幕間 -在りし日の図書館-
「神が何なのかを知りたい?」
ベラルタ魔法学院の新しい図書館の管理人が赴任してきた日。
ヴァンはその管理人となる女性を案内していた。
今まで聞いた事すら無かったマピソロ家という無名貴族。学院長によれば今代で才能が開花し、ベラルタ魔法学院の教師に選ばれたのだという。
くすんだ金髪にいかにもな眼鏡を掛けて、その女性シャボリーは最後に案内された図書館に目を輝かせながら自分の目標をヴァンに語った。
「ああ、私はその為にこの学院に来たといっていい。ここの図書館の蔵書量は王城には劣るが中々のものだ。神様が何なのかを調べるにはとにかく資料がいる。何せ神を信じる文化がほとんど残っていない世の中だからね。ここは教師権限で欲しい書物は大抵取り寄せられるから都合もいい」
変わった女だとヴァンは思う。
神を信じる時代はとっくに過ぎ去っている。
マピソロ家は歴史学者の家系だと学院長から聞いたのを思い出す。
研究系の魔法使いはやっぱり考える事が違うんだな、などと少し感心してしまっていた。
「堂々と職権乱用宣言をするんじゃねえよ……」
「おっと、これはしまった。だが、君が黙ってくれればいいだけの話だから問題ないな」
「あのなぁ……」
シャボリーはヴァンをからかうようにくすくすと笑う。
学院を案内するまでの間の雑談で、まるで自分の人となりを見抜かれたかのような踏み込まれ方だ。
「そんなに資料が必要なら宮廷魔法使いになればよかったんじゃねえのか? 蔵書量ならなんだかんだ王城の書庫がトップだ、ここに来れるくらいなら何とかなったんじゃないのか?」
ヴァンがそう言うと、シャボリーの顔に急に陰が落ちる。
その体質から魔法機密に指定されているシャボリーの経歴は特定の人間しか閲覧できない。彼女がすでに宮廷魔法使いになる為の試験に落ちている事などヴァンは知る由も無かった。
「私は感知魔法が大の苦手……というよりも使えなくてね。君のようになんでもこなせる才能は無かったんだよ」
「あー……」
「感知魔法以外の面では……他の者にも負けていなかったと自負しているんだがね」
しまった、とヴァンは居心地悪そうに珍しく整えていた髪をかく。
宮廷魔法使いになるためには、暗殺防止や王都への侵入者の察知のために高度な感知魔法を使える事が必須。
どれだけ他の能力が優れていても感知魔法が使えなければ宮廷魔法使いになることは出来ないのだ。
宮廷魔法使いを一度目指したという事はシャボリーもそれは承知のはず。それでも試験を受けたという事は、どうしても諦めきれなかったという事だろう。
先程の笑顔は何処へやら。遠い目をした視線の先に見ているのはかつての自分の姿だろうか。
「だが、それも仕方がない。必要な能力が無いものが認められないのは当然だ。私だって、同じように私を落としただろう」
「いや、まぁ……」
「どうせマピソロ家は魔法使いとして不出来な家系だよ。無能で悪かったね、どうせ私は変な体質が取り柄の底辺魔法使いだよ」
「いや、何も言ってねえだろ……」
「おっと、すまない。今のはただの八つ当たりだが、私の人生の汚点に触れた罰だと思って受け入れてくれたまえ」
シャボリーの表情が戻ってくれた事に少しほっとする。
情けない話だが、ヴァンはどうにも女性のフォローが苦手だった。
「それに本当に無能ならここの教師になんかなれねえだろが」
「ほう、慰めてくれているのかい? まさかこれから私は口説かれてしまうのかな?」
「今日から同僚になるやつを誰が口説くか。そんで? なんで神様なんて知りたいんだ?」
これ以上からかわれないように話を元に戻す。
シャボリーはヴァンにそう問われると、何かを考えるように窓の外に目を向けた。
「……さあ? 子供の頃からずっと考えていた事だからね。きっかけは忘れてしまったな」
「……そういう事もあるか」
ヴァン自身、何故魔法使いになったのかと問われれば難しい。
才能があったからのような気もするし、成り行きのような気もする。
そんな自分がこれ以上詮索するのは失礼な気がしてヴァンは切り上げるようにてきとうに言葉を返した。
「まぁ、神様なんているかいないか俺にはよくわからんが……」
「おや、少し勘違いしているな」
「あん?」
「いるかいないかはどちらでもいいんだよ。私は何なのかが知りたいだけだ」
「どういう意味だ?」
シャボリーの言葉の意味がわからず、ヴァンは怪訝な表情を浮かべる。
「本当にそんな存在がいてもいいし、ただの空想でもいい、私が重視するのはその存在に向けられた思いだ。人は何を持ってその存在を信じられたのか、それが神の何なのかの答えだと思っている」
「あー……? ん?」
「ふふ、少しわかりにくかったかな。つまりね、神という存在に縋る人の在り方を知りたいんだ私は。人間よりも高次の存在に縋るような人達はきっと……自分の欲よりも、この世界が今よりほんの少しよい世界になるようにという願いと心を持っていたんじゃないかと思うんだ。私はそんな、人の心に触れたいんだよ。その心こそが神様が何なのかの答えだと思うから」
夢を語りながらも慈しむような視線。
手入れされていないくすんだ金髪と肌荒れた頬に濃い隈。そんな綺麗とは言い難い横顔に一瞬見惚れてしまったなどとは口が裂けても言えなかった。
ヴァンはついわざとらしく咳払いをする。
「ま、まぁ、職権乱用はほどほどにしとくんだな。ある程度は許されるだろ」
「ああ、ヴァンが言わなければばれない程度にしておくとするよ」
「ばれたら俺を恨むみたいな言い方はやめろ」
「それにしても君……さっきから思っていたんだが、少し煙草臭いな。本の匂いに混じると目立つ」
「ん? ああ、あんたが来る前に……すまん、苦手だったか?」
「本に別の匂いがつくのは嫌だが……」
シャボリーはすんすんと鼻を少し鳴らす。
「うん、まぁ……私は嫌いではないかな」
「……そうかい」
それは何年も前にあった在りし日の出来事。
出会った時にはきっと同じ場所にいた、本と煙草の香りが混じった遠い思い出だった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りになります。
明日更新をお休みして、明後日の更新から第四部のクライマックスに入ります。
これからも是非お付き合い頂けると嬉しいです。