258.天泣の雷光6
マリツィアは最後まで、消えていく魔法使いを見つめ続けた。
茶色の魔力光が天に昇るように窓の外へと消えていく。
一つの死。一つの最後。
聞き届けた幸いの後に訪れる静謐で、マリツィアは謝罪する。
(申し訳ありません。シャーフさん……私、一つだけ言ってなかったことがありました)
マリツィアの代で一国の四番手にまで上り詰めたリオネッタ家。
それは血統魔法のために一族の体を改造してきたリオネッタ家に、マリツィアという血統魔法に適合しすぎる体質を持つ待望の少女が生まれたからである。
そう。シャーフに説明したように死者に触れられるのが目と手だけなわけがない。
彼女は人間の持つ五感のうちの四つで死を感じ取り、記録を読み取って死者の体を支配する。
最も生に近い味覚だけが、彼女が唯一持っている通常の人間の感覚。視覚は死者と生者を見分けて死者の記録を読み取り、触覚は死者の体を鬼胎属性の魔力で汚染する。嗅覚は死の匂いを嗅ぎ取り、聴覚は当然……この世に留まっている死者の声を聞くことができる。
彼女の体は、生きていながら生と死の境界線に立つ亡者の女王そのものだった。
(私、黒い天井が現れてからずっと……あなたの心の声が聞こえていたんです)
迷宮そのものにシャーフの人格が記録されていたからか、マリツィアにはずっとシャーフの声が聞こえていた。
不完全に蔓延っていた亡霊のざらついた声などではなく、純粋で透明で、そして何より強かった。
自分の迷宮がベラルタを脅かしているのが許せない。
自分の迷宮を操っている誰かが許せない。
そんなことをされるくらいなら。
私の好きな街を、私の魔法で穢されるくらいなら。
私の好きな人達が、私の魔法で傷つくくらいなら。
私の好きな景色を奪われるくらいなら――!
マリツィアはこの病室に来る間ずっとその耳で聞いていた。シャーフが自刃するに至る決意。
自分の故郷を自分の魔法で傷つけられた魔法使いの最後の抵抗。
或いは、ただ自分の愛した故郷を思う声。
「ある意味、これもまた呪いというのでしょうかね?」
だとしたら……何て優しい呪いなのでしょう。
誰に問うでもない問いかけを口にして、マリツィアはくすりと笑う。
「さようなら、シャーフさん。あなたのような死者と出会えて光栄でした」
マリツィアはお別れを言って病室を出ようとすると、扉に向かう前にバン! と勢いよく扉が開かれる。
「あら?」
「はぁ……はぁ……」
病室の扉を勢いよく開けたのはフロリアだった。
誰かがマリツィアの侵入を知らせたのであろう。病院を自主的に警備している生徒の中で、マリツィアがダブラマの魔法使いだという事、そして危険度を知っているのはフロリアだけだった。
「あなた……!」
フロリアは空っぽの病室に一人佇むマリツィアに敵意を剥く。
しかし、戦意を向けられたマリツィアに戦う意志は全くなく、ただ会ったから挨拶するように頭を下げた。
「おはようございます。確かフロリア様でしたか。丁度よかったですわ。お手数ですが、私を拘束して下さいな」
「え? はい?」
「私、今しがたここにいらっしゃったシャーフさんという方をこの手にかけましたの。私の行動の妥当性が証明できるまでは大人しくしておきませんと、疑いが晴れる前に色々と尾鰭がつきそうですので、早めに拘束して頂けると助かります」
「えっと……あ、うん……わ、わかりました……」
敵意をあっさり挫かれ、自分から拘束しろと言ってくるマリツィアに戸惑いながらもフロリアはマリツィアを拘束した。
マリツィアが魔法を唱えられないように口を塞いで、手を縛って病室から連れ出す。
(後は……お願いしますよ。皆様方)
拍子抜けしているフロリアの横で、マリツィアは心の中で後を託す。
魔法使いマリツィア・リオネッタの役目はここに終わった。
「お?」
第二寮前の大通り。
不自然な石の壁が砂のように砕かれていく。
壁と壁の間に閉じ込められていたアルムのいた場所。光のない真っ暗な空間は崩壊した。
「案外短かったな」
数十分とはいえ完全に光のない空間にいたからか、照明用の魔石の光を眩しがるアルム。
しかし、その様子は真っ暗な空間に閉じ込められたとは思えないほど落ち着いている。
そんなアルムの正面から柔らかい衝撃が伝わった。
「アルム!」
「っと……」
眩しがるアルムに飛び込んできたのは壁の向こうでずっとアルムの身を案じていたミスティ。
淡い水色がかった銀髪がふわりと靡く。
周囲が見えにくい状態で不意打ちっぽく飛び込まれたからか、アルムは少しよろけながらも飛び込んできたミスティを腕で支える。
「よかった……! 何も聞こえなかったので心配で……」
「すまない。けど、何も起きなかったぞ。変な声は聞こえてきたが……」
「変な声……ですか?」
アルムの腕の中でミスティは顔を見上げる。
「ああ、何か俺を放置するとかなんとか……宿主だと名乗ってたけどどうだかな」
「宿主から……! 本当に何もされなかったのですか?」
「ああ、この通り特に変わらん」
「そうですか……よかった……」
「ミスティこそ大丈夫だったのか?」
「はい、少しトラブルはありましたが撃退しました」
「怪我は?」
「うふふ。私も見ての通り、特に変わりませんわ」
「そうか、よかった」
安心したのか、アルムとミスティは意図しない形で見つめ合って互いの無事を喜ぶように微笑み合う。
飛び込んできたミスティを受け止めた体勢のまま、二人の距離はいつものように隣にいる時よりも近かった。
……しかし、この場にいるのは何もアルムとミスティだけではないわけで。
「あー……こほんこほん。えっと……アルムくん?」
「ん? ああ、グレース。大丈夫だったか?」
アルムの後ろから閉じ込められる前に一緒だったグレースがわざとらしい咳払いとともに声をかけてきた。
「ええ、まぁ、黒いモヤが何体か出てきただけだから大したことは無かったわね」
「そうか、よかった」
「それよりも……その……」
「なんだ?」
「んん……その、一応、人目は気にしたほうがいいと思うの」
少し顔を赤らめて忠告めいた言葉を二人にかけるグレース。
「あ」
グレースに言われてようやく、ミスティはこの場にいるのがアルムと自分だけではない事に気付いた。
アルムの後ろに見えるのは壁で分断される前にも近くにいた第二寮の生徒達。
女子生徒は目の前で行われた平民と大貴族の一幕に興奮を隠せず小声で騒ぎ、男子生徒はアルムを視線だけで殺す大会でも開いているかのようにアルムの背中を睨み続けていた。
男子生徒と女子生徒の中に一人ずつ本気で落胆している者がいるのがまたややこしい。
ミスティも自分とアルムの距離にようやく自覚を持ったようで、顔を真っ赤にしながらアルムからゆっくりと離れた。
「ご、ごめんなさい……アルム……」
「ん? いや、謝られるようなことはされてないが……」
事態を把握していないのはアルムだけ。
そんなアルムに後ろにいるグレースも思わず苦笑いを浮かべる。
無論、この出来事をきっかけに、アルムとの魔法儀式の際、やたらと鬼気迫った戦いを見せる生徒達が現れ始めるのは言うまでもない。
とはいえ、睨む貴族達もミスティがカエシウス家、そしてアルムは非公式とはいえマナリル国王カルセシスから目をかけられているので一貴族の権力でどうこうできるわけではないのだが。
「それより見てみろ」
アルムはそう言って上を見上げる。
釣られて、ミスティとグレースも上を見上げた。
見上げた先にはベラルタを塞ぐ黒い天井。
しかし、その天井はさっき見た時とは違い、壊れていくかのようにひびが入っている。
「黒いのにひびができてる……?」
「ええ……恐らくは、ベラルタを閉ざしていた何かが力を失ったのでしょう」
「ああ。砕けるぞ」
壁は消え、ベラルタを閉ざしていた黒が砕ける。
恐怖の庭になりかけていたベラルタに、変わらぬ景色が戻り始める――。




