263.いつか変わらぬまま
「あら、だから私言いましたでしょう? 死にませんよこの方、って」
ベネッタが目を覚ましてから更に五日後。検査に異常はなく、付き添いでの外出が許可され、アルム達は五人で馬車の待合所にいた。
五人の前では白いウールマントを着たマリツィアは見送りに来たアルム達に得意気に微笑んでいる。
シャーフの病室でフロリアによって拘束されたマリツィアは、シャーフの遺体が見つからないこと、そしてオウグスの感知魔法による尋問によってシャーフの一件についての正当性が認められ、七日間拘束された後に解放された。
正統性は認められはしたものの、病院の侵入や病院内での攻撃魔法の行使など、公式には交渉中である他国の魔法使いが起こす行動としては些か問題があるという理由から、ダブラマ側の休戦条件の一つであるベラルタを視察する権利は取り上げられることとなった。
視察の権利を失えば必要以上にベラルタに滞在する事はできず、マリツィアはこれから一度王都へと強制的に戻されることとなる。
シャーフについてはアルム達も当然オウグスから話を聞かされていた。
話を聞いてどう思ったかは、アルム達五人がお別れの見送りに来ていることから多少なりともわかるだろう。エルミラは若干不本意なのを隠していない態度だが。
「ボクそんなこと言われてたのー?」
「ええ、ベネッタ様が意識不明になってからというものの空気が重かったですから……様子を見に行けば生きる気力に溢れていたので安心しましたわ」
「……ていうか、あんた本当は何しに来たの? まさか本当にベラルタを視察しに来てたわけじゃないでしょ?」
エルミラが尋ねると、マリツィアはアルムのほうをちらりと見た。
「ええ、ここだけのお話ですが……アルム様をダブラマに勧誘する為に来ましたの」
「え?」
「まぁ」
「そ、それは予想外な……」
「は? 引き抜き!?」
「アルムくんをー!?」
「はい、我が国は魔法使いの数を減らしているばかりか、才能に乏しい貴族が多いですから……平民でありながら魔法生命を倒すまでの実力をお待ちになっているアルム様の経験を参考にし、才能に乏しい我が国の貴族達を教示して頂けないかと考えていました」
流石にこれには驚いたようで、エルミラだけでなく、アルム達の表情も変わる。
ミスティはマリツィアの様子から可能性の一つとして考えていたのか、他よりは落ち着いていた。
「とはいっても、早い段階で諦めざるを得なくなりましたが」
「あ、そ、そうなの?」
「ええ。ハニートラップを仕掛けてみてもどこ吹く風。かと思えばあなた方と話す時は私には見せない表情であったり、声色だったり……露骨な差を見せられて、力づくではなく円満な引き抜きを命じられている私としてはため息とともに諦めたくもなるというものです。どう説得してもダブラマに来ることは無いだろうと思わざるを得ませんでしたから」
「まぁ、確かに行く気は無いが……そんなに違っただろうか……?」
「ええ、それはもう。全くといっていいほどに。花を愛でる乙女と砂を掻くアロソスを見つめる差の如く。私、自分に魅力が無いのかと少し傷心ですわ」
マリツィアはため息をついたかと思うと、ミスティに歩み寄った。
わざとらしく周囲に内緒話をする格好をとってマリツィアはミスティの耳元で囁く。
「特に、ミスティ様とお話されている時が一番声が生き生きとしておりましたよ」
「な、なにを言って……!」
「何でもないような顔をされておりますが、少なからず特別ではありそうですよミスティ様。頑張ってくださいまし」
「あ、ありがとうございます……」
予想外のマリツィアの応援に、ミスティは茹だるように顔が赤くなっていた。
知り合って間もないどころか、警戒心すら持って接していたマリツィアに筒抜け
とは、自分はどれだけわかりやすいのだろうと恥ずかしくなる。
ルクス達もそんなミスティの様子を見てどんな話をされたのかが容易に想像がついた。
「何言われたんだ?」
「な、なんでもございませんわ……」
「そうか……」
わからないのはアルムだけだった。
「じゃあ胸押し付けてたのはアルムくんが好きだからとかじゃないのー?」
「はい、当然嫌いではないですが、ただのハニートラップでございます。女を武器にして引き込めるなら私としては非常に楽ですし」
「そういう意味でアルムを狙ってたわけじゃないってわけね」
「はい、それは勿論です。私の好みはもう少し年齢が幼く、そして小柄な男児ですから。アルム様は年齢的に対象外ですので御免あそばせ」
マリツィアが異性の好みを吐露すると、アルム以外の四人の空気が一瞬止まる。何を言われたのかを自分の中で確認する時間をとるかのように。
アルムは今年で十七歳になる十六歳。そのアルムより年齢が幼いとなると……。
「いや、アルムが年齢的にってそれ――」
「私の祖国では十三歳からセーフですので」
「セーフって……あ、そう……あんたそういう趣味なわけね……」
「私もまだ十九歳。年齢的にもあまり気にならない差でございましょう?」
「そういう問題じゃ……いや、いいわ……てか、あんた十九だったのね……」
自分の国の法を持ち出され閉口するしかないエルミラ。
他人の趣味をこれ以上とやかく言う理由も無いと、この話を終わりにする。
そこに軽快な馬の足音と、がらがらと石畳を走る車輪の音が近づいてきた。
「準備できましたー!」
「はい。ありがとうございますドレン様」
待合所の前にピタリと止まるベラルタの馬車。
御者台に乗っているのはアルム達も世話になった事のある御者ドレンだった。
「ドレンさん、道中よろしくお願いします」
「勿論でさあ!」
ミスティに言われてドレンの手綱を握る力も一層強まっているようだった。
マリツィアは馬車に乗る前に、アルム達に一礼する。
「それでは皆様方お世話になりました。シャーフさんの一件……納得しておられない方もいるかもしれませんが、こうして見送って頂けた事に感謝致します」
その言葉はアルム達全員に向けられているようで、実際は一人に向けての言葉だったのかもしれない。
シャーフと一緒に過ごした時間は短い。アルムとミスティは勿論、一緒に茶会をしたエルミラとベネッタでさえも。彼女のために悲しめるほどの交流があったと言えるかどうか。
シャーフを疑っていたことに対する謝罪ができなかった心残りこそあれど、悲しむ権利があるとは言えるほど彼女の事を知らなかった。
この場で悲しむ権利があるとすれば一人だけ。
シャーフを助け、シャーフの心に触れ、そしてシャーフに助けられたルクスだけだった。
「納得していない人なんていないよ」
頭上からかけられた声にマリツィアは顔を上げる。
恨み事の一つでも言われるかと思えば、ルクスはマリツィアに微笑んでいた。
「その場にいたわけじゃないが、多分この結末は彼女の意思だった。自分の守った未来の街、未来の住人……そんなベラルタを自分の魔法を利用されて恐怖に晒されているなんてきっと、我慢ならなかったと思う」
「ルクス様……」
「僕は彼女に出会えて、そして彼女と別れた。それが……どれだけ恵まれた事だったのかを、僕は思い出させてもらった。僕は彼女に与えてもらっただけだった」
「あ、あら……!」
そう言って、今度はルクスがマリツィアに頭を下げる。
流石のマリツィアも驚いたのか、少し表情が崩れた。
「だけど君は、彼女の望んだ最後を与えてくれた。ありがとうマリツィア殿。彼女の誇りを大切にしてくれて。君の信念が彼女にとっての幸いだったことに感謝する」
「……随分、好意的な解釈をされるのですね」
侮蔑の声。疎む視線。向けられる恐怖。
死を見て、死を嗅ぎ取り、死を聞いて、死者の体を利用する魔法形態が今の時代、他者に受け入れられるはずがない。
汚い言葉は聞き慣れていて、初めて出来た友人と死んだ友人にさえ悪趣味な魔法だと言われ続けていた。
それでも、自分の家を誇っていた。
コレクションと呼ぶのは蘇生の否定。体が動いただけで蘇ったと勘違いする俗人に伝える真実。
死体には決して命も魂も眠っていないと知っているからこそ、希望を断つ悪意。
死体という形に最も触れているからこそリオネッタ家は死者の蘇生を否定し、死ねない死者には最後を与える。
それが体という目に見えた形でなく、生きた時間と死んだ意味を尊ぶリオネッタ家の在り方だった。
理解されるはずがない。
それでもいいと思っていた。自分だけが理解し、誇っていればいいのだと。
「ああ、でも……この力で感謝されたのは初めてかもしれません」
だから、初めて貰った心からの感謝に、ずっと貼り付けていた作り笑顔が崩れるのも仕方のないことだと思う。
マリツィアは他者の声から自分を守る為に作り続けていた笑顔ではなく、心からの笑顔を見せる。
それは今この時だけベラルタに咲いた一輪の桃色。
見惚れるほど可愛らしい、マリツィアという一人の女性の笑顔が数秒だけ放埓に咲き誇った。
「そうしてると……あんたが敵ってことも忘れるわね」
「私が敵? うふふ、エルミラ様は何か勘違いしているようですね」
マリツィアはひらりとケープコートを軽く靡かせながら馬車に乗り込む為の階段を上がる。
「確かに私はあなた方の敵になる事も、悪意を向ける事もあるでしょう。ですが、それは私が他国の敵だからではなく、祖国の味方だからというだけのこと……同じように見えて、そこには大きな違いがありますわ」
それはエルミラだけでなく、アルム達全員に向けての言葉。
誰の敵なのか、ではなく、誰の味方なのか。
マリツィアが最後に残す魔法使いとしての助言だった。
マリツィアは馬車に乗り込むと、すぐに馬車の窓が開く。マリツィアはそこから顔を覗かせて、
「またお会いしましょう皆様方。次お会いする時がお互いどんな立場であれ、私は私のまま皆様の前に現れることをお約束しますわ」
別れの言葉を伝えると、アルム達五人に向けて軽く会釈をした。
「出発しまーす!」
マリツィアが中で合図をしたのか、ドレンが声を張り上げ、手綱を操ると馬車はゆっくりと動き出した。
窓から乗り出して見送りのアルム達に手を振るようなことをマリツィアがするはずもなく、馬車の窓は名残惜しさも感じさせず、静かに閉まる。門のところで王都から来た護衛の魔法使いが乗り込むと、馬車は門の向こうに小さくなっていく。
こうして、ベラルタに滞在していたダブラマの魔法使いはベラルタを後にした。
完全に馬車が見えなくなって、ミスティがふと呟く。
「……立派なお方でしたね」
「……弟狙った相手にそんなこと言えるあんたも立派だと思うけどね」
いつも読んでくださってありがとうございます。
魔法生命の痕跡をベネッタに見つけられないかとマリツィアが一度ベネッタの病室に立ち寄った時、彼女はすでにベネッタに死ぬ気配が全く無いことを見抜いてたりします。
「この方本当に死にかけたんでしょうか……?」と内心引くくらいに。