251.道化師の退場
「『囚われの曲芸技』」
研鑽街ベラルタ東門前。
戦闘が起こっているとは思えない傷一つ無い街並みの中でオウグスは魔法を唱える。
オウグスの周囲に現れるは三つの黒い輪。
目標は眼前の牛頭人身の魔法生命ミノタウロス。
三つの黒い輪は一つはミノタウロスの首に、二つはミノタウロスの足にそれぞれ飛んでいく。
首と足に飛ぶと、その黒い輪は縛るように、そして締め付けるように小さくなっていく。
『無駄だ』
ミノタウロスが何かするでもなく、石が割れるような音を立て、小さくなっていった黒い輪はミノタウロスの首と足の外皮に負けて自壊する。
「んふふふ! 嫌になるねぇ……全く!」
オウグスが唱えたのは拘束系の魔法でありながらその特性からそのまま絞め殺す攻撃魔法にもなる闇属性の中位魔法。
中位魔法でありながら黒い輪が人間の首にかかれば必殺とすら言っていい魔法であるというのに、魔法生命は何をするでもなく、生命としての"現実への影響力"でその魔法を捻じ伏せる。
『我が身が鈍重とはいえ、我が身と戦い続けられるその精神力は見事。確かにそなたは宿主が挙げるに相応しい危険人物であろう』
「んふふふ! お褒めに預かり恐悦至極!」
『だが、悲しいな。火力不足だ』
「当然! 僕が得意とするのは人間相手の曲芸さ!」
ミノタウロスの両手斧がオウグス目掛けて振るわれる。
錆びた刃と硝子一枚ほどの距離でオウグスはその一閃を躱した。
後ろでは家屋が瓦礫に変わる破壊音。そして続く再生の音。
改めて言われずとも、火力不足である事はオウグス自身ミノタウロスとの戦闘の間、痛感していた。
闇属性魔法は全属性の中で最も攻撃力の低い魔法。人間相手なら十分な"現実への影響力"も怪物相手となると話は変わる。
すでに二〇分以上続く戦闘の中、ミノタウロスも周囲の街並みのように傷は無い。
「んふふふふ!」
強化をかけたその身でオウグスは家屋の壁に跳び、弄ぶように駆ける。
唯一勝っているスピードで捉えられぬよう、時間切れのその時まで立ち回ろうと足を動かす。
「『閉幕の道化獅子』!」
『ほう』
ミノタウロスの目の前に現れるはミノタウロスに負けず劣らず巨大な四足歩行の黒い獣。
音の無い咆哮と挙動だけの威嚇が不気味にミノタウロスと対峙する。
『……今まで見せた魔法とは少し違うな、ただの獣ではないと見た』
「出来るだけ底を見せないのは当然だろう?」
ミノタウロスが肌で何かを感じている通り、これは血統魔法と勘違いしてもおかしくない闇属性の上位魔法にしてオウグスのオリジナル。
十年近い宮廷魔法使いの経歴ゆえに対魔法使いに特化していたオウグスが、自立した魔法にも対抗すべくと全盛期に生み出したその結晶。
その結晶が怪物へと飛び掛からんとしたその時――。
『せめてもの敬意だ』
ミノタウロスはその手に持つ両手斧を獣に向けるのではなく、地面に強く打ち付けた。
「【暗中の雷閃】」
石畳に打ち付けた両手斧を中心に放射状に放たれる黒い雷。
雲無き場所に在る筈の無い雷鳴が轟く。
ミノタウロスに飛び掛かろうとした巨大な黒い獣は、放たれた黒い雷を胴体に浴びて声の無い悲鳴を上げた。
ミノタウロスの周囲に建つ家屋は勿論、打ち付けた石畳も黒い雷によって裂かれ、ただの瓦礫へと変わっていく。
「んふふふ……!」
為す術のない鬼胎属性の魔力の解放にオウグスはつい呆れにも似た笑いを零しながら黒い雷をかわす。
オウグスの魔法が消える頃、ミノタウロスの周囲全ては瓦礫に変わり、そして……再び元の家屋と石畳に再生していく。
戻らないのは破壊されたオウグスの魔法と、オウグスの疲労だけだった。今の黒い雷に当たらなかっただけでもオウグスにとっては幸運と言える。
ミノタウロスは未だ健在のオウグスを確認すると両手斧を再び構えた。
「……それが君本来の能力ってわけかい?」
笑えるね、と呟きつつも、もう笑えなかった。
比較的鈍重で、武器である両手斧とその肉体の膂力のみだからこそ戦況を保てていたこの二〇分の前提が目の前で崩壊した瞬間を目の当たりにしてしまったから。
無論、手の内を全て見せていると思うほどオウグスは楽観的では無かったが、それでも自分の上位魔法が一瞬で破壊された光景は中々に苦しいものがある。
魔法生命。
その存在が伊達ではないことを今の一瞬でミノタウロスはオウグスに示した。
『隠していたわけではない。使う状況にならなかっただけの事。我が身は空無き迷宮に轟く雷光なり。雷を放つなど造作もない。……尤も、今の我が身はあくまで鬼胎属性の魔法生命。その性質は我が身が生前扱っていたものとは些か違うようだがな』
「こちらの魔法のルールに沿っているからと……それで常識ぶられたのではたまったものではないねぇ」
オウグスがミノタウロスに今までに使った魔法は上位魔法が四回、中位魔法が七回、下位魔法が三回。
魔法使い五人は楽に殺せるくらいの魔法の数々だったが、魔法生命であるミノタウロスには傷一つつけることは出来なかった。
承知の上で挑んだとはいえ、対人に特化している自分の魔法使いとしての在り方をオウグスは初めて呪う。時代遅れであるという事はここまで無力であるのかと。
『魔力ももうすぐ尽きよう道化師よ。そなたは我が身が求める英傑では無かったが……間違いなく――』
「……?」
急に、ミノタウロスの声が止まった。
そしてミノタウロスはオウグスから目を離し、無防備にも振り向く。ベラルタ魔法学院の方向だった。
『宿主――!』
「!!」
戦闘中には決して見せなかった表情をミノタウロスの牛の顔に浮かぶ。
焦りでもなく、悲しみでもないように見えたが、何らかの動揺は間違いなくそこにあった。
同時に、この街のどこかでミノタウロスの宿主に何らかの危機が訪れている事もオウグスは確信する。
『馬鹿な……敗北したのか? 誰が我が身の外皮を貫いた――?』
学院の方角を見ている所を見ると、有力なのはエルミラとヴァン。
だとすれば、エルミラの予想通り宿主はシャボリー・マピソロだったという事か。
一瞬、オウグスは複雑な表情になるも、戦況が好転している事への喜びをとりあえずは疲弊したその身で享受する。
『……流石に見過ごすわけにはいくまい』
振り返ってそのまま、ミノタウロスは歩き出す。
この場を捨てて離脱しなければいけないほどの事態がミノタウロスの宿主に起こっている。
「"放出領域固定"!」
『――!!』
そう考えれば決断は早かった。
少しでもこの怪物の足を引っ張ってやらねばと、オウグスは今度こそ自分の底の一端をここに顕現させる。
「【道化師の遊技場】!」
笑い声交じりの複数の声。
響く歌は愚者を嘲りながらも愚者そのものを歌う。
マナリルの魔法機密の一つ。ラヴァーギュ家の血統魔法が目に見えぬ形で今ここに開演する。
『む……』
「おいおい、最後まで見ていってくれたまえよ!」
見た目には何も変わっていない。オウグスもミノタウロスも元のベラルタの街並みにいる。
だが、ミノタウロスは確かな変化を感じ取った。動かぬ体と自分を侵す奇妙な魔力。
魔法による魔力の侵蝕がこの身に始まろうとしている事に気付く。
オウグスの使う血統魔法は世界改変魔法。闇属性の特性『侵食』によって相手の魔法を穢す世界を作り上げる対魔法使いにおけるマナリルの切り札の一つ。
カエシウス家と同様、世界を改変しながらも生物にまで影響を与える特異な"現実への影響力"を持つ血統魔法。
当然、魔法でもある魔法生命もこの血統魔法の影響は受けざるを得ない。
『焦ったか道化師』
しかし、それが彼にとって致命になるかは話が別。
むしろ致命となるは――
『我が身は鬼胎属性……その魔力に触れる意味を知れ』
「ぎ……! ぐおあああああ!!」
誰にも届く事の無いオウグスの悲鳴が周囲に響く。
普段ならば相手の魔法を侵食し、機能不全に陥れるオウグスの血統魔法。
その能力が今は仇となる。
魔法生命の持つ鬼胎属性。その属性魔力に触れる意味。
魔法と魔法が繋がったことで、その魔力を通じてオウグスに感情と映像が流れ込む。
それはミノタウロスが与え、糧としたもの。
生きながら食われる子供の悲鳴。痛み。絶望。諦観。失意。自棄。
空の無い暗闇の記録。記憶。きろ、く。キオく。キろく。■■。
鬼胎属性が糧とした恐怖の記録が一斉にオウグスの頭の中を跳ね回る。
ここまでの戦闘で体も精神も疲弊したオウグスがそれに耐えきられるわけもなく、オウグスはその場に倒れた。
『今のそなたには荷が重かろう。宿主を確保したその時……改めてそなたを殺しに来る』
オウグスの血統魔法は当然、使い手の精神が魔法の維持どころではなく消えていく。
ミノタウロスは体が動く事を確認すると、一瞥もせずに感じ取った宿主の危機に向けて歩き出す。
「あ……ヴ……」
オウグスは手を伸ばすもその先にもうミノタウロスはいない。
まともな言葉を発する事はできず、口から涎を垂らしながらも、オウグスは這うように前に進む。
肩書きを忘れてこの戦いに挑んだ。
必要とあらば地面を這うことも舐めることもしよう。
自分の失態を受け止め、最後まで役割を果たす為にと、オウグスは赤ん坊よりも遅い速度でミノタウロスを追い掛けようとする。
「……?」
そんな地を這うオウグスに、誰かの人影が落ちた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第四部ももうすぐ終わりとなります。予定通り八月中に終わらせられたらいいな……と思っています。