼び、先に入っていた者を先輩と呼ぶらしい。とはいえ、無属性魔法しか使えない自分が先達というのは少々おかしな話だとアルムは思ったので、相手が一年であろうと対応は他と特に変わらない。
なので、魔法儀式の申し出もいつも通り受けただけなのだが……申し出た二人は何故か驚いているようだった。
何か自分に不手際があったのだろうかと少し考えるも、わかるはずもない。特に何もしていないのだから。
「すまん、何かおかしかったのだろうか……? それともたまに言われる冗談、というやつだったか?」
「アルムくん、結構そういうのあるもんねー」
一緒にいるベネッタはアルムがそういった場面に何度か遭遇しているのを知っているので、納得と相槌を打つ。
冗談と捉えられそうな雰囲気を避けるべく、ロベリアは慌ててアルムの言葉を否定する。
「い、いえ、冗談じゃないです。ただ、その……家名のせいか同級生から魔法儀式を受けて貰えなかったので、こうもあっさり受けてくれることに驚いてしまって……」
我ながら尤もらしい言い訳が出来たと、内心にやりとするロベリア。
家名に怯まないのもそれはそれで面白くなかったのは事実である。
「パルセトマ家……えっと、ミスティとかと同じ四大貴族だったか?」
「うん、西部にでっかい領地がある家だよー。ダブラマと隣接してるとこでー……えっと、薬草とかの研究が盛んってエルミラが言ってたような……?」
「ならマリツィアとかもそこを通ってきたのか」
「かもねー。元気にしてるかなー?」
「元気じゃないのが想像つかんが……」
パルセトマ家という家名はついでであるかのように、アルムとベネッタは緩んだ会話を展開させる。
家名を至上とし、入学時に実力を以てそれを証明したと考えているロベリアにはそんな会話が少し腹立たしかった。
どうやら、この街で一年を過ごすと外とは随分違う常識が根付くらしい。二人の反応はパルセトマの家名を前にしての反応とは到底思えない。実力重視という学院の方針ゆえだろうか、家名の格に対する認識が薄れているのかもしれないとロベリアは勝手に結論付ける。
険のある表情が抑えきれず、ロベリアに浮かび上がった。自分達の力を知らない者に自分達の力を知らしめようという自己顕示欲が見え隠れするが、すぐに外面用の貴族の笑顔に戻った。
「というか、行かなくていいのかベネッタ。ヴァン先生に呼び出されてたんだろう」
「あ、そうだった! ロベリアさん、ライラックさん失礼しますー!」
アルムに言われて、自分が何をする途中だったかを思い出してベネッタは二人に頭を下げる。
「ええ、さようなら」
突き放すようなロベリアの声に気付くことなく、ベネッタはにこっと笑うと職員棟のほうに歩いていった。
自分達がやろうとしている事を考えれば魔法儀式を見学させるわけにはいかない。実力を秘匿したいからと、魔法儀式には見学者を入れない流れに持っていくはずだったのだが、その手間も省けてロベリアとライラックとしては好都合だった。
「……俺だけでいいだろう?」
「はい?」
去っていくベネッタの背中を見送りながら言ったその言葉が何の話か、二人にはわからなかったが。
「そういう目を向けるのは、俺だけでいいだろうって」
「!!」
再び、ロベリアとライラックと向かい合って、その意味を理解する事が出来た。
目の前の平民は自分達がどんな目でアルムとベネッタを見ていたかがわかっているのだと。
「一年も同じような目に晒されているとな、流石に平民の俺でもそういうのがわかるようになる。言葉遣いも無理しなくていい……っと、むしろ俺が咎められる立場か……?」
「どうやら、こちらが見くびっていたようですね」
あまりにも簡単に魔法儀式を受け入れられ、アルムにずっと値踏みするような視線を送っていたライラックがようやく口を開く。
昨日聞いたミスティの話には私情が入ってるように見受けられた。二人は威圧こそされたものの偏っている話だと判断して全てを信じたわけではない。
だが少なくとも、自身の経験を無駄にするタイプではないようだと、認識を改める。
「なるほどね……猫被らなくていいってわけ。あー助かった。正直あんな言葉遣いするの吐き気がしそうだったから」
「そっちのほうがらしいな」
「は? あんたにうちの何がわかるっての?」
「ただの印象だ。話している時、ずいぶん窮屈そうだったからな」
「あ、そ」
豹変したロベリアを前にしてもアルムは特に驚きを見せない。
元から表情の変化に乏しいのもあるだろうが、これは本当に驚いていないのだろう。
「それで、用件は本当に魔法儀式なのか? それとも別の用件があるのか?」
「いえ、用件は本当に魔法儀式なんですよ。噂になっている平民がどんなものか興味がありまして。手合わせ願いたかったのです」
まだ自分達の目的については悟られていない。
指令を果たす為にも魔法儀式には持っていかなければと、ライラックは真実をいくつか隠す。
「それなら、どう思われていようと断る理由は無い。今すぐか?」
「ええ、都合が悪ければ時間を変えますが」
「いや、問題ない」
「それでは、行きましょうか。見学者はいてほしくありません、実技棟は私達が選ばせて頂きます」
「ああ、どこでもいい」
「それではこちらへ」
アルムはあっさりとライラックの提案を承諾した。
アルムにとって魔法儀式は誰かの魔法を見ながら、自分の魔法を試すことのできる好奇心を満たせる絶好の機会の一つ。自分がどう思われているかなど二の次。
そもそも、ロベリアとライラックが自分を見下したところで特に不愉快になる理由にもならない。
何せ元から平民。生活の中で見下されるなら思う所もあったかもしれないが、本来貴族が立つべき場所に立っているのだから、貴族に下に見られるのが当たり前なのだ。
「手筈通りいくわよ」
「ええ」
すでにどのようにしてガザスに行けなくするかは二人の間で決めている。
歩きながら、付いてきているアルムに聞こえないよう、小声で確認するロベリアにライラックは小さく頷いた。
必要以上の怪我、後遺症が残る可能性のある手段はとれない。あくまで合法的に、過失であるように、そして復帰ができるように。パルセトマ家の戦い方ならばそれが可能だ。
「ああ、なるほど……」
「!!」
「っ!」
後ろから聞こえる納得したような呟き。
まさか聞かれた?
ロベリアとライラックは焦りと動揺を悟られないよう、平静に努める。
「噂とかただの興味で、というのはそれっぽい言葉を並べただけか、本当はそういう事だな」
気付かれたのか? まさか今の会話だけで?
そんな馬鹿な、とライラックは戦慄する。
いや、昨日カエシウス家にあそこまで言わしめる人物ならば有り得るのかもしれない。
先程も、この平民は自身の置かれた経験から、こちらの感情を見抜く鋭さを見せていた。
その鋭さをもってすれば、今兄妹間でした短い確認を、何らかの策謀の内だと察知するのは容易いのかもしれない。
――あの確認だけで察知されてしまうのだとすれば。
ガザス留学前のタイミング。
自分達の周囲にちらついているパルセトマ家の双子の一年。
この二つの材料だけでこちらの狙いどころか、指令を下した人物までも予測がついてしまうのではないか――!?
「大方、俺が平民だと知って魔法儀式の戦績を稼ぎに来たんだろう? 最初の頃は魔法儀式するのも楽じゃないからな」
「…………」
「…………」
昨日とは違う意味で、空気が止まったような気がした。
余りに見当違いな推測を、声に自信を持たせながら披露するアルム。
何はともあれ、自分達の狙いがばれていなさそうな事にロベリアとライラックは安堵する。
「…………そうよ」
「やっぱりそういうことか……だが、今の内から戦績を気にする必要は無いと思うぞ」
「そりゃどうも……」
ロベリアがてきとうに受け答えした事には気付かず、アルムは満足そうに頷いた。
(別に鋭いわけじゃないのね……)
(別に鋭くはないようですね……)
ロベリアとライラックはアルムへの印象を更新する。
少し考えればわかるのだが、わざわざ四大貴族が戦績を稼ぎに来る、などという事をするはずもない。そんな事をしなくても評価を稼げる実力を持っているのだから。
先程の無駄な緊張は消え去り、二人は少し拍子抜けしながらもアルムを連れて目的の実技棟へと向かう。
昨日までは油断しすぎていたが、今日は買い被りすぎている。
鋭いのか鈍いのかよくわからない印象のアルムに、二人は会って十分も経たないというのにすでに振り回されているようだった。
(俺も察し、というのがよくなったな……!)
そんな二人の後ろで、アルムは自身が成長した事を勝手に実感していた。
この場にミスティにルクス、エルミラの誰かでもいてくれれば、その実感が勘違いであると訂正してくれただろうに。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今回は普通うくらいの長さです。
感想欄で長くても嬉しいと言ってくださった方ありがとうございます。安心しました。