257.天泣の雷光5
「そこら中が迷宮に変質し始めて辿り着くのも一苦労でしたが、何とか到着できてよかったですわ。数日前から色々な場所に魔法で目印を残しておいて正解でした」
「どう、されたんですか……何でここに……」
ガラス片を持っていないほうの腕で私は乱暴に涙を拭う。
一度しか会ってない他国の方にこんな泣き顔を見せてしまうとは、これじゃあ隠しても何かあると察せられてしまうだろう。
でも、マリツィアさんはそんな事は気にせずに、こちらへと歩いてきた。
「ご安心を。もう、隠す必要はありませんよ」
マリツィアさんは窓まで歩いて、外の景色をじっと見つめると。
「血統魔法というのは、とても不思議なものですよね」
真相を理解する探偵のように話を切り出した。
「魔法のルールの上にありながら、通常の魔法とは一線を画す謎の在り方。その血筋が途絶えぬ限り世界の上で唱えられ続け、魔法使いの家とともに歴史を重ねて"現実への影響力"を上げていく不思議な魔法。……そして、使い手がいなくなっても、世界そのものに記録される事がある。自立した魔法として、まるで元から世界にあったありふれた現象のように。その拠り所を家の名を持つ魔法使いではなく、魔法の核へと変えて」
そこまで言われて、この人には全てばれたんだと……私は悟った。
「シャーフさん。あなたは死んだ時この怪奇通路の……自立した魔法の核になってしまったんですね?」
彼女の問いに……私は誤魔化す余地もなく頷いた。
そう。
記憶を取り戻すと一緒に、私は私が何であるかも、私の身に何が起こっているのかも理解した。
私の知らない誰かが私の魔法を支配している事、そしてその誰かが私の迷宮を読み取る度に私の記憶が戻っていく事。
度々震えていたのは、私はもう人間じゃなくて、ただの魔法の一部なのだと知らされていたからだった。
私は蘇ったのでも、時間を転移したのでもなくて……死ぬ間際に唱えた血統魔法に巻き込まれた私自身がたまたま自立した魔法の核として記録され、どれだけ傷つけられても再生し、迷宮の在り方を保存するという血統魔法の性質が迷宮の一部になった私という人格も保存しただけだった。
そして保存された私という人格を持った魔法の核は、何者かに支配権を奪われて魔法の外に出てしまった。
私がここにいるには、そんな情けない理由だった。
「なんで……わかったんですか?」
こんな事、当事者にしかわからないと思っていた。
だから素直にマリツィアさんに聞いてみると、マリツィアさんはこちらを振り向いた。
「私はあなたの魔法を支配している方と同じようなことができるのです」
「え?」
「リオネッタ家の血統魔法【禁忌の精読】……常時放出型の、死者の体から記録を読み取り、それを再生する感知魔法です。簡単に言いますと、私の目は生者と死者を見分け、手は死者の体を操ることができるんです」
それ以外にも色々できるんですけどね、と彼女はそう付け足しながら悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私が一度、ここを訪れた時……つい変な事を呟いてしまった事がありましたでしょう?」
「は、はい……」
「私の目から見ると、あなたは間違いなく死者でした。それなのにあなたの記録を読み取ることができませんでした。本当に何も見えない空っぽだったのです。私の目が記録を読み取れるのは死者の体だけなので、その時に気付きました。ああ、この人は魔法になってしまったのだと」
そう語る彼女の声色はひどく優しいものだった。
全て知っている。だからもう抱え込まなくていいんだと言われているようで、彼女の温もりが伝わってきたような気がした。
「私は、世間一般的に人でなしと呼ばれる存在です。魔法使いの死体を蒐集し、その記録を読み取って操り人形のようにして魔法すらも再現してみせる……生きた友人にも死んだ友人にも悪趣味と言われるほどでした」
私の気のせいだろうか。死んだ友人と言った時だけ、彼女の瞳は悲しみを帯びた。
いや、当然といえば当然かもしれない。いくら死者に多く触れたところで、身近な人間の死を悲しまないなんて道理はない。逆に彼女でなくても、見知らぬ他人が死んだところで人は悲しみに浸かることは少ないだろう。
彼女の魔法は死に寄り添っていて、彼女自身は死体に慣れているけど、決して――死に慣れているわけではなかった。
「そんな人でなしにも、人でなしなりの矜持があります」
何故だろう。ずっと、彼女の瞳は私に優しいままだ。
「後ろに持っているそれは……もう必要ありません」
「……え?」
「必要ありませんわ、シャーフさん」
そう笑い掛けられて、後ろ手に隠していたガラス片をマリツィアさんに見せるように前に出す。
自分でもわからなかったけど、ガラス片を持っていた手が震えていた。
「それで、何をしようとしていたかはわかります」
「わかるんですか……?」
「死のうと、したんですね? あなたがいると……ベラルタをずっと迷宮にしてしまうから」
あっさりと見抜かれた。
同時に、情けなさで涙が零れてくる。
「少し推測が混じりますが、あなたの自立した魔法を支配した存在はあくまでその力で横から支配権を得ただけで、決して魔法の核にすげ変わったわけではなかった。だからあなたは魔法の核を破壊して、ベラルタを侵食している自立した魔法を破壊しようとしていた……つまり、自分が死ぬことでベラルタを救おうとしたのではないでしょうか?」
救おうとしただなんて、なんて優しい言葉を使ってくれるんだろう。
私はただ、決心がつかなかっただけなのに。
「救おうとした、なんて……おこがましいです……! でも、でも……! ごめんなさい……出来なかった……! 出来なかったんです……きっと、私が弱虫だがら……早く、私は早ぐ、消えなきゃ……いけないのに! 壊れないと……ずっと、ベラルタを恐い場所にしてしまう、のに……! 何度刺そうと、しても……止まっちゃうんです……! 私はなんて、弱い――」
「違います」
涙声の私の声を遮るように、マリツィアさんは私の手を強く握った。
握られた弾みでガラス片を床に落としてしまう。
「あなたは強い方です」
私の言葉を彼女は強く否定した。
「だって……」
「自立した魔法は、自壊することができないのです」
「え……?」
「あなたが刺せなかったのはただ魔法のルールによるものでしかありません。決して、決して自分を卑下する必要などないんです」
私の知らなかった知識を使って反論の余地なく私を黙らせながら、彼女はその指で私の涙を優しく拭ってくれた。
もう片方の手はずっと、私の手を握ってくれている。
「私は生を知っています。死を知っています」
それはまるで歌のようだった。
「その切っ先を自分の命に向けるのに……どれほどの覚悟が必要なのかを、知っています。だから、あなたは弱い人などではないと、私マリツィア・リオネッタだけは何度でも言いましょう。あなたはとても強い、強い人なんですよシャーフさん」
蝋燭の光の下、眠れない子供を寝付かせるような子守歌。
正直に白状すると、一瞬だけ彼女に見惚れてしまった。
私の弱音を魔法の知識と感情を混ぜ合わせて、いとも簡単に捻じ伏せるその強さに。
「だから、私が来たのです。あなたの代わりに、あなたの強さを証明するために。あなたという死者の思いを届けるために」
そう言って、マリツィアさんは握った手を離す。
「『黒犬の牙』」
マリツィアさんが魔法を唱えると、その手には剣が握られていた。
黒い魔力光を放つ、今の私が最も望む救いの剣が。
彼女が何をしようとするかは明白だ。
彼女はその魔法をもって、私を殺してくれると言ってくれている。
真摯に向き合ってくれているマリツィアさんに少しでも失礼がないように、私はせめてと自分で涙を拭った。
「後悔は?」
「ありません」
それだけはすぐに答えられた。
「未練は?」
「……ありません」
これだけは、ないといえば少し嘘になる。
できるなら、私の好きなベラルタを最後に見ていきたかったけれど……でも、それは私がここにいたままでは叶わない夢だから。
私の答えを聞くと、マリツィアさんが黒い魔力光を放つ剣を構える。
「あの、何で……こんなに、私によくしてくれるんですか?」
最後に、これだけは聞いておきたいと疑問を口にした。
彼女の行いは余りにも度が過ぎた世話焼きだと思う。
彼女はダブラマの魔法使い。自国の民ですらない私のために何故ここまでしてくれるのだろう。
ただ事態を解決する為なら入ってきた瞬間に私を殺せばいいだけなのに、彼女は私の話をしっかり聞いて、弱虫だと思っていた私を否定してくれた上に慰めてくれもした。
彼女と会うのはこれで二回目。勿論、彼女に何かをしてあげたことなどあるはずがない。
私に聞かれて、マリツィアさんは初めて申し訳なさそうな困り顔を浮かべる。
さっきまで年上であるはずの私より遥かに大人びていたというのに、今のマリツィアさんは少し幼さの残るような表情をしていた。
「正直に言ってしまいますと、いわば自分勝手な贖罪なのです」
「贖罪?」
「ご存知ないかもしれませんが……去年、私達はあなたの迷宮を利用してこのベラルタを破壊する作戦を実行したのです。それは祖国のための行いでしたが私にとってはそれはそれ。あなたという死者に触れずに、あなたを利用した……これは私という魔法使いのポリシーに反します。ですから、その……これは、その時のお詫びだったりするのです」
「あははは! なるほど、そういうことでしたか」
そんな彼女に私はつい、笑ってしまった。
確かに、彼女は矜持があると言っていた。
だからここに来て、私という死者を救ったのも彼女という魔法使いとしての矜持なのだろう。
真面目な人だなあ、と思いながら私は手を広げて彼女を受け入れる。
運命なのだろうか。私を殺すのは二回とも、こんな底抜けに真面目な人らしい。
「本当に……悪い魔法使いだったんですね」
「はい、申し訳ありません」
それを最後に、マリツィアさんは私に魔法の剣を突き立てた。
当然、私はそれを避けることなどせず、彼女の突き立てる優しい刃をその身に受け入れる。
痛くない、恐くない、意識もはっきりしている、そんな二回目の私の最後。
剣が突き刺さったその瞬間から、魔法の核となった私という存在がほころびるように崩れていく。
刺された場所から血が流れないのを見て、本当に私人間じゃなかったんだな、なんて呑気なことを考えた。
「ありがとう、マリツィアさん」
消える前に言いたかった。
目の前の優しく、強い彼女に。
「ありがとう、私の魔法」
ずっとこの地を見守ってくれていた私の魔法の最後に。
「ありがとう、ベラルタ」
少し変わって、でも変わっていない未来のベラルタに。
「ありがとう、皆さん」
未来のベラルタで出会った人達に。
「……さようなら、ルクス様」
そして――あの日、私を助けてくれた"魔法使い"に別れを。
「ああ、私……」
一度目の最後に縋って、私が手に入れたのは本当に夢のような奇跡。
私が守りたかった場所が未来でも残っていることを知れて、その場所に住む人達に出会い、あろうことか魔法使いの後輩とも知り合えた。
それはただ魔法に保存されていた私のような死者にはもったいない、安らかな眠りをもたらしてくれる最後の記憶。
私が見たかった景色は最後まで見れなかったけど、よく考えてみればそれは未練なんかじゃない。
だって、私が見たかった景色を見るのはなにも私じゃなくてもいい。
今の世界を見るべきなのは私という過去ではなくて、今を生きる人達だから。
「本当に」
これが私シャーフ・ハイテレッタという人間の本当の最後。
昔ベラルタで暮らしていた、何の変哲も無いただの魔法使いのお話。
死ぬのが二回目だというのに、ただ無言だというのも少し寂しい気がして。
「本当に、幸せだったなぁ」
最後に私は、心からの福音をベラルタに遺していった。