255.天泣の雷光3
『不可解な音――血統魔法だな!?』
「うっ……!」
通りを焼き尽くす黒雷をその身で受け止める五メートルほどの雷の巨人。
巨人が弾いて逸れた黒雷が周囲の家屋を瞬く間に破壊していく。
黒雷を受け止め、雷の巨人の甲冑はひび割れこそするものの巨人本体が破壊されるには至らなかった。
『なるほど……やはり普通の魔法とは違うな!』
頭に浮かぶは先程自身の操る黒雷で消滅させたオウグスの魔法。
サイズは同じか少し大きい程度だが、未だその形を残す巨人はその"現実への影響力"の高さをミノタウロスに示す。
『ならばこうするしかあるまい――!』
あれは小細工では壊せまい、と両手斧の柄を強く握ってミノタウロスは地を蹴った。
目の前に現れた巨人へと走る巨躯。
通りの石畳は再生するそばからミノタウロスの走りによって粉々に破壊されていく。
ギラギラと光るその目にあるのは戦意と殺意。自分の力をぶつけられる相手が現れた事を喜ぶような戦士の高揚があった。
「迎え撃て! 【雷光の巨人】!!」
"ゴオオオオオオオオ!!"
闇に響く咆哮とともに走り出す雷の巨人。
遅かれ早かれこうならざるを得ない時が来るとは思っていた。
ルクスとて予測していなかったわけではなない。ミノタウロスが得意とするのはその膂力と技巧をもってぶつかる真正面からの力勝負。
あの巨躯と魔法生命の高い"現実への影響力"を考えればそれが最善であり、最強の戦法だろう。
だからこそ、ルクスはこの状況を避けたかった。こうなれば、血統魔法を使わなければ対抗手段が無かったからである。
「……!」
雷の巨人が駆けだしたその瞬間、ルクスはつい黒い天井を見上げてしまう。
ルクスは四大貴族オルリック家の長男であり、その歳で血統魔法を手足のように扱える天才の一人と評されるが――実際はその"放出"に欠点を抱えている。
"変換"に際するイメージが欠けているのか、ルクスは【雷光の巨人】の"放出"が不安定であり、サイズがまちまちになってしまうというものだった。
最小で五メートルほど、最大で十メートルほどと、その差は大きく、サイズに応じて当然"現実への影響力"にも差が出る。特に空が見えていなかったり、屋内の時はほぼ最小のサイズになってしまい、血統魔法として最も弱い状態で表れてしまう――無論、それでも同年代の生徒からすれば圧倒的なのだが――。
つまり……黒い天井で覆われ、迷宮という屋内の環境に変化させられている今は、ルクスが血統魔法を唱えるには最悪の条件だった。
(いや……)
だが思う。
黒い天井が無かったとして……今の自分は、本当に巨人の力を最大まで引き上げられただろうか?
『ぬうう!!』
ミノタウロスの声でルクスは我に返る。
丁度、怪物と巨人がぶつかる瞬間だった。
横薙ぎに薙ぎ払うようにする両手斧。それを受けようとする雷の剣。
互いの武器がぶつかり合うその瞬間、白と黒の火花が散った。
『――薄い!!』
ミノタウロスの一声とともに、雷の剣と両手斧が轟音を立ててぶつかり合う。
結果は明白だった。
ただの一撃でひびの入る雷の剣。黒雷を纏った無傷の両手斧。
互いの"現実への影響力"は一目瞭然。
しかし、一撃でその剣を砕けなかったことをミノタウロスは不満に思ったのか攻撃の手を緩めない。
『そなたの実力は認めよう……だが、我が身に届かないのも事実! そなたのような小童に我が身の目的が妨げられるなどあってはならない! 悪いが、このままこの巨人ごと捻じ伏せさせてもらう!!』
ミノタウロスの口から巨人と呼ばれるが、実際の体格差を考えれば【雷光の巨人】はむしろミノタウロスにとっては自分の半分くらいの大きさしかない子供のようなものだろう。
雷の巨人は両手斧を容赦なく振り上げられ叩きつけられる。
何度も。何度も。何度も。
ひび割れた雷の剣は三撃目で砕けた。
「君はそんなに神様とやらになりたいのか!?」
『愚問! 我が身に相応しい英傑をこの世界で見つけ出し! 打倒する事でこの地に新たな神話を生む! 数多の英傑を倒す怪物はいずれ神へと祀り上げられるであろう!』
「この街を恐怖に陥れといて祀り上げられるとは……思考が滅茶苦茶じゃないのかな!」
『否! 恐怖こそが信仰を生むのだ! 吹き荒れる嵐! 波打つ大海! 雄大な大地に暗き冥府! 刻む時に裁きの雷! そして……天上の宙! それらを生み出した神々に対する畏怖こそが神と人を繋げたのだ! 語られる数多の英雄譚と愛憎劇、この世界は神々が作ったからこそ、人の運命も神々の思惑によって激動を繰り返す! 怪物を神へ変えるなど造作も無い!』
両手斧を叩きつけらた五撃目で巨人が纏っていた雷の甲冑が砕け散る。
よく五撃目まで受け切ったと賞賛されるべきだろう。
ミノタウロスは何の小細工も使っていない。ただその武器と膂力をもって巨人を破壊する。
真正面から叩きつけるだけの暴力に雷の巨人は屈しようとしていた。
巨人に血液のように流れている雷属性の魔力が抵抗すら出来ずに削られていく。
『我が身は神話の創造を望む! 我が身が神になるための最初の一歩……! 街を支配する怪物に立ち向かう人間の話が、その怪物が神であり、愚かだったのは人間だったという神話に変わるその瞬間まで! 我が身は我が身に相応しい強者と英傑をこの手で殺そう!! 何人も、何十人でも! 怪物が神へ昇り詰める手段など力を示す以外に他ないのだから!!』
"オ……オオオオ……!"
鬼気迫る声と圧し潰されそうな迫力。
声とともに打ち付けられた両手斧の連撃に膝を屈する雷の巨人。
体格差と"現実への影響力"の差によって、巨人が膝をつくまでの時間は今までルクスが見たことないほどに防戦一方だった。
オルリック家に勝利を齎すと受け継がれていた血統魔法。その血統魔法が何の抵抗もできず、ただ数十秒の時間稼ぎをするだけで消えようとしている。
宿主と一体化し、"現実への影響力"が急激に上がったミノタウロスの攻撃を受け、まだ魔法の形を保っている事だけでも褒められるべき強固さではある。
しかし……自身の敗北が主人の死と同義の状況での賞賛は【雷光の巨人】にとっての侮辱となろう。
何だこの姿は。
片膝をつくその巨人の姿からは嘆きが聞こえるようだった。
「何が……君をそうさせる?」
単純な疑問だった。
狂気のような決意と声。だが、ルクスが一点だけ羨むところがあるとすれば迷いがないという点だった。
何かを目指すことへの躊躇いの無さ。それは何か確固たる思いを抱いているような気がした。
『……我が身は、呪いから生まれ落ちた』
戦った相手への報酬か。ミノタウロスは語り始める。
『我が身の母には呪いがかけられた。とある牡牛を愛するように感情を呪われ、何とかその思いを遂げようと精巧な牝牛の模型まで作らせ、その中に入ることで、呪いによって生まれた偽りの思いを遂げた』
「それが……君か?」
『愚問』
ミノタウロスは両手斧を振るう。
片膝をついていた雷の巨人は音を立て、押しつぶされるように通りに落ちた。
起き上がろうとするも、ミノタウロスの膂力がそうはさせない。
そのまま巨人を踏みつぶそうように、ミノタウロスは雷の巨人を足蹴にする。
『だが――呪いだったのは牛を愛する所までだったのだ』
力強く、雷の巨人を踏みつけたその足はまるで問うルクスの在り方を否定するようだった。
迷いを持って自分の前に立つルクスに対する苛立ちがそうさせたのか、ミノタウロスなら後何撃かで破壊できるはずの雷の巨人をそのまま足の下でもがかせる。
『なればこそ幼少に受けた母の愛は本物だった。我が身という異形を愛するようにする呪いは確かになかった! なかったというのに……母は我が身を愛したのだ。およそ人間とはかけ離れた、牛の頭を持つ我が身を』
「母親……」
意外にも、怪物が語るのは自分の母のことだった。
ミノタウロスが何故母の話に反応したのか、疑問が氷解する。
母という存在こそが目の前の怪物の根幹であると。
『だというのに、我が身は堕落した……! 鏡に映る異形の姿と群衆の声に惑い、怪物であることをよしとした。怪物のまま暴れ、怪物として幽閉され、母の子であることを放棄した! その愛に応えることもせず……我が身の運命に殺されるその間際まで、母を振り返ろうともしなかった!』
握りしめるその力は両手斧を破壊するのではというほど力強く。
その声が語る後悔は自分への怒りを思わせる。
『母がこの地に立つ我が身を見ているかはわからない。だがそれでも! 今度こそ、母から注がれた愛に応えるために、この異界の地で我が身は怪物から神へと昇りつめよう!! この異形は決して怪物の証などではなく、非凡の証明、神になる子の印であったのだと母に誇らせるために!!』
そう叫んだ怪物は異形のままであるはずなのに、あまりにも人間的だった。
何のために生きるか、何を持って生きるか。何がしたいのか。
目の前の怪物はただの怪物などではなかった。
生前に迷って、迷って、間違えた結果……その答えを出して突き進む者。
迷って、迷って、間違えて……どこに行けばいいのかわからずに迷い続けている自分の先をこのミノタウロスという敵は歩いている。
(勝て……ない……?)
目の前の怪物と自分はきっと似ていた。
だからこそ、一瞬とはいえ無意識にそう思ってしまった。
自分の道を真っ直ぐ突き進んでいるアルムに勝てないように、自分の先を進んでいるこの怪物にはきっと勝てない。
だって、自分は本当に魔法使いに相応しいのかがわからない。
目の前の彼のように、確固たるものを持って進む事が出来ていない。
(あれ……?)
そもそも……自分は、自分は何で魔法使いになりたかったんだろう。
根本が、思い出せなかった。
どんな魔法使いになりたいか、それよりも先にあるべき理由が。
目の前のミノタウロスが神になりたいように、いつも一緒にいるアルムが魔法使いになりたいように。
何故魔法使いになりたいのか、僕にもきっと理由があったはずなのに。
――今思い出すべき事だったのかはわからないが、自然と母の事を思い出していた。
もしかしたら、彼が母親の話をしたからかもしれない。
自分が八歳の時、自分の最も大切な人――母は亡くなった。
母の死の間際、ずっと一緒にいてほしいと懇願したあの夜。
母は、それだけはできない、とその懇願を聞き入れてくれなかった。
泣きじゃくりながら、母の細くて白い指をどれだけ優しく握っていても、返ってくる答えは一緒だった。
ずっと一緒にいて欲しい。そんなありふれた我が儘を何度口にしても、母はその我が儘に一度も首を縦に振ろうとしなかった。
「どうじて……でずか……!」
泣きわめく八歳の僕。ベッドに臥せるやせ細った母。
母は穏やかな笑みを浮かべ、慈愛を湛えた青い瞳で僕の問いに答えてくれた。
「―――――――――」
あの時……母は何て言っていたんだっけ?