267.留学メンバー
二日後のベラルタ魔法学院の講堂。
朝からベラルタ魔法学院の二年全員が集められた。
講堂は使用機会が少ないからかそこまでの大きさではないものの、二年の生徒の数は入学時から七人減った五十三人。講堂を埋めるには流石に人が少ない。
講堂は少し暗く、壇上から見える座席の列は後ろにいくにつれて一段ずつ上がっていく斜めのような構造になっており、壇上から誰かの顔が見えないという事は無い。その為か、集められた生徒に席の指定などはされておらず、思い思いの席に座っている。
何のために集められたのかを理解しているのか広い講堂内はピリピリとした空気で包まれている。
「こんなわかりやすく発表されるのね。実地の依頼みたいに個別に伝えられるものかと……」
「講堂でやるという事はやはり名誉な事なのでしょう。講堂はおめでたい出来事が無いと使われませんから」
「そういえば卒業式ってあったのかなー?」
「出席不可って書かれてたからあるにはあったんじゃないかな?」
アルム達も五人並んで講堂の席についていた。講堂は滅多に利用されず、五人が来たのは入学式以来となる。
アルムがきょろきょろと周囲を見渡すと、少し上の席にいるフロリアとネロエラとも目が合った。二人が座る斜め前の席にはアルムと同じ寮のグレースもいる。
グレースは目が合っても逸らすだけだったが、フロリアとネロエラがこちらに向かって小さく手を振ってきたのでアルムも小さく振り返した。
「んふふふ! 朝からご苦労様だ!」
特徴的な笑い声とともに、袖のほうから照明用の魔石で照らされた壇上に学院長であるオウグスが現れる。
アルム自身、普段から関わりあるオウグスに対してこんな感想を抱くのもおかしな話かもしれないが、壇上という場所とオウグスは妙に似合っているように見えた。
壇上の端からはオウグスとは違い、静かに何かの書類を持ったヴァンが出てきた。相変わらず、その髪はボサボサで髭も整えられているとは思えない。
「まずは進級おめでとう諸君。君達は優秀だ。しっかり一年の間、学院での生活をこなしてここにいる。ここにいれるという事は、少なくとも進級する価値がないと判断された者はいないという事だね。豊作の年と言っていい」
大袈裟で無駄とも言える動きで話すその姿はさながら劇のような印象を受ける。
手を大きく広げて席を見渡しているのも、まるで観客の反応を見ているようだ。
「だが……それでも君達の間にはやはり差というものが存在する。察している子もいると思うけど、今から発表するガザスの留学メンバーはその差を明確に表すものといっていいだろうねぇ。マナリルの次代を担う魔法使いの卵として相応しいか、そして他国にとって脅威となり得る魔法使いであるかどうかが、私達の選出とガザスからの推薦で今からわかってしまうわけだ。
今回のガザスの短期留学は君達の見聞を広める為だけのものじゃあない。次代の魔法使いもまた一流である事を示すのはこれからマナリルがガザスという友好国との関係を保つ上でも大きな要因となる。君達が優秀である事そのものがマナリルの外交をちょっとだけ助けるって事さ。そんな現時点で一流の魔法使いである事を周囲に示せるであろう生徒を私達は選んだ。一年時の総合的な評価から候補者を二十三人挙げて、その中から十人……ガザス側から推薦された者を除いて選出した。選出された十人と推薦された三人は誇るといい、そして後で公表する二十三人の候補に入ってる子も私達が可能性を感じている者だ。変わらず魔法使いとして自分を研鑽するといい。そしてこの二十三人に入れていない子は……わかるだろう?」
ここにいる生徒は五十三人。その内二十三人という事は半分以下。
恐らく……オウグスが豊作と言っているのが本当だとすれば例年と比較すれば多いのだろう。それでも半分以下しか候補に挙がっていない事実が講堂内の緊張を更に加速させる。
魔法使いには属性の違いは勿論のこと、当然得意な魔法の向き不向きもある。現役の魔法使いであるオウグスとヴァンはそれを誰よりもわかっているはずだ。
それにもかかわらず、差、という言葉を使うという事は、候補の二十三人に入ってない者は、属性の違いや向き不向きを加味しても現時点で魔法使いとして総合的に劣っていると評価されたという事。
それはプライドの高い者にとってはどれだけの屈辱になるだろうか。
そう、貴族である事に誇りを持つこの場にいる者にとって――
「お気になさらないでくださいね」
「ああ……ありがとう」
一瞬、アルムの背中に向けられた視線をミスティは感じ、アルムに小声で耳打ちした。
マナリルの次代を担う魔法使いの卵として相応しいか、そうオウグスが言った瞬間にこちらに向けられた視線があったのは何となくアルムも気付いていた。その視線の持ち主達からすれば、この場にいるのも相応しくない、とでも言いたいのだろう。
パン! とオウグスが手を叩く音が大きく響く。
「はい、僕からの話は以上。ヴァン、よろしく」
「ではガザスの留学メンバーを発表する。呼ばれたら壇上に来い。まず一人目」
続けざまに、ヴァンは手に持っている紙を見ながらそう言った。
普段の気怠そうな声とは違って重々しい声が講堂内に響く。生徒側に心の準備をする時間は無かった。
「グレース・エルトロイ」
「……はい」
名前を呼ばれて返事をすると、グレースはかけている大きな眼鏡を指で少し位置を整えながら立ち上がる。
くすんだ茶髪を揺らして壇上に向かう彼女に生徒達の視線が集まった。静かだった講堂が少しざわつくも、オウグスとヴァンはそれを咎める事はしない。
東部に小さな領地を持つ下級貴族エルトロイ家の長女グレース・エルトロイ。
ざわつくのも当然で、彼女への周囲からの評価は地味であり、優秀という印象が全く無い。エルトロイ家自体にも取り立てて目立った功績が無いのもそういった印象を抱かせない要因だった。
オウグスに手を引かれて階段で壇上にあがっていくグレース。
アルムは付き合いこそあるもののグレースの腕前自体はわからない。だが、ああして留学メンバーに選ばれているという事は魔法の技量も高いのだろう。
「二人目。サンベリーナ・ラヴァーフル」
「おほほ、当然ですわね」
「あ、サンベリーナさん……」
名前を呼ばれ、サンベリーナが金糸を編んだような髪を優雅に揺らしながら立つのを見てベネッタはぼそっと呟く。
その呟きにエルミラは興味を抱いた。
「知り合いなの?」
「あ、うん。入院してた時にお見舞いに来てくれてー……そこから寮にいる時は話すようになったの」
「へぇ、ラヴァーフル家のお嬢様がねぇ……」
「三人目。"フラフィネ・クラフタ"」
「はいはい」
そして次、また次と生徒の名前が呼ばれていく。呼ばれた生徒の反応は見た目は涼し気だが、喜びを隠せていないものもやはりいる。
先程のような話をされては当然といえよう。何かできるというわけでもないが、一部の生徒には焦りのようなものを顔に浮かべている者さえいた。
「六人目。エルミラ・ロードピス」
「よし!」
六人目になり、名前を呼ばれて小さくガッツポーズするエルミラ。
アルム達もエルミラの名前が呼ばれた途端、自分の事のように笑顔を見せた。
エルミラはそんな四人の表情に嬉しそうにしながら、お先に、とアルム達に言い残して壇上のほうに歩いていく。
壇上に上がると、エルミラは大きく息を吐いて胸を撫でおろす。
実はいうと、本人の心臓は緊張でずっと聞こえるくらいに鳴っており、ようやく一安心といったところだろう。
「七人目"ヴァルフト・ランドレイト"」
「はい」
再び名前が呼ばれていく。
アルムの知らない名前もあれば知っている名前もあるが、当然のようにアルムの名前は呼ばれなかった。
そしてそれはベネッタも。ベネッタ本人は半ば諦めているように顔を伏せている。ベネッタの隣だったエルミラの座っていた空席も相まって妙に寂しさを思わせた。
そして最後。十人目を読み上げる直前、まだ名前を呼ばれていない生徒達は期待を抱きながらヴァンの声を待った。
「最後だ。十人目。ベネッタ・ニードロス」
「へ?」
ベネッタの名前が読み上げられ、そこらで、悔しがるような声や残念がる声が上がった。
一瞬、自分の名前が呼ばれたのかどうかすらわからず、呆けた声を上げるベネッタ。
動こうとしないベネッタにヴァンは壇上で怪訝な表情を浮かべた。
「なんだ? ほら、早く上がれ」
「は、はい!」
嬉しそうにベネッタは立ち上がり、いそいそと壇上のほうに向かう。
にまにまと表情が緩んでいるのを抑えられないベネッタをアルム達は微笑ましく見送った。
「待て待ておかしいだろ!!」
「あん?」
その背中に、異議を唱える者が一人。
意図せぬ怒号にヴァンは不機嫌そうな声をもらす。ベネッタもつい壇上に向かう足を止めて声のほうに振り返ってしまう。
苛立ちを隠そうともせずに立ち上がっているのはボルドー・ダムンス。西部に領地を持ち、三百年近くの歴史を持っているダムンス家の貴族だ。アルムとルクスの決闘を見学していた貴族の一人でもある。
「ヴァン先生、何か間違っていませんか?」
「いや、間違ってないぞ。これで十人だ」
「そんな下級貴族が十人目? マナリルの魔法使いに相応しい? 評価してる先生方がおかしいと思いますが?」
「えっと……」
ベネッタはどうしたらいいのかわからず足が止まっていた。
エルミラが壇上で手招きしているものの、ボルドーの声を真に受けてしまい、動けずにいる。
「そこのニードロス家は確かマナリルで起きた事件の関係で先生方とも色々懇意にしているでしょう? 間違っていないのなら評価にそういった個人的な感情が入ってるんじゃないですかねぇ!? そうじゃなきゃニードロス家なんかが選ばれるわけがない。あんな貴族の恥みたいな下級貴族が!」
「……」
ボルドーの声にきゅっ、と唇を噛むベネッタ。
(そう……なのかな……)
事実、オウグスやヴァンとは魔法生命の件で他の生徒よりも関わっている。その事実がベネッタにそう思わせてしまっていた。
ボルドーの言う通り、ニードロス家の評判はあまりよくない。歴史も無ければ、功績も無い、そして仕事はするも無能の印象が拭えない現当主、領地の運営だけはまとも――これはベネッタの母の努力あっての事だが――である為に補佐貴族に選ばれ、現在もスノラでの事件に一切関与していなかったという理由で生き残っている下級貴族。それが一部の貴族界隈でのニードロス家の評価だ。
反面、ダムンス家には三百年の歴史があり、戦時での功績もある。現当主の治める領地は広く、領地の視察の際には平民と交流し、時には教育もするなど信頼も厚い上級貴族の一つ。
家名の格でいうならばこの結果に異議も唱えたくなるだろう。
「んふふふふふふふ!!」
しかし、ボルドーの主張がどれほど無意味かを示すようにオウグスの笑い声が講堂に響き渡った。
その場の者が何も口を挟めないほどにオウグスの笑い声は続く。
やがて笑い声が落ち着くと、オウグスは目尻に溜まった涙を拭った。
「はー……お腹が痛い……いやはや笑わせてくれるね、ボルドー・ダムンス……後で公表するって言ったし、すぐにわかる事だから言ってしまうが、君は候補者にすら入っていないからね?」
「え……」
「ニードロス家を貴族の恥と思っているかどうかは君の自由だから別にどうでもいいけど……私からすればダムンス家の家名を持っていながらお粗末すぎる君のほうが恥だと思うよぉ?」
その声に刺されたかのように、ボルドーは立ったまま固まっていた。
「お、おそ……俺が……?」
「んん? 意外だねぇ、自分の無能さに気付いていなかったのかい? 筆記四十八位、実技も入学時とさして変わらず、実地先でも横暴な振舞いで平民を怯えさせ、足を引っ張っているボルドーくん?」
「え……」
「第一寮での素行も悪く、家名を使って寮長には尊大な態度で接し、普段そんな態度をとっている割には先のベラルタの事件では平民の安全すら確認せずに部屋に引きこもっているだけ……そんな君がどうして選ばれると思うんだい?」
「なんで……寮……」
「少し考えればわかるんじゃないかい? 魔法使いの卵ばかりの場所に、何のために、平民の寮長がいるのかを考えればね。それとも、ただのお世話係とでも思っていたのかい?」
「あ……え……」
「この学院は実力主義だからね。実力があればそんな素行も目をつぶれるかもしれない。だが……実力も無い者が、先人が残した輝かしい家名を使って何を思い上がっているのかな?」
普段とは違うオウグスの声。表情は笑っているが、その笑いは敵意にも似た何かに満ちていた。
「もう一度言おう。この学院は実力主義だ。ベネッタ・ニードロスは筆記四位で実技は及第点といった所だが、治癒魔法に関してはこの学院の治癒魔導士ログラからのお墨付きもある。実地での評価も良好、ミレルでは平民の避難誘導をしながら敵魔法使いを撃破し、先日のベラルタの事件では平民を守る為に戦った魔法使いに相応しい気質を見せている。魔法儀式の戦績が無いことを考えてもその経験だけでお釣りがくるよ。家名など関係ない。少なくとも、ボルドー・ダムンズ……君より優秀な魔法使いであると私は判断している」
「ぁ……! ぅ……!」
「わかったのなら黙って座りたまえ。ああ、先人を偉大に思うのはいい事だ。何せ、ダムンス家の才が無ければとっくに君は学院を去ることになってるだろうからね」
「……」
最後の言葉がとどめになったのか、ボルドーは力無く、席に身を任せるように座る。
そんな姿を見て少し申し訳なく思いながらも、ベネッタは目に溢れてくる涙を何とかこらえていた。オウグスからの褒め言葉に嬉しさやら恥ずかしさやら入り混じった感情がベネッタの中に渦巻き、胸を熱くする。
その中に、今までやってきた事を認められた喜びがあった事だけは見つける事ができた。
自分が何者であるかを認められたような感覚が。
「ほら、ベネッタ」
エルミラの声に制服の袖で涙を拭ってベネッタは壇上にあがった。
並ぶ十人の中にベネッタがいることに異を唱える者などもういない。
「次にガザス側からの推薦枠三名を発表する」
ヴァンの一声で空気が元に戻っていく。重々しい空気があるのはボルドーの周囲だけだ。
しかし、変わった空気がいいかと言われるとまた別の話になる。少し悲し気な、それでいて落胆したような、諦めたような。そんなマイナスな感情が含まれた空気が生徒の間には流れていた。
何せ、選出された十人の中にはあるべき名前が二つも無い。
それはつまり、推薦枠二名はもう決まっているという事だ。
「ガザス王家直属護衛魔法使いハルスター家当主"エリン・ハルスター"推薦。ミスティ・トランス・カエシウス」
「はい」
ミスティの名前を呼ばれたその瞬間、ああ、やっぱり、という心の声が座っている生徒達から聞こえてくる。
マナリルの四大貴族カエシウス家の次期当主。ミスティ・トランス・カエシウスを見れるチャンスをガザスが逃すはずが無い。
輝かしい家名と、その家名に見合う実力を持つミスティは堂々と壇上にのぼっていく。
「ガザス魔法部隊指南役"ウゴラス・トードルード"推薦。ルクス・オルリック」
「はい」
これもまた予想通り。
四大貴族オルリック家の長男にして、ベラルタで起きた事件を解決した今注目の人物でもある。
ガザスから近いマナリル東部の四大貴族であるのも相まって、ガザスとしては見ておきたい人物であるだろう。
「流石だなルクス」
「ありがとうアルム」
ルクスも壇上に上っていき、 五人並んでいた席は今やアルムだけ。
ぽつんと一人残されているアルム。その寂寥感たるや冬の海辺に取り残されたかのようだ。
アルムからすればこうなるのは予想通りといえば予想通り。元より、選出された十人の中に入っていない時点で諦めてはいたのだから。
ルクスの名前が呼ばれた時点で、アルムの思考はすでにお土産の事に変わっている。無事四人ガザスに行けるという事はお土産も四つ。それはそれで楽しみが増えたな、と自分の思考を前向きにする。
しかし、推薦枠はもう一つ。ヴァンの声は最後の一人を呼ぶべく続けられた。
「ガザス国女王"ラーニャ・シャファク・リヴェルペラ"推薦」
読み上げるのを躊躇しているかのように、ヴァンの声がほんの少しだけ遅れる。
オウグスとヴァンと親しい者ならその表情の変化にも気付けただろう。
ヴァンはそのまま、書類に書かれている名前を読み上げる。
「アルム」
その名前はあまりに短く、家名までが読まれることは無かった。いや、そもそも家名が無かった。
誰かが息を呑む。
一言も発さぬまま、ミスティ達含めた生徒全員の視線が一人に集まった。
見られている本人も理解していないのか、目を見開いてはいるものの他に動きが無い。今この時だけ講堂の時間が止まったかのようだった。
異を唱える声すら出せないほどの驚愕が静寂を作り、講堂を包み込む。
「……なんだと?」
アルムの口から出てくるのは当然、喜びではなく疑問。
これにてガザスに留学する十三人の発表は終わった。
アルム達五人は誰も欠ける事無く、ガザスへ短期留学に向かう事が決定する。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ちょっと長くなってしまいました……。