253.天泣の雷光
この街に来て何度その目を見ただろうか。
怪物と呼ばれ、王にも恐れられたこの姿から目を逸らさない者達、そしてその瞳。
(だが、何故だ――?)
向けられた瞳は間違いなく、自分が好む者達と同じに見えるはずなのに、ミノタウロスは目の前に立つ少年の瞳だけは何故か気に入らなかった。
何か迷いが見えるからか?
ルクスの姿を凝視したところで浮かんだ疑問が解けることはない。
『我が身は宿主との知識を完全に共有できるわけではない。ゆえに堂々と名乗り上げるその名が何らかの威光を示すのであれば疾く退くといい。我が身に、いや、我々にその威光は降り注がぬ。我が身に立ちはだかる理由がその名が齎す自信であるのであれば退け。振りかざしたその自信が勘違いであったとしても、我が身は決してそなたを貶めたりはしない』
ミノタウロスの忠告に一瞬、呆気にとられたような表情になるルクス。
フロリアからの目撃情報と一致する魔法生命であり、ベネッタに重傷を負わせた相手ではあるが、その声は何とも理性的であり、この街を恐怖に陥れようとしている存在だとは到底思えなかった。
しかし、その理性的な声で語り掛ける言葉には大きな間違いがある。
「生憎、僕に自信なんてほとんどない。君達が僕達の家名を恐れないなんて知っているからね」
『そなたもあの少女と……百足か?』
「ああ、ミレルであの姿を見たから……わかる。君はまだあの大百足ほどじゃない」
その身に感じる決して弱くない重圧の中、聞けば挑発のような言葉をルクスは口にする。
しかし、ミノタウロスは怒り狂う事はなく、その牛の頭は嬉しそうににやりと笑った。
自分を前にしてそう言ってのけることのできる目の前の少年の胆力に。
『その通り。そして当然だ。大百足は常世ノ国を滅ぼした最初の四柱。常世ノ国の人間、そして霊脈を食い漁ったいわば魔法生命の道を拓いた開拓者。常世ノ国を滅ぼした当時……自我はあったものの、宿主もおらずただ保存されていた我が身とはスタート地点が違う』
「四柱の一つ……」
聞かないほうが幸せで、魔法生命の情報が少ないマナリルにとっては貴重な情報。
ルクスは戦慄する。
あんなのがまだ三体も存在しているのか。
相対しているルクスが固唾を飲む中、ミノタウロスは両手斧を握っていない腕を中空に突き出し、拳を作る。
『だが、我が身もすぐに追いつこう。この迷宮を通じて我が身もまたこの地の霊脈と繋がっている。これからこの街で飼われる人々の恐怖を糧にすれば、数年もせずに我が身は完全体となる。その時には――神の座へと手を伸ばす事ができるだろう』
「神……?」
『我が身の……いや、我々の目的は神無きこの地で神となる事。そなたらが魔法生命と呼ぶ我々は徒党を組んではいるが、厳密には味方というわけでもない。それぞれが呪法によって契約を結び、神となるべくこの地を侵攻している。無論、神に辿り着くための手段は各々違う。我が身のように単独の者もいれば、魔法生命同士で手を組む者もこの地の魔法使いと手を組む者もいる……そして目的から外れて離反する者や宿主を助けるために動く者もな。我が強いというのも困りものだ』
「大百足は君達とは目的が違ったってことかい?」
ルクスから見ればベラルタを襲撃しているミノタウロスのやっている事はミレルを破壊し尽くした大百足と大差ないのだが、どうやら事情を把握している向こう側からすると少し違うようだった。
初めてまともに話せる魔法生命に出会ったからか、ルクスは純粋な疑問から聞いてしまう。
『あれはずっと……何かを探していた。天に、海に、大地に。自分の存在が轟けば見つかるのだと信じて我々を裏切った、ただの毒婦だ』
「……そうか」
質問されたミノタウロスの表情はわかりやすく、大百足を快く思っていないようだった。
これ以上は無理と悟って、ルクスは静かに息を吐く。
恐らく問答は終わりという事だろう。目の前のミノタウロスの気紛れは自分の目的、すなわち自分の成し遂げるべき目的を誇るまで。自分達を裏切った理解しがたい者の目的についてを語るのは不本意だったという事か。
ガチャ、とミノタウロスの右手に握られる両手斧が少し動く。その刃は魔石の照明に照らされて銀色に輝いていた。
『問答をしにきたわけではあるまい』
「そうだね……そうだった」
『自信が無いと言ったなルクス・オルリック……自信無くして、我が身に立ちはだかるという事か?』
大百足ほどじゃない。ルクスは確かにそう言い放った。
だが、それは決してミノタウロスが弱いという結論にはならない。
ベラルタを支配するその力、一目でわかる巨躯から繰り出されるであろう膂力、そして目の前で感じる突き刺すような鬼胎属性の圧力。
目の前に立つは間違いなく超常の一体。
この場でオウグスと一戦交えていたはずが、衰弱していたオウグスに対してミノタウロスは無傷なまま。よほど一方的だったという事だろう。
そんな相手に立ち向かう理由など、ルクスには一つしかない。
「わからない」
『……わからない、だと?』
ミノタウロスの怪訝な表情。
迷い続けている心を後押しされた。ただそれだけ。
明確な理由など見つからない。ずっと、ずっと迷っている。
自分の守るべき今がどうしても見つからない。
自分は本当に魔法使いに相応しいか。
わからない。そう答えたのは、手段はともかく真っ直ぐだったミノタウロスへのせめてもの正直だった。
ミタノウロスの抱く奇妙な苛立ちに気付かぬまま、ルクスは自分の敵に向かって自分自身を曝け出す。
「でも、今ここを逃げたら僕は……もう何も言えない人間になってしまうと思う」
恐らくは、この場から逃げれば答えは出るだろう。
ルクス・オルリックにとって最も簡単で、最も楽で、最も明瞭で、最も善しとできないもの。
迷う必要の無い、整地された道がきっと彼の前には開かれる。
「もう、本当に……彼等の隣に立ってはいけない人間になってしまうと思う」
だが、それはできない。
迷い続けるのが苦しくても、前を歩く誰か達の光が眩しくても。
彼は整地された道を選べない。
「僕という人間では、なくなってしまうと思う」
それが出来ないのは彼がルクス・オルリックという人間だから。
幼少の頃から培われた誇りと生き方が、この場から逃げる自分を許さない。
一人の女性に後押しされてようやく辿り着いたにも関わらず、この場所はただの分岐点。
もしかすれば、自分が今日ここに立つには早いのかもしれない。
自嘲しながらルクスはミノタウロスと向き合う。
『義務か?』
「違う」
自分が相応しいかわからぬとも、挑戦する権利は誰にだってある。
たとえその挑戦の先が無意味なものだったとしても、その選択自体に意味があると信じて。
自分の選択を、後悔という名前の記憶にしないために。
だから、叫ぼう。
「義務かどうかも、貴族かどうかも、何もかも関係ない。僕は、僕自身が魔法使いになりたいのだから!」
かつて、臆することなく自分に立ち向かってきたあの友人のように――!
「『雷鳴一夜』!」
『来い……迷いし者よ。その迷いを、そなたの命ごと断ち切ろう――!』
ルクスを纏う雷。ミノタウロスが振り上げる両手斧。
互いの敵を排するために、二者の魔力が迸る。
いつも読んでくださってありがとうございます。
頑張ります。