プロローグ -私の願い-
君と会った日の事を私はよく覚えている。
夜に逆らうように輝く白い花園。
その中心で君は泣いていた。涙を流さずに……いや、流せなかったのか。
ただ絶望をしていて、逃げる事しかできなくなってしまったから、あの場所でうずくまっていたのだろう。
光に隠れてしまいそうな小さい背中。
真っ白な光の中に一つ落ちていた影だけが君が存在する証明だった。
君は私との出会いに何か特別なものを感じているかもしれないが、全ては偶然だ。
私はただ、私のために君の秘密基地に訪れてしまっただけの話。
幸か不幸か、私の宿主は物言わぬ状態だった。
記憶と記録だけが私に流れ込んできて、人格は侵食するまでもない。
だから、他の者より私は人の振りをするのが楽だった。
そう、この時も――ただ宿主のように、人間のように振舞っただけ。
「今のままではなれないね」
村の者から話は聞いていた。魔法使いになりたいと言っている子供の話。
私はただ君が何を悲しんでいるのかを知っていただけのこと。悲しんでいる子供を心配する振りをしただけのこと。
私が声を掛けたのはきまぐれと私の目的に協力してくれるかもしれないという少しの期待。後はこの村に溶け込むのに楽かもしれないというちょっとした打算だった。
この宿主は、都合のいい事にそういった感情と経験を豊富に備えていた。ついでに言うのならば、平民が魔法使いになる無謀さも知っていた。
そして私は――その無謀を越えられるかもしれない唯一の手段を知っていた。
「今の……ままでは……?」
だから、希望を残すような言葉もまた偶然だったのだ。
顔を上げて虚空を見つめるような暗い目に光が宿ったのを私は見た。
私はきっと、君にとっての正解を引いたのだろう。
「ああ、今座り込んでいるだけの君はとんだ出来損ないだ。ただ憧れを語るだけの子供に過ぎない。今のままでは何にだってなれはしないよ」
そう……私のように、何者にもなれなくなってしまう。
「魔法使いになりたいんだろう?」
だから問いを投げかけた。
「はい……」
返事がすぐに返ってくるだけ、君は出来損ないではあったけれど、死人では無かった。
「なら、何故なろうとしないんだい?」
私は意地の悪い口調でこう続けたのを覚えている。
「なれますか……?」
縋るように、君は聞いてきたね。
だから、私は突き放すべきだと思った。
宿主の経験とは違うが、私の知っている人間は答えだけを渡されて喜ぶ者と、その歩んだ過程を尊ぶ者がいる。
目の前の君は間違いなく後者だった。
「そんな事は知らないよ。なれると無責任に言う気は無いし、なれないと無責任に言う気も無い。ただ、そうやって座り込んでいるだけではなれないとは言っておこうかな」
私を見つめる君の黒い瞳は私の中に何を見ただろうか。
宿主の経験とは違う声を投げかけて、君はどう思っただろうか。
「君だよ少年。全ては君がどうしたいかなんだ。周りの声の示す先が……君の言う憧れなのかい?」
そう言うと、君は立ち上がった。
立ち上がった君は変わらず出来損ないではあったけれど、座り込んでいた君ではなくなっていた。
君はきっと、私の言葉に何かを見たのだろう。
でもねアルム。君の命運はその時に決まってしまったんだよ。
人間を立ち上がらせるのはいつだって単純なきっかけ。
傷だらけの心に寄り添う言葉。
現れる救い手。
差し伸べられる希望。
こんな都合のいいきっかけを子供の君には疑う事すら出来なかっただろう。まぁ、君の事だから、今同じ事があっても疑わないかもしれないが。
何にせよ、君は成長した。
私の想像通り……いや、私の想像以上に。
何と嬉しい誤算だろうか。
きまぐれで声をかけただけの子供がまさかここまでになるとは誰が思ったか。
いやはや、にやける口元が戻らない。
本当にいい子だ君は。
師匠としても鼻が高いというものだよ。
なんて可愛らしく、なんて愚か。
出会った時から変わらない、どこまでも真っ直ぐな出来損ない。
今の君ならきっと……乗り越えられる事だろう。
ああ、アルム。可愛い可愛い私の弟子。
さあ、私の願いを叶えておくれ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
お待たせしました。更新は次の月曜日になりますが、予告を兼ねたプロローグです。
ここからは第五部『忘却のオプタティオ』となります。
相変わらずの長さになるかもしれませんが、お付き合い頂ける方は感想、評価など応援よろしくお願いします。